ケニチのブログ

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譜面どおりに演奏することの意味

2024-04-25 | 音楽 - 作曲
 クラシック音楽および,その後継である現代音楽の界隈では,とかく譜面に書かれたとおりに演奏することが求められる.コンサートへ出かけてみると,プレイヤーたちは,作曲家が書いた譜面をあらかじめ念入りに読み,それを持ち前のテクニックで,聴き手の前に再現してみせる.吉松氏は「彼らはただのテープレコーダー」などと皮肉っているが,クラシックが繁栄した時代,すなわちテープレコーダーなんかまだなかったころ,音楽というものは,人によっていちいち演奏されなければ成り立たなかったのであり,その仕事に求められるものの一つが,「いつも同じものを出力する」ことであったことは確かである.後れて出てきた音楽ジャンル,たとえばジャズやロック,ポップスなどには見られない,クラシックの特殊性であり,「書いてあることをやって何が面白いの?」とか,「楽譜がなければ何もできない人たち」などと,しばしば唾棄される急所でもある.

 どうして譜面どおりにしなければならないのか.確かに,そこには硬直的な譜面主義が存在し,ときにクラシック関係者の内部からも,この当然とも思える疑問が起こるのであるが,あいにく上述のいきさつは答にならないだろう.実際,今や録音という技術が台頭し,演奏家たちの仕事の意味も変わってきたにも係わらず,事態は改善していない.むしろ,記録に残るんだから,なおさら正確にしようという方向性である(話はちょいと大げさになるが,同じ時期に世界的な不況と混乱が起こり,人々が保守性を強めたことも拍車をかけたと思う).そこで僕はひそかに,この質問に答えることには意味がないと考えている.そうしなきゃいけないかと訊かれれば,別にそれだけが方法ではないし,自分のしたいようにすればいいのでは,というのが率直な意見だ.むしろ問題は,譜面どおりにするならするとして,その「しかた」についてであって,つまりは,ただ書かれたことに隷従すればいいのか,という点にある.

 日ごろ,演劇やオペラの現場に顔を出すと,そこではもう少し別の,クリエイティヴな意味での譜面主義が通用しているのを,感じることがある.たとえば,彼ら舞台人には,劇を作っていくうえでの基本的な手がかりとして,「台本」というアイテムがある.稽古中,あるシーンで,ある役者が放つセリフが,その心情や前後の繋がりにマッチしていないとき,演出家が「どうしてそこでその発言なのか」と問うたりする.もちろん役者にしてみれば,「台本にそう書いてあるから」というのが真実なのだが,それを言ったらおしまいだ.彼の演じるキャラクターが,そのとき何を感じて発言し,行動するのか,それら一連のことを,自分自身に起こる「リアル」として体験できていなければ,演技として,劇として,成立しないはずなのだ.自問し,相手役ともすり合わせながら,最終的にはお客を共感させ,楽しませる舞台が作られていく.「結果として台本どおりになる」.彼らは,劇中歌のスコアにも,やはり同じ態度で臨んでいるように思われるのだ―――このフレーズの音程は,どうしてその高さなのか?

 ほんらい,譜面どおりに演奏する,と言うとき,それは,プレイヤー自身の音楽の発露として,主体的な表現の結果として,譜面が実現されることだと,僕は思うのだ.だから,彼らは,「書いてあるとおりにしてますが?」なんて,軽々しく口にしてはいけないはずなのだ.それは,自分の演奏が,音楽としてちゃんと成り立っているのかチェックし,責任を持つことへの放棄である.

 あるとき,作曲の先生に,「フォルテと書くからフォルテになるんじゃないぞ」と言われたことがある.たとえフォルテと書かなかったとしても,プレイヤーがどうしてもフォルテで演奏したくなる必然性を,音楽自身が持っていて初めて,作曲者はフォルテと書き込んでいいのだ,との意味だった.毎度毎度,持参した書きかけの譜面を凝視しながら,教えられる側も教える側もほとんどを無言で過ごすというのが,作曲科のレッスンであるが,この日に受けた言葉少なな指摘は,僕のなかに痛烈に残る瞬間の一つだ.自分の書きたいものをよく吟味し,歌い,考え抜き,あるべき場所にあるべきものを書く,という根気と覚悟に欠けていることを,見抜かれたのだ.

 以来,たった一つのフレーズや指示を書くのに,僕は何日も費やすようになったし,作曲者としてはこう思う,揺るぎなくこう思う,というものだけを譜面にする.演奏家に願うことは,それを彼自身の音楽として読み,深めてくれることの一点であり,仮に書かれたものから逸脱しなければならないときは,堂々とそうしてほしいのだ.それが,自分の音楽であると信じるなら,そして聴き手の聴きたがっているものであるのなら,たとえ作者とケンカしてでもそうするべきだ.

 つくづく思うに,「このとおりにやればいいんでしょ」という突き放した態度を,譜面主義と呼ぶのであれば,それは大いに取り違えているし,「そうしなきゃいけないの?」という疑問は,今後も生まれ続けるのである.


外部リンク:
楽譜どおり!? - pianoplayer (2021.9.16)
https://note.com/pianoplayer/n/nc3c3dc1991f6

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