セントラル愛知交響楽団定期演奏会のプログラムに掲載したコラムです。
* * * *
『音楽と暴力』
【地下鉄ホームで】
時は夕方、仕事の帰り、ところは地下鉄鶴舞線のホーム。
「凄い!凄い!このメロディーはイイぞ~~~!ん~~~~~~~ッと・・・・・
前の小節のコードがE7♭9thだから、・・・・・ここはAm?・・・
いやいや、普通過ぎる。
FM7にする?・・・・・ガーシュインはこういうところで、F#m7♭5を使っているよねぇ・・・・・」
っと・・・・・・、イメージで作曲中のボクの頭の中に突如、
飛び込んでくる「電車発着告知音楽」。
「♪■~○▲・・◇~?×●~~♪・・まもなく1番線に電車がまいります~~~!」
耳は音を追い、頭はその音を分析し構成を聞いてしまう。
そして、頭の中に浮かんでいた音楽イメージはどこかに消失~ッ!
「アララ!まいったな~!せっかくの凄いアイディア
(と本人だけは思っているのです。笑)
が・・・・エ~ッと何だっけ~?
前の小節がE7♭9thで~っと・・・・ワ~~!忘れちゃった~~!」
とても悲しいことです。失ってしまった凄いアイディアは2度と蘇りません(笑)。
「電車発着告知音楽」が名古屋の地下鉄ホームで始まったのは数年前でしょうか?
みなさんはお好きですか?
「人生いろいろ、人それぞれ」ですから、いろんな御意見があると思います。
「電車の到着や発車がわかって便利」
「目の悪い人にはとても親切だと思う」などの肯定的な御意見もあると思います。
それもそうですが、ミュージシャンっていつでも頭の中で音楽が鳴っています。
音楽って聴くものではありますが、表現者としては、
まず頭の中でイメージとして鳴るものでもあります。
特に作曲やアレンジをしているときは、歩いていても、トイレにいるときも・・・・
もちろん地下鉄のホームでも、その曲が頭の中で鳴っています。そんなときに、
「♪■~○▲・・◇~?×●~~♪・・」はたまりません。
日本に「電車発着告知音楽」が登場したのは20年くらい前、
確か東京山手線の渋谷駅(または新宿?)が最初。
やがて、話題を呼び、山手線の駅ごとに違う音楽が鳴るようになり、
今や全国に広がってしまっています。
【もっと凄い大音量】
最近はデジタルの大モニター画面と大音量の音の攻撃が街のあちこちでみられます。
ボクの生活パターンのなかから、挙げてみると、
1)名古屋地下鉄H見駅H山方面行きのホーム後から2両目くらいにあるモニター画面。
2)名古屋M駅裏、Bカメラの向かいのビル壁面の大画面と大音量。
3)大阪N駅、Tデパート向かいのビル壁面の大画面と大音量。
2)や3)になると、もう音楽は暴力以外の何物でもないと思います。
こんな大画面のモニターが街のあちこちに作られ、
勝手に大音響で宣伝を始めたらどうなるのだろう?と本気で心配しています。
【外国での鉄道事情】
ウィーンでベートーヴェンのお墓参りを終えて、
世界一美しい村と呼ばれるハルシュタットへ列車移動したとき、
ウィーン駅では、改札を入ったところに大きな電光掲示板があるだけで放送は一切なかったと思います。
発車のベルも鳴らないし、車内放送もなく、
実に静かな快適な旅でした(心配もありましたが)。
タイでバンコクからアユタヤへ列車移動したときも、車内放送は一切なかったです。
到着予定時間と、ホームに書かれたグニャグニャのタイ文字を読んで、
この駅はアユタヤなのか違うのかを想像するスリル満点の旅を楽しみました(笑)。
オーストリアもタイも、「電車発着告知音楽」や車内放送がないから、
乗客は緊張します。
電車が来る→乗る→降りる、という行為をすべて自分の責任で行わなくてはなりません。
路線図をある程度理解し、いくつめの駅で降りるかを調べておかないと、
目的地に付けない。
今の日本人の感覚からいうと不親切。
逆に、日本人はサービスが当たり前になっている分、
自分で考え行動し責任を持つ、自己責任の感覚が欠落していくのかも知れません。
【BGMという暴力】
最近、外食産業に入ると、従業員を小声で呼んで、
「ねえねえ・・・・BGMもっと小さくしてくれる?」
とお願いすることが多くなりました。
歳のせいもあるでしょうが、
シャリシャリとした高音成分の多い大きな音が快適じゃないからなのです。
にぎやかなのは外食産業だけではありません。
海水浴場にはハワイアン、キャンプ場にはアルプス風な音楽?
花火大会にはJポップ、秋の紅葉の名所にも、春の花見にも、
もちろん近所のスーパーにもかなりの大音量で、それも一日中同じ曲ばかり・・・・・。
「音楽が鳴っていない方がよっぽどイメージが広がり、心も落ち着くのにな~!」
と思う場面がいくつもあるように思うのですが、みなさんはいかがですか?
世界的な作曲家武満徹さんの著書に、
「音、沈黙と測りあえるほどに」というのがありました。
武満さんが生きていらっしゃったら、この音楽・・・いや、
音の氾濫に何とおっしゃったのだろう?
何だか今回は、「小言ジジイ」になってしまいましたね~!
失礼しました~。
* * * *
『音楽と暴力』
【地下鉄ホームで】
時は夕方、仕事の帰り、ところは地下鉄鶴舞線のホーム。
「凄い!凄い!このメロディーはイイぞ~~~!ん~~~~~~~ッと・・・・・
前の小節のコードがE7♭9thだから、・・・・・ここはAm?・・・
いやいや、普通過ぎる。
FM7にする?・・・・・ガーシュインはこういうところで、F#m7♭5を使っているよねぇ・・・・・」
っと・・・・・・、イメージで作曲中のボクの頭の中に突如、
飛び込んでくる「電車発着告知音楽」。
「♪■~○▲・・◇~?×●~~♪・・まもなく1番線に電車がまいります~~~!」
耳は音を追い、頭はその音を分析し構成を聞いてしまう。
そして、頭の中に浮かんでいた音楽イメージはどこかに消失~ッ!
「アララ!まいったな~!せっかくの凄いアイディア
(と本人だけは思っているのです。笑)
が・・・・エ~ッと何だっけ~?
前の小節がE7♭9thで~っと・・・・ワ~~!忘れちゃった~~!」
とても悲しいことです。失ってしまった凄いアイディアは2度と蘇りません(笑)。
「電車発着告知音楽」が名古屋の地下鉄ホームで始まったのは数年前でしょうか?
みなさんはお好きですか?
「人生いろいろ、人それぞれ」ですから、いろんな御意見があると思います。
「電車の到着や発車がわかって便利」
「目の悪い人にはとても親切だと思う」などの肯定的な御意見もあると思います。
それもそうですが、ミュージシャンっていつでも頭の中で音楽が鳴っています。
音楽って聴くものではありますが、表現者としては、
まず頭の中でイメージとして鳴るものでもあります。
特に作曲やアレンジをしているときは、歩いていても、トイレにいるときも・・・・
もちろん地下鉄のホームでも、その曲が頭の中で鳴っています。そんなときに、
「♪■~○▲・・◇~?×●~~♪・・」はたまりません。
日本に「電車発着告知音楽」が登場したのは20年くらい前、
確か東京山手線の渋谷駅(または新宿?)が最初。
やがて、話題を呼び、山手線の駅ごとに違う音楽が鳴るようになり、
今や全国に広がってしまっています。
【もっと凄い大音量】
最近はデジタルの大モニター画面と大音量の音の攻撃が街のあちこちでみられます。
ボクの生活パターンのなかから、挙げてみると、
1)名古屋地下鉄H見駅H山方面行きのホーム後から2両目くらいにあるモニター画面。
2)名古屋M駅裏、Bカメラの向かいのビル壁面の大画面と大音量。
3)大阪N駅、Tデパート向かいのビル壁面の大画面と大音量。
2)や3)になると、もう音楽は暴力以外の何物でもないと思います。
こんな大画面のモニターが街のあちこちに作られ、
勝手に大音響で宣伝を始めたらどうなるのだろう?と本気で心配しています。
【外国での鉄道事情】
ウィーンでベートーヴェンのお墓参りを終えて、
世界一美しい村と呼ばれるハルシュタットへ列車移動したとき、
ウィーン駅では、改札を入ったところに大きな電光掲示板があるだけで放送は一切なかったと思います。
発車のベルも鳴らないし、車内放送もなく、
実に静かな快適な旅でした(心配もありましたが)。
タイでバンコクからアユタヤへ列車移動したときも、車内放送は一切なかったです。
到着予定時間と、ホームに書かれたグニャグニャのタイ文字を読んで、
この駅はアユタヤなのか違うのかを想像するスリル満点の旅を楽しみました(笑)。
オーストリアもタイも、「電車発着告知音楽」や車内放送がないから、
乗客は緊張します。
電車が来る→乗る→降りる、という行為をすべて自分の責任で行わなくてはなりません。
路線図をある程度理解し、いくつめの駅で降りるかを調べておかないと、
目的地に付けない。
今の日本人の感覚からいうと不親切。
逆に、日本人はサービスが当たり前になっている分、
自分で考え行動し責任を持つ、自己責任の感覚が欠落していくのかも知れません。
【BGMという暴力】
最近、外食産業に入ると、従業員を小声で呼んで、
「ねえねえ・・・・BGMもっと小さくしてくれる?」
とお願いすることが多くなりました。
歳のせいもあるでしょうが、
シャリシャリとした高音成分の多い大きな音が快適じゃないからなのです。
にぎやかなのは外食産業だけではありません。
海水浴場にはハワイアン、キャンプ場にはアルプス風な音楽?
花火大会にはJポップ、秋の紅葉の名所にも、春の花見にも、
もちろん近所のスーパーにもかなりの大音量で、それも一日中同じ曲ばかり・・・・・。
「音楽が鳴っていない方がよっぽどイメージが広がり、心も落ち着くのにな~!」
と思う場面がいくつもあるように思うのですが、みなさんはいかがですか?
世界的な作曲家武満徹さんの著書に、
「音、沈黙と測りあえるほどに」というのがありました。
武満さんが生きていらっしゃったら、この音楽・・・いや、
音の氾濫に何とおっしゃったのだろう?
何だか今回は、「小言ジジイ」になってしまいましたね~!
失礼しました~。