まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

頭の仕事

2011年01月30日 20時19分45秒 | Weblog
ようやく確定申告を始め。
ようやく作付計画を練り始める。


毎年、確定申告は実家に飛び込んで子供達を見てもらい、溜まったレシートと格闘する。

農業を志した一年目、新規就農フェアーだったかな?就農相談コーナーがあって「有機農業をしたいんです」と。返って来た答えが「お金が掛からなくて良いね。」だった。詳しい内容は覚えていないがあっさりと答えられたのを覚えている。
そして就農する直前、奈良県庁の新規就農課だったか?これも曖昧なのだが新規就農支援金の貸付相談で訪れた事がある。(市役所から回された)
「農地も研修も受けたんだね。優秀だね僕はもう言う事がないね。それなら資金は簡単に借りれるよ。僕の担当ではないけどね。」と、またそっから2時間掛かる普及所に回されたことがあった・・・。

レシートを眺めながら思い出したのだが「どちらも無責任だなぁ」と思う。

そりゃ大きなハウスを建てて機械を買ってという農業経営と比べれば微々たる物だろうけど、お金が無ければ野菜は作れない。
種だけでも年間20万はいく。今年はまだ分からないけど。
肥料だって、資材だって、燃料もそう安くは無い。

そして新規就農支援金なんて全く貸す気の無い制度で結局諦めたのだった。(普及所に着いて頭にそう言われた)

まぁ新規就農窓口ってそんなものだったということ。





この時期は1年で何を作るか、どこに植えるか、どれくらい作るかをざっと計画する。
少し遅いのだが・・。
少量多品目栽培では年間60,70品目の野菜をパズルのように当てはめて作っていく。
これが難しい。

区画整備されていない農地は大きさや形がさまざまだし、その土地の性質もある。
湿気が多いとこ、少ないとこ。湿気を好む野菜や嫌う野菜。
水があるとこ、無いとこ。
ナス科、トマトやナスやピーマンなどは1回作ると3年は休ませたい。
モグラが多いところは根菜は作れないし、鳥が来る所は果菜が作れなかったり。

と結構頭を捻るのだ。

毎年夏は草に追われ「もう土地は広げないでおこう」と思うのだが、この時期になるともっと土地が欲しいと思う。危険な時期。
これ以上借りると1ha以上になる。ん~。
少ない面積で収量を上げた方が確実に経費や労力は抑えられるのだが・・・。だが余裕を持って作るというのは作物に良い面もあるし・・。

と、とりあえず計画を練ってからにしよう。


先日も貼り付けた写真。
源助大根。

この大根は在来種と言って昔から作り続けられ種が採れる品種。
F1種は種を採っても同じ野菜が出来ない一代限りの交配種。今栽培されている殆どの野菜はこのF1種。

でもこの写真見て面白い。

先が細かったり、丸かったり。
腹が出ていたり、細っていたり。
寸胴だったり、頭でっかちだったり。
と形が揃わないのだ。

スーパーの野菜って同じ形のものばかりなのはF1種だから。

本来、野菜って同じ大根でも一つづつ違うもの。
だからこの源助もスが入りやすい性質はあっても、それぞれ早く入ったり入らなかったりする。
昔の農家さんは半分に割ってスが入り難い大根を選抜して種を採ってきた。

市場出荷ではこういう野菜は作れない。
規格外ばかりになるから。

有機農業のセット販売の面白さってこういうところにある。

もったいない

2011年01月28日 22時05分38秒 | Weblog
出荷作業に小屋に一人座って野菜の掃除をする。
段々体が冷え込んで鼻水が止まらない。風邪気味の状態が長引くのはこのせいかもしれない・・。
普段なら氷が張る日であっても外で掃除していても平気なのだが、体調が悪いときと言うのはやけに寒く感じる。


水菜栽培でここはやっぱり寒すぎて葉がどうしても枯れる。
3年目で大阪のようにはいかないと、ようやく気付く。

この掃除やたらと時間が取られる。その割にはそうキレイにならなく、お客さんには使う前に再び丁寧に掃除をしてもらわないといけない。
「野菜に余裕があったら潔く潰してしまうのになぁ」とふと思う。

そう思った瞬間、自分の中に何かつっかかるものに気付く。
就農1年目はどんなに状態が悪い野菜でも、時間をかけて掃除して使える野菜は無駄なく使っていた。小さいイモも貴重だった。

今はというと品質を上げるため、自分の中の基準が随分と高くなったように思う。野菜に余裕がなくなると、もちろん下がってはいくのだけど。

こうして手を掛けて食べられるようにする。
実はこの時間と自分の中の心はそう悪いものではない。

本来感謝すべきものなのだから。

しかし
お金を頂くという事は・・
営農をするためには・・・

必ず一致するとは限らない。。


一昔前に「もったいない」という言葉が流行ったが
この言葉は救いの言葉かもしれない。
あるいは前進を拒むハードルのような言葉かもしれない。

どちらにしろ潰してしまうのは「もったいない」。


「お!太陽チーズおろしているのか」
「太陽チーズすきやから、いっぱいおろすねん」
パルミジャーノが大好物な太陽。。


充電期間

2011年01月27日 19時34分32秒 | Weblog
子供の風邪をもらってグズグズと数日過ごしている。


この時期は何かと出費が多い。
種代一回に1万、2万と出て行くし、資材や新たな投資など。

先日、種苗屋から電話が掛かってくる。
「まつながくん、イモ早よ注文してよ。北海道倒れたから今年少ないよ。」
どうやら注文の多いところに電話を入れてくれているようだ。こういう種屋だから大阪でも通おうと思うのだ。
ここからの情報はダイレクトに地域に根ざしているから、農家がどういう種屋と繋がりがあるかは大きい。
しかし、ここ近年北海道で不作が続いてるけど辞める農家も多いのだろうな。



今年はついに電熱温床を購入する。
電気の熱で育苗をする。

先日、エコ急騰のセールスの電話がまた掛かってくる。
頭から断っているのだが、聞く事もせず受話器の向こうでひたすら喋るものだから失礼だが何も言わず、途中で切らせていただく。
電気で湯沸しなんてとんでもない話なのだか、今育苗で電気を使おうとしている・・。

落ち葉はある程度集まっているし踏み込み温床も良いのだけど、コンセントをさせば温まってダイヤル一つで温度を調整できる。効率から言えば・・・。

と言っても踏み込み温床を辞めるのではなく両方を使って育苗をする。
全て電熱にすると電気代も掛かるし(サツマイモなんかはもったいないぐらい)温床後の堆肥も出来ない。
どちらも良いとこ、悪いとこがあるから、良いところを良いように使えば良い。


今、農業では充電期間のようなもので、この時期に一年の作付計画を練るし、確定申告で収支もハッキリする。(毎年ながら今年も赤だろう・・・)
農繁期が始まるまで、効率よく作業が進めるように整えていく。
これも、あれもとしていると出費がかさむので、ある程度の諦めと、来年への繰越は必要なのだが・・・。

農業における投資って機械生産と違って投資分の生産が必ず付いて来るというものでは無く、潜在性はあるが農業者の技量と天候で、その生産量は随分左右される。
またその投資が無くても技量でカバー出来たりもするし、農業ってただ投資すれば良いと言うものでもない。
5年10年単位で考えるのが新規就農者は現実的だと思う。

花豆のチリビーンズ。
パンにダァっとかけて豪快に食べる。
アメリカってこんなイメージかな。


<お知らせ>
援農ですがこそっと左ブックマークの野菜販売サイトにある お知らせ で募集していますが、2,3日での泊り込みでの援農も募集します。もちろん食事はこちらで用意させていただきます。
ご興味ある方は左上のメッセージからご連絡ください。

均一

2011年01月21日 01時36分16秒 | Weblog
ここ数日名古屋へ出かけたり、子どもが風邪を引いたりとバタバタと時間が過ぎる。

そして、ようやく大根と人参の種を播く。
寒いこの季節のトンネル栽培は手間と資材のいる栽培だが、ようやく資材の選択も固まってきて栽培方法も感覚的に分かったきたように思う。
1年に一回の作業、資金も限られれば栽培技術ってそうすぐに身に付くものではない。
一年一年自分の中で一つづつ組み立てていくしかない。

こういう時、自分の栽培技術や知識が、農業が出来るほど持っていないことに気付く。
仕方のないことだけど・・・

焦る気持ちと不安を感じるのだが、こんな思いは横目に、更なるスッテップの場を整える為、資材や機械などに投資をしていく。作付や栽培方法、草の管理などなどを無い頭の中で常に考える。
こうして毎年、内にこもるこの季節を過ごしていく。



ようやく?だろうか。それとも就農して3年でだろうか。
四季と自分の心がリンクしていることを素直に受け入れられるようになり、身体と心が繋がってきたように思う。

今まではどこか季節による心の変化に気付かなかったり、心とずれた考えや思いが自分の中にあった。
それは一年通して均一を保つ力が意識しない部分であったからだろうと思う。

トンネルを張ると言うのもこの力の一つのようにも思える。

面白いもので農業の世界を見渡してもこの均一の力はすごい。
形や大きさを揃える為の品種改良。
夏、燃料が無くても作れる野菜をわざわざ暖房を焚いて作る野菜。
一年を通してある夏野菜と冬野菜。

都会では
夜が無くなり一日中明るい。
冬は暖かく、夏は涼しい。
夏も冬も同じリズムで行なわれる学校の授業や仕事もそうだろうか。

そして暮らしも一年通して同じ料理が出て同じ時間に通学、出勤と四季があっても同じリズムを保とうとする。


そんな都会で育ち、慣れた、私の身体だったけれど、この生活を始めて四季による心の変化にとても敏感になり、均一を保つことにストレスがあったことに気付く。




二人目が産まれ、出来ていた事が出来なくなり、色々な思いや考え、日々起こる物事に翻弄されながも

この冬はようやく内にあるものが少しづつ整ってきたように思う。。


マフィンと源助大根

2011年01月12日 04時25分23秒 | Weblog
この時期は種の注文が始まる。
インターネットの お気に入り に入れてある種苗店や種苗会社から今年は面白い品種が出ていないか見て回る。
そこでまずはF1種か在来・固定種かという選択に悩む。

F1種を特別嫌うわけではなく味と耐病性を比較しながら、そして一般に広まらないが定番野菜になる可能性がある野菜を探していく。農家に得する野菜であっても種苗会社が得しない野菜があるのだ。そういう野菜は一般に広まらない。
どんな耐病性の交配種でも元は固定種なのだから一代交配ならなおさら原種とされる種の役割は大きい。
固定種は安いのだ。
原種にする固定種のままで十分な種でも一度だけでも交配させると、種の値段は跳ね上がる。珍しいと言うだけで、何度も掛け合わせ、時間を掛けて作るタキイやサカタの種より高いのだから納得いかないところがある。ただ小さい種苗会社はキツイんだろうと思う。。
そんな中でもナントの種は良いツボを突いてくれる。高くても買おうと思うのだ。



どんどん多様化する病虫害、農薬に強くなっていたり海外から入ってきたりと、今の日本の農業における環境は随分崩れてきた。

「3,40年前なら無農薬で出来たけど今は常識的には無理な話だな、最低限の農薬は必要だろうな」とある種苗会社の社長?の話だ。

私は若いから昔のことは分からないがきっとそうなのだろうなと思う。そして何れGM(遺伝子組み換え)作物が必要とされる時代がくるだろう。原発のように。
その時「日本の種苗会社が何時GM研究していたの?」と皆思うだろう。時代の流れは確実にGMの拡大に進んでいる。

そこに品種の権利権が絡むとややこしい話になる。
米は風によって交配するから自分の米がNOGMであっても周りがGMを作っていれば交配する。自家採取すると権利訴訟に発展する可能性があるのだ。
ただそれよりも自家採取するとGMと交配してしまうことの方が問題か。。

一般に売られているトウモロコシの種にはNOGMであってもGMが交配している可能性が高いと言われている。トウモロコシも風によって交配する。


一粒の種から私たちはメシを喰らうことが出来るが、一粒の種から世界を変える力を持っている。

種を考えた時、原点である在来種を栽培する意義はある。ただ農業経営を考えるとF1種と合わせた栽培が今は不可欠だと思っている。
いつかGMと合わせた栽培が不可欠だと思う時が来るのだろうか・・・







リーキとチーズのオーブン焼きと鉄兜かぼちゃとベーコンのキンピラ。



寒い

2011年01月12日 03時32分09秒 | Weblog
しかし寒い。

ここに引っ越して2年目の冬。
果たして今年が寒いのか?どうかは分からないが昼石油ファンヒーターをつけても14度から上がらない。

よってボーっという火力の強い状態が続き3日でストーブの油が切れる。。



野菜も9時までは収穫不可能で9時を回っても凍っている。人参やネギなど土の中の野菜から順次収穫していき、様子を見てキャベツや大根を収穫する。それでも大根は凍っていたりするのだけど・・・。そして少しの衝撃で割れる。。


良く雪の中の方が暖かいと言うが確かに朝強い霜に当っている野菜を見ると雪中の方が傷みが少ないようだ。
正月に雪の中に埋もれた野菜。そしてエンドウやソラマメは大丈夫か?と心配したがなんて事も無く畑に残っている。

これが植えるのが遅れ活着が悪かったり、反対に早すぎて大きくなりすぎると冷害が出る。
こういう所では種蒔き時期というのは重要な要素であるが毎年の気温の違いになかなか播種期が定まらない。
一番良い方法は近所の人たちが播いた後に播くこと。
「もう播いたの?早いなぁ」という声が聞こえてきたら、だいたいその数日後が適期と言えよう。

この寒さに春が待ち遠しいが、農繁期が来る前にする仕事を思うと、もう少しあっても良いかなとも思う。

元旦の雪はすごかった・・。

つくる

2011年01月10日 20時10分24秒 | Weblog
久しぶりに自分のブログを見ると更新されていない。
久しぶりだから当然か・・・。

ここ数日は正月に降った雪も溶け畑の片付けを再開。
朝9時を回ってもまだ土が凍っている。


ようやく正月の怠け癖が抜けてきたかなと、ふと色々考えると春までの仕事は山積みであることに気付く。
考えるとイヤになるので、足元から一つづつ片付けることにする。


最近思う事がある。

作る。創る。造る。

ここには机の上での勉強や本を幾ら読んでも学べない事がある。

日常の中でこの行為がどれだけ大事か。
日々生きるという事は日々“つくる”ということ。

私は野菜を作り3年。
たかが3年である。だがここから学んできた事は多い。
それはやはり本物だと思う。
情報に溢れる社会だが出来るだけ情報源を経ち日々の生活に耳を澄ます。
それは全て“つくる”から成り立っていることに気付く。そして昔に比べると“つくる”ことが随分と減ったものだなぁと気付くのだ。
服にしても家にしても身の回りのもの全てに。

そして今の社会を見ても
何々の素をビリッと破って作る現代料理は、そこから料理を創っていくことは出来るのだろうか?
それは次の世代へと繋げていけるものなのだろうか?

と思うのだ。

人は生活のあらゆる物を、作り、創りあげてきた。だが機械は作るが創ることは出来ないことに気付いているのだろうか?
機械を“つくる”人は僅かで多くはその使われ役になる。それは“つくる”人が減るということ。
そして日本社会も作っている人間は僅かで多くは使われ役。。


私が研修を受けた親方は、まさに職人肌で机の勉強なんて全くだったが野菜はキッチリつくる方だった。
私の父親の時代は高度経済成長期、何かを日本全体でつくりあげてきたのだろう。

“つくる”というのは活気でもある。

だが出来上がった日本社会で机の上での勉強で留まり“つくる”ことが出来なくなった人が増え始めたように思う。
社会で“つくる”人を必要とする一方で“つくる”ことを拒む仕組みがあるからだろう。


日々同じことの繰り返しと思うのは、まさに“つくる”ことが出来なくなった、許されない人たちの言葉だろう。そして学ぶ機会を失う。
人は無限の創造力を持って生まれてくるはずなのに。。

日々生きる為にモノを“つくる”のであって日々が生を“つくる”のだと思う。

2011

2011年01月02日 21時32分54秒 | Weblog
新年明けましておめでとうございます。

去年の年始、お客さんに来て頂き、餅つきを我が家でやった時のことを思い出す。
そのときに皆さん野菜セットを買ってくださる理由を聞く。そして「応援しているから」というお答えを皆さまから頂く。
実はその時私は「応援ではなく必要として欲しい」と・・。

でもその時以外にも「考えに賛同できるから」とか「責任を持って頂きます」というご意見も頂いた。

そう私たちは今結果ではなく過程なのだからそれで良い。そういうお気持ちをありがたく頂こう。
そう今は思うのです。



「整える」
その形は100人いたら100通り。
決して目に見えるものではない。

子供が2人になり思う。

1人の時よりも2人の時の方が土台が大きくなったように思う。

昔の大家族と言う形はとても大きな土台のうえに成り立っていたのだろう。身動きが取り難いという不自由はあったのだろうか?しかし、とても大きな力だったように思う。でもその力は自分達の力であって他人には見えない力ではないか。

今の時代、核家族になり2人子、1人子と子供が減り、さらには子供を産まない家族も増えてきた。
その家族の土台と言うのは、なんと小さくひ弱なことか。日本中が力を失ってきたように思う。

だが家族が多いほうが力が大きいという事でもなさそうだ。


子供が2人になって思う。

「整える」
と言うのは他人には決して見えるものではい。
整った場所は一見、モノが整列されている訳でもなく、モノが多いという事でもない。そこに生きる為に必要なモノがちゃんとあり、形、仕組み、仕事、モノが多すぎず少なすぎず、バランスがとられ、繫がって行く状態を言う。

家族が増えると「整える」という事が大変になるしその形も違う。
核家族、地元を離れた新規家族は1から整える作業は本当に大変なこと。

でも「整える」という事が出来なければ子供が何人いようが、どんな大家族であろうが、そこに本当の力は宿らないように思う。
物に、情報に、溢れたこの時代「整える」という事がどれだけ大変なことか。家族が増えるほどに。

と思う。

今年は「整える」。
その土台の上に全ては整っていく。

我が家は皆さんに見守られ、支えられながら少しづつ今年も皆さんと共に歩んで行きます。
結果は一歩進めば一歩進んでいく。と、ようやく気付きました。