MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

音の出し入れと Ensemble

2010-09-22 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

09/22 私の音楽仲間 (211) ~ 私の室内楽仲間たち (185)



          音の出し入れと Ensemble



         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




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                言うだけ言ったわよ




 私たちのグループが沈没してしまった、この Brahms の弦楽
五重奏曲 (第1番 ヘ長調) の第Ⅰ楽章。


 楽譜には "" の文字が見えますが、この辺りから "" までの
(出版社によっては) が、アンサンブルでもっとも難しい部分
でしょう。

 その原因は、残念ながら、あり余るほどたくさんあります。



 (1) 重奏ということもあり、音が多いので "基準となる音" が
聴き取りにくい

 バランス上の問題ですね。 これには後でもう一度触れます。



 (2) 4分、8分、8分の三連符など、色々な音符が同時に鳴って
おり、どれも正確なリズムとテンポで弾かなければならない。

 人間にはそれぞれクセがあり、違う長さの音符を弾き始める
ときに、テンポを変えてしまいやすいものです。 また同じ8分
音符でも、スラーが付いたものとスタカートのものとは、タッチを
かなり変えて弾く必要があります。

 これらが自分の中で正確に処理されていないと、得てして
余裕が無く、周囲の音を聴いたり、自分のテンポをチェック
することができないものです。



 (3) 4拍子の2拍目からスタートし、1拍目で終わるモティーフ
が多い。

 これは、一つには "勘定の難しさ" ですね。 「2、3、4、1」
と数えるよりは、「1、2、3、4」の方が易しいのは誰でも同じ。
慣れるまではなかなか難しいものです。


 ところがもう一つ、重要な問題があります。 ともすると「1拍目
重くなり過ぎる」のです。 特に、スラーが付いていて1拍目で
終わる形は要注意です。

 単に "強過ぎる" だけなら、まだいいのですが、大半の場合は
それだけでは済みません。 拍の上にどっしり座り込むと、その
重さが邪魔をしてしまい、2拍目の準備が遅れ、したがって2拍
目の鳴り出しが当然遅くなります。


 各自のクセから微妙な差が生まれると、それぞれが違うテンポ
で引き始め、もはや収拾できません。 その上、周囲の音が聴き
取りにくいのですから、事態は最悪です。

 このような形が書かれている場合、「1拍目をどう弾くか」には
好みもあるでしょう。 しかしそれが1拍目だからといって、最後
の音で「駄目を押してしまう」のは大変危険です。



 [譜例 ]は前回もご覧いただいた、見るのが嫌になるような
スコアです。 ぼんやり全体を眺めるだけにしてください。
 後ほど、多少見やすくしたものを載せてあります。






 (4) "C" では急に "p" や "pp" が出てくるので、"ちゃんと"
弾くのが難しい。

 ViolinⅠと ViolaⅠには、8分音符の三連符、普通の8分音符
の二種類が交互に現われ、しかもスラーが付いています。

 「勝手なテンポで弾いていい」ならまだしも、ここではもちろん
それは出来ません。 たとえ "p" でも、この場合は "しっかり"
弾く必要があります。 ただし、柔らかい音で弾くのはとても
難しいでしょう。

 その結果、正確なテンポを感じさせるような音は出ません。
したがって、ただ音を延ばしている他のパートは、この二人の
「どの音が何拍目に当るのか」、皆目見当が付かなくなります。


 ちなみに ViolaⅠは、ここでは適当な指使いが無く、また音も
大変鳴りにくい形をしています。 非常に困難なパッセジです。
 "左手の問題"、"右手の問題" の両方です。



 (5) Brahms の書法に馴染んでいないと弾きにくい。

 これは一体どういう意味なのでしょうか? 作曲家の書法
を知っていようがいまいが、正確なテンポで全員が弾けば、
アンサンブル、いわゆる "縦の線" は合うはずですが…。


 実はこれは、(1) のバランスの問題と密接な関連があります。

 この音楽は、"Vn.Ⅰがいつも聞こえていればいい "音楽"
では、もちろんありません。

 「では、どのパートが聞こえればいいのか?」 それが、
刻々と変化しているのです。


 聞こえるべきパートは、もちろんしっかり音を出し、主張しな
ければなりません。 "p" のパーセジでもです。

 また "f" が書かれているからといって、ただ大きい音を始終
出していればいいというわけではありません。

 「主張が終わったら一歩後に下がり、他を立てる」必要がある
のは、アンサンブルの世界も同じ。 たとえ楽譜上では自分の
パートに "f" が4~5小節間 書かれたままでも、各自は音量、
あるいは音質の加減を絶えず行っていないと、聞こえるべき
他のパートが埋もれてしまいます。


 「正しい音量は楽譜には書かれていない」と言われる所以
です。 この "加減" が大変難しい。 特に "減" が。 音量を
絞る作業なので、"燃えている方" ほど困難かもしれません。



 [譜例 ]も前回ご覧いただいたもので、楽章の開始部分です。






 [譜例 ]は、①を若干手直しし、私が "塗り絵遊び" した
後のものです。 重要な音形には色が塗られており、どれも
テーマの中の動機、あるいは動機と関連したものです。

 これは一つの考え方に過ぎません。 しかしご覧いただくと、
少なくとも、各自が自分のパート譜を見ながら弾くだけでは、
充分とは言えないことが解ります。


 もし作曲者の聞かせたい音楽が、このように、動機の複雑な
絡み合いだとしたら…。 鑑賞する人間は、それをまず耳、頭、
さらには心で捉え、感応してからでないと、次に入って来る音
は "情報過多" になってしまい、却って邪魔です。 したがって
速過ぎるテンポはあまり向きません。

 また、"興奮" を思わせるアッチェレランド (テンポの加速) も、
あまりそぐわないでしょう。 "f" で書かれていても、興奮を
煽る音楽ではなく、どちらかと言えば知的で、内的感情の
複雑な絡み合いを聴かせる音楽だからです。



 ただし、作曲者のここでの書法が成功しているかどうかは、
私には解りません。 私も大の "ブラームス好き" ですが。

 原因の一つは、動機の模倣が始まる、スタートの音程にあり
ます。 最初のパートが "La" で始まったら、次のパートは
"Sol#"、さらに "Fa#" というように、二度か、せいぜい
三度止まりなのです。

 これは模倣が連続しているためですが、四度、五度などの
跳躍に比べると、全体の色調がかなり地味になってしまうの
は止むを得ません。



  (続く)



音源ページ] (前回と同じものです)



 [譜例




 下の は、私がパソコン ソフトで作ったいい加減なものです。
音が機械的で、いかにもぎこちない点、どうぞお赦しください。

           譜例③の演奏例