リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

いきものがかりの日本語力

2012-03-29 12:12:27 | オヤジの日記
優等生的な歌は、あまり好きではない。

特に、応援歌的な歌は、耳を塞ぎたくなる。

自分の披露宴のとき、長渕剛の「乾杯」を歌うという友人がいたが、拒否した。
もし歌ったら、出入り禁止にするとまで言った。

友人は、「乾杯」を諦めて、私のリクエストで、フランキー・ヴァリの「君の瞳に恋してる」を歌った。
恐ろしく下手くそだったが、「乾杯」を歌われるよりは、遥かにいい。


たとえば、ブルーハーツの歌は、ほとんど好きだが「人にやさしく」だけは、馴染めない。
安易な「ガンバレ」という言葉が、好きになれないからだ。

大事マン・ナントカの「それが一番大事」を初めて聞いたとき、何をわかりきったことを歌っているんだ、とおもった。
こんな小学生の日記みたいな歌がヒットするわけがないと思った。

しかし、その曲は、メガヒットした。
歌に励まされたい人が、こんなにいるのか、と愕然としたことを覚えている。


3人組のグループ「いきものがかり」。

いきものがかりも、励まし系の歌をたまに歌う。

しかし、なぜか、このグループだけは許してしまうのだ。

優等生的なグループが好きではない私が、典型的な優等生グループが好きになる。

なぜだろうか、と思った。

それは単純な理由からだ。
ヴォーカルの吉岡聖恵さんの声が、単純に好きだから。

頭抜けて歌が上手いというわけではないが、声の響きの良さは、際立っていると思う。
声の響きの良さとは、日本語の発音の明瞭さ、日本語を正確にリズムで表現できるところだ。
この二つは、このグループにとって、これからも大きな武器になると思う。

曲に関して言えば、シングル曲の作詞・作曲を担当している水野良樹氏の、独特なメロディラインと、アルバムに収録されることが多い山下穂尊氏の複雑なメロディが、グループの個性に変化を持たせていて、いいと思う。

そして、その複雑なものを特別な思い入れもなくストレートに歌う吉岡さんの歌唱は、聴き進む程に心の緊張を解いてくれるようで、心地よい。

仕事中に聴くことが多いのだが、仕事に没頭していても、時に断片的に歌詞が耳に入ってきて、「何か」を頭の片隅に残してくれるのは、吉岡さんの「日本語力」が、優れているからだろう。

ほとんどの歌手が、日本語を崩して歌うことが多い今、彼女の歌手としての「日本語力」は、貴重である。


その「日本語力」が、もっと研ぎ澄まされたとき、いきものがかりは、日本を代表するグループになるのではないか、と私は思っている。


どこに良さが?

2012-03-25 09:38:31 | オヤジの日記
5人組のアイドルグループは、長い間第一線で活躍しているにもかかわらず、一向に歌がうまくならない。

ダンスをしながら歌っているから、それで下手なのかと思ったが、ダンスをしないときも決して上手くない。

致命的なのは、音程が取れないことだ。
そして、声量がない。
声に魅力がない。

多人数で歌ってもハモらないのは、そのグループが所属する事務所の方針なのかもしれないが、ユニゾンというのは、同じレベルの歌唱力を持った人たちが歌うと、旋律の美しさが際立つものである。

しかし、同じ低レベルで歌われるユニゾンは、美しくない。

だから、私はそのグループの歌は、ワンコーラスも聴いたことがない。

しかし、その人気は絶大である。

なぜだろうか。

歌手以外の部分で魅力があるからだろうか。

きっと、私が気づかないタレントとしてのパワーを彼ら一人ひとりが持っているからだろう。

そして、事務所のブランド力と、有名になったあとに付く彼ら独自のブランド力。


ミーハーは、ブランドに弱い。


それが、彼らの人気を維持しているのだと思う。

ただ私としては、彼らの声が、一人を除いて口先だけで話しているだけから、すべての発音がこもって聞こえるのが、どうにも受け付けないところだ。

多くのファンは、そこに魅力を感じているかもしれないので、これは完全に言いがかりかもしれないが、鼻炎患者のように滑舌が悪いから、私の耳に彼らの声が真っ直ぐ届いてこないのである。

そして、歌手なのに、果たしてヴォイス・トレーニングをしているのかと思えるほどの発声能力。
歌手なのに、下手なことを恥じていないかのような進歩のなさ・・・・・。


しかし、これだけ絶大な人気があるのだから、絶対に優れたところがあるのだと思う。

きっと私が、そのことに気づかないだけなのだろう。



だが、プロの歌手としては、ヒドイ。
ひどすぎると思う。

その考えは、これからも変わらない。



再結成

2012-03-22 05:26:34 | オヤジの日記
近年、国内外の有名グループが、再結成されている。

そのバンドのファンだった人にとっては、嬉しいことかもしれないが、当然ながら再結成してほしくなかったという人もいるだろう。

私は、その再結成して欲しくなかった、と思う方である。

たとえば、日本の場合、震災の復興のために、一時的に再結成するというのがあるが、これは容認できる。
意味のあることだと思うからだ。

経済的な理由で、というのも容認できる。
食っていくための手段として再結成を選ぶというのは、悪いことじゃないと思う。

その他に、ファンからの要望で、というのはファンを大事にするという点ではいいかもしれないが、それならなぜ解散したのか、という疑問の解決にはならない。

最初からファンは解散など望んでいなかっただろうから、それは、理由付けとして弱いのではないかと思う。

それに、再結成しても、昔の曲ばかりでは、ただの懐メロバンドである。

ユニコーンのように、新しいアルバムを出すというのなら、やり残したことがあったのだろうと納得するが、新曲を出すこともせず「再結成しました」「昔の曲を歌います」だけでは、それは、ただの同窓会だ。

ファンも同窓会的な気分に浸りたいのかもしれないが、それなら、再結成をせずともCDを聴いていれば済むのではないか、という気がする。

外国では、再結成といえども、オリジナル・メンバーではなく、一部分メンバーを変えての再結成というのが多い。
それは、メンバーの死亡ということもあるだろうし、プロモーターの都合もあるだろう。
そういったメンバーを変えての再結成には、私は賛成である。

そのことにより、同じ曲を演奏しても、それが新しい音楽に生まれ変わる可能性があるからだ。

オリジナル・メンバーにこだわる人にとって、それは不評のようだが、いずれにしてもメンバーが歳をとるという現実がある以上、昔のサウンドに戻ることはないのだ。
ただ、同じ曲を同じメンバーが歌っているだけ、というのは、メンバーが確実に老けた分だけ、どこか哀れさを感じさせる。

聴く方も同じように老けたのだから、おあいこだ、というのは、まさしく同窓会的発想である。

ほかの人は、どうか知らないが、私は絶対にそれを拒否する。
そこまでして、昔の思い出に浸りたくはない。


震災のために、氷室京介氏が、東京ドームでコンサートを行なった。
その収益金の全て(8億円と言われているらしい)を氷室氏は、被災地に寄付をした。

その行為は、とても男前だ。
私は、とても尊敬している。

その氷室氏が、東京ドームで歌ったのは、伝説のバンド・BOOWYの曲ばかりだったという。

それに対しては、賛否両論があるようだ。

BOOWYの歌を歌うなら、BOOWYを再結成すべきだった、という意見もあったようだ。

しかし、私は、氷室氏を支持する。
氷室氏は、善意で集まってくれるファンのために、そのコンサートを私的な同窓会的な集まりにしたくなかったのではないか、と思ったのだ。

日本中が不安で動揺しているときに、お気楽に同窓会的なコンサートを開いていいのか、と思ったのではないか、と私は推測したのである。

同窓会的なコンサートを開いて、お祭り騒ぎをする。

それは、一番「復興コンサート」に相応しくないものではないか。
氷室氏は、そう思った。
だから、再結成をしなかった。

再結成は、ファンのためでもあるだろうが、自分たちのためでもある。

氷室氏は、極力「自分たちのため」という意識を排除したかった。
今は、一人で歌うことに、意味があるのだ。
彼は、そう思ったのではないか。

私は勝手に、そう思っている。

それは、慈善の名にふさわしい行為だと思うし、とても潔いことだとも思っている。

たかみな

2012-03-15 05:43:23 | オヤジの日記
AKB48の歌は、ほとんど聴いたことがない。

街中で流れている曲を断片的に聴くだけである。
50オヤジが、真剣に聴く曲ではないと思っているので、耳に入っても、すぐに抜けていく。

もともと秋元康氏の商売感覚が好きではないので、彼が手がけたおニャン子クラブなども1ミリも興味が持てず、誰それがおニャン子クラブの出身と言われても、どこの国の話だ、と思うほどである。

おニャン子クラブは、私にとって、宇宙人か幽霊のようなものだ。
まったく実態を感じないまま売れて、いつの間にかいなくなった。

その点、AKBは、まだ多少実態を感じる存在だ。

たまにCMなどで見る彼女らを見ていると、頑張っているな、と感じることがある。

それが、秋元氏の戦略であることはわかっているし、ごく一部の熱狂的なファンにだけ支持された存在だということも、わかっている。

しかし、同年代の若者たちと比べると、彼女たちははるかに「頑張っている」と思わせるものを持っている。


なぜかと考えたら、それはきっとリーダー的存在の高橋みなみのせいだ、と勝手に思い込んだのである。

恥ずかしながら、他のメンバーのことはほとんど知らないが、高橋みなみは、ちょっとだけ気に入っている。

顔もスタイルも平均点、歌声も聞いたことがないが、勝気そうな目がいいと思う。
そして、言葉も明瞭だ。
曖昧なところが、まったくないところもいい。

だからというわけでもないかもしれないが、一生懸命に見える。

そこが、私には、AKBのポジティブな部分を引っ張っていると感じられるのである。

そのポジティブな姿勢を見ると、音楽性にこだわることなど、どうでもいいように思える。

何かを引っ張る力を持っている人は、世の中に、そう多くはない。

それを持っている人は貴重な人だと、私は思う。


だから、私は、たかみなを気に入っている。


ゆずについて

2012-03-11 10:36:04 | オヤジの日記
ゆずは、いいデュオだと思う。

ただ、優等生的なスタンスが、私好みではないので、ほとんど聴いたことがない。

皆が口を揃えていいという「栄光の架け橋」もワンコーラスしか聴いていない。

とは言っても、嫌いというわけではない。
男性デュオとしては、最高に近いハーモニーをしていると思う。

何といっても、二人の声がいい。
北川悠仁氏の甘い声と岩沢厚治氏のよく伸びる高音。
そのバランスは、絶妙だ。

曲も明るいものが多いから、聴きやすい。

ただ人生の応援歌的なものを私が受け付けないので、聴く機会がないというだけである。


日本の音楽シーンにおいて、ゆずの立ち位置は、デビューの時からまったくブレていないと思う。
ギターを手にした二人が、自分たち独自の言葉で、メッセージを放つ。

それは、最近では、世界でも滅多に目にすることのなくなったデュオの姿と言っていい。
その意味で、ゆずは、オリジナリティのあるデュオだ。
真似ようと思っても、おそらくあのレベルまで到達するのは難しいと思えるほど、彼らの作り出す音楽は、独自性があって、なおかつ優秀である。

その揺るぎない音楽へのアプローチは、プロとして清々しいほど真っ直ぐだ。
だから、彼らのその清らかな歌声は、「復興」というキーワードにはまって、聴く人に勇気を与えるのだろう。


ゆずは、おそらく、これからも今の姿勢を変えることなく、熟していくに違いない。


それは、日本の音楽シーンにとって、大変貴重なことだと思う。