ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~

フランス料理に限らず、色んな話のブログ内容です。

リスペクトなき模倣はオマージュにあらず。ただ表面をなぞるだけなり。

2015-09-15 21:25:24 | Weblog
 先日、東京からいらしたお客様(当店の常連様です)とお話しさせていただいている時に興味深い話となり聞き入る事となったのです。その方が某大物商業デザイナーさんの偲ぶ会(残念ながら半年ほど前に他界なされました)に呼ばれて六本木の会場に行った時の話でした。
 有名な方々がいらっしゃったそうで「加納典明くんもいたよ」との話でしたが、「そう言えば・・・彼も来てたんだよ。」と含みがある流れとなったのです。
 「えっ?誰ですか?」と聞いてみると「今話題の、サノくんだっけ?彼だよ。」みなまで言わすなよ、と言わんばかりの投げ掛けに「今話題の」そして、「サノ」というだけですぐに理解できました。その会に来てたのは某エンブレムデザインで話題になった「佐野研二郎」氏だったのです。
 「えっ!?その会はいつだったんですか?」と即質問し会話のキャッチボールは始まったのです。「8月の、終わりくらいだったかな?」と曖昧ながらも判りやすい時期感、

「それって渦中の頃のど真ん中じゃないですか!」

「そうなんだよ。会場に来た人がさ、ビックリしてたよ。」

「そりゃそうですよね!」

「でも、誰も話しかける人がいなくてさ、何か可哀想だったな。」

「ちょっと、話しかけづらいですよね・・・」

「普通に考えるとね。」

「あれが問題なければヒーローだったんでしょうけどね。」

「そうだよ。あれはさ、似ているけどオリジナルだと思うよ、オレは。」

「じゃあ、あのデザインは好きなんですか?」

「いや、あのデザインが好きか、と言われると好きじゃないけど。パクリじゃないんじゃないか。」

「・・・好きなデザインじゃないんですね・・・」

 その会話の中で私は「パクリ」とは何かを考える事となったのです。
 「パクリ」は「パクリ」でもデザインは専門ではありませんから、私が考え込んだ「パクリ」の事は「料理のパクリ」であります。
 数年前にフランスの料理人数人が自分料理に対して特許を申請しようとして話題となりましたが、自分が経験を積み上げる中で作り上げたオリジナルの料理をいとも簡単に真似されるのは悔しい、というより残念だったのかもしれません。
 完全なるオリジナルの料理を作り上げる、というのは思うほど簡単ではありません。完成度の高い既存の料理を超え、且つ、自分の料理や素材に対する考えが反映し、お客様に喜ばれなければならないからです。
 それをただ写真を見ただけで「オレも作れる」のような気になりうわべだけをなぞるような料理を作れば「パクリ」と言われても仕方ないでしょう。しかし、その考案シェフの仕事を間近で見てきた料理人や、そのシェフの下で仕事をしていなくても、そのシェフの料理に対する考え方や姿勢までも尊敬してやまない料理人が敬意の念を込めて作れば、それは「パクリ」とは呼ばれず「オマージュ」とされるのだと思います。
 斯く言う(かくいう)私も、料理の本を読んでインスパイアされる事は多々ありますから、「料理のパクリは絶対に許さん!」とは言いませんが、真似するなら真似するなりにそのシェフ(例えば料理本などに出たシェフ)の料理、素材、考え方、などを理解してから作り、それでさらに納得して真似したいものです。
 私事ですが、私は魚をポワレする時にちょっと変わったポワレの仕方をするのですが(詳しくは書きません)、数年前、料理本を読んでいたら同じポワレの仕方を某有名シェフがしており大変驚き、そして、喜び、そして、誰かにこの事を話すと「お前がパクッたんじゃないの?」と言われるのではないか、と複数の気持ちが湧き上がった事がありました。
 「たまたま同じだったんです!」と言っても無名な私と有名シェフでは「そんな事ないでしょう」と疑いの目を向けられるのは必至。(しかし、これを書いた時点でそんな目で見られるのか?)いつの時代も無名な者は立場が弱いものです。(ネガティブな男)
 しかし、それを読んでから「自分の考えが間違ってはいなかったのだ」と思えるようになったので逆に感謝しています。(ポジティブに変換)
 本でしか知らないシェフに対してならば「尊敬しておりますのでちょっとパクってもいいですか?」と心で唱えて真似する事も出来ますが、お互いを知っている料理人同士になると話はややこしくなると思われます。
 仮に、シェフ同士仲が良く、一緒に飲んだりする間柄だったら飲んだ勢いで「お前のあの料理、どうやって作ってんの?」と気軽に聞け、更に「オレもやってみていい?」と了承を得る事もできると思われます。しかし、それでも作った後に「あの料理作ってみたけどスゴくよかった。オレも負けないように勉強する」などの相手に対する尊敬の念を込めて飲み直し、が必要になってきます。(メールではダメです)
 つまり、知り合い、仲が良い、という間柄でも「料理」を商売としているプロであれば、真似するのであれば相手に対する「リスペクト(敬意を表す)」と「道理の筋」が必要なのではないでしょうか。

 佐野氏の話が出て来た時、そのような事が頭の中を駆け巡り(大げさ)、そして、私に厨房業者さんを通して調理の仕方と機器の説明を聞いてきた人(料理人)を思い出しました。 
 
 本人が私に聞いてくれば何も問題はないのですが、あまりにも遠回りな聞き方、その後、全く連絡もない、という行動に、正直残念でなりません。

「リスペクトあり過ぎて直接聞けないんです。」

 ん~、それでは道理の筋が違いますな。

















 
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秋になると苦悩する者、汝の名は「芋煮会幹事」

2015-09-13 21:12:58 | Weblog
 9月は夏の終わりなのか秋の始まりなのか判断に困る月なのですが、今年の9月は気温的な面だけで言えば完全に「秋の始まり」に属す、と思われます。夜歩いていると頬を撫でる風の冷たさや、青い草木の香りがしなくなったのも「秋の始まり」という気分を高めますし、何気にスーパーなどに置いてある「松茸」が目に入るとその気分を一層押し上げる、というものでしょう。という事は・・・そろそろ食材が揃ってくる頃ですな、と思わずにはいられない今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 だいぶ久しぶりの更新ですが、その間、ブログをやめようなどという事は全く思いませんでした!ホントのホントに思いませんでした!ホントなんですよ!皆さん!全くやめようなどと思いませんでしたから!・・・うぅぅ・・・誰かツッコんでください・・・(バカ)
 まぁ、それはいいとして(いいのかよ)、先ほども書きました通り、スーパーなどには「秋刀魚」や「松茸」などが並んでおりますから、もう「秋宣言」しても構わないと思われますが、山形では「芋煮食材」も並び始めてその「秋気運」を高めてくれております。
 山形の名物であります「芋煮会」は、川原に鍋を持ち込み「芋煮」を作り、それを食べながら宴会する、という県外の方が目にしたら「何やってんだ?」と思わずにはいられない県民行事であります。
 里芋、牛肉、こんにゃく、葱、という基本材料を少し甘めの醤油味で味付けしたこの料理は汁物と煮物の狭間でせめぎ合う山形のソウルフードであります。(一部大げさ)
 上記の基本芋煮に「キノコ類」や「牛蒡」などのオプションを加える事もありますが、それは地域によって異なり、また、「牛肉」が「豚肉」に変わり、「里芋」が「じゃがいも」に変わる、という「芋煮」と「豚汁」の狭間でせめぎ合う(しつこい)地域もありますから、各地の芋煮を食べ歩く「山形芋煮巡礼の旅」をしてみるのもいいかも知れません、いいかも知れませんよ、県外の方!(誰に言ってんだ)
 以上の事を川原で開催するのですが、何気に一番大変なのは「芋煮会」そのものではなく、「芋煮会」の「幹事」なのであります。
 「芋煮会の幹事をするのが好き」という奇特な御仁は別として、基本的にそんな面倒な事を率先して引き受ける人の好い方はあまりおりません。大抵、芋煮会幹事を人に押し付けたがるものです。
 会社の部署で芋煮会をやる場合、オヤジ社員(役職あり)は「芋煮会の幹事は昔から若い人たちがやる事になっているから。」などという勝手なルールを施行し、飲みに専念したいと考え、隙あらば「若手女子社員に近づこう」と画策するものです。気を付けなければなりませんな・・・
 仲間同士で芋煮会をやる場合、仲間の中でも目立つ男子がちょっと弱気な男子にその役を押し付け「会費以上に金が掛かったらお前自腹で補てんしとけよ。」などと恫喝にも似た発言をし、隙あらば、仲間の女の子にちょっかい出そうと画策するものです。なんか、ムカつきますな・・・
 まぁ、それはいいとして、芋煮会幹事がもっとも腐心するのは「どのように作るか」「何を飲むか」そして、「誰を呼ぶか」の問題であります。
 芋煮会幹事は、幹事であると同時に作り手にもならなければなりませんから、そのプレッシャーは結構あります。なぜ芋煮を作るのにプレッシャーがかかるのか?それは先ほども説明しました通り、地域によって「芋煮」は変わりますから、自分の基準で大根や人参などのオプションを入れてしまうと「なんだよコレ!置賜(山形の地域名)風じゃねーかよ!あっ、お前、置賜出身だな!」などと、県都山形市出身の奴にバカにされたりします。
 また、良かれと思い「庄内風」の「味噌風味・豚肉・じゃがいも芋煮」にしてしまうと「芋煮はやっぱり醤油味がいいよな。」などと、県都山形市出身の奴にバカにされたりします。(フィクションです。県都山形市出身の人がいつもバカにするわけではありません)
 そして「飲み物」。これも腐心してしまうジャンルです。酒に詳しい人ならばビール、焼酎、日本酒、ワイン、のどれを選ぼうとしてもそれなりの、しかも、安うまな酒を選択する事も出来るのですが、酒にそれほど詳しくない人が幹事になってしまうと、「ビールです」と言って手渡された缶の飲み物が実は「第三のビール」だったりして人の気持ちをイライラさせます。気を付けてください、これだけは。
 そして「誰を呼ぶか」。実はこれが一番腐心するのかもしれません。会社、大学のサークル、仲の良い家族仲間、といった人員が決まっている芋煮会ならそれほど悩む必要もありませんが、「仲間」という曖昧な括りになると悩みは急上昇するのです。
 「彼は呼ばなければならない、という事は、彼も呼ばなければならない・・・じゃあ、その繋がりであの娘も呼んじゃおう。」などと最初は決まるのですが、その後の手詰まり感が芋煮会幹事を襲います。
 「彼は呼んでもいいのだろうか?いや、それ以前に、彼は友達なんだろうか?」「彼と彼は仲が良くないと聞いたけど、ふたりを呼んでこっちが恨まれるのは嫌だな・・・」芋煮会幹事は悩み、そして、ある一定の基準を決める事でしょう。それは、「自分を基準にした友達関係であるかどうか」であります。
 「彼とはこの前、朝まで飲み明かしたから、友達だな。」「彼とはビールしか飲んでいないから、知り合いレベル、か。ビールだったら他人とでも飲めるからな。」「彼女はこの前、居酒屋であった時、笑顔で挨拶してくれたから、友達、かな・・・何なら彼女候補でもいいな。(バカ)」などと自分基準で仕分けをする時、芋煮会幹事は蓮舫議員の顔つきになっているのです。

 そして、芋煮会当日。2日前からロープを張って場所取りした川原へ朝5時に出向き心を落ち着かせるために1時間瞑想をし、大鍋に水を張り、切り目を入れ水で濡らして掃除した昆布を投入し1時間ほど待ち、7時に点火します。
 
 沸騰ししばらく昆布を躍らせてから昆布を取り出すと昆布の強い香りがしてきました。

 そこへ事前に水洗いした皮むき里芋を投入して再度沸騰するのを待ちます。

 待っている間、みんなの喜ぶ顔、尊敬の眼差しとも言えるような潤んだ瞳、そして、「美味しいです!」と芋煮の汁をすすりながら言ってくれるあの娘・・・それらが頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えしていきます。

 芋煮を作って2時間。鍋に蓋をし、休ませながら里芋に味を染み込ませる事2時間、計4時間が経った頃、集合時間の11時がやって来るのです。

 そして、宴が始まり、盛り上がるであろう12時過ぎ、誰も来ません・・・

 そこで芋煮会幹事は危惧します。

「実は、誰も来ないのではないか」と。

 



 この話は実話を基に書きました。
 
 この芋煮会に私は呼ばれていませんでしたが、件の芋煮会幹事から電話があり、涙声で「来てほしい」と懇願されました。

 そこで、知り合いに電話をして人数を集め、その場所に行ってみると、大きなブルーシートに3~4人ほどしかおりませんでした。

 芋煮会幹事に「もう少しすると知り合いが来ますから。」とちょっと多めに会費を払い、それと引き換えに「缶ビールでも飲んでください」と手渡された飲み物は・・・第三のビールでした・・・

 ねっ、芋煮会の幹事って難しいでしょ。

















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