音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

サユリストは永遠か

2008-11-16 23:32:13 | 映画・ドラマ・音楽
11月に主演映画が封切りされたこともあって、最近まで吉永小百合の露出が結構目立っていました。プロモーションの一環で企画されたトークショーも徹夜組まで含めた2500人が集まる盛況で、その人気は一向に衰えることを知りません。

いささか旧聞に属しますが、今年の夏頃に某アイドルグループの女の子がジャニーズJr.の男の子とデートしているのを写真に撮られて、大騒ぎになったという「事件」が発生しました。怒ったファンがネットで示し合わせたのか、当のグループの握手会で、その彼女だけをスルーする輩が続出して、本人が泣き出してしまったという顛末です。「いい歳した男たちが14歳の娘に対して大人気ない」とか、「アイドルオタクはやっぱりキモい」とか色んな意見が飛び交ったようですがが、登録しているポッドキャスト「荒川強啓 デイキャッチ」(TBSラジオ)を聴いていたら、ゲスト出演していたライムスター宇多丸という人が、この話題を持ち出していたので、そこで知ったのです。

宇多丸氏はこの話を枕に「アイドルにどこまで純潔を求めるか?」というテーマを発展させ、それはそれでなかなか面白い論考を展開していました。曰く「これはアイドルオタクだけに限った話ではない」「高年齢層のアイドル的存在である女子アナへの狂騒も根っこは同じ」(この時はちょうど山本モナのスキャンダルの直後だった)とか。要は日本の男性は未成熟ゆえに、その女性観が甚だ貧困で、「処女かヤリマンかお母さん」の3パターンしかないというのです。そのいずれかでもない女性が圧倒的にボリュームゾーンなのに、です。

そこで、宇多丸氏がパーソナリティーの荒川強啓に話をふったのですね。「ところで強啓さんは、吉永小百合さんに純潔性を求めたりしていましたか?」と。サユリストといえばタモリが有名ですが、荒川強啓も筋金入りのようで、彼の回答がふるっていました。

「全く次元が違います。小百合サマ(“さん”と云っていたかもしれないが、ニュアンスとしては“様”に限りなく近い)は、私にとって周囲の女性とは一線を画す存在なのです」

「私が青春時代、非常にまっすぐ来れたのも小百合サマのお陰なんです。どういうことかというと、その辺の女の子にフラレても、俺には小百合サマがついていると思えばなんの痛痒も感じなかった」

「今でも局の廊下などでバッタリ遭遇することがあっても、決してエレベーターには同乗しない。だって失礼だと思っているから」

ゲストも一瞬絶句して、「これは深~い病理を見た思いですが、ある意味で正しい信仰のあり方ですね」と変な感心をしていました。「自分達のものじゃないからってスター本人を責めるなんて、とんでもない話だ!」と。ここで信仰という言葉が出てきましたが、宗教学者に見解を求めるまでもなく、これは「宗教」といっても差し支えない領域で、小百合サマはまさに現人神ですね。でもサユリストたちの凄さは、青春時代の一時期だけでなく、今に至るまで同じ思いをキープしていることなのかもしれません。

知人から聞いた話だと、彼の勤めていたメーカーでは長らく吉永小百合をイメージキャラクターに起用していたのですが、その威力たるや絶大だったといいます。顧客である名だたる大企業の部長クラスや医者や大学教授などの高級おぢさんたちが、こぞって「あ、あれは貰えんのかね?」と訊いてきて、それを渡すと一瞬顔を赤らめて大事そうに懐にしまいこむのだそうです。今もこの吉永小百合のテレホンカードは、ヤフオクでは1000円前後(使用済み)で取引されています。

やはりインテリ層の支持基盤が強固だったのが、長きにわたって神通力を持ち続ける理由ではないかと思います。ヤンキーにいくら支持されても一過性で、長いスパンでの人気は期待できません。小百合サマに憧れた戦中~団塊の世代の無数にいた真面目な青少年達が、その存在を励みに一生懸命勉強して社会の枢要な地位につき、それなりの影響力を持ちました。マスコミに進んだ人が大衆に伝え、教職に就いたものが教え子に伝え、企業で偉くなった人が部下に伝えたからこそ、吉永小百合は、今も話題性のある映画に出続けることができるのでしょう。

「知的」とか「上品」とか、オピニオンリーダー達を虜にしてきた理由はいくつかあるのでしょうが、日本アカデミー賞の主演女優賞を複数回受賞した割には、これといった代表作がすぐに浮かんでこないのも不思議です。私でさえ、未だにデビュー作の「キューポラのある街」か、或いはTVドラマの「夢千代日記」くらいが思いつくだけですから、もっと若い人などは、「ライオンズファンのおばさん」くらいの印象しかなくても不思議ではありません。そういえば昔ビートたけしが監督になる前に、オールナイトニッポンで映画評論をやっていたのですが、「日本映画の主演女優賞は牛のお葬式だ」と皮肉っていたのを思い出します。「皆オッパイ出して泣いている」と。つまり女優は汚れ役を熱演しないと評価されないという邦画の現状を憂えていて、その意識が後の自身の作品に投影しているのですが、吉永小百合は変に脱いだりせずに、ここまで淡々とやってきたのが良かったのかもしれません。

それにしても、この存在感は空前絶後といってもいいでしょう。私の世代でこういう女性スターは思い浮かびませんし、その後も同様です。今の20代の男子が30年後に「私は広末さんのお陰でまっすぐ生きてこれました」なんて語るのはちょっと想像できないですから。

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1 コメント

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Unknown (杉田平和町)
2009-03-23 23:44:58
荒川強啓デイキャッチは3月27日で終わり、3月30日からは「U-18ユーガタM塾」が放送されるようです。
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