05/10 頭の体操 (103) 漢字クイズ
『これまでのカタカナ語句』には、
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『頭の体操 漢字クイズ』 カテゴリーでは、
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02/03 ~ 02/06 に登場した外国語の人名、地名、用語が、
カタカナ表記で (1) ~ (21) に、登場した順に並んでいます。
また、(A) ~ (U) に並んでいるのは、それぞれを漢字で
表記しようとしたものですが、どう読めばいいでしょうか?
(1) バルト海 (2) ブクステフーデ (3) 北ドイツのリューベック
(4) クーラウ (5) ニールセン (6) ニルス・ゲーゼ
(7) パトラッシュ君 (8) リメイク (9) ウィーダさん
(10) 匿名ダイアリー (11) ベルギーの風俗
(12) アングロ・サクソン的 (13) ルーベンスの絵
(14) アントワープ州知事 (15) ヤン・コルテール
(16) ジャパニメーション ギーク (17) スケルト川
(18) 観光シンボル (19) ピエール
(20) バスルーム (21) ナイフ
(A) 暗烏 (B) 煮煎 (C) 比選 (D) 無怖 (E) 馬為無
(F) 透頭皮 (G) 狸芽育 (H) 似凄是 (I) 晴頭懐
(J) 破寅酒訓 (K) 憂慰打算 (L) 胃病凝尾
(M) 閑行進歩留 (N) 流弁衆之笑 (O) 十組猪大蟻
(P) 本好手負腕 (Q) 来訪角竜別口
(R) 鈴戯之負烏賊 (S) 暗問悪父羞恥庤
(T) 案愚弄策損手危 (U) 茶葉煎名所無疑生
[解 き 方]
・ 漢字を読み、主にその音を用いて、原語での発音を表わそうと試みた
ものです。
・ 音読み、訓読みが混ざっています。 必要な場合は、濁点(゛)、
半濁点(゜)、送り仮名を補ってください。
・ 従来のカタカナ表記による読み方とは、必ずしも一致しない場合が
あります。
・ 音ではなく、単語の意味を外国語に置き換え、その発音を用いる
こともあります。 「星 → スター」、「太陽 → サン」のようにです。
今回は3箇所あります。
・ 口語的、俗語的にくだけた読み方をすることもあります。
(例) 「汚 → きたねぇ」、「社長 → ボス」。
今回は1箇所あります。
・ 漢文もどきに、順番を入れ替えて読む場合もあります。
(例) 「不読 → よまず、よまん、よまない」。
今回はありません。
・ 人名漢字の中には、“姓”、”名” ともに含まれている場合もあります。
姓に加えて "first name" をご自分で補ってください。
(例) 「ヨーゼフ・シュトラウス」。
今回はありません。
・ 音や意味とは無関係で、漢字から連想しないと解けないものも!
今回はありません。
・ 厳密に見るといい加減なものもありますが、そこは冗談の世界。
お見逃しくださいませ。
解答
↓
以下、02/03 『バルト海を行き交う友情』より
(1) バルト海 (I) 晴頭懐
スウェーデン、フィンランド、バルト三国、ポーランドなどに
囲まれています。 そしてフィンランド湾の奥からは、ロシア
のバルチック艦隊が出入りします。
冬には凍結することもある、北の海(地図)。 史上最悪の
海難事故は、バルト海で起きました。
1945年1月30日、ポーランドを出発したドイツの客船、ヴィル
ヘルム・グストロフ号は、難民や民間人、軍人でごった返して
いました。 戦況の悪化に伴って危険となった地域、ポーランド
から、夜の闇に紛れて脱出しようというのです。 しかし、これ
を発見したソ連の潜水艦の魚雷攻撃を受け、沖合30㎞で沈没
しました。
人々は、厳冬の夜の海に放り出されました。 乗員数は、一説
には10,582名で、うち9,343名が犠牲になったといわれます。
あのタイタニック号の犠牲者は1,517名とされますが、戦時下
の悲劇的な事例としては、犠牲者数で上回っています。
ちなみにタイタニックに次ぐ犠牲者数を出したのが、青函
連絡船の洞爺丸事故。 1954年9月26日のことで、1,155名
が亡くなりました。
以下、バルト海を巡る音楽家名、都市名が登場します。
(2) ブクステフーデ (P) 本好手負腕
バッハ、ヘンデルより50歳ほど先輩の、大オルガ二スト、
作曲家です。 デンマークや北ドイツで活躍しましたが、
正確な生地や生年月日は解っていません。 家名は、
北ドイツの同名の都市に由来すると言われます。
先の2人の大作曲家を後継者にしようとしましたが、
叶いませんでした。
(3) 北ドイツのリューベック (Q) 来訪角竜別口
30歳頃から、亡くなる70歳頃までの後半生は、この地
の聖マリア教会オルガ二ストを務めました。 晩年には、
50㎞ほど離れたハンブルクから、まだ20歳前のヘンデル
を招きました。 しかし後継ぎ工作は不発。
ちょうど20歳になったバッハの方は、さらに300㎞も南
のアルンシュタットから、オルガン演奏を聴きに訪れて
います。
「ワシの演奏を、そこまで気に入ってくれたのか?」
でも結果は同じでした。
なお1911年に、この地の楽友協会指揮者となったのが、
25歳になったばかりのフルトヴェングラー。 マンハイム
宮廷歌劇場音楽監督に就任する1915年までの期間を
務め、惜しまれつつ、この地を去っています。
もちろん、まだベルリン・フィル(1917年) とも、ヴィーン・
フィル(1922年) とも共演する前の話です。
こんな演奏会記録も残っているそうです。
ウィーン楽友協会 リューベック楽友協会管弦楽団
(1913/01/26)
・ Beethoven : 『レオノーレ』序曲第2番
・ Beethoven : ピアノ協奏曲第3番 (ピアノ : ジョージ・セル)
・ Wolf : 『4つの歌』 (テナー : ルドルフ・リッター)
・ R. Strauss : 交響詩 『ティル・オイレン
シュピーゲルの愉快な悪戯』
(4) クーラウ (A) 暗烏
"ソナチネ アルバム" でもお馴染みの作曲家 (1786~1832年)。
7歳のときに氷上で転倒、右眼を失明してしまいました。
生まれは北ドイツのリューネブルク。 家庭は裕福とはいえ
ないながら、両親はピアノを学ばせてくれました。 引き続き
ハンブルクへ出て努力を続け、18歳の年にピアニストとして
デビューしています。 しかしナポレオン軍の脅威を避けて、
陸続きのデンマークへ逃れ、帰化しました。
"自由鳥避 (フリートリヒ) ・暗烏" ? ごめんなさい。 クロウ
した方なんですね…。
作品にはピアノ以外に、フルート関係のものが目を惹きます。
父も、祖父も、また叔父も、軍楽隊のオーボエ奏者だったので、
そんな事情も関係しているのでしょうか。
他には、弦楽四重奏曲1、ヴァイオリン ソナタ、ピアノを含む
室内楽曲、歌劇、歌を伴う劇場作品が幾つかあるようです。
純粋な管弦楽作品はほとんど無く、ピアノ協奏曲 ハ長調
Op.7、2本のホルンのための協奏曲 ヘ短調 Op.45 がある
程度です。 前者は、「Beethoven の協奏曲第1番の影響が
強い作品」…と言われています。
(5) ニールセン (B) 煮煎
カール・ニールセン。 デンマークを代表する作曲家であり、
また知名人。 アンデルセンらと並び、紙幣にはかつて肖像画
が印刷されていました。
室内楽曲も幾つか残していますが、私は残念ながら体験した
ことがありません。 6曲の交響曲のうち2つ、それにフルート
協奏曲を、オケの Viola パートで経験した程度です。
[作品リスト]
煮ても焼いても食えない私。 せめて "煮煎" の爪の垢でも
煎じて飲みたいものです。
(6) ニルス・ゲーゼ (H) 似凄是
ニルス(Nils 、Niels)は、スウェーデンに多い、北欧系の
男性名だそうです。 そう言えば、『ニルスのふしぎな旅』
は、スウェーデンの文学作品でした。 ただし、ゲーゼは
デンマーク人 です。
また先ほどの "ニールセン" (Nielsen) は、デンマーク系
の姓で、意味は "ニルスの息子"。
ほらね!? ニルス・ゲーゼの方が、やっぱり先輩なんだ。
メンデルスゾーンの同時代人だもんね!
「ちょっと待て。 "メンデルスゾーン" (1809~1847) って
のはね、"メンデル (1822~1884) の息子" の意味だよ。
これ、どうしてくれるの?」
…困ったな…。 何かいい説明、無い?
"案不為出" ! …な~んちゃって…。
以下、02/06 『パトラッシュ君の悩み』より
(7) パトラッシュ君 (J) 破寅酒訓
重労働を厭わず、牛乳を積んだ重い荷車を、率先して
引くワン君…。 ところが最新の資料によると、それは
誤りだそうです。
…なんて、誰も信じない? でも、ちゃんと証拠がある
んだよ…。
証拠 ① 「パトラッシュ・・・なんだか僕・・・・・」
証拠 ② 「じい」
証拠 ③ 「ネロとパトラッシュビール2種6本セット」
証拠 ④ 「もう閉店です」
これ、どう考えても天国には行けないな。
(8) リメイク (G) 狸芽育
…というような "いかさま、でっち上げ" は、"remake" とは
言いません。 "fake paintings" (絵画の偽造) です。
だーれ? 飲み過ぎて、「ウィー」ダ…なんて言ってるのは。
パトラッシュ君かい?
早くネルロよ? 明日も忙しいんだから。
(9) ウィーダさん (K) 憂慰打算
『フランダースの犬』の原作者。 幼い頃、自分の名
"ルイーズ" がうまく言えず、こう発音していたことから、
いつしか通称になりました。 本名、マリー・ルイーズ・
ド・ラ・ラメ。
カラメ? 決して酔っ払っていたわけではありません。
(10) 匿名ダイアリー (O) 十組猪大蟻
"diary" (日記、手帳。) 本来は "手書きの日報で、個人的
なもの" をいいます。 その由来は、ラテン語の "diarium" だ
そうです。
さらにこれを辿ると "dies"。 ミサ曲の "Dies irae" (怒りの日)
でお馴染みの、"日" (day) デース。
先ほどの "diarium" は、"一日の小遣い、収支"。 なるほど、
その日のうちに記録しないと忘れますね。
ちなみに "journal" (機関紙) も、同じ由来で、フランス語系統
なのだそうです。 ラテン語 "diurnus" (その日の) から来るとか。
"journal book (金銭出納帳)、"journalize" (仕訳をする)。
そう言えばフランス語の "jour" は、英語の "day" でした。
「今日も "ウィーダ" 状態で記事を書いた。」
その日暮らしの私の日報でした…。
(11) ベルギーの風俗 (R) 鈴戯之負烏賊
「…をよく解りもしないで、こんな話を書きやがって。」 現地
の方々の、『フランダースの犬』に対する実感だそうです。
それは、「"誤解" というより、むしろ "虚構" (fake) に近い」。
そう思われても仕方の無い "言い回し" が、幾つかあります。
(12) アングロ・サクソン的 (T) 案愚弄策損手危
言語の面から見ると、今日の英語の源流となったの
が、アングロ・サクソン人たちの言葉。 フランドル
(フランダース) 地域とは、言語も習俗も異なります。
[PATRASCHE.NET]には、この点についての記述
がありました。 ページ末に転載させていただきます。
(13) ルーベンスの絵 (N) 流弁衆之笑
ある日、門衛がいないで、扉があいたままにしてあるのを
さいわい、犬は少年のあとを追ってこっそり内へ入りこんで
みました。 少年はうっとりとして「キリスト昇天」の画の前に
うずくまっていましたが、うしろに犬の来ているのに気がつく
と、立ち上ってやさしく犬を胸のあたりまで抱き上げました。
その顔は、涙にぬれていました。 ネルロは、堂内の両側
にかかげてある二つの画をぴったりと覆った厚い布を指し
て、言いました。
「パトラッシュ、貧乏でお金がはらえないからあの画が見ら
れないなんて、なんて情ないことだろう。 貧乏人には見せ
られないなんて、どうしてあの画の作者が言うものか、いつ
だって僕らに見せるつもりだったんだ、毎日見ててもいいと
思ったにちがいない。 それだのに、こんなに覆ってしまう
なんて、金持が来て、金を払わなければ、いつまでも美しい
画に光りもあてないなんて。 ああ見たいな、見たいな見さ
えすれば僕、死んでもいいんだが――」
パトラッシュははじめて知りました。 あんなにもネルロを
ひきつけ、さそい入れたものが、この覆われた二つの大きな
画だったということを。 しかしパトラッシュにもどうすることも
できませんでした。
「キリストの昇天」「十字架上のキリスト」この二つの名画
の見物料を儲け出すことは、ネルロにとってもパトラッシュに
とっても、丁度この寺院の高い尖塔によじのぼると同様全く
思いもよらぬ難事だったのです。 (菊池寛訳)
ネルロ少年が見たいと切望していた、ルーベンスの絵。
この『フランダースの犬』の原作には、"キリストの昇天"、
そして "十字架上のキリスト" と書かれています。
後者は "キリスト昇架"、つまり十字架に磔り付けられる
キリストのことで、現在は、"キリスト降架" と共に飾られて
います。
参考サイト [My Art Literacy] より
[再びルーベンスに感動!横浜そごう美術館]
ところが "キリストの昇天" の方は、どこを見ても触れられて
いません。 代わりに見かけるのは "聖母被昇天"。 現在は、
それが一緒に展示されているようです。
参考サイト [ANTWERP フランダースの犬とルーベンスの街]
となると、"キリストの昇天" の方は、どんな絵なの?
死ぬまでに見てみたいな。
それとも、作者の虚構?
[画像サイト]
この『フランダースの犬』。 現地の方々には、今だに "評判
のいい作品" とは言えないようです。 「私たちは、犬をあんな
ふうにこき使ったり、気の毒な少年を虐待したりはしない。」
「金目当てに、展示作品を隠したりはしないよ。」 …これは
残念ながらあったらしいけど。
今日では、日本人観光客がワンサと押しかけているようです。
だから、"憂慰打算" のこと、勘弁してあげてね。
(14) アントワープ州知事 (S) 暗問悪父羞恥庤
一転して病気の話。 これ、辛いんです。
実は私も昔、肉体的過労から体調を崩し、これになって
しまいました。 もう腰が痛くて、起きてられない。 ウン
ウン唸りながら床に就いたまま。 這い回ることも出来ま
せんでした。
しかし、持つべきものは家族。 恥を忍んで訳を話すと、
薬局で座薬を買ってきてくれました。 すると一発で治って
しまったのです。 以後、尾を引いたこともありません。
ちなみに、お医者さん先生方。 自分が病気にならないと、
その辛さも解らず、他に対する思い遣りの心も湧かないの
では? どんな病気でも。
(15) ヤン・コルテール (L) 胃病凝尾
内臓に病気を抱えると、その反射が体表などに現われます。
凝り、痛み、硬直、部分的な低体温…。 神経が異常を来たし、
血流が悪くなったりするためです。
逆に、そちらが原因となって内臓に影響を及ぼすこともあり
ます。 鍼灸、指圧などは、この点に着目したものと言えます。
ウチのまるチャンも、内臓の異変でした。 尾が凝っていたか
どうか、気付きませんでしたが。
(16) ジャパニメーション ギーク (U) 茶葉煎名所無疑生
ギークなる語、私は初めて目にしました。 名詞で、
要約すると…、
元は "優れた知者"。 次いで否定的な、"奇抜で品
の無い芸人"。 それから今日の "オタク" という意味
になったようです。
"ジャパニメーション" も、もちろん合成語。 さしづめ、
"日本製漫画映画オタク" になるでしょうか。
じゃ、"オタク" とは? "こもっていて、それ以外の
知識や常識に欠ける人間" のこと?
わからん…。 ボクもそうだから。
オタク、あと、よろしくね…。
(17) スケルト川 (F) 透頭皮
スヘルデ川、シェルデ川…。 正確なオランダ語読み
では、"スヘルデ川" と読むのでしょうか。
アントウェルペン (アントワープ) 港から内陸へ向かうと、
フランス、ドイツへ至る、重要な運河なのだそうです。
(18) 観光シンボル (M) 閑行進歩留
日本語では "象徴" と訳される "シンボル"。 「抽象的
な概念を、より具体的な事物や形によって、表現すること、
また、その表現に用いられたもの。」…とあります。
日本国憲法第一条は、「天皇は、日本国の象徴であり
日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存
する日本国民の総意に基く。」
なるほど、見えないものを、見えるもので置き換えて
いますね。 この場合は人間ですが。
漢字の "象" (ショウ) は、「物の形。 目に見えるすがた。
物の形をかたどる。」
他の漢字と共に、「気象・具象・現象・事象・印象・心象・
対象・万象・形象・象徴。」 "形象" は、逆にすると "象形"
になります。
なに、「もう一つある」…って? 逆に出来るのが。
う~ん、辞書には載ってないけどなー…。
(19) ピエール (C) 比選
ピエール・フルニエ、ピエール・モントゥー、ジャン・ピエール
・ランパル、ピエール・ブーレーズ…。 フランスの演奏家、
指揮者、作曲家たちです。
ペトロ、ペドロ、ピエトロ、ペーター、ピーター、ピョートル、
ペーテル。 語源はみな、ギリシャ語の "石" だそうです。
堅実な人、イシの堅固な人、石頭の人、カタブツの人が
多いのかな?
「そうとばかりは言えない」ようですね…。
(20) バスルーム (E) 馬為無
昔アメリカで、家庭に招待されたときのこと。 まず
家の中を案内され、「こちらがバスルームです。」
もちろん、「トイレはここだよ。」…という意味ですね。
いざというときに、不案内だと困るから。
「はい、解りました」…とばかりに私がドアを閉めようと
すると、「開けたままで…」と言われました。 そういえば、
最初からそうでした。
後からよく考えてみると、幾つか意味があるように感じ
ました。 「ここですよ。」 「誰も入っていませんよ。」
ちなみに、ドアは "内開き" です。 玄関でも、ほとんど
がこれ。 "お客様を招き入れる" からでしょうか。
ウサギ小屋の我が家では、なかなかそうも行きません。
"外開き" にしないと、物、置けないもん。
(21) ナイフ (D) 無怖
…と言えば、嘘になります。 刃物は見るだけで怖い…と
いう方もいるし。
よく言われるのが、「最近の子供たちは、鉛筆の削り方
も知らない。」 これ、もちろん電動機器が一般的になった
からで、かく言う私も、手先は不器用です。
ところが、中には[こんな事]をする人も! 凄いですね。
Ann Lewis という方だそうです。
やっぱり恐ろしい! 怖いほどだ…。
お疲れさまでした。
以下は、[PATRASCHE.NET]から、[作者:ウィーダについて]の
ページを、勝手ながらリンク切れに備えて転載させていただきました。
偉大なる画家ルーベンスの眠る街アントワープ...
このフランダースの舞台となるアントワープという名の由来は
巨人アンチゴンをたおし、その手をスヘルデ川に投げた伝説の
英雄、シルヴィウス・ブラボーから来ているそうでアントワープ
”手を投げる”という意味だそうです。
しかし調べて驚いてしまうのはこのアントワープ地方だけでも
異常なくらいに美術館や歴史ある教会が多くありこの街がいか
に芸術的な所だとひしひしと伝わってき ます。 ネロとパトラッ
シュが念願のルーベンスの絵を見るラストの情景もノートルダム
大聖堂の「キリストの降架」で実際に100年近く前にはお金を
払わなければ見ることが出来なかったそうです。 また当時村
にあった風車には幼い少女が住んでいて作者はもしかすると
その少女を「アロア」のモデルとしていたかもしれません。
そのフランダースの犬の作者ウィーダ(1839年1月1日
イギリスで生まれ1908年1月25日イタリアにて窮乏の中、
死を迎える)はペンネームで本名はルイズ ・ド・ラ・ラメーで
アニメフランダースの犬の中では(23年前の)この本名が
使われていていますがこの二つの名は同一人物であります。
彼女はラテン情緒溢れるイタリアに憧れ実際にイタリアに移住
するのですが、初期の彼女の作品はロマンチシズム一辺倒で
あったそうで、奔放で空想に満ちあふれ過ぎ た作風は当時の
青年が読む書物としては幾分危ぶまれる声もあったようです。
しかし彼女も年を重ねるにつれリアリズムな作品を描くように
なりこのフランダースの犬やニュールンベルグのストーブがつい
に誕生しました。 これは私の想像なのですがきっと彼女は彼女
の持っているロマンチシズムを他人や冷たい現実がいつも彼女の
心を傷つけていたのではないかと思ってます。 そういった厳しい
現実のなかボロボロになった理想をいつまでも傷んだ人形を大切
にしている少女のように彼女の心の中で持ち続けていたのでは
ないかと思えてならないのです。 フランダースの犬の中でこれ
でもか! というぐらいの困難の中、最後には二人は死を迎える
のですがそこで彼女は何故二人を生かさなかったのか! そこ
には彼女が様々な不幸な道を歩む人々に対する心の救済(癒し)
にはどうしてもネロ達に命の終りを告げなくてはならない事が
あったのではないかと思います。
彼女を傷つけた現実は実はダイヤを磨く研磨石のように彼女の
ロマンチシズムを輝かしいダイヤに換え、時代や国境を越えた
感動が今なお輝きを増して私達に語りかけて くるのです。
K.Oshima 12/September/1997