まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅・町歩き、野球等観戦、寺社巡りについて書きます。元・JR全線乗りつぶし達成者です。

信楽町歩き

2017年04月26日 | 旅行記E・関西
8時29分、信楽に到着。貴生川には10時54分発の列車で折り返すとして、それまで町歩きとする。

信楽といえばタヌキの置物のイメージで、早速お出迎えである。窓口の横にもいるし、駅前には高さ3メートルはあろうかという大型のタヌキがいる。こちらは公衆電話である。

2時間以上時間があるわけだが、特に目的を定めずぶらつくことにする。まずは駅からまっすぐ伸びる道を歩くが、信楽焼のギャラリーがあり、大小さまざまなサイズのタヌキが並ぶ。これだけ並べて買い手がどのくらいつくのかなと、勝手ながら心配してしまう。

もっともよく見ればタヌキだけでなく、カエルもいれば七福神もいる。とは言えこれらは客寄せであるようなもので、実際は壷やら茶碗、植木鉢といった実用的なものも中では売られているようだ。店によっては焼き物の体験をさせてくれるところもあるようだ。ちょうど訪れた日の次の週末にあたる29日からは駅前陶器市が行われる。

通りの突き当りにあるのが新宮神社。715年、奈良時代の初めの創建とされている由緒ある神社である。一昨年は1300年の大祭が行われたそうだ。まずはここで旅の安全と、この後で観戦するBCリーグ・滋賀ユナイテッドの勝利をお祈りする(残念ながら試合には敗けてしまったのだが・・・)。

新宮神社の横に、「窯元路散策」の道標がある。先ほどは信楽焼を売る店がいろいろあったが、その窯元が集まっているエリアである。工房を見学するとなると大ごとかなと思うが、歩くだけでも見どころはあるそうだ。これをぐるりと回ってみることにする。「ろくろ坂」「ひいろ壷坂」「窯場坂」とあるが、坂といってもそれほどきつくない坂のようだ。これを特にあてもなくぶらつく。あちこちに窯元や工房も見られる。

坂を上ったところにこのような登り窯を見つける。現在は使われておらず見学用となっているが、風情ある。信楽焼が栄えたのもこうした地形を活かした登り窯によるものである。登り窯は他には丹波の立杭焼、栃木の笠間焼などが有名なそうだ。ただ信楽でも現在はほとんどが工場のような形で制作されており、こうした登り窯は昔からの遺構として残されている。

その中で見つけたのがこちら。丸又窯という名で、近代産業化遺産にも指定されている。こういうものが残っているというのは正直知らなかった。タヌキの置物だけでイメージしてはいけないということだ。

窯元路散策を一通り終えて、新宮神社に戻る。この神社の門前にあるのが信楽伝統産業会館である。信楽観光の拠点とでもいうところである。こちらでは信楽焼の歴史について、展示室をぐるりと回ればわかるようになっている。鎌倉時代に始まったとされており日本六古窯の一つである信楽焼は、茶道具としても重宝されるとともに、将軍家への献上茶壺にも用いられた。童謡の「お茶壺道中」にも唄われる茶壺は信楽焼とされている。その後は実用的なものにもいろいろと制作され、大正時代からは汽車土瓶が造られたり、果ては太平洋戦争中は金属の代用として地雷や手榴弾にまで使われた。戦後は陶器としてだけではなくタイルとしても活用され、大阪万博の太陽の塔の裏側の「黒い太陽」にも使われた。

こうした芸術的、実用的な面がある一方で、やはりタヌキである。ただこれは太平洋戦争後にさかんに造られるようになったものの、その起源ははっきりしないそうである。当初から職人の遊び心で造られたのかもしれないし。

信楽焼に関するスポットは足を伸ばせばまだまだあちこちにあるが、駅前を歩くだけでも十分に楽しめる。列車の時間には少しあるが、駅でのんびり待とうということで戻って来る。駅舎の一角が信楽焼の土産物店になっているので入る。これまでタヌキの置物や、本格的な焼き物というのを目にしてきたが、そう簡単に買って帰ろうかというものではない。そこがこの駅内のスポットは、タヌキの置物も手のひらサイズで数百円からあるし、女性や若い人向けにアレンジされたものも結構ある。せっかくなのでタヌキの置物を買う。そして、信楽高原鉄道グッズとして買ったのが汽車土瓶。昔の鉄道では駅弁と一緒にこうした土瓶に入ったお茶が売られていたそうだ。

今回は通りを歩いただけだが、それでも十分楽しめた。町中にはさまざまなギャラリーや工房もあるので、お好きな方はより深く楽しむことができるのではないかと思う。わざわざ時間を作って訪ねた甲斐があった。せっかくなので信楽高原鉄道で行くこともお薦めである。

滋賀県というところもまだまだ訪ねたことがないスポットが多く、野球とも絡めて楽しみたいところである・・・・。
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信楽高原鉄道で信楽へ

2017年04月24日 | 旅行記E・関西
先の記事で、甲賀市のスタジアムまでBCリーグの試合を観に行ったことを書いた。

ただ、せっかく滋賀に行くのだし、野球は午後からということなので、午前に何かを詰めたいと考える。欲張りなんだか貧乏性なんだか。今回は、草津線の貴生川が球場の最寄り駅ということもあり、同駅から分岐する信楽高原鉄道に乗ることにした。実は同じ関西に住んでいながら、同鉄道は未乗車である。これまで一度は全国のJR線に乗ったことがあると称してはいるが、旧国鉄、そして民営化以後で第三セクターに転換した路線、つまりはJRと同じ仲間に近い路線となるといくつか未乗車がある。信楽高原鉄道もそうで、やはり行き止まりの盲腸線ということもあるのかな。終点の信楽も、他の交通手段を含めて行ったことがなく、町を少し歩いてみようと思う。

自宅を始発で出て乗り継ぎ、7時57分に貴生川に到着した。信楽高原鉄道の列車はホームの向かい側から7分の接続である。ホームにはICカードの読み取り機があり、ここで出場を記録する。ちなみに草津線でICカードが使えるのは草津~貴生川のみである。貴生川には信楽高原鉄道の券売機もなく、運賃は終点の信楽以外では車内精算となる。

そして待っていた車両にびっくり。紫色をベースとしており、先頭に「忍」の文字が入る。側面は忍者のイラストが大胆に描かれている。甲賀忍者を前面に押し出すとは、信楽といえば狸の置物のイメージがあるので意外だった。

車内も凝っていて、壁のいたるところに忍者がデザインされている。赤いのはくノ一。携帯電話の通話を控えるなどの車内マナーの呼び掛けも忍者が務める。また一方で、タヌキも忍者風にドロン・・・とやっている人形が置かれていたりもする。これも面白い。なお、座席や壁の写真は帰りの車内で撮ったものである。行きはクラブの試合か何かで信楽に向かう高校生でほぼ満席で、前のロングシートに腰かけての道中であった。

信楽高原鉄道の前身である旧国鉄信楽線は、貴生川から信楽を経て関西線の加茂まで行く路線の一部として建設されたが、結局は信楽止まりとなった。いかに信楽が焼き物で知られる町とは言え、京都や草津と直接結ぶ線ではなく、逆方向の貴生川との間の線でしかなかったために、経営は苦しかったようである。それが第三セクターの形で残ったのは、地元の熱意がそれだけ高かったことがうかがえる。時代が過ぎ、今は貴生川から北を走り八日市や彦根、米原を結ぶ近江鉄道とも合わせて、学研都市線までを「びわこ京阪奈線」として結ぼうという構想があるそうだ。北陸新幹線が松井山手を経由することが決まったことは、びわこ京阪奈線を推進する方々にとってはさぞかし追い風になったことだろう。

・・・ということを思ってみるが、現実の信楽高原鉄道は、貴生川を出てしばらくすると山の中に入る。上り勾配で速度計も40キロ、ピークのところでは30キロまで落ちる。貴生川から信楽まで14.7キロなのだが、このうち貴生川の次の紫香楽宮跡(しがらきぐうし)までで9.6キロを占める。信楽の町中に行くまでに山を一つ越える走りである。途中に信号場があり、線路が二股に分かれるが、信号そのものは横に向けられていて何の点灯もしていない。

紫香楽宮跡から信楽までは逆に短区間で駅が続く。各駅にタヌキの信楽焼の置物がある。また、「未来へ走る鉄道へ再出発」という言葉も見られる。

信楽高原鉄道にはこれまで大きな事故、災害が2度あった。一つは、1991年に発生した列車衝突事故。対向列車と合わせて42人が死亡、600人以上が負傷した。信号場が使われなくなったのも事故の影響で、それ以来、JRとの乗り入れもなくなり、線内を単純に往復する運転形態となった。現場に慰霊碑があったことに帰りに気づいた。二つ目は、2013年の台風18号。京都、滋賀に大きな爪痕を残した台風。ただでさえ経営が苦しいところへの台風で、一時は廃線も検討された。結果は、1年以上要しながらも全線復旧し、現在に至っている。びわこ京阪奈線構想はさておき、今は苦しいながらも何とか前向きに頑張っているというところだろう。

貴生川から30分ほどの行程にまた長々と書いてきて、ようやく信楽に到着。さっそく、ホーム上で多くのタヌキのお出迎えである・・・。
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BCリーグ観戦記~滋賀ユナイテッド対富山GRNサンダーバーズ@甲賀(本拠地初勝利ならず・・・)

2017年04月23日 | プロ野球(独立リーグ・女子プロ野球)
久しぶりとなるBCリーグの観戦記である。

今季から栃木ゴールデンブレーブスとともに新加入したのが、滋賀ユナイテッドBCである。BCリーグがついに関西に進出したということで、いつか観戦することを楽しみにしていた。試合日程をチェックしたところ、23日に甲賀市民スタジアムで行われるというので行ってみた。滋賀で野球といえば、NPBの試合も開催される大津の皇子山球場がメインなのかと思うが、県内に幅広く観戦の機会を作ろうということと、後は球場使用料のこともあるのだろうか、皇子山はむしろ本拠地開幕戦のみで、後はこの甲賀をはじめとして、湖東、守山、彦根、近江今津の各球場で分散して開催するようである。地域貢献を柱とするBCリーグらしくてよいのではないか。

その甲賀市民スタジアムは、水口スポーツの森の一角にある。大阪からだと草津線の貴生川駅が最寄りで、私が訪ねた時はちょうど貴生川駅からの甲賀市のコミュニティバス「はーとバス」が出ており、駅から5分で到着した。もっとも、帰りは球場から駅まで歩いたが20分ほどで着いたので、アクセスは徒歩でも何とかなる。途中にコンビニも2軒あるので、飲食物の購入には不自由しないだろう。

入場は3塁側で、入口では2体のゆるキャラがお出迎え。片方は滋賀ユナイテッドのキャラクターである「ゆに丸」、もう片方は甲賀市のゆるキャラ「にんじゃえもん」である。それらを見た時に「のど黒飴」のキャラを思い出したのだが、いずれも甲賀忍者をベースにしたキャラクターである。滋賀ユナイテッドのチームカラーも黒で、ファンクラブはその名も「BLACKS」。滋賀といえば、シンボルはやはり琵琶湖で、そこから来るイメージカラーは青というのがあったのだが、滋賀ユナイテッドは甲賀忍者の黒装束のイメージ。この日のユニフォームは白ベースだが、さりげなく忍者と彦根城(?)のシルエットをあしらってるのがシブい。

3塁側が滋賀側ということで、ベンチ上の席に陣取る。外野スタンドの奥は公園の森が広がり、開放感がある。ベンチ上までのメインスタンドは全面庇で覆われているだけでなく、前面にフェンスが張られている。ファールボールが客席に入らないようにとの気配りではあるが、逆に閉じ込められた感じはある。試合時間が近づくに連れて少しずつ来客があり、そこそこ埋まった感じになった。観客の話声も完全に関西弁。これまでBCリーグの観戦というと最短でも福井県だが、福井となると言葉の違いを感じ、野球を観るだけでもちょっとした旅行気分になったことと比べると、それだけリーグの存在が近くなったなと実感する。

試合前のスタメン発表時には、元阪神の上園監督、桜井コーチに続いて、スタメン選手~控え選手の順番に一人ずつ名前がコールされてベンチ前に整列する。元々そういう土地柄、また監督、コーチが元阪神ということもあり、観客にも阪神ファンらしいのが目につく。

滋賀ユナイテッドはリーグ新加入というだけでなく、監督、コーチも指導者経験は初めてである。選手を見渡しても、元阪神の西村がエースとしてチームを引っ張るものの、多くは高校、大学を出てBCリーグやノンプロの経験もなく入ってきたのがほとんど。外国人選手もオランダ出身のモスキートというのが一人いるだけである。ここまで公式戦は1勝3敗1分と苦戦しており、滋賀の主催試合では勝ち星なし。一方の富山はリーグ発足時からの球団だし、元近鉄の吉岡監督を初めとして、コーチ、選手も経験者が多い。以前に福井でプレーしていたジョニーを筆頭に外国人選手も多数。

試合開始に先立ち、甲賀市長が挨拶と始球式を行う。

滋賀先発は鈴木。193cmの長身、びわこ成蹊スポーツ大学からBCリーグ入りということで、西村に次ぐ先発の柱として期待されている投手だ。捕手のようにボールをかついだ感じで投げるのが特徴だが、直球とフォークが武器。初回、先頭打者にヒットを許すが併殺でピンチをしのぐ。序盤は打たせて取る投球を見せる。

一方の打線だが、どうも線が細いように感じる。初回は富山先発のコラレスの前に三者連続三振。2回も5番杉本がヒットを放つが盗塁失敗。線が細いといえば滋賀の応援もそうで、富山が応援団込みで10数人しかいないのに太鼓や笛(球場の関係か、トランペットの鳴り物は自粛していたようだが)で手慣れた感じの応援なのに対し、滋賀側は応援団そのものがいない。応援グッズでオリジナルのバルーンスティックは売られているものの、ファンが適当に叩いている感じである。途中の回では、球団スタッフが客席の上のほうでホイッスルで「ビ、ビ、ビ・ピ・ピ」とやる(ある時は、ポロシャツ姿で場内整理もこなす球団代表が自ら音頭を取って)が、どうもスタンドに一体感がない。これも新加入球団らしいといえばらしいと言えるが・・・。

それでも3回、西武の中村やロッテの井上を思わせる田中がヒットを放ち、ここを足掛かりに一死二・三塁とチャンスをつかむ。ここで1番泉がレフト前にタイムリーを放ち、2点先制。スタンドから大きな拍手とスティックの音が起こる。

しかし4回、富山の4番ジョニーが右中間へのソロ本塁打。これで2対1となった。

滋賀は4回に二死満塁とチャンスを迎えるが追加点を奪えない。その直後の5回、滋賀先発の鈴木が制球を乱す。先頭から三者連続で四球を出し、無死満塁となる。「ピッチャーびびってもうて投げるとこあらへんがな」と近くのおっちゃんが話すうち、次の針山の内野ゴロの間に1点入り、2対2の同点となる。続く1番河田にも四球を与え、ここで鈴木は降板となった。もしびびって投げるところがなくなったのであれば、この先も厳しいだろう。続いて高卒ルーキーの左腕保田が登板したが、2番河本にライト前に運ばれて2点勝ち越しとなる。さらに、3番ペゲロのレフトへのライナーを、レフトの松田が目測を誤ってグラブから弾いてしまう。この回一挙4点が入り、5対2と富山がリードする展開となる。

こうなると滋賀としては厳しいか、6回以降、富山先発のコラレスの後の救援陣の前に、ランナーは出すものの得点につながらない。チャンスは作るものの、肝心なところでの見逃し三振、併殺打などでつぶしてしまう。

一方では光るプレーもあった。9回表、富山の中村がライトの頭上を越す長打を放つ。俊足のランナーで、二塁に到着した後三塁コーチの腕が回って三塁めがけて走る。これは三塁打になるのかなと思うと、中継でいい送球が三塁に来て、タッチアウト。

これで最終回の反撃につながるかと思ったが、富山抑えのシレットの前に無得点。何だか地力の差を見せられたような試合であった。これでせっかくの本拠地での初勝利もお預けである。

試合後は選手、監督たちが外に出て観客の見送り。私はまだ初めて観戦したばかりだし、長い(前後期36試合ずつ)公式戦はまだこれから続くし、若い選手たちが経験を積んで何とか頑張ってほしい。応援のスタイルもこれからできてくるだろうし、観戦の楽しみも増えるだろう。

帰路、BCリーグの公式プログラムを見ながら、これからの滋賀の観戦計画を考えてみる。今季から滋賀、栃木が加入したことでBCリーグは東西2地区5球団ずつとなり、より一層、公式戦は同地区同士の対戦が多くなっている。東地区に所属する福島、栃木、群馬、武蔵、新潟の5球団とは、年間を通して1試合ずつしか対戦がないようだ。こうなると、だんだん東地区まで出向こうかというのが遠くなるが、その分、大阪から近い滋賀、そして福井くらいならデーゲームであれば日帰りでも行けるわけで、これからはこの2チームを中心に観戦することにしようと思う。特に滋賀であれば大阪からも近い・・・。
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GWには試合に出るのかな?

2017年04月21日 | プロ野球(独立リーグ・女子プロ野球)
高知ファイティングドッグスのマニー・ラミレスのこと。

以前の記事で、開幕2試合目にして早くも「当日キャンセル」で欠場というのを書いた。噂通りの気まぐれな選手なのだろうが、若手選手への影響はどうなのかと思った。ただ、その後は出場を重ねていて、ホームランこそないものの、打率はそれなりに残していた。

それがいつの間にか、走塁の際に脚の肉離れを起こしたために登録抹消。おまけに、契約は今年の7月までと発表された。これはNPBへの移籍期限が7月末までというものだが、リーグ戦の前期は5月で終了する。6月、7月はリーグの中断期間で公式戦はない。球団もリーグのホームページにて、プレーが観られるのは5月末までと公表している。

・・・とすると、私としてはGWの高知での試合が、マニー・ラミレスを観る最初で最後の機会となる。現在登録抹消された状態だが、そこには出るのだろうか。後は天候がどうなるか。

八十八所めぐりよりも気になるところである・・・。
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第15番「誓願寺」~新西国三十三所めぐり・30(新京極)

2017年04月21日 | 新西国三十三所
六角堂から東に六角通を歩く。ふと、「まるたけえびすにおしおいけ~ あねさんろっかくたこにしき~」というフレーズが頭によぎる。京都の通の名前を北から順番にわらべ歌風に並べたものである。京都では昔から当たり前のように唄われていたそうだが、私がそれを知ったのは昨年の年末。京都方面の挨拶回りで上司を横に乗せてクルマを走らせていたときに、「こんな歌知ってるか?」と言われて聞いたのが「あねさんろっかくたこにしき」。その上司は大阪出身なのだが、たまたまある期間京都勤務だったことで「京都のもんがバカにしよるから、必死に覚えた」とのこと。

東西の六角通が南北の寺町通と交わるところが三角コーナーになっていて、待ち合わせか暇つぶしか、多くの人がベンチに座っている。ここが京都での繁華街の一つである新京極。そしてその奥にあるのが誓願寺である。アーケード街に面した寺というのも驚きだが・・・。

誓願寺は元々は天智天皇の勅願寺で、奈良時代は興福寺の傘下にあったのだが、いつしか京都に移り、浄土宗の寺になった。豊臣秀吉の政策で寺町通に移り、広大な敷地を持っていたが、明治の廃仏毀釈で多くを手放した。その跡にできたのが新京極の商店街だが、ひっそりしつつも今でも要の一等地に構えているなという印象である。本堂がコンクリート造りとかいうのはどうでもいい。こうした商店街に昔からの寺が残っていること自体が歴史である。

で、靴を脱いで畳敷の広間に入ると、浄土宗ということで正面には立派な阿弥陀如来像が本尊として安置されている。新西国というのは観音霊場では?・・・と思うが、本堂の右奥に十一面観音が安置されているのを見る。「一言観音」として親しまれていて、それが新西国に選定された形である。新西国には、本尊は別の仏だが、境内のどこかに特徴的な観音があれば、観音霊場として認められている札所が結構ある。ここは広間の畳に正座しておつとめである。

納経帳に朱印をいただき、再び人出で賑わう新京極に出る。これで西国、新西国を絡めた4ヶ所のお参りが完了。それぞれが特徴ある寺院であった。いや、京都にはもっと様々な寺院、神社があると思うが。

忘れそうになったが、新西国は次の札所選びが待っている。くじ引きの選択肢は・・・

1.龍野(斑鳩寺)

2.西神明石(太山寺)

3.福崎(金剛城寺)

4.比叡山(横川中堂)

5.大阪(太融寺、鶴満寺)

6.高槻(安岡寺、神峯山寺)

・・・お気づきの方がいるかどうかわからないが、選択肢を一つ増やしている。以前に訪れた福崎の金剛城寺である。その時はまさかの寺の人不在で、納経帳が白紙のままである。訪れたことは確かでもその証がないので、このままでは満願とならない。いずれは出直さなければ。

そして出たのが「6」、高槻の山に挑む形だ。いずれも初めて訪れるところで、どうなるか。

誓願寺を後にして繁華街を歩くが、どこも一杯。以前、錦市場の中で訪れた居酒屋を目指すが、外国人客も多数並んでいて断念した。そのまま四条通に出て、河原町から阪急で大阪に戻る。

これで新西国も30ヶ所目に到達した。残りについても「行ってよかった」と思えるようにしたいものである・・・。
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第18番「頂法寺六角堂」~西国三十三所めぐり2巡目・13(映画『花戦さ』)

2017年04月20日 | 西国三十三ヶ所
六角堂は西国三十三所の中でもっとも「都会的」な札所といっていいだろう。周りをビルに囲まれた境内は、山の上にある札所とはまた雰囲気が違う。

境内に入ると派手なポスターが目につく。映画『花戦さ』のもので、6月3日公開とある。主演は野村萬斎さんで、納経所の入口には等身大のパネルも立てられている。 野村さんの役は初代池坊専好。前田利家邸に豊臣秀吉を迎えた時、幅4間の床の間に「大砂物」と呼ばれる巨大な立花を活けて盛大に出迎えたという。それまでは仏道のお勤めの一つであった華道を現在の形に大成した人物である。映画では他に豊臣秀吉を市川猿之助さん、千利休に佐藤浩市さんというところが出演している。映画完成のお披露目会も六角堂で行われた。

で、六角堂で『花戦さ』とはなぜ?・・・というのは、六角堂が華道発祥の地であり、六角堂の住職は代々池坊の家元が務めていることから来ている。元々は本尊の如意輪観音に花をお供えしていたのが、いつしかそれ自体が一つの道、芸術となった。ちなみに六角堂の隣のビルは池坊会館である。

そのビルは1階がスターバックスで、コーヒーでも飲みながら札所を眺められるし、途中の階まではエレベーターで上がり、エレベーターの中やフロアの通路から六角堂を見下ろすことができる。「六角」を実感できる穴場的スポットと言えるかな。

改めておつとめを行い、納経所に向かう。都市部にあるからか、若い人も列をなしている。ここでも「記念印押しますか?」と訊かれ、革堂の隣に押していただく。やはり先達納経帳でも「押す」のがスタンダードなのだろう。ならば壷阪は・・・いや、やめとこう。

これは余談で、門前に「巡礼通称寺」の幟があった。「○○寺」という正式名称よりも、「○○薬師」「△△地蔵」「××さん」といった通称で親しまれている寺院が集まって、一つの巡礼コースを形成している。そこに六角堂も入っている(革堂は入っていないが)。こうした巡礼があるのも京都ならではかな。三十三の観音霊場めぐりも、京都市内版の「洛陽三十三所」として形成されている。札所めぐりも、あれやこれやといろいろあり、「制覇しなければ」というのを掻き立てるものがある。やりだすとキリがないのだが。

六角堂から、次は新西国の誓願寺に向かう。その名も六角通を東に行けば突き当たりにあるという位置関係で・・・。
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第19番「行願寺革堂」~西国三十三所めぐり2順目・12(初めての1300年記念印)

2017年04月19日 | 西国三十三ヶ所
新西国めぐりの途中だが、一旦「本」西国めぐりの記事になるのでご容赦のほどを。

京都御苑の南西の端に当たる烏丸丸太町から、京都御苑の南端の塀に沿って歩く。途中に裁判所があり、その両側の小路沿いに植えられた桜がきれいである。そういえば、前に革堂、そして六角堂を訪ねた時は雨に見舞われたなと思う。それに比べると天候も良く、暑く感じるほどである。

京都御苑の南東の端で寺町通に出て南に下る。寺町通の名前の由来は、豊臣秀吉が寺院の管理、税の徴収と、町の防御のためにこの通りに寺院を集めたからとされている。これから訪ねる行願寺革堂、そして後から新西国として訪ねる誓願寺も、秀吉の施策でそれぞれ移された寺院である。

ただ江戸時代以降、火災や町の開発などあって、寺そのものが移転するなどした。その跡は商業地や住宅となっており、革堂もこうやって見るとパン屋さんや蕎麦屋さんや写真屋さんなどと並ぶ「お寺屋さん」とでも言いたくなる(1000年を超える古刹に対して失礼な表現だが)。それだけ、町中に自然と溶け込んでいるということで。

山門をくぐるとすぐ正面に本堂がある。今度は西国先達の輪袈裟を取り出してのお勤めである。この革堂の名は、行願寺を開創した行円上人が、自ら殺生を悔いて出家するきっかけとなった鹿の皮(革)を身にまとって諸国を回ったことから取られている。本堂の内陣、そしてその衣や、幽霊の絵馬というのが、寺宝として1年の限られた日のみ公開しているそうだ。あいにくこの日は何もなく、納経所で「宝物館はどこから入ればいいですか?」と訊ねて、「普段はやってないんですよ」と返されていた参詣者がいた。

その納経所で先達用の巻物型の納経帳に朱印をいただく。2年前に来た時には、その筋(どの筋や)では有名、名物とされるお婆様も納経所にいたのだが、この日は姿が見えない。わざわざご健在かどうかを訊くのもどうかと思い、そのまま納経帳を出す。すると、「記念印は押しますか?」と訊かれる。記念印とは、西国三十三所の開創1300年記念行事の一つで、今年は納経帳には各札所オリジナルのスタンプを押していただくとある。ただ、2月末に訪ねた壷阪寺では押されず、「押しますか?」とのやり取りもなかったので、先達用の納経帳は対象外なのかなと思っていた。どうやらそんなことはなかったようだ。まあ、今さら壷阪寺はいい。前後の朱印を見て、「この人は記念印がいらない人なんやな」と判断した・・・とでもしておく。

この後で、狭い境内を一通り回る。革堂は都七福神のうち寿老人を担当していて、そちらで回る人も結構いるようだ。BSで、俳優の船越英一郎さんが京都の見所を紹介する番組があるが、その中で、1日で都七福神を回るという回があったのを思い出す。その時革堂で特別に宝物館を開けていたかな。

さてこれで次に行こうとすると、本堂の前で年配の男性から声をかけられる。西国三十三所に関する本を書かれているとのことで、また新しいのを著すための取材という。どこから来たかとか、どのような目的で西国を回っているのかなど訊かれる。別に隠すことでもないので淡々と答えたのだが、果たしてこれからどのようなものを著そうとしているのか。いつの日か、書店で「これや!」というのに出会えるか。

これから、同じ「本」西国の頂法寺六角堂に向かうか、同じ寺町通沿いの新西国の誓願寺に向かうか。それをサイコロで決めようかとも思ったが、結局は寺町通のアーケード街を途中で右折して、六角堂を目指す。それにしても寺町通、革堂の近くには個性的な雑貨や古美術の店も並ぶ。外国人観光客も結構行き交っており、ここも京都の隠れた見所なのかなと思う。

一旦西に歩き、また同じ通に戻る形だが、六角堂に到着・・・。
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第16番「大報恩寺」~新西国三十三所めぐり・29(北野天満宮の青もみじ)

2017年04月17日 | 新西国三十三所
大報恩寺・千本釈迦堂を訪ねた後は、次の革堂にすぐには向かわずに、せっかくなので北野天満宮に向かう。歩いても数分のところにある。たたそう言えば、ここにお参りするのはいつ以来かなと思う。全国の天満宮の総元締めの位置づけであるが。

途中、先ほど下車したバス停の名前にもある上七軒に出る。室町時代、北野天満宮の再建の時に残った資材で七軒の茶店を建てたのが由来とされている。後に豊臣秀吉が北野で大茶会を開いた時に団子を献上したことで認められ、その後は花街として現在まで続いている。毎年春に「北野をどり」が行われるのもこちらである。料亭や和菓子の店も並んでいて、天満宮の裏参道のような感じだ。

ここから進むと天満宮の東門から入る形になり、いきなり拝殿の前に出る。横入りするようでちょっと気が引けるが、まずはお参りである。学問の神様で知られる天満宮であるが、学問に限らず、例えば仕事の充実とか、自分の本分での上達について祈ってもいいだろう。やはり有名なスポットで、外国人の参詣者も結構目立つ。

そんな境内のあちこちに「青もみじ」の幟が立てられている。訪ねた前日の15日から境内西側の西土居を開放しており、入場料は宝物館と共通で500円である。もみじと言えば赤や黄色だが、緑鮮やかな景色というのもよいもので、私は結構好きだ。昨年、新西国で鞍馬に向かう途中で青もみじのトンネルや、1日100人限定公開の白龍園で見た景色を思い出す。

宝物館で刀剣類の展示を見た後、西土居に向かう。このもみじ、赤ければ「このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と菅原道真が詠んだ、百人一首にも選ばれた歌の景色になるそうで、入口には歌碑もある。それの青版ということだが、境内にはちょうど桜も咲いているし、この時季ならではの眺めである。

また、青(緑)と朱塗りというのもコントラストが効いている。これから訪れる季節を先取りしているようにも感じられる。秋の紅葉ほどには混雑しないのも良い。

こうした景色を眺めた後で、順序が逆だが表側から天満宮を後にする。次に革堂に向かうためにバス乗り場に向かう。この日は天気も良く、所によっては早くも夏日になった場所もある。この日は半袖シャツの上に長袖シャツを着て、半袖のポロシャツという出で立ちだったが、それで暑く感じたくらいである。そしてやって来たバスに乗ったが、これが立つのがやっとの混雑ぶり。窓が開いていて風が入るので我慢できたが、4月でこれだと夏はどうなるのかなて思った。

烏丸丸太町で満員のバスを降りる。革堂まで少し距離があるが、あえてここで下車して昼食とする。交差点の角にある牛丼チェーン店に入ったのだが、レジでテイクアウトを注文していた先客が西洋人で、対応する店員は東南アジアらしき名前。年格好から見て留学生かな。西洋人はあくまで英語と身ぶり手振りなのに対して、東南アジアの店員は「マニュアルの」日本語で対応。うーん、これも国際観光都市だと当たり前な光景なのかなと、普段なかなか目にしないやり取りに京都らしさを感じたのであった・・・。
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第16番「大報恩寺」~新西国三十三所めぐり・29(おかめが見守る京都最古の木造本堂)

2017年04月16日 | 新西国三十三所
新西国三十三所めぐり、今回は京都市街コースである。33プラス5ヶ所ある札所のうち、京都市街にあるのは第15番の誓願寺と第16番の大報恩寺だけである。昭和の初めに京阪神の新聞の合同企画で、読者からの投票も募って札所が決まったというが、およそ半数が兵庫県内にあるというのが新西国の特徴で、京都には多くの寺院があるということを考えると2ヶ所だけというのは意外である。まあ、この「投票結果」というのは現在は残っていないようで、今となってはどういう経緯で札所が選ばれたのかは謎の部分があるそうだ(別に、兵庫の札所をディスっているわけではない。これまで訪ねたところはそれぞれに由緒があり、私にとっても新たな発見が多く楽しんでいる)。

さて同じ京都市街ではあるが、誓願寺は四条河原町近くにあるのに対して、大報恩寺は市街の西の端、北野天満宮の近くにある。また京都市街といえば、2巡目に入っている西国三十三所の2ヶ所(行願寺革堂、頂法寺六角堂)も回ってみよう。特に誓願寺と六角堂は、その名も六角堂通りで歩いて数分の距離でつながっている。

元祖西国と新西国で合計4ヶ所を回るという慌ただしいスケジュール。また、朝は自宅を9時出発というゆったりしたプランである。京都市街に入るのは11時を回る。まずは離れたところにある大報恩寺を回り、そこから革堂、六角堂、そして誓願寺の順番で訪ねることにする。大報恩寺は北野天満宮近くということで、京都市街の主要駅からバスで行くことができる。また遠回りになるが、嵐電で北野白梅町に行くのも面白そうだ。

どうしようかと考えながら御堂筋線に乗ったのだが、ふと京阪で行ってみようかという気になった。市街地の西にある大報恩寺へは遠回りに感じるが、地図を見ると出町柳駅から今出川通を西に進めばよい。その道を走るバスもある。

そしてやってきた淀屋橋。ホームには赤と黄色の特急車両が停まっており、目の前にあった2階建て車両の階下席に座る。これ、特急と思っていたが10時ちょうど発の快速特急「洛楽」である。京橋を出ると七条までノンストップという、昔の京阪特急のイメージを復活させた臨時列車である。通常停車する枚方市、樟葉、中書島、丹波橋を通過するわけだが、その車内放送を聞いて慌てて外に出る人も目立つ。

天満橋を過ぎると地上に出る。造幣局の桜の通り抜けもまだやっている。京橋で車内は満席、立ち客も出る賑わいとなる。階下席なので窓の外の景色も早く過ぎる感じがして、目が疲れそうだ。

途中ウトウトとしながらいつしか京都市街に入り、10時50分、出町柳に到着する。50分で洛北の玄関口に着くのだから、やはり途中ノンストップというのは大きいと思う。

ここから少し東に歩いたところのバス停から乗り込み、今出川通を走る。鴨川を渡り、途中に京都御苑や同志社大学を見ながら、20分ほどで北野天満宮の手前の上七軒バス停に到着する。ここから北に歩いた突き当りが大報恩寺である。周りを町家で囲まれ、落ち着いた感じである。小ぶりな門をくぐると枝垂れ桜があり、その奥に本堂がある。

さてここまで大報恩寺と書いているが、それは寺の正式な名前としても一般には「千本釈迦堂」という名前で知られているかもしれない。千本というのは近くに南北に走る千本通があるが、その千本というのは、卒塔婆が千本あるとか、桜が千本植えられていたからとか、諸説あるようだ。釈迦堂というのは、本尊が釈迦如来であることから呼ばれている。新西国三十三所というのは観音霊場ではないのか?と思う向きもあるが、ここが新西国に選ばれた理由はこの後で納得する。

その千本釈迦堂は本堂を指しているのだが、鎌倉初期、1227年に開創した当時の姿をそのままに残す国宝である。京都の町中が兵火に巻き込まれた応仁の乱もくぐり抜けており、京都市街で現存する最古の木造建造物と言われている(もちろん、その途中で何度かの修復工事は行われているが)。

まずは本堂の外で般若心経のお勤めを行い、境内を見て回る。本堂の右手にあるのが「おかめ塚」である。おかめというのは、あのおかめ、お多福である。今では当たり前に目にするおかめ、お多福。広島ではお好み焼きのソースにもなっている・・・というのはさておき、大報恩寺におかめとはどういうことか。

この本堂の建築工事の棟梁に高次という者がいたが、大切な柱となる木材を短く切り過ぎてしまった。そして憔悴している高次に対して、妻のおかめが、ある技法で柱を継ぎ足すよう助言し、その通りにすると工事が無事に成功したということがあった。そして上棟式を迎えたのだが、おかめは、「建築のプロでもない女性の提言で棟梁が工事を成し遂げたと知られては、夫の名誉や信用を傷つけることになるのでは」と思い、前日に自害してしまう。高次は上棟式の際、妻を弔うとともに永久にこの本堂が守られるようにとの願いを込めて、おかめの顔をモデルにした面を扇の御幣につけて奉納した。そして本堂は今もその姿をとどめ、おかめの面はお多福として今も受け継がれている(だからと言って、今、世の女性に面と向かってお多福と言おうものなら、何をされるかわからないが・・・)。

現代の感覚なら、別に女性がアドバイスすることも当たり前に行われるだろうし、何もおかめが自害することはないだろうと思う。本当に夫の名誉や信用を守りたかったのなら、自害せずに何も言わずに墓場まで持って行けばよかったのではないかとも思う。ただそれはあくまで現代の感覚であり、当時としては女性の鑑と受け取られたことだろうか。

さて本堂、そして宝物殿の中の拝観が600円とある。ここは入ってみようと受付に向かう。ここは納経所も兼ねているので新西国の納経帳を預けて本堂の中に入る。中は畳敷きで、涼しい風が通り抜ける。せっかくなのでここでもう一度お勤めを行う。内陣前の柱に、応仁の乱の時のものとされる刀傷がある。柱に刀傷とは、やはりこの境内でも何がしかの戦は行われたということか。

その本堂の横では、数々のおかめのお面や人形が並ぶ。中には年季が入ったものもあり、おかめ信仰というのが長く受け継がれていることをうかがえる。お面だけでなく全体像の人形があるというのは初めて見た。

本堂の次は、奥にある宝物殿を見る。こちらには数々の重要文化財が安置されており、撮影禁止なので画像はないが、ここで思わずうなってしまう。鎌倉時代、定慶の作とされる六観音(聖、千手、十一面、馬頭、准胝、如意輪)の像が一列に並ぶ。その時代の六観音がきれいにセットで残されているのは実に貴重なものだという。なるほど、この六観音揃い踏みというのが、新西国に選ばれた大きな要因なのかなと思う。果たして、外に出て受け取った納経帳にも「六観音」と書かれている。また観音像といえば、菅原道真が梅の古木に刻んだとされる千手観音像もある。学問の神様も、生前は観音信仰が篤かったという現れである。

京都の有名寺社の間にあって、知る人ぞ知るという感じの大報恩寺、千本釈迦堂である。今も、おかめと共に京都の移り変わりを見守っているかのようである。

さて、ここから次の革堂に向かうところだが、せっかくここまで来たのだから、北野天満宮にもお参りすることにする。こちらはこちらで、またこの時季ならではというのに出会うことに・・・・。
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パ・リーグBクラス球団の球団の逆襲

2017年04月15日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
このままパ・リーグは混戦となるのだろうか。

14日からのカードはホークス対バファローズ、マリーンズ対イーグルス、ライオンズ対ファイターズだが、初戦はバファローズ、イーグルス、ライオンズが勝利。これで順位はイーグルス、ライオンズ、バファローズという、昨年のBクラス球団が上位に来た。これは面白い。

ファイターズ、ホークスというリーグ2強にいずれも主力の故障が相次いでいるのも大きいのだが、そのくらいのハンデがほしいかな。この週末、昨年のBクラス3球団がいずれも3連勝でもすると、より面白いことになるのだが・・・。
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6連勝は結局まぐれ。

2017年04月13日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
で、連敗か。

・・・このところ正直、疲れてます。人から見たら、その程度で疲れたと言うのは甘いと思われるのでしょうが。

テレビを見たら相変わらずくだらないバラエティばかり。それのみならす、最近はニュース番組を見るほうが余計にイライラする。

こんな状態だが、ブログは更新しなければならない・・・。
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第4番「水間寺」~新西国三十三所めぐり・28(水間鉄道おもてなし)

2017年04月11日 | 新西国三十三所
「お客さん、車庫見て行きまへんか?」

水間観音駅に戻り、次の列車まで時間があるので、ホーム横にあるカフェ風の待合室に行こうとした時である。水間鉄道の制服を来た人から声をかけられた。電車の客かドライブついでか、二組の人が後ろについている。別に有料のイベントでも何でもなく、日曜日で天気もいいからお客を案内しようという感じである。私もこの後急ぐわけでもないので、お誘いに応じる。ホーム横の通用口から一度外に出て、コインパーキングを通り抜けた先で境界用のロープを外す。

案内してくれたのは水間鉄道の方で、元々は40年以上南海に勤めていたのが、定年後に水間鉄道からお声がかかり、鉄道が好きということでこうして勤めている。何ともうらやましいセカンドライフである。

水間鉄道は先の記事にも書いたが5.5キロのミニ私鉄。貝塚は駅員はいるがホーム1本だけで、この水間観音が車庫も含めて全てが揃う。車両は元東急のものを2両編成として、全部で5編成。ただし、1日の運転は2編成が行ったり来たりするだけだ。まあ、点検等で休ませることもあるし、予備の車両は必要である。

ここでヘッドマークについても解説がある。10日で1万円というのは結構お手頃感がある(1日1万円ならためらうところだが・・)。そのためか、7月頃までは予約で一杯だそうだ。今は、私が乗って来た「さくらいさん」の結婚式のものや、貝塚の高校の入学祝いのものが走る。また、ヘッドマークは掲示後に進呈される。以前、韓流スターのヘッドマークを掲示したことがあったそうだ。その時は、1万円の費用も、有志で共同で出し合えば一人1000円とか500円でヘッドマークを出せるとして、ファン同士のコミュニティでお金が集まったようだ。ただ問題がその後で、進呈されるヘッドマークは誰が持つのかということでもめたとかもめなかったとか。

うーん、ヘッドマークか・・・。もし私が出すならどんなデザインにするかな。何か記念するような出来事があればと思うが、水間寺も含まれる新西国の満願記念というのもどうかと思うし、かと言って四国八十八所というのも。日本全国の私鉄や地下鉄等含めた全ての路線を制覇しました!!というくらいのインパクトはいるかな。

車庫の中を通る。車輪がむき出しになったのもある。東急車輛製のベースは南海電車、果ては新幹線にも通じるものがあるが、高速走行だと寿命が短い。そこに来て水間鉄道では、最高速度は60キロとあって、20年は持つだろうとのこと。経営の厳しいローカル私鉄のナマの声である。

この後も車庫の端まで行き、洗車台も見ることができた。「ちゃんと洗うてまっせ」ということで、同じ東急の車両を導入している弘南鉄道の関係者が感心していたそうである。ちなみに両鉄道は今年、東急つながりということでコラボレーション企画を行う。

車庫見学の間に貝塚方面から列車が到着して、折り返しで出て行ったが別に構わない。ふらりと来てふいに車庫見学となったのも、水間観音の思し召しということで。

余談だが、駅横のこのお宅は、案内してくれた係の人によれば建築に8年かけたという。確かに立派な造りだが8年とは。「家見せてください言うたら、誰でも上げてくれまっせ」と。

お礼を言って、カフェ風の待合室に入る。鉄道グッズの他に飲み物やソフトクリームもあるが、店の売りは米粉で作ったパン。せっかくなので買い求めて、その後の朝食にいただいたが、手作り感がよく出ていた味だった。

こうして水間観音での一時を終え、水間鉄道で貝塚に戻る。今回急遽続きを始めた新西国めぐりだが、桜の景色も良かったし、水間鉄道も面白かった。仕事が忙しい中だが、良い1日のリフレッシュになった・・・・。
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第4番「水間寺」~新西国三十三所めぐり・28(隠れた桜の名所)

2017年04月10日 | 新西国三十三所
山門の代わりに入り口の役割のある石橋を渡り、水間寺の境内に入る。参詣者を出迎えるのは三重塔と、その奥の本堂である。いずれも立派な造りである。

この三重塔には、井原西鶴の『日本永代蔵』に、「利生(りしょう)の銭」として紹介されるエピソードがある。初午詣で「利生の銭」として水間寺でお金を借り、翌年の初午詣の時には倍にして返すということがあった。貸すほうも人のため、また返すほうもそれだけ利子をつけるのだから人のためである。ある時、一人の男が1貫の銭を借りたのだが、翌年の初午詣に返しに来なかった。その翌年も来ない。これは踏み倒されたかと思っていたところ、13年後になって返しに来た。その額、8192貫。この男は江戸で船問屋を営んでいて、借りた1貫を「水間観音のありがたい銭じゃ」と、漁師たちに貸していた。安全や豊漁などでそのご利益があるとして口コミで広がり、後は次々に借りる人が現れる。それで大金を得たことの御礼ということで寄進したのがこの三重塔の由来である。現存の塔は後に建て替えられたものだが、商売の才覚についてのネタとして西鶴の作品に取り上げられたものである。当時の寺は「利生」の名目で金貸しもやっていたのかな。

そして本堂である。どっしりとした安定感がある。江戸時代後期に再建されたものだが、スケールとしては大阪で1、2を争うという。中に収められている本尊の聖観音像は1寸8分しかないのだが・・。外陣にてお勤めをする。この水間寺は祈祷の申し込みが結構あるのか、内陣には祈祷を受ける人たちが入れ替わり立ち替わりする。その都度、観音経や般若心経を読む僧侶の声が内陣に響く。私もそのリズムに便乗させていただく。

そして本堂の一角にある納経所で朱印をいただく。改めて納経帳を見返すと、やはりその前の2番、3番の頁が空白なのが気になる。まあこれは私なりのルールの影響で、そうなるのは仕方がない。

さて、その後も内陣での祈祷、あるいは本堂前でのクルマの安全祈願の声を聞きながら、やはりここは次へのサイコロである。

1.大阪市内(太融寺、鶴満寺)

2.龍野(斑鳩寺)

3.高槻(安岡寺、神峯山寺)

4.京都市内(大報恩寺、誓願寺)

5.比叡山(横川中堂)

6.西神明石(太山寺)

・・・ここに来て、サイコロの選択肢が6個になっているのに気づく。最後の瑠璃寺を除く各札所をエリアに分けたのだが、ようやくサイコロの目に全てが収まるところまで来た。そして出たのは、「4」。今度は京都市内。これからが本格的な混雑期になるわけで、さてどのように回ろうか・・・。

もう少し境内を回る。「聖観音出現の滝」というのがあり、境内の一角を抜けると滝を見下ろす場所に出る。この地で行基が龍神から聖観音像を授けられ、それ以後、水間寺が長く信仰されるようになったという。

さて境内はここまでだが、裏手にはさまざまな神仏が安置されている。奥の院に当たる南ノ院に虚空像菩薩がいるのをはじめとして、さまざまなお堂がある。

また、水間寺の裏手は水間公園として整備されている。芝生広場でキャッチボールやサッカーのパスのやり取りをしている人も目立つが、公園全体は花見会場。敷地にシートを広げて盛り上がるグループも多い。まあ、これまでなかなかスッキリしなかった開花状況も、この日は一気に花開いたかのようである。私も今季ここまでゆっくり花を見ていなかったが、この日にここに来ることができて面白かった。そして人の多さに、近隣でも知られたところなのかなと思う。

水間寺の参詣、そして水間公園の花見ということで、この日に多少無理しても出かけてよかったと思う。ここで水間観音駅に戻り、次の列車で貝塚に出てボチボチ帰ろうかなとしたのだが・・・。
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第4番「水間寺」~新西国三十三所めぐり・28(水間鉄道に揺られて)

2017年04月09日 | 新西国三十三所
新西国三十三所のカテゴリでの記事を書くのもちょうど2ヶ月ぶりである。前回、赤穂の花岳寺を訪ねて坂越の牡蠣をいただいてからのことである。別に新西国をほったらかしにしていたわけではなく、単にスケジュールが取れなくて・・・。

今回の目的地は第4番の水間寺。札所は4番目であるが、客番を含めた38所の中で28番目に訪れることになるとは。それも、くじ引きとサイコロで行く順番を決めた結果である。

4月に入っていろいろと仕事で忙しい日も続くし、仕事の進捗も気になるのだが、9日の日曜日は完全オフということにした。自宅でゆっくりしてもよかったのだが、朝降っていた雨も止み、春の日差しが差し込む中で、「これは、今出かけようか」という気になった。札所じたいは別に逃げも隠れもしないのだが、新西国は全階から2ヶ月空いていたし、ちょうど桜の時季でもある。行き先は水間ということでそれほどの遠出でもない。急遽、午前中に思い立って出発し、昼過ぎには南海の貝塚駅に降り立っていた。

水間寺へのアクセスは、貝塚から水間鉄道である。営業区間が5.5キロというミニ私鉄。実は私、同じ大阪府に住んでいながら水間寺へ行くのは初めてで、水間鉄道に乗るのも初めてである。そんなミニ私鉄で、列車はワンマン運転、駅員も貝塚と終点の水間観音しかいないが、ICカードが導入されている。貝塚の改札口には乗車、下車用のカード読み取り機が備えられている。

小ぶりなホームで待つうち、カーブを曲がって2両編成の列車がやって来た。元東急の2両編成。車両の側面には「みんなで乗って守ろう5.5キロ」とある。確かに、沿線の貴重な交通の足とはいえ、営業距離も短いし、観光としての見どころといえば水間寺くらいしかない。だからというわけではないが、地元の人や外部の鉄道ファンを呼び込もうとあれこれ取り組んでいる。

そのうちの一つが、列車の両端に掲げられたヘッドマークである。オリジナルのヘッドマークを10日間掲示できるもので、その料金はなんと1万円という。これが定着すると、そのヘッドマーク見たさ、あるいは撮りたさに客が集まるというもの。この日乗った列車のヘッドマークは凝っていて、かつての寝台特急「さくら」をモチーフとした「さくらい」の文字。周囲にあしらわれた英語を読むと、「さくらい」さんご夫婦が4月30日に結婚式を行うことの記念のようである。こうしたヘッドマークを掲示するとは、鉄道好きなご夫婦なのかな。どうぞお幸せに。

こうした手入れは行っているし、ワンマン使用で、前側車両の真ん中の扉が入口、一番前が出口ということで、それぞれ整理券発行機、ICカード読み取り機、運賃箱が置かれている。ただベースは東急のもので、吊り革に渋谷の109のロゴが入っているのがなかなかシブい。

営業距離が短い割には駅の数は多く、ガタゴト走ってはすぐに停車を繰り返す。途中の名越が唯一の交換駅で、水間観音からの列車が先に停車している。こちらの列車が着くと、また同時に発車する。前方に山が迫ったところで、終着駅の水間観音のホームが見えてきた。貝塚から15分ほどの道のりである。

駅の反対側のホームに桜の木があり、ちょうど見ごろを迎えている。午前中はぐずついていた空もここに来て明るくなり、いい景色である。有形文化財にも登録されている駅舎を抜け、ここから水間寺までは一本道、10分足らずで到着する。同じ列車を降りた客たちも寺の方向へ歩いて行く。

寺の境内に入る手前に川が流れていて、橋がかかっている。水間寺は多くの寺にある山門、仁王門はなく、この橋を渡ると境内に入るようになっている。その川沿いの桜もなかなかのものだった。今年は桜の開花が遅めだったこともあり、この週末がちょうど見ごろを迎えていた。水間寺にこうした桜の見どころがあったとは知らず、これは思い立って出て来てよかったと思う。

そうした桜に出迎えられて、これからお参りである・・・。
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貯金で乾杯(笑)

2017年04月08日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
5割の壁を超えられるかどうか注目だったが、8日の試合はバファローズは今季でもっとも快勝と言っていいだろう。これで久しぶりの「貯金」。この2年、開幕直後を含めても勝ち越すということがなかったのが、何だかなあという感じだったが。

今夜は約束にて友人と京橋で一献、新たな店の開拓となったが、それも「バファローズの貯金に乾杯!!」である。乾杯の対象が何ともみみっちいのだが・・・。

酒の肴は今月末からの連休中に開催される関西クラシック。昭和の日に大正ドームでの近鉄南海戦で、友人も今から乗り気であった。私より年上なので、昭和の野球には私より深い想い出がある。

さて、ここからは本題とずれるのだが、同じ大阪在住でもなかなか行く機会がない京橋に、改めて大阪の東の玄関口の賑わいを感じた。NHKで土曜日の朝に放送する「小さな旅」という番組があるのだが、ちょうど8日放送分の舞台が京橋だった。ダークスタイルで飲む立呑屋、長年この地で人々に愛されている居酒屋、さらには碁会所など、ディープな大阪の一端を面白く観た。キタともミナミとも違う、かと言って天王寺新世界とも違った濃さがある。またこの界隈もボチボチ巡ってみたいものだ・・・。
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