TakaPの数学日記

数学を教えていて感じたことや日常の感想などを記録しました。

結婚記念日

2021年08月31日 00時36分57秒 | 日記

結婚記念日
コロナ禍でどう祝おうか
考えた末、花を用意することに
サプライズなので、外出するとバレてしまう

女房が入浴している間に、近所の花屋に



バラ9輪、ユリ4輪の花束
女房喜ぶ

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二枚落ち

2021年08月30日 00時37分50秒 | 将棋


iPadの柿木将棋でレベル8
「待ったなし」で対戦

二枚落ち負けの場面


勝ちの場面


先日、盤に並べずに2敗の後1勝、次のは3敗の後1勝。

負け続けた後、勝つまで対戦

以前は9敗10敗が普通だった
盤に並べずに指すと、相手の手を読まずにうっかりミスを繰り返していた
少しずつ前進(^^)v



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オリパラ記念グッズ

2021年08月29日 00時07分42秒 | 日記

スーパーでオリパラ記念グッズを購入

オリンピックの思い出にと思ってクリップを


マグネットで貼り付くクリップ 770円 高い!


買ってからよく見たらパラリンピックのグッズだった
思い出に、とはならないので、別のスーパーで
オリンピックのグッズを購入

ガーゼマスク なんと1408円 超高価!




オリパラのホログラムが貼ってある


見る角度によってオリンピックとパラリンピックのマークに変わる


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コンピューター歴4改訂

2021年08月28日 01時57分25秒 | コンピューター

2007年04月11日

 EX-80でどんなことをやったかというと、円周率の計算をやろうとした。マイコン雑誌に円周率の計算をしたという記事がのっていたからだ。ところがマイコン雑誌に載っていた記事のCPUは6502というマイコンチップ。初期のアップルコンピューターで採用されていたもので、EX-80とは違っていた。(聞くところによると初期のファミコンに使用されていたらしい。)もちろん命令系統も違う。たよりにしたのは記事中のフローチャートだった。

使った公式はマチンの公式。円周率を計算するためには逆正接関数(arctan)を使う。詳しくはこちらで。

 この公式を使うためには、マイコンに足し算と引き算とわり算を教え込まなくてはならなかった。まずはわり算。手始めに循環小数になる簡単なものから始めた。
たとえば、1÷3を小数点以下100桁ほど計算するプログラムを作る。
 それから、100桁たす100桁の計算をするプログラム、100桁ひく100桁のプログラムなどを作った。マイコンは2桁の計算しかできないので、それを組み合わせて100桁ほどの計算ができるようにプログラム作りをする。
 作ったプログラムをカセットテープに記録、そして取り出しては作り直すことを何度も繰り返した。
 円周率の計算をすることが夢であったので、夢中で取り組んだことを覚えている。しかし、当時の記録が残っていない。8080やZ80の機械語プログラムの設計はノートに記録していたのだが・・・。
 

続く







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二枚落ち

2021年08月27日 00時39分17秒 | 将棋

iPadだけで盤に並べずに対局。負け続けた。
iPadの指手の早さにつられて、良く考えずに指すことが原因だと分かった
指したい気持ちがはやってミスするのだろう
ということは、人と対戦する時、わざと早く指してミスを誘うことも出来るかも


盤に並べずに8月20日は2敗の後1勝、21日は3敗の後1勝
以前は9敗10敗が普通だった



盤に並べずに指すと、相手の手を読まずにうっかりミスを繰り返していた
少しずつ前進


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コンピューター歴3改訂

2021年08月26日 00時44分27秒 | コンピューター

2007年04月10日 の記事を改訂

 EXー80の記事はネットにはあまりない。マイナーな機種だったのだ。そんなことは知らずに私は、本体6万円+電源1万5000円で買った。しかも通信販売。秋葉原のショップで説明を受けていたら当時の主流TKー80を買ったかも知れない。
 当時TKー80にはカセットインターフェイス(データーをカセットに記録する装置)もビデオインターフェイス(文字などをTV出力する装置)もなかった。値段が同じぐらいで、カセットインターフェイスとビデオインターフェイスのついているEXー80(正しくはLED表示のないEXー80Eであった。)を購入したのだ。
 しかしマイナーなためマイコン雑誌に記事が少なく、プログラムも自作するしかなかった。
我がEXー80Eも今は動かない。

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孫たちが来た

2021年08月25日 00時24分45秒 | 日記

8月21日
孫たちがやって来た


ジジババは午前中から、天ぷら、唐揚げ、フライを準備


一学期の成績表も見せてくれた
よく頑張っていた



大きくなったので、両親からもらったお古のスマホで遊んでいた

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コンピューター歴2改訂

2021年08月24日 14時21分31秒 | コンピューター

2007年4月8日の記事を改訂

 1980年10月、マイコンキットEX-80完成

マイコンキットEX-80の機能
CPU  8080
RAM  2KB
ROM  2KB  だったか・・・。

カセットインターフェイス  300BPS  
 (作ったデーターを音声信号にしてカセットテープに記録する装置。)
 (1秒間に300ビットを記録。)

ビデオインターフェイス モノクロ 16字×20行
  ビデオRF信号を出力(空きチャンネルにビデオ信号を出力)
  往年のワープロの倍角文字のような文字が出る。

テンキーでプログラム入力をする。

 初めのうちは、マニュアルにのっている例題をテンキーで入力。
 8080の機械語を入力していた。機械語と命令などはノートを見ないと思い出せない。

続く




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AIの技術

2021年08月23日 06時03分51秒 | コンピューター

「将棋世界9月号」の記事






AIのディープラーニングという技術で、この世に存在しない架空の人の顔写真が生成できるという。実際の写真があり、ちょっとびっくり
モノクロ写真は「将棋世界」デジタル版の記事から



実際にネットにあったのがカラー写真
もしかすると著作権に触れるかも (サイトの注意書き)



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コンピューター歴1改訂

2021年08月22日 03時31分17秒 | コンピューター

2007年の記事の改訂

私のコンピューター歴について
以前のブログの記事になってるかもしれないが、マイコンから始まった。
 きっかけは昭和40年代の終わり、川崎に勤めていた頃、数学教師の後輩が赴任してきた。今頃は出世して校長になっているかも・・・。彼はお金を貯めてコンピューターを買う計画を持っていた。その頃コンピューターが個人で持てる時代ではなかったので、何を馬鹿なことをと思っていた。昭和49年、1974年の頃のことである。この頃の月給は8万円くらい。彼の言うコンピューターは100万円。

 興味を持ったので、久しく読まなかったエレクトロニクス関係の雑誌を見ると、個人でパソコンを使う記事があった。この頃結婚して子どもも生まれた。子育てのことを考え、東京都の教員試験に挑戦して合格、そして採用、神奈川県の教員を退職した。
 日曜日は家族で買い物がてら、池袋の東武デパートに行くと、何と日立のベーシックマスターのデモをやっていた。個人持ちができる時代になったと実感した。実際にパソコンを触ったりし、個人でコンピューターを持ちたくなった。
 私の興味はプログラム作りにあった。学生時代に学んだ級数の収束や発散が実感できるのだから・・・。同時にプッシュフォンでプログラムが作れたり、プログラム電卓が売り出されていたりした時代であった。ここら辺りの事情はネットで調べて確認したいものだ。ベーシックマスターは30万円ほど。プログラム電卓は4万円。その頃の月給が10万円ほどだったから、到底手が出なかった。
 それからはコンピューターの雑誌を良く読んだ。「I/O」とか 「RAM」という雑誌。今は廃刊になっているか。
 そんなときに、それらの雑誌の広告を見て、これだと思ったマイコンキットがあった。東芝のEXー80であった。キットが届いたのは、1980年の10月だと思う。7万5000円。良くお金を出してくれたと思う。1000カ所以上のハンダ付けをし、約1週間かけて組み立てた。

 組み上がり、電源を入れる。TVにつなげると画面に何やら黒いブロック状のものが映る。周波数調整をしてはっきり写るようにしてから、マニュアルを読みスィッチをいじると、表示が文字に切り替わった!感動。
 こうして私のマイコン生活が始まった。

退職記念思い出シリーズ1  続く




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