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ダーウィンの自然選択理論

2020-06-28 08:21:11 | 折々の随想
自民党の憲法改正漫画で、ダーウィンの進化論をもじったような「変化しない社会・人間は生き残れない」との間違ったメッセージがSNSで話題になっております。

最近読んだ本の中で、この進化論の中心の自然選択の理論について分かりやすく書いてありましたので、チョイとご紹介。

1.個体間には差異がある。
2.個体間の差異は、しばしば生存と生殖に影響を及ぼす。
3.子どもは両親に似る。、

この3つだけで、何億年という長い年月をかけて、環境に適応した種が生き残ってきた訳です。
この単純な原則のどこを見ても、種自らが変化するということは言っておりませんし、変化しなければ生き残れないということも含意されておりません。

二階幹事長が言うような「ダーウィンも喜んでいる」どころではありません。嘆き悲しんでいるかも知れません。

この3つの原則については、トマス・ハクスリーが、「そんなことも思いつかなかったとは、私はなんと愚かだったのか!」と叫んだとか。

このハクスリーはダーウィンと同時代(1825年~1895年)のイギリスの生物学者で、ダーウィンの番犬(ブルドック)との異名を持っております。それほどダーウィンの進化論を弁護した訳ですが、面白いのは、この人学校に通ったのはたったの2年だけ。そのせいか?、「若者の能力を見極められる人ほど賢い人などいない」などと、のたまわっております。

日本企業でトップの老害に苦しんでいる人々に、是非この言葉を捧げたい気持ちです。

ハクスリーはまた、「人間が進化を通じて獲得した、自己利益を追求しようとする熱意は社会の崩壊を招く」とも言っております。

まさにその通り。

私が3年近く地域で行っている「互助送迎」の活動を通じて初めて見えた「自己利益を追求する熱意を持った方々」をよく見ていると、まさに社会の崩壊の進行度合いを感じます。

こういう方々は、タクシーの30分の1のガソリン代だけでの送迎に対して、自己利益を最大化するため、ガソリン代以外は全く支払わないか、善人ぶってほんのわずかな金額(20円から50円とかの場合もあります。)を謝礼として差し出すだけです。つまり、自己利益を最大化するために、いわば「私の善意」を使い倒すという意図がみえみえの方々です。

いわゆるギブアンドテイクでこの世の中は成り立っているとも言われておりますが、こうした方々はいわゆるテイカーですね。

そのテイカーの中でも、もっともたちの悪いのが「ギバーを装うテイカー」です。 こうした方々は口では私の活動を褒め称える訳ですが、私がその人の移動のために費やした1-3時間の無償で提供される時間については、何も報いようとはしません。場合によっては下車時に「ありがとう」の一言もない。やむを得ず支払うガソリン代ポッキリを差し出してお終い。 

完全なテイカーで、最近遭遇したひどい例は、約束通りの時間に迎えに行っても、「あぁ~、病院からキャンセルがあったんですよ。」でお終いの方。お詫びの言葉1つすらないというひどい状態。(次回、この方から予約の電話があったら断ることにしております。)

ある本で書かれておりましたが、こうしたたちの悪いテイカーは約15%ほど、この社会に生息しております。(外国の例ですが、日本でも)私の経験からはほぼこの比率の通りですね。この15%の人々がこの社会に害悪を及ぼすいわゆるクレーマーになったりしている訳です。 この種の人間が3割を超えてくると、これはもう善意のギバーは滅ぼされるでしょう。 そうならないために、私がやれることは、そうしたたちの悪いテイカーとは関係を持たないことしかできそうもありません。 これで「自然選択」できるとは到底思えませんが。。

この社会の闇は深い。。
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マザー・テレサ「解放の祈り」

2020-05-13 08:56:51 | 折々の随想
今読んでいる本から見つけた言葉。 自らの弱さ・醜悪さを痛感。まさに利他の祈り。キリスト者でなくとも胸に突き刺さる。

マザー・テレサが、カルカッタの路上で誰からも見捨てられやがて死にゆく人々を、「死を待つ人々の家」に連れて帰り介護するなかで、このような深い祈りで一人ひとりの人間にイエスを見ていた。

イエスよ、私を解放して下さい。

愛されたいという思いから、
評価されたいという思いから、
重んじられたいという思いから、
ほめられたいという思いから、
好まれたいという思いから、
相談されたいという思いから、
認められたいという思いから、
有名になりたいという思いから、
侮辱されることへの恐れから、
見下されることへの恐れから、
非難される苦しみへの恐れから、
中傷されることへの恐れから、
忘れられることへの恐れから、
誤解されることへの恐れから、
からかわれることへの恐れから。

マザー・テレサ
「聖なる者となりなさいーマザー・テレサの生き方」
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変異し続けるウィルス

2020-04-26 10:37:06 | 折々の随想
新型コロナの特性に関して、日々様々なニュースが入ってきております。
中でも、4月24日のNew York Timesの下記の記事は、これからのコロナ禍の犠牲にならないように一読をおすすめします。

コロナ「突然重症化した人」の驚くべき共通点 | The New York Times

私は30年間救急医療に携わっている。1994年には、挿管法を指導する画像システムを考案した。呼吸を助けるための管を挿入するプロセスを指導する...

東洋経済オンライン

 


私は、心臓の拍動が乱れる症状の完治のため、カテーテル・アブレーションという処置を3月11日に受けました。この際に、自分でも血中酸素濃度を簡易に測るため、パルスオキシメーターを持っていきました。心拍の波形と脈拍数なども同時に測定できます。

自宅に帰ってきてからも、肺に近い心臓でカテーテル治療を受けたことから、新型コロナへの罹患を強く警戒するため、このパルスオキシメーターにて1日に数回血中酸素濃度を測定しております。およそ、98%から100%が私の正常値です。

これが95%以下になると、新型コロナウィルスによる初期の肺炎症状が疑われます。ちなみに強度のCOPDに罹患している私の送迎の利用者は、平時でも酸素ボンベを持ち歩いておりますが、彼女に尋ねたら70%程度まで落ちることがあるとのこと。これはもう大変な状態です。彼女いわく、新型コロナに侵されたら即、死を意味するとのこと。しかし生きるために月1回の大学病院通いは欠かせません。

最後に、このように様々に変異し続ける今回のウィルスに対して、専門家会議での「最初の4日間は様子見すること」、との一律のステートメントは役に立たないことは明らかです。

敵は変幻自在です。それに対する対応策も変幻自在でなければならないことが、このウィルスの厄介なところです。政府の対応がこのように硬直していることを非難しても、このコロナの厄災は誰にでも等しく降りかかります。自分で自分を最大限に防御しないと、私が好きな岡江久美子さんのような不幸を招いてしまうことになるようです。
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コロナ後の世界

2020-04-20 14:04:58 | 折々の随想
新型コロナが人類に突きつけているものをどう理解し、我々の生活をどう適応させて行くべきかをずっと考えています。前回書いたグローバリズムが帰結している効率第一主義や格差の拡大を、このままコロナ後も続けて良い訳はありません。

では、どういった社会構造に転換したらよいのか?

コロナによって少し見えてきた、この社会の新しいあり方を見てみます。

1.都市にせよ会社にせよ、効率性追求の結果としての、「人、モノ、金の集積」からの転換。
2.集積が可能としていた集権的・ピラミッド型の社会構造からの転換。
3.人が極力介在しない新しいテクノロジーの採用・推進。
4.消費者と生産者の直接的結合。また、消費者同士、生産者同士の直接的結合への転換。

以上のような社会構造への転換を、コロナによって迫られているように見えます。

ここで言うピラミッド型社会構造は、これまでは効率性アップを支える基盤としてある程度有効でした。しかし、ひとたび今回のような災禍が世界を襲ったら、上意下達的な意思決定構造では、とてもとても間に合わない訳です。

そこで、思い切ってこうしたピラミッド型社会構造を、フラットで無駄のないネットワーク型社会構造に変える必要があります。

今回のコロナ騒動で、一部動きが出ておりますが、飲食店向けの食材をパックにつめて業者が直接消費者に売るというような形ですね。いわゆる中抜となるため、生産者にとっても消費者にとってもメリットがあります。この中抜がフラット化ということにもなります。

このことは、これまでのサプライチェーンをフラットに組み替えることを意味します。システムはいわゆるピアツーピア(個人同士がつながる)形となります。この個人同士、企業同士のトランザクションの信用を担保する技術が、ブロックチェーン技術ということになります。

今回の件でかなり進んだテレワークも、会社での指揮命令系統が一旦切れる形で業務が進行するという、新しいピアツーピアの働き方を示唆しております。

人が介在しない新しいテクノロジーは、いわゆる自動化技術です。例えば、自動運転連結トラックによって都市間を結び、ドローンで地域の各戸まで配達するというような、自動化技術ですね。
これなら、人と人との接触がないので、コロナウィルスが感染を拡げようとしてもできません。

そして、このようなフラットなネットワーク型の社会を実現するためには、エネルギーについては、自然エネルギーを主体とした地域での地産地消型システムへの転換。さらに、できるだけ個別の家単位でのエネルギー自給体制の構築です。停電があっても大丈夫な形ですね。

食についても極力地産地消体制に移行。そして食料は生産者と消費者が直接結ばれた、極めて効率的かつ新鮮・安全な食材の相互供給体制をつくるという方向になるかと思います。

医療や介護体制はもとより地域完結型に親和性を持っております。しかし、今回のコロナウィルスのワクチンの研究のような件は、これは国だけ地域だけで完結する訳には行きません。世界中の研究者を縦横につなげた効率のよい研究体制が必須です。そこでは、いわゆる特許による一社の独占といった考えは排除されねばなりません。成果はいわゆる「公共財」になるということでしょうか。

いずれにしても、1つだけキーとなるテクノロジーを挙げるとするとブロックチェーンですね。

更に考えを進めて行きたいとは思いますが、筆者ももう72歳の無職の老いぼれです。いつ、コロナにやられてコロリと死ぬかも知れません。こういった未来社会をこの目で見ることは、叶わぬ夢かも知れませんね。。。
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コロナの気持ちを忖度すると・・・

2020-04-10 21:26:47 | 折々の随想
14世紀半ばから15世紀にかけて大流行したペスト。当時のヨーロッパ全体の人口の3分の1を奪ったとされております。イングランドでは更にひどく、約半分の命が奪われました。(ウォルター・シャイデル著「暴力と不平等の人類史」2019年6月刊より。)しかし、このことは後から振り返ると単なる厄災だった訳ではありませんでした。それは以下の事実からも言えます。

1.急激な人口減少の結果、極端な人手不足が起こり実質賃金が3倍程度上がる一方、土地や作物の価格が下がりました。その結果、当時の労働者はたったの年に14週間働きさえすれば、家族に衣食住を提供することができたとのこと。(ソロル・ロジャーズーオックスフォードの歴史学者)
いわゆる人々の間の格差が極端に縮小したのです。

2.ペスト禍の相手を分け隔てない猛威を背景に、カトリック教会の権威が徐々に崩れ、後の宗教改革からルネサンスへと時代が大きく転換できたこと。つまり神から人間中心主義への転換です。

では、今回の新型コロナが人類と社会に突きつけたものとは何なのでしょうか?

戦後世界の隆盛?は、いわゆるグローバリズムとして行き着いたことはご承知の通りです。グローバリズムとは、端的に言うと、経済成長を極大化させるための世界各国の分業体制と言えますが、この分業体制は、実は平等な分業体制ではありません。資本・情報・テクノロジーを握った一部の先進国による、その他の国からの成長の果実の還流のみをもたらす分業体制であることはご存知の通りです。その結果の副作用として、先進国の内部における格差の拡大も同時にもたらしました。

このグローバリズムは、一方ではコストのかからないが故の地球資源の収奪の極大化=「環境破壊」をもたらしました。この環境破壊はいわゆる地球温暖化問題を引き起こしながら、植生の急変からの生物の生息圏の急激な変化を引き起こしました。このことが、今回の新型コロナという未知のウィルスをもたらした遠因です。

他方、グローバリズムは世界の国々の間での究極の分業体制により資本効率を最大に高めた結果、相互依存関係は抜き差しならないまでに「進化」しておりました。いわゆるサプライチェーンが典型例です。このサプライチェーンの良し悪しを決めたのは、いわば究極の経済的な効率でした。

このサプライチェーンを、新型コロナは意図せずにものの見事に断ち切ったのです。

こうなると物事は逆流・逆転し出します。このまま人と物の流通がままならなくなれば、水分と養分を断たれた木のように立ち枯れていくのは明らかです。

このグローバリズムは、いわば経済至上主義ですので、人々の交流についても、あくまでも貨幣価値に基づく経済的な利害の最大化を目指すための効率化が求められておりました。従って、逆に言うと貨幣価値に換算できない人々の交流は、グローバリズムの本質から言うと無駄なものと位置づけられていたのです。

ビジネスを通じた交流は、貨幣価値を最大化するために必須のものとされておりましたが、ビジネスに関係のない、つまり損得に関係のない、地域社会での人々の交流関係は不要なものと位置づけられ、段々と希薄化していったのです。

しかし皮肉なことに、このようなグローバリズムの本質が今回のコロナ禍によって逆照射されたようです。つまり、生活必需品の多くは世界中の人々の労苦によって生み出されているという、そのあからさまな事実です。

自分ひとりでは生活できない。多くの世界中の人々の日々の働きによって全てのモノとサービスは成り立っており、それが一人ひとりに届けられていること。人は一人では絶対に生きていくことができないこと、この事実です。

この意味で、今回のコロナ禍は悪いことばかりではありません。もう一度、世界中の人々、そして、もっと小さな単位の地域社会の人々の間で、経済至上主義からくる連帯ではなく、お互い同士を思いやる連帯に移行する契機を、新型コロナは与えてくれたのかも知れません。
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