ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~

フランス料理に限らず、色んな話のブログ内容です。

常に選択を余儀なくされ、その評価を気にしなければならない仕事とは何か

2015-01-27 23:37:40 | Weblog
 鼻の先が赤くなっているのが判るくらいの「寒さ」なのに、突き抜けるような青空が見えていると「寒さ」を許せる気持ちになってしまうのは晴々とした青空のせいでしょう。それが灰色の曇りだったら「寒さ」どころか空の色さえも許す事は出来ず、悶々とした1日を過ごす事になるのです。そんな事を思いながら青空を仰いで買い出しに出掛けた今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 人は中途半端な色を見続けるとストレスが掛かってしまう、という話を何かの本で読んだ事がありますが、それが本当であれば空の色も「青色」より「灰色」の方がストレスが掛かりやすくなる、という事なのでしょうか。
 確かに、「灰色」は「黒」と「白」の中間色でありますから「中途半端な色」と言えるのでしょう。だったら「赤」と「白」の中間色と言える「ピンク」もストレスが掛かるのでしょうか。だとしたらゴレンジャーの「ピンク」は相当ストレスを抱えている事になります。いや、逆に敵にストレスを与える為の色使いなのか・・・
 それを基(もと)にして考えると料理の色もくすんだ色より鮮やかな色の方が美味しそうに見えるわけで、例えば、ほうれん草も長く茹でてくすんだような緑で出されたら食べる側も元気がなくなってしまう、というものでしょう。
 やはり、鮮やかで目に焼き付くようなほうれん草の緑、焼く前以上に赤くなったのではないかと思えるような肉の断面の赤、白い皿に同化しそうなじゃがいものピュレの白、など何気ない料理でもその色というのは大切なのです。
 しかし、料理をその色に仕上げるまでは細心の注意と調理理論、そして、調理技術が必要になってきます。ほうれん草は茎と根の部分をどれだけ加熱するか、葉の部分はどのように短時間過熱にするのか、肉はどのように焼いてどれだけ休ませるのか、じゃがいもは皮付きでで茹でるのか、それとも皮を剥いて茹でるのか、など考える力、そして、それを確実に調理できる技術というのが必要になってくるのです。
 肉を例に取り上げて考えてみますと、最近よく「ギリギリの火入れ」という言葉を聞きますが、「ギリギリの火入れ」というのは「ギリギリ」まで「火を入れる」という事ですから、「ギリギリ」で「生」はアウトです。
 例えが悪いかも知れませんが「ギリギリの火入れ」というのはある意味、崖っぷちのチキンレースみたいなものですから「ギリギリ」で止まらなければならないわけです。
 たまにレストランに食べに行って肉を食べると調理した人のその時の精神状態が垣間見える事があります。

「忙しくて肉に掛かりっきりになれないのだろう。ギリギリを目指したが結構手前で止まったな・・・。火を入れ過ぎるよりは生っぽい方を選ぶ人・・・ギャンブルを好まない堅実な人間性ですな、この肉を焼いた方は。」 

 と人間性まで分析できます。(ちょっとだけ大げさです)
 まぁ、たまには崖をブレーキ無しで飛んで行ったような肉焼きの方もいらっしゃいますが、それはそれでアッパレです。勇気がある、というのとちょっと違いますが・・・
 例えば、牛肉だったらかなり手前で止まってもいいでしょう、「セニャン(レア)」という肉焼きの分類があるわけですから。しかし、「豚」「鶏」「仔羊」にその論理は通用しません。特に「仔羊」、「骨付き仔羊」だったら尚更、というより、一番神経を使うのではないでしょうか。
 「仔羊」の焼き方に「セニャン(レア)」はあり得ません。肉の中心部分がちょっとだけ生、というのも許されないでしょう。なぜそんなにこだわるのか。それは、「仔羊」の肉というのは火が入って初めて香りが立ち、そして、その美味しさを十分引き出した、となるからです。(「なるからです」と断言してますが、私個人の考えですのでご了承ください)
 「あの匂いが嫌で・・・」そのように思われる方もいらっしゃるでしょう。それは判ります、判るのですが、あれを「匂い」と捉えるか「香り」と捉えるかでだいぶ「仔羊」のイメージが変わってきます。
 クセのある香りが苦手、という方は多いと思われますが、あの香り、いや、あのクセが無かったら「仔羊」は美味しく感じられないのではないか、と思うわけです。
 クセのない「ナンプラー」、クセのない「たくあん」、クセのない「ハーブ」、クセのない「鮒寿司」、クセの強いものは、逆に考えればクセが無ければ美味しくないんです。でも、「ドリアン」はクセが無くてもいいですけどね。
 話が逸れました。「仔羊」に限りませんが、肉というのはキチンと火を入れてこそ、その素材の美味しさを引き出せるのです。しかし、火を入れ過ぎてしまうと肉が縮み、ジュ(この場合は肉汁)が出てしまい旨味の逃げた肉料理に成り下がってしまいます。
 だから料理人は葛藤するのです。これ以上オーブンに入れるべきか、それとも今出して余熱で休ませて火を入れるか、しかし、中心がちょっとだけ生だったら・・・じゃあ、もう少しオーブンに入れるか・・・でもこれ以上お客様を待たせるわけにはいかないし・・・、そんな心の葛藤があるのです。

 そんな葛藤は肉料理だけではありません。
 
 魚はどう焼くのがいいか、野菜はどう調理するのがいいか、ソースはどこまで煮詰めるか、付け合せは何にするか、常に選択を余儀なくされ、その評価を気にしなければならない仕事、それが料理人という仕事なのです。

 ちょっとマゾっ気がなければ出来なそうな仕事でありますが、マラソンと同じで苦しみの先にゴールがある仕事なのです。マラソンは全くしませんが、ワタクシは。

 そして、クセのある食材とも向き合わなければならない仕事でもあります。

 でも、人間的には、クセが無い方がいいんでしょうな・・・

 クセ、無いですよね、私・・・たぶん・・・(祈り)
















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時が流れると物事や状況は変化する。それを理解し、受け止める事が大切だ

2015-01-24 22:54:53 | Weblog
 当ブログの編集画面には当然ですがその日の閲覧数や訪問者数がカウントされていて、その数を見ると「嗚呼、早く更新しなければ・・・」などと思うわけです、最近更新率が落ちてますけど・・・
 そこには「ブログ開設から」というブログを始めてから何日経ったか、というお知らせのようなものがあり、時々それを見ては「そんなに、書いてるわけね・・・」と感慨深くなったりするものです。
 今日、たまたま「ブログ開設から」を見てみると「3049日」でありました。ブログを始めてから8年ちょっと経った、という事ですな。そこで、ブログを始めた8年前ってどんな事があったんだろう?と思い、調べてみると「あぁ~あった、あった!」というのが色々あるものです。
 そこで、私的に気になったものをピックアップしたいと思います。

 2007年(平成19年)出来事

・第一回東京マラソン開催

・東京ミッドタウンが開業

・赤ちゃんポストの設置を認可

・新潟県中越沖地震が発生


  芸能ニュース

・藤原紀香と陣内智則が結婚

・沢尻エリカが舞台挨拶でダンマリ騒動

・ZARDの坂井泉水死亡

・オネエブームが一気に爆発


 新商品・ヒット商品

・iPad touch(アップル)

・ホワイトプラン(ソフトバンク)

・全自動お掃除トイレ アラウーノ(パナソニック)

・ビリーズブートキャンプ


 新食品・ヒット食品

・メガマック


 流行語

・どげんかせんといかん

・ハニカミ王子

・そんなの関係ねぇ

・どんだけ~

・ネットカフェ難民


 ベストセラー

・ホームレス中学生(田村裕)

・鈍感力(渡辺淳一)

・ポケットモンスターダイヤモンド・パール

(年代流行より引用)


 このようなものがありました。

「ブログのネタが無いからって、こんなの文字稼ぎだ!」

 そのように思われる方もいらっしゃるかと思われますが、まぁ、否定はしませんよ・・・(投げやり)
 しかしですよ、これらの出来事から8年経って何がどう変わったか、というのを考えてみるもの良いではないですか。8年前、私がブログを始めたきっかけはホームページを開設した事からで、それに付随して「何となく料理の話を綴る、的な?」ブログを立ち上げたのです。しかし、それがどうです、8年経って、料理とは全く関係のない話ばかりですよ、このブログ。(バカ)
 このように、8年という歳月は当時の出来事をガラッと変えてしまう年月と言ってもいいかも知れません。
 8年前、「別に・・・」と発言してあんなに騒動が大きくなろうと思っていたでしょうか、沢尻嬢は。当時、藤原紀香、陣内智則カップルがいとも簡単に離婚しようと思ったでしょうか。新潟県中越沖地震の4年後、さらに大きな地震が来ようと予想できたでしょうか。オネエブームは飛ばしますが、メガマックがヒット商品になったマクドナルドがあんな謝罪会見をする事になろうとは・・・。ハニカミ王子がスピードラーニングをしようとは・・・。「どげんかせんいかん」や「どんだけ~」は別にどうでもいいですけど、「鈍感力」の渡辺淳一氏、ご冥福をお祈りいたします。ポケットモンスター・・・今やその座を「妖怪ウォッチ」に奪われてしまおうとは、誰が予想だに出来ましたか!今、ピカチュウは玩具店の隅っこに追いやられていますよ、可哀想に。私の家でもケロマツやフォッコ、ハリマロンのぬいぐるみは押し入れに幽閉されてます・・・
 
 お分かり頂けたと思いますが、「8年」経つと色んな事が、状況が、変わったりするものです。
 当ブログの、当時から一番変わったところは、何と言っても「文章の長さ」でしょうか。
 最初はキーボードもろくに叩けなかったからか、100文字書くのも1時間近くかかり、「ブログってめんどくさい・・・」と思ったものですが、「慣れ」と言いましょうか、今はほとんどブラインドでキーボードを打てるようになりました。
 その「キーボードが早く打てるようになった」というのがよほど嬉しかったんでしょうね、私。「ほらほら!見て見て!こんなに打てるんだから!」的に文章が長くなっていったのです。
 ブログを始めた当初は「100文字」、何となくやり方が判り始めて「300文字」、調子に乗って「500文字」、もっと調子に乗って「1000文字」、現在では、文章の終わりどころを探しているうちに「2500文字」と、400字詰め原稿用紙6枚ちょっとに換算される文章になったわけです。(大迷惑)
 よく「藤原さんのブログを読みましたが、何と言いますか、読み応えのあるブログですね・・・」と「お前のブログ長いよ!」というのをオブラートに包んだような優しい言葉を掛けていただく事もありますが、「ブログ見ましたが、全部読めませんでした。」や「いや~、あれじゃあ読む人いないでしょ。」といった直接フリーキック的な言葉を飛ばす御仁もいらっしゃいます。
 数年前、試験的に「短文記事」や「しりとり記事」といった変則的な記事を載せて反応を見た事がありましたが、面白くなかったのか、無反応でありました。(残念)

「料理の話はどうした!料理の話は!」

 そのような声も聞こえてきそうではありますが、編集画面のデータでは料理記事が一番読まれてるんですよね、何気に。

 因みに、調べてみましたところ、年間通して一番読まれている記事は

「「ポワレ」という調理法を考えてみる」

 という記事でありました。ありがとうございます。

 しかも、この記事を書いた日付は「2007年 9月14日」・・・ブログを始めたばっかりの頃の記事じゃないですか・・・

 やはり、料理記事に特化した方がいいのか・・・

 でも、どうでもいい話も・・・大切ですよね!・・・大切だと思います・・・・大切かなぁ?・・・

 今年は料理記事、頑張ります。(一応、シェフのブログです)

















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身体の不具合が自分自身に教えてくれる事とは何だろうか

2015-01-22 19:54:09 | Weblog
 それは突然やって来ました。
 年も越した今月の頭。正確には1月4日くらいでしょうか。朝、ベッドから起きてみると右耳に違和感を感じたのです。若干、耳が詰まったような感じと耳鳴りのようなものが右耳に集中してやって来たのです。
 「何か、良い事が起きるサインのようなものだろうか・・・」そうポジティブに自分に言い聞かせてその日を過ごしましたが(その日はお休みをいただいておりました)、次の日も、また次の日も、その耳詰まり感と耳鳴りは収まらずいたところ、今度は右耳がほとんど聞こえない事に気が付きました。(早く気づけよ)
 流石に病院で診て貰おうと思ったところ、連休に入るので休み明けまで病院に行く事もできません。前兆も何もなく、突然だったのでネットで調べてみると、「耳が詰まったような感じ」「耳鳴り」という2点で「突発性難聴」かも知れない、との記事を見つけてしまったのです。
 確かに、私の右側から話しかけられてもよく聞こえず「あんだって?!」と志村けん演ずるジジィのようにならなければならなかったので、「最悪、それかも」と思っていたのですが、よく考えると左耳が聞こえるのでとりあえずいいかな、と気軽に考えていたのです。(バカ)
 しかし、耳鼻科医院に行こうと決めた前日、思わぬ事に気が付きました。それは、下に落ちた物を拾おうと屈んだところ、右耳の奥が「ザザザー」と、まるで耳に水が入った時のような音が聞こえたのです。その時、理解できました、鼓膜の奥に液体が溜まっているのだな、と。
 身体では判ったような気がしたのですが、そこは素人判断、それで断定する事はできません。
 次の日、耳鼻科医院に行き耳にカメラを入れて診てもらうと「鼓膜の中が炎症を起こしているようです」との事で、とりあえず聴力検査をする事にしました。
 診察室の隣の聴力検査室に連れて行かれ、椅子に座ってイヤホンのようなものを付けられ「音が聞こえたら手に持っているボタンを押してください。」と看護師さんに言われ、かすかな「ピーーー」という音に反応しなければならない検査をしました。しかし、この場をお借りして、しかも、その耳鼻科医院の方がこのブログを見ていない、という事を前提で書かせていただけるならば、隣の診察室の会話がダダ漏れで「ピーーー」音に集中する前に先生と患者さんの会話が気になってしまう事で正確な検査が出来ないと思われますので、是非とも完全防音にしていただきたい、そのように思う次第であります。
 まぁ、それはいいとして、病名は「滲出性中耳炎」でありました。そして、診察室の会話が気になったからか、聴力検査は右耳の中音域がかなり落ちている、と診断され、「何か大音量のものを聞いたり、耳に負担を掛けたりしてないか?」と問われて、悩んだ末、「えぇっと・・・確か先週、アーチ・エネミー(スウェーデン出身のデスメタルバンド)っていう、ちょっとヘビーなバンドの音楽を聞いたからでしょうかねぇ・・・」と答えてみると、「とりあえず、鼓膜の中の液体を摘出しないとね。」と完全にスルーされました。だったら質問するな!
 鼓膜の中の液体(膿だと思う)を摘出するには2通りあると言われ、内容を聞いてみると「鼓膜を切開して液体を摘出するか、それ以外」でありました。
 「えぇ・・・っと、じゃあ、それ以外、でお願いします・・・」鼓膜を切開、となると時間が掛かりそうだったので、手っ取り早い「それ以外」を選択しましたが、「それ以外」が何だか判りませんでした。
 改めて聞いてみると「鼻から吸引器を突っ込み、耳の中の液体を吸い取る」というものでしたが、行くも地獄、引くも地獄、ですなぁ、治療っていうのは・・・
 自分の鼻に細長い吸引器を突っ込まれ、耳にも何か突っ込まれした姿はあまり考えたくありませんが、その時はまさにそんな姿だったのでしょう、マヌケですぜ・・・
 しかし、それが終わった時、耳の詰まりがスッと消え、今までこもっていたように聞こえていたものがスッキリ、クリアに聞こえるではありませんか!嗚呼、鼻に吸引器突っ込まれるくらいでオレは何を恥ずかしがっていたのだ、音が聞こえるってサイコー!そんな思いを胸に秘め、薬をもらい耳鼻科医院を後にしたのです。
 ただ気になったのは、最後の先生の「滲出性中耳炎は完治するまでに時間が掛かる病気ですから、気長に治療していきましょう。」という言葉でした。すぐには治らないのか・・・
 すぐに店に入り、注文などをしながら貰った「病気の詳細」の紙に目を通すと、どうやら滲出性中耳炎は幼少期か老年期になりやすい病気だそうです・・・多分・・・オレは・・・幼少期なんですよね、今。
 それを読んでそんな事を思い、結局原因が判らなかった事に多少の疑問を抱えながらも、聞こえるようになった事に感謝してその日の仕事に就いたのです。もうこれで聞こえる、これ治った、と喜びながら。

 しかし、次の日、朝起きてみると、若干、右耳が詰まり気味で、またあの「耳鳴り」が聞こえるではありませんか!
 「治ったんじゃないのか!」もう耳鳴りは治まるものだと思っていた私は先生の言葉を思い出したのです。「気長に治療していきましょう」
 そして、その次の日、右耳の詰まった感じはさらに増し、また右耳からの音が聞き取りにくくなりました。

「またか・・・いつまで続くんだ・・・」

 片方の耳が聞き取りづらい、というのは意外と憂鬱です。人の言葉が聞き取りづらいので人との会話をしたくなくなります。最初にその兆候が出た時は年始という事もあり、飲み会が続きましたが飲んで会話をしても人の声が聞き取りづらいのはおろか、自分の声が頭の中に反響してますます周りの声が聞こえなくなりイライラしてきます。
 しかし、プラスな面もあります。余計な音が聞こえないので仕事に無駄に集中できる事と、頭の中で反響する音に導かれるように盛り付けがちょっとだけ斬新になれる、というものです。(ちょっとだけ大げさ)

 それから更に一日経つと、右耳は水に埋もれた状態になりほとんど聞こえなくなってしまいました。

「また、鼻から吸引、しなければ・・・」

 そう思い、しかし、それをしてもらったところでまたすぐに耳の中に液体が溜まり、の繰り返しかと思うと自分で鼓膜を破り液体を摘出したいとさえ思ってします

 そんな時、こんな考えが頭を擡げたのです。

「思いっきり鼻をかんだら吸引と同じ効果が得られるのではないだろうか。」

 鼻から空気を激しく排出するのと、鼻から吸引するのは理論的には同じ事ではないか、と考えるようになったのです。

 そこで、バカバカしいとは思いながらも息を吸い込み、思いっきり鼻をかんでみました。

 すると、右耳の奥で「バリバリバリッ!」と激しい音と共に鼓膜に痛みが走ったのです。

 しかしその瞬間、耳の奥に何とも言えない爽快感が生まれ、耳の詰まりがスッと取れたではありませんか!

 原因が判り、それを理解し、その原因の排除方法も理解できれば、問題は解決できる・・・鼻をかんで耳が通った時、私の頭の中にはそんな事柄が浮かんできました。

 そして、こう思ったのです。

「その考えを自分自身の料理に当てはめる事はできないだろうか」
 
 と。

 つまり、自分の料理の未熟な部分を探し、そして、その原因が判り、それを理解し、その原因排除の方法が判れば、自分の料理はもっと良くなる、とは考えられないでしょうか。

 今の自分料理に満足してはいけない、もっと食材を理解し、もっと「美味しさ」というものを理解しなくてはなりません。

 ありがとう「滲出性中耳炎」よ!お前はそんな事を考えさせてくれたよ。

 そう思いながらもう一回、鼻をかみました。

 「滲出性中耳炎」と診断されてから1週間以上経ちましたが、右耳の聴力は、ほぼ以前どおりに回復し、耳鳴りも日増しに消えていっています。

 今でもおまじない代わりに、1日1回、鼻をかむようにしています。

 そして最後に、

「良い子はマネしないでください!」






































 
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魚は全て同じじゃない。その魚に合ったオートクチュールな調理法が必要だろう

2015-01-21 22:47:55 | Weblog
 雪国の冬は異常に寒く大変だ、そんな事は判っているんだ。しかし、今以上に雪が降り積もっていたと思われる昔、とりわけ、ストーブやヒーターなどが存在しない昔、例えば、1800年くらいの江戸時代あたりの山形の人たちはこの極寒の中でどのような暮らしをしていたのだろうか?どのようにして寒さを凌いでいたのだろうか?そして、何を食べて生活していたのだろうか?この寒さの中で・・・そんな事を考えて今の自分の暮らしがどれだけ恵まれているのかを想いながら朝の布団から出られないでいる今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 「気温的に寒いのと暑いの、どっちが好きですか?」時としてそのような質問を私に浴びせて悩ませる方がいらっしゃいますが、どれくらい寒く、どれくらい暑いのかでだいぶ答えが変わってきます。
 「肌寒い」くらいの「寒い」、「ちょっとだけ汗がにじむ」くらいの「暑い」だったら「ん~、どっちでもいいけど、ちょっとだけ汗がにじむくらいの暑さの方がいいかなぁ・・・」と答えられますが、「極寒」の「寒い」、「灼熱」の「暑い」だったらどっちもイヤです。
 「冬と夏の間に春を置きました。だから春は少しだけ中途半端なのです」とオフコースは「僕の贈り物」という曲でそのように歌いましたが、中途半端で結構、いや、中途半端がいいです、気温的には。
 しかし、中途半端ではなく、今この寒さだからこそ良い事もあるわけでして、食材なんかはそれに当てはまるわけですが、山形でしたら今の時期は「寒鱈」です。
 庄内地方では「寒鱈祭り」というウインターカーニバルがあり、そこで「山形のブイヤベース」と称される(すみません、今考えました)「寒鱈汁」が振舞われるのです。
 以前、「寒鱈祭り」を「曼荼羅祭り」と聞き間違えて「どんな祭りなのか・・・」と想いを馳せた事がありましたが、「寒鱈」を食べるお祭りであります、聞き間違いにご注意を!(お前だよ)
 そしてこの時期、鱈も良いのですが、岩礁魚も良い感じであります。岩礁魚は季節的に夏かと思っておりましたが、黒ソイやメバルなどは今が旬で魚体なども痩せておらず張りがあって美味しそうです。
 いつも魚は庄内から取り寄せているのですが、先日の箱(魚が送られてくる箱の事。魚種はお任せしているので何が入って来るか判らない)には「黒ソイ」が入ってきておりました。
 鮮度の良い黒ソイでしたから当然、刺身でも食べれるレベルでありますが、鮮度が良いと何でも「刺身」にしたがるのは日本人の悪い癖です。特にフレンチやイタリアンといった洋食系であるならば「ポワソン・クリュ」や「カルパッチョ」などのなま物に走らず、加熱してその美味しさを表現するべきでしょう。
 加熱する、となると「ポワレ」という手段が常套でありますが、黒ソイの場合、ポワレするとジュ(ジュースの事。肉汁などを指す。この場合は魚の水分)が出る傾向があり、焼き上げた時にジュが出てしまうと身が固くなるように思われます。
 しかも、黒ソイの皮は丁寧にポワレしたからといって鯛などのようにパリッと仕上がりません。ではグリエ(グリル)の場合はどうか。黒ソイの皮は加熱するとネットリとした感じになるため、グリルパン(グリエ用の鋳物の焼き台)にくっついてしまい仕上がりが汚くなってしまいます。
 今までの経験上、黒ソイの焼き方は一匹まま高温のオーブンでローストするのがベストだと思うのですが、コースで出す、つまり、切り身で調理する事を前提に考えると現実的ではありません。
 ポシェ(茹でる)や軽いブレゼ(蒸し焼き)という手も考えられますし、黒ソイの調理で言うならばそちらの調理法が美味しく仕上がる可能性がありますが、どうしても「焼き」に拘りたいではないですか、日本人なら。
 そうするとやはり「グリエ」は外せません。しかし、グリルパンではくっつくのでそこは避けたいところ。となると、グリルパンの輻射熱で加熱する、というのが良いのではないでしょうか。
 切り身にした黒ソイは焼き上げる20分ほど前に塩をして少し水分を出してふき取ってから串を打ち、皮面にオリーブオイルを薄く塗ります。



 強火で熱したグリルパンに鉄の棒を渡して一段上げて串を打った黒ソイの皮面を下にして焼き始めます。



 グリルパンは中心部が非常に熱くなっておりますが、串を外側にずらせば輻射熱が弱くなりますので加熱の強弱は串の移動で調整できます。
 皮目の焼きで8割焼き上がるイメージで焼き、裏返して余熱でゆっくり加熱します。



 ヒュメ・ド・ポワソン(魚のだし汁)をゆっくりと煮詰め、トマトコンサントレ(フレッシュトマトを煮詰めた物)と白ワインヴィネガー、ケッパーを加えて味を調え、仕上げにヴァージンオリーブオイルを加えて乳化させたものをソースとして完成です。



 このやり方は完全に日本料理の串焼きですが、魚種によってはこのやり方が合っている場合がある、と私は思いますから、こういった調理法を無視する事はできません。
 
 因みに、この方法を鶏もも肉でも実践した事がありますが、今はやっておりません。

 皮がパリッとして美味しいのですが・・・何と言いますか、焼き鳥と言いましょうか、あまりにもやり過ぎと言いましょうか・・・美味しいんですよ、物凄く。

 でも、何か一線を越えてしまうみたいで怖いんです、自分自身。(それかよ)

 タレも作りたくなるんですよ、本格的に。

 そして、最大の原因は・・・厨房に煙が充満し、客席に流れてしまうからです。

 お客様がその煙を吸ってしまったら大変じゃないですか!

 「焼き鳥ください」なんて言われてしまって・・・(それもそこかよ)














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星に願いをするように、ブログに願いをしてもいいのではないか。

2015-01-08 22:37:06 | Weblog
 青空なのにチラチラと舞い散る雪に塗れ(まみれ)ながら歩くのは意外と気持ちがいいものです。赤くなっているのではないかと思われる鼻の先は冷たいという感覚すらもなく、ポケットに入れた手は出せず、寒いせいか小走りに近くなる歩調、舞い散る雪が触れる瞬間に慣れた頬、そんな冬外出時特有の体感があっても気持ちよく感じるのは青空だからでしょう、と何となく言い聞かせたくなる今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 外が寒いという事は、勿論、厨房も寒い、という事になりますが、デザートやキッシュの生地の仕込みには厨房は寒い方がいいですし、届いた鮮魚を処理する場合でも厨房は寒い方がいいものです。肉や野菜などが届いても厨房が寒ければ仕込みを中断してすぐに冷蔵庫に入れなければならない事もありませんから、それはそれでいいのです。
 しかし、寒いです。先日、厨房に入って温度計を見たところ「9℃」でした・・・もうちょっと下がると冷蔵庫的な温度ですな。いや、冷蔵庫的な温度だから仕事がしやすい、と考えるべきでしょう・・・ね・・・。
 こんなに厨房が寒いのならば寒いうちに、いや、厨房が温かくならないうちに処理するのがベストな食材もあるわけですから、出勤してすぐ取り掛るのが鮮魚関係の処理でありますが、これが、冷たいんですね、スゴく。
 しかも、機動性と汚れてもいいように営業外の仕込み時にはTシャツとエプロンだけで仕事をしていますから(当然ですが、ズボンは穿いてます)、冷水だけで仕事をする鮮魚物処理は身に沁みすぎるくらい身に沁みます、寒さが・・・
 これを終わらせて次に仕込むのはデセール類です。ここまで来るとガトーショコラなどの焼き菓子系が出てきますからオーブンやガスが使えて少しづつ厨房は温まって、次に前菜物の仕込み、魚や肉料理のガルニチュール(付け合せ)の仕込み、サラダに使う葉物野菜の準備、前菜のソースの仕込み、前菜の切り出し、魚の切り出し、肉の切り出し、魚肉のソースの準備、などを経て営業開始、となるわけです。
 普段の営業ではこれらを全部仕込むのではなく、お客様がいらしてから取り掛かるようにしていますが、団体様のご予約の時はそうはいきません。
 昨年になってしまいますが、先月と今月も有難い事に団体様のご予約を頂戴しまして、先ほどのような工程を踏んで仕込みをし、料理をご用意させていただいたわけですが、普段のクオリティーを下げることなく10数名様分、時には20数名様分のコース料理を出す事の難しさと楽しさ、そして、細部に渡って計算しなければならない調理の面白みを体験したのです。
 例えば「前菜」では各パーツを仕込みながらもどのように盛り付けするかを考え、的確に、そして、適量を仕込まなければなりません。



 例えば「フォワグラ料理」。当店の開店時から提供しております「フォワグラのソテー トリュフのリゾット添え」をお出しする場合でも、リゾットの仕上げ方、ソースの味付け、フォワグラの焼き加減を同時進行で進め、全てベストな状態の少し前で盛り付けし、盛り付け終わった状態でベストに持って行かなければなりません。



 例えば「肉料理」。肉の種類にもよりますが、どのような焼き加減にするのか、お客様はどのようなワインを飲むのか、女性の比率はどうなのか、で微妙に焼き加減は変わってきます。(女性のお客様の比率が多く、あまりワインを飲まれていない場合は肉の焼き加減を強くする、つまり、レアは勿論、ミディアムよりも強めのミディアムウエルダンに近い焼き加減にした方が良い、と判断しています)



(画像のご予約様はワイン率が高い方でしたので「蝦夷鹿ロティ」の「ア・ポワン(ミディアム)」です)

 勿論、私一人の調理ですが、ご予約の時間と乾杯の時間をある程度設定したらそこから逆算して調理を始めればいいので、仕込やそのパーツの細部を全て紙に書き、確認しながら作業を進めれば失敗はありません。(今のところ)
 しかし、私の手が届かず、サポートしてあげれないのが「サービス」であります。
 今までの経験則で私とマネージャーのふたりで滞りなく回せる人数は「16名」。それ以上になると私も皿出しを手伝う事になりますからちょっとだけ大変になります。これが20人を超えると、困ってしまいます。
 そこで20人を超えるご予約様ですと仲の良い某同業マネージャーに頼み込んでアルバイトの人を借りる、という手を使わせてもらっております。
 そのアルバイトの人なんですが、良く教育されてるんですねぇ、羨ましいくらいに。
 大人数の仕事の経験が豊富だからなんでしょうが、物怖じ(ものおじ)せず、判らない事は聞いてすぐメモ、お客様にも笑顔の対応・・・アクサダイレクトですよ・・・CM的には。
 
 そんなわけで、この場をお借りしまして、もう一度、そして、またもや「やんわり」と、当店でもアルバイトが欲しいです・・・何となく・・・

 そんな、軟弱な姿勢ですが、アルバイトを募集します・・・

 仕事の掛け持ちは構いません。飲食の仕事の掛け持ちで他店のスパイでも構いません。(おいおい)いや、スパイ大歓迎です!(コラコラ)

 大学生でも構いませんが、親御さんと私が年が近いのではないか、と心配になります。(何が心配?)マネージャーは親御さんより年上でしょう。(どうでもいいよ)

 そんなわけで、募集してみます・・・やんわりと・・・

「年齢制限とかあるんですか?」

 特にはありませんが・・・私より年齢が下だと有難いですな。

「ホワイ?なぜ?」

 だって、年上の人が来たら、店の中で一番年下になるじゃないですか、一応、経営者なのに。


















   
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シンプルな調理には考え方と意志が必要だ。そう教えてくれた「湯豆腐」

2015-01-04 14:11:28 | Weblog
 年末、大晦日を通り抜け、新しい年の扉を開けたわけですが、「今年は何かある」「今年こそは何かが起きる」と年頭に思い、結局、何も起きない1年を過ごすことになるのを毎年経験してしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 当ブログをお読みの皆様、明けましておめでとうございます。2015年(平成27年)の本年も当店「フランス料理 マチルダベイ」をよろしくお願い申し上げます。ついでと言ったらなんですが、当ブログ「マチルダベイシェフのブログ ~言葉の錬金術~」も心の何処かに留めていただければ幸いです。
 皆様におかれましては素敵な年末年始をお過ごしになられたのではないか、と思いますが、世の中には嫁子供がいるのに毎年、年末年始を一人で過ごしている孤独な男が居ると漏れ聞きました。悲しい男ですな、まったく・・・うぅぅぅ・・・私の事でございます・・・
 年末は忙しいため、家には仮眠とシャワーをしに帰るからか、私以外の家族はクリスマスすぎには実家へ行ってしまう、という「置いてきぼりプレイ」を敢行されてしまいます。
 しかし、それが何年か続いたからでしょうか?年末年始はむしろ一人が心地良い、いや、一人になりたい、そんな気持ちすら芽生えてきたのです。孤独の美学ってやつですな・・・うぅぅぅ・・・言い訳に聞こえますか?・・・
 31日の大晦日、お節の引き渡しをして大掃除を終わらせると夕方の5時半前でした。マネージャーに今年1年のお礼を言って別れると、私は急いで買い物に走りました。
 「大晦日は早めに閉めるんで早く買い物してください!」と言わんばかりの店員さんの冷たい視線を感じながら足早に店内を回り、買い物かごに品物を入れようとするのですが、残り物には福がない状態の品揃えで何を買えというのですか!(突然キレ)
 早く片付けたくてウズウズしている店員さんを横目に店内を見渡すと、とりあえず大量に残っていたのは「豆腐」でありました。豆腐を買い物かごに入れると「という事は・・・今日は湯豆腐・・・か、な。」と今晩のメニューが決まります。
 そうなると方向性が定まり買い物にも切れが出る、というものでしょう。湯豆腐と言えば「鱈」ですが、そのお店に置いてあった「塩鱈(うす塩)」はお世辞にも「状態が良い」とは言えず、鱈は却下。他の豆腐に合わせる淡白な食材を考えることにしたのです。
 鮮魚コーナーには期待が持てないと判断した私は小声で「鮮魚コーナーから鮮の字を外してもらいたいものですな・・・」と呟きながら精肉コーナーに移動しました。すると、豆腐に合わせる、いや、湯豆腐に入れても遜色がない食材を発見したのです。
 「鶏胸肉」。これしかないでしょう。鶏もも肉ではダメです。湯豆腐にした際、味が出すぎてしまいますし、脂臭さも目立ってしまう、そう考えた私は完全に「鍋ファシスト」と化していたのです。(「鍋ファシスト」とは、鍋物すべてを独断で決めて取り仕切る、鍋奉行の上を行く鍋独裁者の事です)
 「ありがとうございました!来年もよろしくお願いします!」会計を済ませた私に「やっと閉めれる」といった安堵感からか勢いよく、且つ、満面の笑顔で挨拶してくれた店員さんに「こちらこそよろしくお願いします」と返した私はすぐさま、最近開店したワイン専門店に向かいました。
 「湯豆腐の最初は、ソーヴィニョンブラン、その次に、ゲヴェルツトラミネール・・・そんな気分だ・・・」そんな事を勝手に決めながら他に客のいないワイン専門店で買い物をしたのですが、人けの少ない大晦日の夕方、女性店員一人しかいないワイン専門店のセキュリティーは大丈夫なのかな?、と余計な事を思った後、「山形だから大丈夫か」と訳の分からない安心感も持ちました、山形サイコー!(バカ)
 自宅に帰るとすぐに台所に行き、アルミの鍋に水を張り、流水で洗い切り目を入れた昆布をその中に入れました。土鍋をチョイスしなかったのは微妙な温度調節に不向きであるからです。
 水に入れた昆布を約30分放置している間に、鶏胸肉は斜め2センチにスライス、白菜は葉と茎に分けて葉は5センチにカット、茎は斜めにスライス、豆腐(木綿)は横に半分、縦に4つの8等分に切り準備をしておきます。
 水と昆布を入れた鍋を火にかけ、沸騰したら一度火を止めて出汁パック(カツオやサバの節が袋に入っていて煮出すタイプ)を入れ蓋をして10分待ち、出汁パックを取り出し準備は完了です。
 卓上コンロに鍋を乗せて火を付け一度軽く沸騰させた後、火力調整を超微力にし、鍋の出汁の温度を90度に設定しますが、これは結構難しいです。やっている途中、店までデジタル温度計を取りに行こうか本気で考えたほどですから。
 そして、鍋の中に静かに豆腐ふた切れ、鶏肉ふた切れ、白菜少々を入れて待ちます。その時観ていたテレビはひかりTV(光回線放送)でやっていた「家政婦のミタ」でしたが、家族がいない家でひとり、家族愛を描くドラマを観るのはビミョーです。かと言って、お笑い物は湯豆腐に合いません。
 最初のソーヴィニョンブラン2杯目を次いだ頃、豆腐がちょうど温まった頃合いであります。日本酒を飲んでいれば、湯豆腐に「削り節と生醤油」となるのでしょうが、飲んでいる物がワインですから塩で軽めに味を付けたいところです。しかし、だからと言って「ゲランドの塩」や「マルドンの塩」というのはいけません、塩がうますぎるからです。普通の食塩が豆腐の風味を邪魔せず、且つ、ストレートな塩味を補ってくれるのでそれでいいのです。過ぎたるは何とかって言ういじゃないですか。
 90度のお湯でゆっくり温めた豆腐は大豆の香りが際立ち、中のふんわりとした触感と布漉しした表面のちょっと固い部分の食感のコントラストも楽しめます。
 豆腐をふた切れ食べ終わる頃には鶏胸肉には絶妙な具合に火が通っています。これも沸騰させると固くなってしまいますから、やはり豆腐同様、90度の温度管理が必要なのです。
 そして、白菜は火が通っているのにシャキシャキとした食感が残っている、という美味しさになっています。
 
 これを4回、つまり、豆腐一丁分食べるとだいぶお腹も満たされ、あとはワインだけ飲む、という飲み専状態に突入です。

 鍋に残った出し汁は捨ててはいけません。これをザルで濾して取り置いておきます。

 ワイン2本目の半分まで来た頃、もうすぐ深夜12時、つまり、年越しとなるのですが、「ゆく年くる年」を観て凛とした気持ちで再び台所に立ち、お湯を沸かしながら先ほどの鍋も沸騰させ醤油で味付けします。もうひとつの鍋のお湯に蕎麦(乾麺)を入れて茹で上げ、かけそばとして食べれば無駄なく活用できるんですな。

 ん~、この「鶏胸肉と白菜の低温湯豆腐」イケるな!と誰もいない自宅で喜んでいる私は、確実に寂しい男ナンバーワンでした・・・

 今年は何かある!今年こそは何かが起きる!

 そう思い続けるのは、誰にも迷惑かけませんよね・・・迷惑かけませんよね!(連呼が迷惑)













コメント
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