まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

奈良1番「東大寺」~神仏霊場巡拝の道・101(奈良はやはり大仏さん)

2024年05月10日 | 神仏霊場巡拝の道

5月4日の神仏霊場巡拝の道めぐりは奈良の王道シリーズ。先に奈良国立博物館で開催中の「空海」展を鑑賞した後、ほど近い東大寺の南大門に向かう。参道の両側には土産物店や食べ物の屋台が並び、洋の東西の人たちが行き交う。かつて平城京から派遣された遣唐使が向かった長安は当代一の国際都市で、様々な人種の人たちが行き交っていたという。こうした歴史の光景を想像してみる。

南大門では金剛力士像がお出迎え。先ほど、奈良国立博物館に出張中の吉野・金峯山寺の金剛力士像を間近で観たのだが、囲いに覆われているとはいえ、やはり東大寺の金剛力士像のほうがあらゆる「力」を感じる。

東大寺に来るのも久しぶり。これまでは大仏が中心の「観光地」として訪ねた感があったが、「札所」として訪ねるのは初めてである。

「東大寺ミュージアム」というのがある。東大寺の宝物を総合展示する施設であり、「東大寺は大仏だけではない」といったところだろう。建物の前には大仏の実物大の両手の複製が置かれていて、撮影スポットにもなっている。大仏殿とのセット券が1200円(大仏殿、東大寺ミュージアムそれぞれ単独だと各800円)というので購入する。今思えば、先にミュージアムを見学してから大仏殿に向かえばよかったのだが、この時はまず寺の本尊が先というので、行列の末にセット券を購入してそのまま大仏殿に向かった。

そして大仏殿に向かう。何やかんやいっても、やはり奈良のシンボルといえば東大寺の大仏ということになる。

大仏殿の内外は洋の東西からの多くの参詣者でごった返す。とても大仏殿の中でお勤めをする雰囲気ではない。

その中、大仏殿の中を一周。四天王が護り、歴代の大仏殿の模型もある。

また大仏殿といえば「柱の穴くぐり」でも有名である。ちょうど大仏の鼻の穴と同じサイズだが、これをくぐろうという長い行列ができていた。ちょうど小柄な男性が挑戦しかけたが、それでも断念した。昔の日本人ならともかく、現代では子どもでなければくぐるのは難しいだろう。

その「柱の穴くぐり」の先に納経所がある。窓口は6つあるがそれぞれ長い列である。東大寺の朱印というのを初めていただいたが、大仏殿としては「華厳」の一種のみ。東大寺は日本における華厳宗の総元締め・大本山であり、気軽に「奈良の大仏さん」と呼んでいるのは華厳宗の本尊である廬舎那仏である。・・・まあ、そうした宗派がどうのこうのと意識して大仏さんに手を合わせる人はほとんどいないだろうが。

大仏殿を回った後、先ほど通過した東大寺ミュージアムに行くべきところだが、道順としてそのまま春日大社に向かうことにした。神仏霊場巡拝の道めぐりとして、奈良1番・東大寺から奈良2番・春日大社に向かうことにした。その途中に東大寺に二月堂もあれば、手向山八幡宮もある。「手向山神社」に向かう石柱、鳥居が建ち、こちらにも多くの外国人と鹿がたむろしている。

そして二月堂に着く。春の「お水取り」で知られるところ。さすがに大仏殿ほどの混雑はなく、学問としての華厳宗の本山というよりは、庶民による観音信仰の寺という、東大寺の違った一面が感じられるところである。お勤めをするならこちらのほうが落ち着いているし、似合っているように思う。

二月堂からの眺めもよい。

さらに進み、手向山八幡宮にも参拝。東大寺、大仏の建立にあたり、宇佐八幡を勧請したのが始まりとされる。かつては東大寺と一体とされたが、明治の神仏分離で別にされた。明治政府の連中もさすがに東大寺の大仏を廃仏毀釈することはできなかったようだ・・・。

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