ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~

フランス料理に限らず、色んな話のブログ内容です。

春の雨は優しい。その優しさに包まれながら外食に出掛ける、というのもいいのではないか

2015-04-05 20:58:54 | Weblog
 シトシトと降る4月の雨は、先月あたりの冷たく悲しみを帯びた雨と違い、生温かくて優しく、そして、一筋の希望が見えるような雨であります。屋内から一歩外に出てその雨を見ると、「春雨じゃ、濡れてまいろう」と「月形半平太」ばりのセリフを口にしたくなる今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 生温かくて優しい雨でも雨は雨。雨降りの時に人は外出したくないものです。かといって、気温が暖かくなってきている時に家に閉じこもっているのは精神衛生上、よろしくないでしょう。
 そんな時は「外食」であります。雨の湿気な気分を吹き飛ばす料理は何でしょうか?わたくし個人の意見を述べさせていただければ、どう考えても「フランス料理」となりますし、それ以外考えられません。因みに、晴れている時の「外食」も「フランス料理」でお願いします。いや、可能であればずっと「フランス料理」でもいいと思いますよ、それが良いと思います。(洗脳)
 まぁ、それはいいとして(いいのかよ)、人を食事に誘い、「何が食べたい?」と聞くと、大抵、「何でもいいです」という答えが返ってきますが、そんな時私は「焼肉、寿司、イタリアン、の中で何でもいいですよ」の略なのではないか、と思ってしまいます。
 因みに、フランス料理に誘うなら「何が食べたい?」などという回りくどい云い方はせず、「ワイン飲みたいから」と言ってストレートにフランス料理店に誘導した方がスマートである、と考えられます。その時は是非、当店をご利用ください。怪しい関係でも黙っときますから。(宣伝)
 
「人を食事に誘い、って、女性の事なんでしょ。」

 そのように突っ込みどころを発見された方が多数いらっしゃると思いますが、その通りであります。同性を誘う場合は「飲みメイン」でありますから、どんな店だっていいんですよ、ハッキリ言ってしまえば。(投げやり)
 しかし、女性の場合は違います。連れて行く店を考えなければ相手に失礼でありますし、そこを考えられないようでは「ダメ男」のレッテルを張られても致し方ないでしょう。(当ブログを初めて読まれた方へ。当ブログは話の進行が一方的で大げさな内容であります。予めご了承ください)
 人を誘う場合、先述の飲食店3業種を挙げれば嫌がられる可能性は低い、と考えられますが、「焼肉」だけは個人の人間性が出てしまうため、判り合っている人同士でなければ難しいのではないか、と思われます。
 私は度々、当ブログで「鍋」や「焼肉」の話を取り上げているので、ブログを読まれている方と食事に行く事になった時、「めんどくさそうなので、藤原さんとは鍋や焼き肉は食べたくない。」面と向かってと言われてしまった事がありました。
 確かに、鍋や焼き肉の食べ方など細かい事をグズグズ書いているからそう思われても致し方ないのですが、しかし、皆さん、真の美味しい食べ方は自分基準のルールがあってこそ花開くとは思えないでしょうか。(強引)
 焼き肉の場合、焼き網に肉を一皿分全部乗せる御仁がたまにいらっしゃいますが、百歩譲って大人数の場合はいいでしょう、1枚1枚焼いている暇がないでしょうから。問題なのは、肉を全て乗せた張本人が乗せた直後、「いや~、実はね・・・」などと言って自分の話を始め、みんなの食べるスピードにブレーキをかける、という事態を引き起こしてしまうのが問題なのです。因みに、その場合、そういう事態を引き起こすのは大抵、オヤジです。気を付けたいものです。
 「野菜焼き」を注文する人も気を付けたい人物のひとりです。「焼き網の端で育てます」などと言いながら必ずピーマンを焦がす行為は何なんでしょうか?野菜を摂取したいなら「ナムル」でいいじゃないですか。
 初っ端から「冷麺」を注文する人も気を付けたいものです。「最初から〆かよ!」と突っ込みたくなるではないですか。
 焼き肉屋さんに来てまで「海鮮焼き」を頼もうとする人も要注意です。いや、焼き肉屋さんで「海鮮焼き」なるメニューを置いてあるところの方が重罪か。(うちの近所の焼き肉屋さんはあるんです。イカ焼き、というのもありいつも疑問です)
 私は当店マネージャー佐藤と焼き肉屋さんへ行くと(年に何回もないですが)、必ずお互いの焼き網領土を何となく決め、暗黙の「焼き肉不可侵条約」というのを確認します。
 お互いの焼き網領土はそれぞれが管理しますから仮に何かの原因で向こうの肉が焦げていたとしても干渉する事はなく傍観するだけになります。その肉に対する責任は当事者が負う事になるわけです。
 飲み物は「瓶ビール」です。焼き肉屋さんにもよりますが、いつもお邪魔する(といっても年に数回)近所の焼き肉屋さんは生ビールの管洗浄を怠っているのを理解してますからそこには手を出しません。
 因みに、その焼き肉屋さんにはワインがないため、ビール以外だとウーロンハイを飲むのですが、店の人が気を使って焼酎をかなり多めに入れてしまうためウーロン茶の味が全くしませんし、次の日具合が悪くなる可能性は大です。

「そんな事か書いてるから、一緒に行きたくない、って言われるんでしょ!」

 そうなんですよね。一応、ブログのネタなんで誇張して書いてはいるんですが、遠からず近からず的な感じですな。

「で、結局、誘って何処へ連れてくんですか?」

 そうですなぇ、ワインが飲めるところだったらどこでもいいんですけど・・・女性だったらイタリアンあたりが良いんでしょうな。

 となると・・・サイゼリア、はダメですかね・・・

 実は、サイゼリアでも注文の仕方がありましてね・・・いや、話が長くなるから止めときましょ。(十分長いが)

 じゃあ、サイゼリアの使い方は誘った時にお教えする、という事で。(という手段)

















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フランス料理の料理名に詰まっているのは「食材」「調理法」そして「想い」である

2015-04-03 23:26:29 | Weblog
 今月に入って連続のブログ投稿に若干、辛さが滲んでいる方もいらっしゃるのではないか、と推測できますが、それは新年度からブログアップ数を増やそうという自分なりの意気込みの現れであります。しかし、そんな意気込みを見せつけられたところで「文章が長いから辛いだけですよ・・・」と思っている方が多数いる事は判っております。判っているけど止められない今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 皆様、ご存知でしょうが、当ブログの文章は長いです。その為「読もうとしたけど文章が長くて途中でやめた」や「文章が長くて辛い」、「読みたいけど全部読めない」、「意地になって長い文章を書いているのか?」といった声を頂く事が多々ございます。
 確かに、ブログを始めた頃よりはだいぶ、いや、かなり文章が長くなっているのは自分でも理解しておりますし、「読んでいて大変なのではないだろうか・・・」と思う事も御座います。(だったら短くしろよ)
 しかし、もうこんなブログを8年以上続けているのですから、今更文章を短くして「みんな、読んでね!」というわけにはいかないんです!(逆ギレ)
 「読みづらく、判りにくくて疲れるブログ」というのは、もしかすると、今の私の仕事であります「フランス料理」と似ているかも知れません。
 マナーを気にしてしまって「食べづらく」、メニューを読んでも「判りづらく」、気を遣うので食べていて「疲れる」、皆様が思う、そんな料理が「フランス料理」なのではないでしょうか。
 そのイメージを払拭するためにブログを始めた、というのも少しはあるのですが、残念ながら払拭するどころか増長させてしまった感は、あるのでしょうかね?ないですよね・・・ない、でしょ・・・
 皆さんが「判りづらい」と感じてしまうのは主に「メニュー」だったりするのかも知れません。メニューを聞いて(見て)もその内容がよく判らない、という声はよく聞く事でありますが、それ以上に価格の問題も、あるんで、しょうかね・・・まぁ、とりあえず価格の問題は置いといて(コラコラ)、メニューですが、例えば「海老」をテーマに考えてみましょう。
 「海老」は日本人が一番好きな食材だそうですが、「海老の天婦羅」「ボタンエビの刺身」「海老のチリソース炒め」「海老とトマトのクリームスパゲティ」などよりは「オマール海老のロティ ソース・アメリケーヌ」の方が判りづらく、オーダーを躊躇ってしまうのではないでしょうか。
 海老の種類の問題もあるかもしれませんが、他の海老料理よりもオーダーを躊躇ってしまうのは「ロティ」「ソース・アメリケーヌ」といった文字でしょう。
 「ロティ」は「ロースト」、「ソース・アメリケーヌ」は「トマト風味の海老のソース」と訳せますが、どうしても一般的に言われるところの「敷居が高い」という感じは残ってしまいます。(因みに、本来「敷居が高い」は「不義理をしてしまって入りづらい」という意味です)
 しかも、フランス料理にありがちな「長いメニュー名」というのもお気軽感にストップをかけてしまう事は間違いありません。
 
「21日間ドライエイジングしたシャロレー牛の低温ロティ 軽く薫香を付けた白インゲン豆のピュレとスパイス風味の人参のピュレ 軽く煮詰めたジュと共に」

 どうですか、こんなメニューを見つけてしまったら見なかった事にしたくなる指数はうなぎ上りであります。
 しかし、逆に考えれば、お気軽なお店のメニューにこの要素を取り込む事によってちょっと高級感を持たせることもできるわけですよ。
 例えば、

「鶏もも肉のから揚げ」

 と謳うよりも、

「鶏もも肉の和風フリット 儚き醤油の香りと共に」

 とあったら「何だかよく判らないけど高級そう」と思えるわけです。

「鮭茶漬け」

 だって、

「ほぐした鮭のグリルと白きご飯のハーモニー 緑茶香るスープ仕立て」

 なんて名前になっていたら物凄いものを想像してしまうでしょう。
 フランス料理の場合、食材やその調理法、付け合せなどをメニューに反映させてしまうとどうしても料理名が長くなってしまう、という事はあるのですが、料理名も雰囲気づくりに一役買っている、と考えれば違和感ないと思えるのです。
 
 フランス料理の料理名が長いのは、食材、調理法、そして、作り手の想いが詰まっているから、というのはお判りになられたと思いますが、それと同じように、当ブログの文章が長いのも料理に対する考え方や想いが詰まっているから、とお思いになられるとお読みになるのが少しだけ楽になるのではないでしょうか。(強引な展開)

「全く料理に関係ない話の時は何が詰まっているのですか?」

 そうですねぇ、「想い」というより、「思いつき」の方がかなり詰まっています。

 いや、本当に思いつきでしかないのかもしれません。

 それは、神のみぞ知る事です。(お前が書いてんだろ!)




















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スーツ姿が浮いている新社会人を見ると微笑ましく思えるのは歳のせいなのか

2015-04-02 22:35:49 | Weblog
 真新しいスーツに身を包んだ、というより「着られている」という表現の方が合う新社会人を街中で見かけるようになると「4月に入ったのだな・・・」と思ってしまいます。学生という呪縛から解け、新たなる道を進んで行こうという意思が感じられる笑顔を見ると、こちらも元気が貰えるものだな、と考えるようになると歳ですな、と思わずにはいられない今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 3月が「別れの季節」なら、4月は「出会いの季節」であります。先月、息子の卒業式に出席し「別れの季節」を体感してきた私は「卒業式=泣かせる場」である事を認識してきました。
 卒業式の場である体育館へ移動するまでの間の取り方や、睡魔を呼び起こしてしまう来賓の方々の挨拶を経てからの「公開泣かせ」である卒業式証書授与は今までの退屈な時間があるからこそその効果は絶大になるのです。そして、その後の卒業生、在校生、先生入り乱れた歌の応酬など2重3重に張り巡らせた「泣きのトラップ」に両隣の親御さん(うちの奥さんも含む)は号泣でありました。泣いていない私は悪人のようでしたよ・・・
 その日の夕方から謝恩会に出席させていただいたのですが(普段、学校イベントに出席しないので謝恩会くらいは出席しよう、という事で・・・)、その場でも入学から卒業までのクラスの軌跡をまとめたDVDが流され、最後の最後まで「泣きのトラップ」が存在しているのだな、と思わされ、周りを見ると号泣の嵐でありました。
 確かに、卒業式は「ここまで育ったんだな・・・」という感慨深いものが込み上げてくるのですが、「卒業」よりもその後「新たな生活(学生、社会人共に)」の方が重要であり、そこからが大変である、と考えますから卒業する事で安心はできません。ですから、私は卒業の場でどうしても泣く事がいないのですよ、言い訳っぽいですけど。
 学生の頃もそうだったのでしょうが、社会人になれば「人間関係」の重要さに気が付くはずです。意外かもしれませんが、我々の仕事である「料理」でも「人間関係」の難しさは付きまとう問題でありまして、その大変さに耐えかねて「店を辞めた」又は「料理の仕事を辞めた」というのはだいぶ目にしてきましたし、よく聞く話でもあります。
 勿論、私も何も知らず(というより、考えずに)に料理の世界に入り、その人間関係の複雑さを経験してきましたが、上の人間(この場合、シェフや料理長というのもありますが、すぐ上の先輩だったりする可能性が高いですな)の性格ひとつでヤル気が出たり、嫌になったり、という事はあります。
 実際、他人の失敗も自分のせいにされたり、身に覚えのない事で説教されたり、仕事が回ってこなくなったり、はたまた、無視されたり、といったよく判らない制裁を受ける事は多々ありました。ん~、思い出したらムカついてきたな。(コラコラ)
 イタズラやイヤガラセは意外と許せます。冷静に考えると仕事中にそんな事を考えるという事は、仕事が出来ない、というのを露呈している事になりますからね。ですから、仕事上のポジションを奪ってしまえばいいんです、その先輩から。仕事上の恨みは仕事で返すのが一番ですよ。無視はどうにもなりませんから無視返しでいいでしょう。
 一言で「仕事のポジションを奪う」と言っても一応、先輩は先輩です。仕事のポジションを奪う事は至難の業と言えるでしょう。しかし、先輩も人間ですから「不得意な仕事」というのがあるわけです。まぁ、よく考えれば不得意な仕事があるからイヤガラセなんてするわけですから、攻略法はあるんです。
 まずはその人(先輩)の仕事を、仕事をしながら観察する事です。(仕事をしないで観察していると本当に怒られます)毎日毎日、観察しているとその人の仕事のクセやパターンが見えてきます。それを理解したらその人(先輩)が仕事をする時に道具などをさり気なく先回りして出してあげるのです。
 それをするとその人(先輩)は大抵、ムカつきます。しかし、それを繰り返すと何も言わなくなってきます。そうなればこっちのものです。その人(先輩)が抱えている仕事(その人が不得意な仕事)を分けてもらいましょう。
 分けて貰ってその仕事をしているともうそれは自分の仕事になりますから、次の日、その仕事の材料を隠しておいて(ちょこざい)、完全に自分の仕事にしてしまいます。
 それを繰り返しながら他人の仕事の懐に入る技を覚えると、他の人からの評価が上がり、いつの間にかその人(先輩)のポジションに食い込んだりできるわけですよ。ポイントとしては隠していた材料をみんなの目の前で仕込み始め「オレがやりました」的な視覚的訴えを忘れない事です。これをやらないとその人(先輩)の株が上がりますから大胆な行動をしなければなりません。
 
 そして、重要な事は、いや、最も重要、と言ってもいいでしょう。飲み会には必ず出席し、その人(先輩)の先輩に近づいて「今日はツブれても先輩に付いてきます!」と飲みの男気を出して可愛がってもらう事です。そうする事によってポジション奪取に拍車が掛かるというものです。

 新社会人の皆さん、職場でイヤな事があった時、先述したようにこう思うのです。

「仕事の恨みは仕事で返せ!」

 仮に、個人的な事でイヤガラセされても仕事で返せばいいのです。そのためには職場の観察が欠かせません。そうすれば自分のポジションを作る事が出来るのです。

 自分のポジションを築き上げたらさらに観察してください。自分のポジションを確保できていない人を見つける事が出来ます。

 次の仕事はその人(この場合は先輩ではありません。同期だったり後輩だったり)の仕事を助けてあげる事です。

 仕事ができるだけではそれ以上に成れません。人心掌握も仕事では必要な事柄です。

「あなたはそんな事が出来ているんですか?」

 いや、独りで仕事していますから・・・仕事を奪われる事もありませんし・・・イヤガラセもありません・・・でも、独りは独りで大変なんですよ・・・寂しい・・・

 ですから、新社会人の皆さん!多くの人と仕事できる喜びも感じてくださいね。

 そして、最後に、飲み会には出席した方がイイっすよ。

 お金は誰かが払ってくれるんだから。



















 
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罪のない「ウソ」と爽やかな「妄想」が入り組む「エイプリールフール」

2015-04-01 22:38:28 | Weblog
 ほのかに立ち上がる土の香りが冬の別れを告げているようでありますが、これからその土の香りに新緑と桜の香りがプラスされると本格的に春の訪れを感じる事が出来るのです。そして、それに比例してマスク姿の人々が増えるのは花粉症の季節でもあるからです、とちょっとだけ不安を煽ってみたくなる今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 いつの間に別れの季節である3月が終わり、新年度である4月がスタートしましたが、よく考えると4月1日の今日は「エイプリールフール」だった事を先ほど思い出しました。
 私が子供の頃は一年に一度しか来ない「公にウソをついてもいい日」に想いを馳せ、「どんなウソをついてやろうか・・・」と考え抜いたものですが、今では4月1日に「真剣にウソを考える」という事を躊躇ってしまうのは「そんなこと考えて(又はウソをついて)何やってんだよ・・・」と失笑とも呆れともつかないビミョーな態度を取られてしまうのを恐れているからかもしれません。もうそんな歳ではない、と云われれば反論もできませんしね。
 しかし、そんなに心に余裕が無くてどうするのでしょうか?ここで一度、「エイプリールフール」という日を再考し、そして、壮大な「ウソ」をついてみようではありませんか。
 大体、「エイプリールフール」という「公にウソをついてもいい日」に小さな、どうでもいいウソをついてしまうから失笑されてしまうわけで、もっとグローバルでビッグなウソをつけば誰も文句は言わないでしょう。ただし、スルーされる恐れもありますが、いいんです、スケールが大きければスルーされても気持ちだけは昇華されるというものでしょう。
 まず「こういうウソはダメ」という事例を挙げてみたいと思いますが、大きいウソならいいからと言って話を中東あたりに絞ってウソをついてしまうのは世界規模で危険です、気を付けたいものです。
 ではどういうウソがダメなのか。

「実は夢のような細胞を発見したんです。」

 これはダメです。確かにスケールは大きいかも知れませんが、とりあえずこれはダメな部類と言えるでしょう。

「熱海で釣りをしていて記憶を無くし、気が付いたら小田原で発見されました。」

 これもダメな部類でしょう。「若人あきら(現・我修院達也)事件」を知らなければ全く分からず、ややもすると自分のホントの話で吹聴される恐れがあります、気を付けたいものです。

「実はアンジェリーナ・ジョリーと付き合っていた時期がある。」

 これはウソというより願望です。この話はとりあえず胸に仕舞っておきましょう。

「実は泉ピン子と付き合っていた時期がある。」

 ある意味スケールが大きくネタとしては面白いのですが、ウソの質としてはどうでもいいようなウソです。

 では、どういうウソがスケールが大きく、グローバルなんでしょうか。基本的には(この場合の「基本」とは私が一方的に考える「基本」です)、世界の要人が登場しなければなりません。(あくまでも私個人の考えですよ)
 ですから、話の始まりは

「30年来、親しくさせてもらっているオランド(*1)から先日連絡があって、たまにこっち(*2)で一緒に食事でもしないか、という事だったので合って来ました。」

 というのが良いのではないでしょうか。(*1)フランスの現大統領です。 (*2)フランスの事ですな。
 それからの流れとしては、

「彼が案内してくれたビストロ・シェ・ラミ・ルイ(*3)でランド産フォワグラとプーレ・ロティ(鶏の丸焼き)を食べていたら、マドンナ(*4)が来店してビックリしました。オランドにその事を聞くと、マドンナはフランスに来るとラミ・ルイで食事をするんだ、と教えてくれました。」

 ここまで来ると「ウソ」というより「妄想」が入ってきますが「エイプリールフール」にそんな事は関係ありません。(*3)レピュブリック広場にほど近い、パリでもその名声の高さで一、二を争う伝説的なビストロ。 (*4)マドンナがラミ・ルイで食事する話は本当のようです。

 まぁ、今回はフランス編でありましたが、「30年来の友人、バラクから先日連絡があり、妻のミシェルがそっちに行くからよろしく、と言われました。」というアメリカ編でもいいわけですよ。

 もうすぐ「エイプリールフール」も終わりですが、「ウソをついてもいい」と言われても「つけるウソ」はそんなにありません。むしろ、日常にこそ「ウソ」が潜んでいるわけですからそっちの方を警戒した方がいいのではないでしょうか。

 新年度の初日に人間の性善説を試すような「エイプリールフール」とは一体誰が考えたのでしょうか?

 そんな事を考えながら、ウソのない料理を作らなければならないな、と思った次第です。

 意外と「ウソのある料理」ってありますからねぇ・・・














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