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安倍内閣発足、かつて放り出した数々の政策(まず一からはじめよ)

2012-12-30 | Weblog

:2度目の総理登板を果たした安倍晋三。この新総理大臣は、5年前の退陣後から「政策的には間違ったことはしていない」(文藝春秋2008年2月号掲載の手記)と自己正当化し、退陣が国民生活にどんな影響を与えたかに頬被りしてきた。再登板で真っ先に問われるのは安保や憲法ではなく、安倍がかつて放り出した数々の政策をどうするかであると、「NEWSポスト」は安倍に説教している。

:以下に記事の一部を引用、

 1番のテーマは年金問題だ。前回の安倍政権当時、消えた年金問題が発覚し、年金制度を根底から揺るがした。安倍氏は国民の批判を浴びると、

「最後の1人まで年金記録を照合し、皆さんの年金をきっちり支払う」

 そう約束したうえで、「強い経済成長によって税収を増やすことは可能だ。消費税を上げなくて済む可能性はある」と増税なしで年金財源(国庫負担)をまかなう姿勢を示していた。

 しかし、何もしないまま投げ出すと、その後の福田、麻生両政権も、民主党政権も年金の抜本改革に手をつけないまま、自公民3党は年金の国庫負担引き上げなど社会保障財源を名目に消費税大増税を決めた。国民は増税によって5年前の安倍政権当時の年金問題の尻ぬぐいをさせられている。(引用終わり)

:今回の自民党の総選挙公約には、消えた年金記録も、年金制度の抜本改革もなかった。


[差別社会] イソップ物語、アリを美化した日本人(キリギリスに学べ)

2012-12-30 | Weblog

本ブログ管理人の一言、

東京新聞の記事によると、「働きアリの集団の中には常に2割程度の働かないアリがいて、働くアリだけのグループを作っても必ず働かないアリが出る」そうだ。これを長谷川英祐・北海道大大学院准教授(進化生物学)らが証明したという。そして、「働かないアリがいれば、別の仕事が生じた時にすぐに対応できる。仕事の効率は下がるが、集団を維持する巧妙な仕組みではないか」と推測している。

:以下に記事を引用、

働きアリ、2割程度は「働かず」 集団維持の仕組みか

 

 日本動物行動学会の「ジャーナル・オブ・エソロジー」1月号に発表した。長谷川准教授らは、体が大きいなどの理由で観察しやすいシワクシケアリを北大の苫小牧研究林(北海道苫小牧市)で採取し、働きアリ150匹と女王アリ1匹のコロニー(一族)を八つ作り、人工の巣で飼育。色を付けて識別した各個体の動きを観察した。

 その結果、卵の世話をするなどの仕事量にばらつきがあり、どのコロニーにもほとんど働かないアリが約2割いた。働かないアリだけ30匹集めると、うち約2割が働かないままだが、残りはよく働くようになった。よく働くアリだけを集めて新たなグループを作っても一部は働かなくなった。仕事の熱心さに年齢などは関係なかった。

 人間社会のように集団に指示するボスはいない、自然と働くものと働かないものが出る。長谷川准教授は「働かない『働きアリ』が集団維持にどのように貢献しているのか今後明らかにしたい」と話している

 

 :イソップ物語「アリとキリギリス(The Ant and the Grasshopper)」。この物語には二つの寓意がある.

アリとキリギリス―イソップ物語 (にいるぶっくす すまいるママめいさくステッチ)

日本では、キリギリスのように将来の危機への備えを怠ると、その将来が訪れた時に非常に困ることになるので、アリのように将来の危機の事を常に考え、行動し準備をしておくのが良いと教える。 

ところが西洋では違う。アリのように夏にせこせこと溜め込んでいる者というのは餓死寸前の困窮者にさえ助けの手を差し伸べないほど冷酷で独善的な吝嗇(けち)であるのが常だと説いて聞かせる。そして生き物である以上最終的に死は避けられないので、食料蓄積のみで生を終えたアリより、自らの快楽を追及し生を謳歌したキリギリスの方が善とされる。

:日本人は子どもの頃から、前者の教えにそった生き方を叩き込まれる。そのためか、ホームレス生活者や生活保護受給者らの社会的弱者にはきわめて冷淡だ。彼らを怠け者と烙印し、社会の隅へと追いやっていく。欧米社会のように、困った隣人を助ける博愛の精神がない。

そういえば、欧州連合構想の先駆けとして「EUの父」と呼ばれる日本生まれのオーストリア政治家リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーは博愛(友愛)を思想信条としたが、この日本人になじまない信条をぱくった政治家がいた。結局、普天間基地問題で自滅したが、確か名前は鳩山由紀夫とかいった。

:いずれにしろ、日本人と西欧人が子どもの頃に叩き込まれた寓意の違いは、大人になってからの「競争や格差に関する意識の違い」となっているようだ。参考に、本ブログに以前載せた経済学者大竹文雄の記事を引用しておきます。

  

 

「競争」も「平等」も大嫌いな不思議な日本人
 

米国では格差が急拡大しているが、日本はどうなっているのだろう? また、競争や格差に関する意識は、日米でどのように違うのだろうか? 格差社会に詳しい経済学者の大竹文雄氏に聞いた。
 

そもそも日本は、世界的に見て格差が大きい不平等な社会なのでしょうか。あるいは格差の小さい平等な社会なのでしょうか。

世界中の国と比較するならば、格差の小さい国だといえます。ほとんどの新興国に比べれば先進国の格差はずっと小さいからです。

では、他の先進諸国と比較した場合はどうでしょう? 

>>高所得者1%の所得占有率は??

1

 

一言で「格差」といっても、それを測る方法はさまざまです。代表的な指標の一つに所得の不平等さを測るジニ係数というものがあります。ジニ係数でみると日本はだいたい中くらいの格差国です。

一方で、富の独占という意味で上位1%の人が所得全体の何%を稼いでいるかという指標(所得占有率)があります。表1を見れば、日本ではアングロサクソン諸国に見られるような上位1%に富が集中する現象は生じていないといえます。

>>所得格差への意識が異なる!?

2

 

もう一つ、社会の格差を測る指標として相対的貧困率というものがあります。日本の値は15.7%(2006年)でOECD諸国の中でもメキシコ、トルコ、米国に次ぐ高いものでした(西欧諸国はほぼ10%以下)。日本人の7人に1人が貧困層であるという結果は、「一億総中流が崩壊した」として話題になりました。

米国のほうが、日本に比べて速いスピードで所得格差が拡大しています。しかし、所得格差を問題視している人の数は米国より日本のほうが多いのが現実です。表2を見ると、米国人よりも日本人のほうが、「格差が拡大した」「これから格差が拡大する」と考えている人が多いことがわかります。

>>所得は何で決まるべきか?

3

 

その理由として考えられるのは、日本人と米国人では所得格差に関する意識が異なっているということです。表3は「所得は何で決まるべきか?」という質問に対するアンケートの結果です。日米ともに「選択や努力」で所得が決まるべきだと考える人がいちばん多いようです。ところが、「学歴」や「才能」によって所得が決まるべきだと考える人の数は、米国では50%を超えているのに対して、日本では10~15%に過ぎません。

つまり、日本人は「努力した結果、高い給料をもらう人がいてもいい」と考える一方で、生まれながらの才能や、教育環境などによって所得が左右されることに対して否定的なのです。一方、学歴格差や才能による格差を容認し、「成功するチャンスは誰にでもある」という信念が尊ばれる米国では、実際に所得格差が拡大していても日本人ほどの格差感は抱きません。

>>日本人は市場競争が嫌い!

4

 

日本人の価値観の特殊性として、「市場競争が嫌い」という点があります。米国の調査機関ピュー研究所は、世界各国で「市場経済」に関する意識調査を行いました(表4)。その結果、日本は主要国の中で最も市場経済に対する不信感が強い国だということが明らかになりました。西欧諸国のみならず、旧社会主義国である中国やロシアと比べても市場経済に対する信頼が低かったのです。

>>弱者救済策も嫌いな日本人?

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弱者救済策も嫌い
それでは、市場経済に信頼を置かない日本人は、政府の役割や社会保障を重視しているのでしょうか。同調査では「自立できない非常に貧しい人たちの面倒をみるのは国の責任である」という考えかたに対するアンケートも行いました(表5)。

すると、この数字も日本がきわだって低いことがわかりました。ほとんどの国では、80%以上の人が貧しい人の面倒は国が見るべきだと考えているのに対して、日本人でそう考える人は60%にも満たなかったのです。

「市場競争によって効率性を高め、その結果生まれてしまった格差は政府が所得の再分配を通じて是正する」というのが経済学の標準的なモデルです。例えば、手厚い福祉国家で知られるスウェーデンやデンマークなどの北欧諸国にしても、自由な市場経済のメリットは理解しているので、規制は取り払いつつ、所得再分配を強化することで平等な社会を実現しています。

>>経済状況とともに価値観も変化

日本人が大きな政府を嫌う理由として考えられるのは、日本人の公共心が、家族や職場、地域社会など狭い範囲にしか及ばないということが考えられます。見知った者同士であれば助け合いの心があるのに、国という大きな単位では互助的な精神が生まれにくいのかもしれません。

ただし、日本人の国民性がもともと競争嫌いで、貧しい人に冷たいということではないと思います。高度成長期に形成された価値観が、低成長や少子高齢化にうまく対応できていないということではないでしょうか。

格差や競争に関する価値観も今後、時間をかけて変わっていくでしょう。価値観が経済システムを規定するように、経済状況が変われば価値観もまた変化するのです。ただし、社会の変化に価値観の変化が追いつかず、ギャップが生じる時期が生じます。そういう時期には制度もうまく改革できないので、さまざまな社会問題が生じてくるでしょう。

 


 



 


 


 

 

 

 

 

 



 



 



 


安倍内閣発足、一言で名付けると(著名人に聞きました)

2012-12-30 | Weblog

 ◇コラムニスト・小田嶋隆さん「プルサーマル内閣」

 再登板の安倍首相をはじめ、一度トップとして燃え尽きたはずの人が目立つ。まるで使用済み核燃料を集めて再処理し発電するプルサーマルのようだ。かつて「夢のエネルギー」と言われていた代物も、実際はトラブル続きで「絵に描いた餅」に過ぎなかった。新政権は原発の再稼働に前向きと言われ、賛否が分かれる物価目標を景気対策の切り札にしようとしている。右傾化の懸念もあり、その危なっかしさもプルサーマル級ではないか。

 ◇政治評論家・浅川博忠さん「必勝堅実内閣」

 前回の安倍内閣で「参院選堅実内閣」と名付けたが、想定外の事務所費問題が出て「お友達内閣」と批判され参院選に敗れた。今回は学習してさらに地味にし、あえて「必勝堅実内閣」と名付ける。来年の参院選に向け、民主党と違って安定した国会答弁ができる人選だ。「お友達ナンバー1」の塩崎恭久元官房長官を外し、批判をかわす狙いもある。ただ当選3回の稲田朋美氏らの抜てきに、党内に不協和音が出る恐れがある。

 ◇漫画家・しりあがり寿さん「三年寝太郎内閣」

 政権を離れていた3年間で自民党がどう変わったのかよく分からなかった。民話の寝太郎は起きてから大きなことを成し遂げる。同じ期待をしたいが「本当にただ寝ていただけじゃないのか」という不安はある。どこかで見た顔ぶれが並ぶので「デジャブ内閣」も考えた。ひ弱な印象だった「お友達内閣」より多少は重量感がある。外交や国防で強く出てほしいという期待もあるだろうが、そうしたらどうなっちゃうんだろうという不安も残る。

 ◇教育評論家・尾木直樹さん「同窓会内閣」

 顔ぶれをみると、自民党総裁の経験者が3人で、うち2人が首相の経験者。党の要職や大臣の経験者も多く、重鎮が久しぶりに顔を合わせた印象だ。「お友達内閣」と言われた前回の安倍内閣よりそつがなく、来年の参院選に向け「ミスを出せない」という思いもあるのだろう。衆院選で自民党は議席数で大勝したが、得票率はそれほど高くなく、支持者が圧倒的に多かったわけでないことを忘れないでいただきたい。おごれば必ず凋落(ちょうらく)する。


[迷犬] 僕の飼い主さがして、ワンワン その2(新しい飼い主)

2012-12-29 | Weblog

 長野県飯田市の山中を通る大平(おおだいら)街道で、十日以上も飼い主を待ち続けていたところを県飯田保健所に保護された犬が二十七日、県内の自営業の男性(58)に引き取られた。男性は十一月に十六年連れ添った愛犬を亡くしたばかり。全国的な話題となった街道の犬は、新しい飼い主のもとであたたかい新年を迎える。

 飯田保健所は十四日に犬を保護した後、ホームページで公開して飼い主を探したが、連絡はなかった。このため、二十五日に譲渡希望者の募集を始めたところ、約六十件の問い合わせが殺到。その日のうちに募集を打ち切り、犬の飼育経験や家庭環境、他のペットの有無などを確認して譲渡先を決めた。

 飼い主となった男性は二十七日昼、家族三人で飯田保健所を訪れて犬と対面した。小木曽悦人食品・生活衛生課長によると、犬は男性の手をなめたり、体にすり寄るなどして甘えていた。保護されてから体重も増え、健康には問題ないが、当面は室内で飼われる。

 犬は体長約六十センチの雑種の雄。標高約千メートルの大平街道で四日に見つかって以来、雪や雨にさらされても、街道を離れようとしなかった。街道には水さえなく、心配した人たちが届けた餌で命をつないでいた。

 犬を取り上げた本紙の記事はネットを通して全国に広がり、保護された後も、飯田保健所には犬を心配する電話やメールが百件以上も相次いだ。中には、手づくりの首輪やドッグフードを送ってきた人もいて、新しい飼い主に渡された。

 犬が元の飼い主とはぐれたのか、故意に置き去りにされたのかは不明。小木曽課長は反響の大きさに驚きながら「飼い主を信じて待ち続けた犬の姿が、多くの人たちの心を打ったのだろう。動物愛護の在り方について、あらためて考えるきっかけにもなったのでは」と話していた。

 

 
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寒い大平街道で、飼い主を待ち続けていたところを保護された犬。

新しいご主人と新年を迎える=14日、長野県飯田市の県飯田保健所で

 

 

過去の参考記事:

じっと座り飼い主待つ 犬が1週間以上、飯田

1週間以上も飼い主を待ち続ける犬。吹きっさらしの道路は身を隠す場所もない=飯田市の大平街道で

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 飯田市上飯田の大平街道で、一匹の犬が一週間以上も飼い主を待ち続けている。

 体長約六十センチの雄で、毛は茶色。首輪は着けていないが、猟犬のような体つきをしている。同市鼎下山の原田敏夫さん(70)、美代子さん(70)夫妻が四日、標高約千メートルの街道を車で通りかかった時、道路わきの空き地でじっと座っている犬を見つけた。

 犬は雨や雪に打たれても立ち去ろうとしなかったが、大雪に見舞われた街道が通行止めとなった十日、ふもとに向けて移動。十一日午後には、ゲートの前に座っていた。野宿続きでやせ細っているが、道路から目を離そうとしない。

 原田さん夫妻は「猟をしている時に飼い主とはぐれた猟犬だろうか。もしも捨てられたとしたら、いくら待っても飼い主は来ない。おなかをすかせてかわいそうだ」と話していた

 

 

飯田のハチ公、保健所が保護 案ずる電話全国から

 

吹きさらしの道路わきに座り、じっと飼い主を待つ犬=11日、長野県飯田市の大平街道で(中山道雄撮影)

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 長野県飯田市の山中を通る大平(おおだいら)街道で、雑種犬が十日間以上も飼い主を待ち続けた。首輪がなくどこから来たかは不明。標高千メートルほどの道路わきに座り、雨や雪が降っても街道筋に居続けた。この話題が十二日付で本紙の地元地方版に載りホームページで紹介されると、飯田保健所や本紙に犬を心配する電話が二百件も殺到。十四日に保護されたが、飼い主の名乗りはまだない。

 体長約六十センチの雑種の雄。薄茶色でよく手入れされていたらしい。今月四日、車で通りかかった人が見つけた。十一日に雪で通行止めとなった街道を下り、約三キロ離れた車止めのゲートまできた。

 心配する人がドッグフードなどを置き、それを食べて待っている様子だったという。

 連絡を受けた飯田保健所が十一日から、保護に乗りだした。職員を見ると犬は逃げるため、おりを二基設置。十四日朝、ゲートから十キロほど登った集落跡の大平宿で、おりに入っていた。

 記事は、短文投稿サイトなどで紹介され全国に広がった。本紙のホームページの記事には百四十万を超える閲覧があった。

 犬の保護を知った岡山市の女性(58)は、本紙の飯田支局に寄せた電話で「寒い中、ひたすら飼い主を信じて待つ姿をネットで見て涙が止まらなかった。本当に良かった」と声を詰まらせた。

 捕まえようとすると逃げ回った犬だが、保健所では職員に甘えるしぐさも見せる。置き去りにされたか、猟の途中に飼い主とはぐれた可能性がある。保健所は二十四日まで飼い主が名乗り出るのを待ち、希望者に譲渡する手続きに入る。

 


特撮人形劇制作者、Gerry Anderson passed away

2012-12-28 | Weblog

ジェリー・アンダーソンさん死去 サンダーバード制作

ジェリー・アンダーソンさん(特撮人形劇「サンダーバード」を制作した英国の映像プロデューサー) 英BBCによると26日、死去。83歳。アルツハイマー病を患っていた。

 ロンドン生まれ。1957年に映像制作会社を設立。65年、特撮を用いて人間そっくりの動作や表情を可能にした操り人形劇によるテレビ番組「サンダーバード」を制作。「国際救助隊」が事故や災害に立ち向かう姿を描いた同シリーズは日本でも人気を集め、繰り返し再放送された。

 

参考:


ジェリー・アンダーソン(Gerry Anderson, 1929年4月14日 - 2012年12月26日)はイギリスの映像作品プロデューサー。主に1960年代から1970年代にかけての、特撮・テレビドラマ・人形劇を基本とした映像作品の制作で知られる。

1955年に映像製作会社「APフィルムズ」を設立。スーパーマリオネーションと呼ばれる、従来のパペット(操り人形)に人間的な動作や表情を加え、特撮を駆使して実写に近いリアル感を演出した人形劇の新境地を開き、これを使った番組を次々と次々と世に送り出して名を馳せた。特に「リップシンクロイドシステム」と呼ばれる、台詞の音声に反応して人形の唇が稼動する電磁機構を活用したことで有名。ジェリーの妻となったシルヴィア・アンダーソンも会社に加わり、主に人形の造形・制作を担当していた。

 共に活躍したスタッフとしては、創立以来の友人レッジ・ヒル、美術のボブ・ビル、人形造形のクリスティン・グランヴィル、音楽のバリー・グレイ、特技監督のデレク・メディングス等も有名。

1965年にセンチュリー21フィルムスタジオ出版と合併して「センチュリー21プロダクション」(the Century 21 Organisation)に改名。番組製作だけでなく版権出版分野にも業務を拡大、『グリーン・ホーネット』や『トッポジージョ』、『プリズナーNo.6』など人気番組の関連商品を扱った。1971年にグループ・3・プロダクション(Group 3 Productions)、1975年にはジェリー・アンダーソン・プロダクション(Gerry Anderson Productions)となっている。

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[閣僚名簿] 第二次安倍内閣の頼りない面々、その2(人事の正体)

2012-12-28 | Weblog

 

自民党は、今回の衆院選の圧勝で初当選議員を増やした。このため、いずれの派閥も新人の入会で所属議員の人数を増やしている。

読売新聞によると、首相安倍の出身派閥の町村派は、衆院解散時に43人だったが、衆院初当選の新人(産院からのくら替え議員は除く)22人も入会し、27日現在、同派の所属議員は80人。また、麻生副総理が率いる麻生派は、12人に新たに17人が加わり29人へと倍増した。

このため安倍は各派の意向を配慮したという。

確か、官房長官・菅義偉は、安倍政権の発足前の19日、「派閥が復活して色々とやり始めたら自民党への信頼感は一挙になくなってしまう。派閥推薦は100%ない」とキッパリと宣言したはずだ。早々と、国民に批判された派閥人事の旧体質を復活させたかたちだ。

では、安倍はそもそも、閣僚や党役員の人事をどのようなコンセプトでもって断行したのだろうか、「これが「均衡人事」の正体だ!」と題した日刊ゲンダイの記事が参考になる。(本ブログ管理人)

------------(以下に引用)---------

町村派4人、岸田派4人、額賀派3人――。安倍新内閣は各派閥のバランスを取った「均衡人事」といわれているが、実態は違う。右翼的な思想を共有する“ウラ派閥”が多数派を形成しているのだ。

 安倍が会長を務める超党派議連「創生『日本』」に所属する議員が、ナント10人も入閣した。内閣の半数以上を占める大勢力だ。

「創生日本は、自民党総裁選でも積極的に安倍氏をもり立てた。事実上の“安倍派”です。もともとは自民系の保守派議員59人が立ち上げた勉強会。平沼赳夫のように離党して他党に移る議員が増えて、結果的に超党派になりました。今では自民党、維新の会、新党改革、みんなの党と、あちらこちらに所属議員がいます」(自民党関係者)

 07年のスタート時から、今は「維新の会」の平沼赳夫が最高顧問を務めている。「保守の結集」や「戦後レジームからの脱却」を理念に掲げる右翼集団だ。

「安倍首相は、創生日本の会長代理を務める古屋圭司を国家公安委員長に、副会長の下村博文を教育改革を主導する文科相に就けた。さらに山本一太副幹事長を沖縄・北方担当相に据えるなど、右翼政策の要所を創生日本のタカ派議員で押さえています」(前出の自民党関係者)

 麻生太郎副総理や小野寺五典防衛相らも「創生『日本』」のメンバー。中でも、初入閣の新藤義孝総務相と稲田朋美行革相は昨年8月、竹島に近接する鬱陵島の視察を強行しようとしてソウルの金浦空港で入国拒否された“いわくつき”だ。さっそく韓国の聯合ニュースが「極右性向を持つ側近議員を閣僚に登用し、右傾化が加速」とカミつくなど、近隣諸国は「創生『日本』」がハバを利かせる組閣人事に神経をとがらせている。

 党役員人事を見ても、高市早苗政調会長、塩崎恭久政調会長代理、鴨下一郎国対委員長は3人とも創生日本の副会長だ。

 官邸人事はもっとロコツ。菅義偉官房長官はじめ、加藤勝信、世耕弘成の両副長官、さらには首相補佐官の木村太郎、礒崎陽輔、衛藤晟一まで、全員が「創生『日本』」のメンバーで固められた。

「政治家本人の資質なんて二の次。気心の知れた創生日本の仲間を集めた“タカ派お友達内閣”なのは明らかです。平沼氏が入閣しなかったのが不思議なくらいですよ。取り巻きしか信用しない度量の狭さは、5年前からちっとも変わっていません」(政治ジャーナリスト・山田厚俊氏)

 これじゃ、今回も官邸崩壊は早そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


[尖閣諸島] 中国作成外交文書の発見、琉球の一部と認識(主張の矛盾)

2012-12-28 | Weblog

中国外交文書に「尖閣諸島」=日本名明記、「琉球の一部」と認識-初めて発見

(2012/12/27 JIJI)

 

 
中国外務省の外交文書「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」の原文コピー。
写真右は表紙、同左は75ページにある「尖閣諸島」の文字

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐり中国政府が1950年、「尖閣諸島」という日本名を明記した上で、琉球(沖縄)に含まれるとの認識を示す外交文書を作成していたことが27日分かった。時事通信が文書原文のコピーを入手した。中国共産党・政府が当時、尖閣諸島を中国の領土と主張せず、「琉球の一部」と認識していたことを示す中国政府の文書が発見されたのは初めて。


 尖閣諸島を「台湾の一部」と一貫して主張してきたとする中国政府の立場と矛盾することになる。日本政府の尖閣国有化で緊張が高まる日中間の対立に一石を投じるのは確実だ。


 この外交文書は「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」(領土草案、計10ページ)。中華人民共和国成立の翌年に当たる50年5月15日に作成され、北京の中国外務省档案館(外交史料館)に収蔵されている。


 領土草案の「琉球の返還問題」の項目には、戦前から日本側の文書で尖閣諸島とほぼ同義に使われてきた「尖頭諸嶼」という日本名が登場。「琉球は北中南の三つに分かれ、中部は沖縄諸島、南部は宮古諸島と八重山諸島(尖頭諸嶼)」と説明し、尖閣諸島を琉球の一部として論じている。中国が尖閣諸島を呼ぶ際に古くから用いてきたとする「釣魚島」の名称は一切使われていなかった。


 続いて「琉球の境界画定問題」の項目で「尖閣諸島」という言葉を明記し、「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」と記している。これは中国政府が、尖閣は「台湾の一部」という主張をまだ展開せず、少なくとも50年の段階で琉球の一部と考えていた証拠と言える。


 

 

 

 

 

東京大学大学院の松田康博教授(東アジア国際政治)は「当時の中華人民共和国政府が『尖閣諸島は琉球の一部である』と当然のように認識していたことを証明している。『釣魚島』が台湾の一部であるという中華人民共和国の長年の主張の論理は完全に崩れた」と解説している。


 中国政府は当時、第2次世界大戦後の対日講和条約に関する国際会議参加を検討しており、中国外務省は50年5月、対日問題での立場・主張を議論する内部討論会を開催した。領土草案はそのたたき台として提示されたとみられる。

 中国政府が初めて尖閣諸島の領有権を公式に主張したのは71年12月。それ以降、中国政府は尖閣諸島が「古来より台湾の付属島しょ」であり、日本の敗戦を受けて中国に返還すべき領土に含まれるとの主張を繰り返している。

 領土草案の文書は現在非公開扱い。中国側の主張と矛盾しているためとの見方が強い。 


[自民党] 安倍政権運営、公明党との連立合意(あいまいな内容)

2012-12-26 | Weblog

 

 

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 自民党の安倍晋三総裁と公明党の山口那津男代表が二十五日に署名した連立政権樹立に関する合意文書。衆院選で主張が食い違った原発政策と改憲は、互いに譲歩し、あいまいな内容となった。政権の重要課題について、十分詰めないままの決着は有権者に分かりづらく、今後の政権運営に大きな影響を与えることになりそうだ。 

 原発政策をめぐっては自民党は党内に原発維持派が多く、公約では「十年以内に持続可能な電源構成を確立する」と「原発ゼロ」の判断を先送りしていた。

 一方、公明党は「可能な限り原発ゼロを目指す」と言及。連立合意では、最後まで「ゼロ」の文言を入れるよう求めたが、自民党は「その表現は厳しい」と拒否。結局「ゼロ」は明記されず、公明党が譲歩した格好となった。ただ、原発新設で安倍氏が建設を認めないとした民主党政権の方針を見直す考えを表明しているのに対し、山口氏は「慎重に対応していくべきだ」と指摘しており、原発政策で足並みが乱れる可能性がある。

 改憲では自民党側がタカ派的な主張を控えた。自民党は公約で九条改憲による「国防軍」の保持を主張。公明党は公約に改憲方針を盛り込んでいない。

 自民党は当初、改憲の発議要件を緩和する九六条改正を連立合意に盛り込む構えをみせた。これに公明党が激しく反発。「憲法審査会の審議を促進し、改正に向けた国民的な議論を深める」との文言でまとまった。

 もっとも、自民党内では、来夏の参院選で勢力を拡大した上で、改憲への動きを加速させたいとの意見が強い。当面は本音を隠した合意といえる。

 一方、両党が一歩踏み込んだのが環太平洋連携協定(TPP)の交渉参加問題だ。ともに公約では、慎重な姿勢を示していたが「国益にかなう最善の道を求める」と条件次第で交渉参加に含みを持たせた。

 これまでの野党の立場と違って、政権復帰に伴い、日米関係重視の姿勢を一段と鮮明にせざるを得なくなったとみられる。安倍氏は首相就任後訪米し、オバマ米大統領と会談する。

 両党の思いが、一致したのは景気・経済対策。公共事業拡大を打ち出した公約に沿って「本格的な大型の二〇一二年度補正予算を一三年度予算と連動させ、景気対策に万全を期す」と明記した。TOKYO

 


[今はひとり党] 山本太郎参院出馬(応援のエールを)

2012-12-26 | Weblog

橋下氏と直接対決も

16日の衆院選で東京8区から無所属で出馬し、落選した俳優山本太郎(38)が24日、来夏の参院選に向けて事実上の出馬宣言をした。都内で脱原発集会に参加し、「次の参院選までの期間は、全国行脚をしなきゃいけない」と明言。脱原発の主張で一致する全国の候補者を応援して回りながら、自身も都道府県選挙区で出馬するとみられる。衆院選では次点ながら、7万1028票と大量得票。民意を追い風にして、参院選でのリベンジを目指す。

 山本は衆院選後、都内での大規模集会に参加するのは初めてだった。東京8区で自民党の石原伸晃前幹事長の約13万票には届かなかったが、約7万票と善戦したことに「公示直前から選挙運動を始めて、7万票というのは、あり得ない数字だそうです。全国的には脱原発グループは惨敗でしたが、唯一の大健闘が、東京8区だった」と胸を張った。大量得票で自信を深めた様子で、来夏の参院選についても語り始めた。

 「次の選挙までに、全国行脚する。同じ地域の人に話し続けるのも大切なんですけど、参院選までの期間は、選挙スタイルを変える。全国の駅前とか、人が集まるところで、どんどん街頭演説をやる」。衆院選の街頭演説は、選挙区の東京都杉並区内で繰り返した。しかし来夏の選挙活動は、脱原発で主張が一致する候補者を応援するため、全国を回るという。

 「今回の選挙結果で不安を訴える芸能人の方々もいらっしゃる。そういう方々にも手伝っていただいて、運動を全国展開したい」。今月1日に立ち上げた「新党 今はひとり」が、5人以上の国会議員所属という政党要件を満たせば、全国比例区出馬という選択肢も出てくる。しかし現時点では、都道府県選挙区からの出馬が濃厚だ。衆院選公示前は、日本維新の会の橋下徹代表代行と直接対決したいと何度も主張。もし橋下氏の参院選出馬が実現すれば、大阪府選挙区での山本との対決も現実味を帯びてくる。

 「自民党が圧勝したことで、逆にエネルギーをもらった。この怒りと不安をエネルギーに変える。まだ半年以上ありますから、みんなでやりませんか。僕はやる気まんまんです」。山本の事実上の出馬宣言に、会場から大きな拍手がわき上がった。(NIKKAN-SPORTS)

がんばれ、とまるな、走れ、走れ 


[閣僚名簿] 第二次安倍内閣の頼りない面々(平成の光秀も、かっての主君と共に)

2012-12-26 | Weblog

第2次安倍内閣の閣僚の面々

この9月26日の自民党総裁選を覚えているだろうか。5候補が乱立するなか、石原伸晃(山崎派)も候補者の一人だった。当初、幹事長の伸晃は立候補を宣言しておらず、総裁谷垣禎一の再選を支持していた。ところが、自民の古い体質である派閥政治を嫌う谷垣政権下で、役職も与えられず冷や飯を食わされていた最大派閥の影の領袖・森喜朗は、息子伸晃を総裁の座(そしてさらに首相)に就かせたい父・石原慎太郎と密談し、青木幹雄(額賀派)や古賀誠(古賀派、一部旧谷垣派)の長老らも巻き込んで、まず谷垣に出馬を断念させ、自分らになついている伸晃を「傀儡」候補者として擁立する企てにでた。この企てにのった伸晃は、「谷垣を支えるために政治をやっているのでない」と突然に講演先で発言し、谷垣降ろしを宣言する。それまでは「谷垣が出馬した場合は支援する」と繰り返し表明していたのが裏切った。谷垣と伸晃の関係は、主君(総裁)と家臣(幹事長)、いわば親分・子分であり、まさに伸晃は、本能寺の変で、自分を取り立ててくれた主君織田信長をダマシ討ちして滅ぼした謀反人の家臣・明智光秀を演じてしまった。もしこの「変」が起こらずに、谷垣が再選されていれば、(原発容認など自民党大勝で日本のこの先を不安視する多くの国民のなかにも)中道よりで穏やかな谷垣のほうが、やれ改憲だ・国防だと騒ぎまくる物騒な安倍よりも、政権運営に安心をよせることができただろう。だから、森もさることながら、石原慎太郎という男は、尖閣購入の宣言で日本の外交や経済をメチャクチャにしたばかりか、自民総裁選を歪めた結果、安倍の誕生を許し、日本の将来を危うくした。まさに息子伸晃と同様に石原慎太郎は国賊だ。いずれにしろ安倍はこの「平成の光秀」を入閣させたわけで、しかも谷垣と一緒に。物事の本質にふれず、ただ、手打ちの三三拍子的に表面だけをとりつくろった不可解な人事であることは間違いない。年明け早々、またまた大臣の失言が飛び出しそうである。とくに石原や麻生は悪い意味での注目だ。(本ブログ管理人の一言)


本日の夕方、第2次安倍内閣の閣僚名簿が発表された。自民党総裁選で、

▼総理 安倍晋三
▼副総理・財務・金融 麻生太郎
▼総務 新藤義孝
▼法務 谷垣禎一
▼外務 岸田文雄
▼文部科学 下村博文
▼厚生労働 田村憲久
▼農林水産 林芳正(参)
▼経済産業 茂木敏充
▼国土交通 太田昭宏(公明党)
▼環境・原子力防災 石原伸晃
▼防衛 小野寺五典
▼官房 菅義偉
▼復興 根本匠
▼国家公安・拉致問題・国土強靱化・防災 古屋圭司
▼沖縄・北方 山本一太(参)
▼消費者・少子化 森雅子(参)
▼経済再生・一体改革・経済財政 甘利明
▼行政改革・公務員改革 稲田朋美


ベスト・クリスマス & ホリディー・ソング(リスト)

2012-12-25 | Weblog


Holiday Music
Holiday music is generally that end of the year, winter solstice, snowy city sidewalk music that makes very little reference to the actual, original meaning of Christmas, and only the most subtle nods to the Birthday Boy.

1. Rudolph The Red-Nosed Reindeer - Gene Autry (or Burl Ives) 2. Frosty The Snowman - Jimmy Durante (or The Ronettes) 3. All I Want For Christmas Is You - Mariah Carey 4. The Christmas Song - Nat King Cole 5. Jingle Bells - Rosemary Clooney (or Frank Sinatra) 6. White Christmas - Bing Crosby 7. Santa Claus Is Comin To Town - Bruce Springsteen (or the Jackson 5) 8. Most Wonderful Time of the Year - Andy Williams (or Johnny Mathis) 9. Have A Holly Jolly Christmas - Burl Ives 10. Happy XMas (War Is Over) - John Lennon and the Plastic Ono Band 11. Winter Wonderland - Johnny Mathis (or Eurythmics) 12. Baby It's Cold Outside - Dean Martin (or Ray Charles and Betty Carter) 13. We Need A Little Christmas - Angela Lansbury 14. The Chipmonk Song - Alvin and the Chipmonks 15. (There's No Place Like) Home For The Holidays - Perry Como (or The Carpenters) 16. It's Beginning To Look A Lot Like Christmas - Bing Crosby (or Michael Buble or Johnny Mathis) 17. Let It Snow, Let It Snow, Let It Snow - Dean Martin (or Frank Sinatra) 18. Last Christmas - Wham! 19. Rockin Around The Christmas Tree - Brenda Lee 20. Someday At Christmas - Stevie Wonder 21. Do They Know It's Christmas? - Band Aid 22. Have Yourself A Merry Little Christmas - Judy Garland 23. Give Love on Christmas Day - The Temptations (or The Jackson 5) 24. The Christmas Waltz - She and Him (or Frank Sinatra or The Carpenters) 25. Little Saint Nick - The Beach Boys

Christmas Pop Standards

Christmas Pop Standards are those enjoyed by everyone, from children to grandparents. Most of these songs are 40 or more years old.

1. Jingle Bells 2. It's Beginning To Look A Lot Like Christmas - Perry Como 3. The Christmas Song (Chestnuts Roasting on an Open Fire) - Nat 'King' Cole 4. Little Drummer Boy 5. White Christmas - Bing Crosby 6. Peace on Earth/The Little Drummer Boy - Bing Crosby and David Bowie 7. Sleigh Ride - The Carpenters 8. Have Yourself A Merry Little Christmas - Judy Garland 9. The Most Wonderful Time Of The Year - Johnny Mathis 10. Silver Bells - Johnny Mathis 11. Oh Christmas Tree 12. My Favorite Things - Tony Bennett 13. Mary's Boy Child - Harry Belafonte (or Boney M) 14. The Christmas Shoes - Newsong (or Alabama) 15. Christmas Time Is Here - Vince Guaraldi 16. (It Must Have Been Ol') Santa Claus - Harry Connicj, Jr 17. Wonderful Christmastime - Paul McCartney 18. Welcome Christmas - Boris Karloff 19. Merry Christmas, Whereever You Are - Judy Collins 20. Sleigh Ride - Johnny Mathis 21. Shake Hands With Santa Claus - Louie Prima 22. Rudolf The Red-Nosed Reindeer - The Crystals 23. Pretty Paper - Willie Nelson (or Roy Orbison) 24. Frosty The Snowman - Ronettes 25. White Christmas - Louis Armstrong

Easy Listening Christmas Instrumental Pop Songs
1. Greensleeves - Vince Guaraldi 2. Dance of the Sugar Plum Fairies 3. Hallelujah Chorus - Handal's Messiah 4. Welcome Christmas - Villagers in Whoville 5. Auld Lang Syne - Guy Lmbardo 6. Fur Elise - Vince Guaraldi 7. God Rest Ye Merry Gentlemen - Mannheim Steamroller 8. Babes In Toyland/March of the Toys 9. Good King Wenceslas - Mannhiem Steamroller 10. My Little Drum - Vince Guaraldi 11. Skating - Vince Guaraldi 12. Silver Bells - Kenny G 13. Parade of the Wooden Soldiers 14. Pat A Pan - Mannheim Steamroller 15. Riu Chiu - The Monkees


Christmas Pop Music

1. Santa Claus Is Coming To Town - Bruce Springsteen 2. It's Christmas (Baby Please Come Home) - U2 3. Christmas Eve (Sarajevo 12/24) - Trans Siberian Orchestra 4. Christmas Wrapping - The Waitresses 5. Christmas Is The Time To Say I Love You - Billy Squire 6. Little Saint Nick - Beach Boys 7. Merry Christmas Baby - Bruce Springsteen 8. Happy XMas - Plastic Ono Band (John Lennon) 9. Run Rudolf Run - Chuck Berry 10. Rock and Roll Christmas - George Thorogood 11. Jingle Bells - Brian Setzer Orchestra 12. Santa Baby - Madonna 13. I Saw Mommy Kissing Santa Claus - John Melloncamp 14. Thank God It's Christmas - Queen 15. I Wish Everyday Could Be Like Christmas - Jon Bon Jovi 16. Christmas All Over Again - Tom Petty and the Heartbreakers 17. Step Into Christmas - Elton John 18. Little Drummer Boy - Bob Seger 19. Merry Christmas (I Don't Want To Fight) - The Ramones 20. God Rest Ye Merry Gentlemen - Barenaked Ladies 21. Do They Know It's Christmas - Band Aid 22. Feliz Navidad - Jose Feliciano 23. Please Come Home For Christmas - The Eagles 24. Wizards of Winter - Trans Siberian Orchestra 25. Merry Xmas Everybody - Slade

 

 


 

 

 
 

 

 





 



[生活保護] 自民党政権誕生の恐怖

2012-12-25 | Weblog

「将来が怖い」と不安がる声が続々、自民党政権誕生に脅える人々の叫び (プレジデント)

今回の衆議院総選挙の結果を受けて、不安定になっている人たちがいる。

 筆者は、周囲の当事者の様子を見ていて、「炭鉱のカナリアに似ている」と、誰かが引きこもる人たちについて表現していたことをふと思い出した。そんな本人たちが「将来が怖い」などと不安がっているのだ。

◆「生活保護1割削減」に脅える女性

 自分の特性などから仕事に就けず、生活保護を受給しているという首都圏在住の女性は、「生活保護が1割削減されるという噂がある。また、現金ではなく、フード券などの現物支給になるとの話も出ています。そうなると“フード券使えます”というステッカーが貼ってある店を見つけなければならず、店の人にも(受給者であることを)知られることになる」と、脅える。
 
 また、いまアルバイトしている、都内在住の元引きこもり当事者の男性は、「最低賃金をなくすという流れになるんじゃないかとも感じられて、恐ろしい」と話す。

 さらに医薬品についても、生活保護受給者には原則的に、価格の安い「ジェネリック(後発医薬品)を使用すべきだ」という提言が、今年11月、政府の行政刷新会議の「事業仕分け」でも示されたばかり。すでに、以前から、厚労省は各自治体に、生活保護受給者への投薬にジェネリックを使用するよう指導していて、この義務付けは自民党政権によって加速するものと思われる。

◆憲法9条改正問題のドサクサに紛れて、生存権が脅かされるのではないか

「ここ最近、怖いんです。役所の人が怒るんですよ。うつになりそうです」(当事者自助グループの関係者)

 1年ほど前、「発達障害的な特性から会社を辞めざるを得なかった」という関西に住む30歳代の男性は、いまも失業集で、このところ落ち込んでいるという。

◆「取り戻す」というフレーズは悪魔のささやき

「景気が大事だと言っても、“引きこもり”など、いまの社会に生きづらさを感じている人たちの問題は、自民党政治が続けてきたような旧来型の価値観がベースだとしたら、解決できないと思っている。だから“取り戻そう”という言葉を聞くと、げんなりします。

 憲法改正も、9条の問題より、基本的人権の生存権が脅かされるほうが怖い。日本は元々、生存権を企業に依存しすぎてきたせいで、こういう生活障害が大量に生まれてきたと思っています。9条ばかり騒がれますが、ドサクサ紛れにコソッと生存権が脅かされそうな流れになっていて、何か気持ち悪いんです」

 これまで長年、自民党政権のつくってきた日本のシステムの結果が、時代の流れとともに、歪みや格差を助長して、生きづらさを感じる人たちを数多く輩出してきた面は否めない。

 そんな人たちにとっては、2009年の政権交代で世の中が変わると期待していたら、その後の体たらくによって、民主党への幻滅が広がってしまったのだ。

 かといって、自民党総裁の「取り戻す」というフレーズは、かつての自分の状況とオーバーラップして、「悪夢のささやきのように響いた」と話す人もいる。民主党に幻滅を感じる一方で、自民党時代に戻したくない人たちの票が、2党以外の各党に分散してしまったようなのだ。

「引きこもり問題を解消するには、国が国民の生活を保障して、富める人から貧しい人に利益の再配分をする、そして、あらゆる層の国民に公平なセーフティネットをつくるべきだと思うんです。しかし、それができない今は結局、経済力のある個人の家庭のなかで引きこもり当事者を抱え、家庭内で利益の再配分が行われてしまっている。本来、国は彼らが自立できるように雇用などのセーフティネットを充実しなければならないのに、経済力のある家庭に依存している。そういう国が、(引きこもりを抱える)家庭を問題視すること自体、責任転嫁だと思うんです」(前出の男性)

自民党政権誕生で遠のく社会

関西に住む、別の30歳代の男性も、非正規雇用の職に就いていたものの、会社の事情で辞めざるを得なくなり、次の職場がなかなか見つからず、数年にわたって「引きこもり」状態にある。自立をしようと考えるものの、なかなかうまくいかなかったという男性は、「怖さを感じてしまった」と話す。

「強制労働をさせられるようになるのではないかとかいう言説も、ネット上には溢れている。情報がないので本当かどうかはわからない。ただ、徴兵制とかになるのではないかとかいう声もある。若干、あきらめかけていた部分もあるんですが、今後、本当に仕事に就くことができなくなるのではないかという複雑な思いがあるんです」

 今回の選挙結果を受けて、虚ろな社会がますます遠のいていく。そんな不安を感じると、彼は明かす。

「どうやったら、今の状態から抜け出せるのか、自分でもわからない。でも、また企業中心の世の中に戻るのではないか。こっちには目を向けてくれないのではないかという不安がありますね。もしも最低賃金制度の廃止にでもなったらいちばん怖い。もう生きていけなくなるのではないか。生活保護は、敷居が高いイメージがあるので…」

 これまで「引きこもり」問題や「貧困」「障害者」といった弱者の支援のために、熱心に奔走してきた政治家もいた。

 東北地方で支援活動を続ける当事者グループの代表は、こうショックを隠さない。

「引きこもり問題の解決のために、一生懸命に取り組んで来られた初鹿明博議員(当時民主党議員、解散後は離党して日本未来の党へ)が落選したことが、大変残念でした。この問題に理解のあった民主党政権には期待していただけに、今回、自民党政権に代わって、引きこもり問題がどうなるのか、とても心配しています。ただ、公明党の山本博司議員(参議院)も熱心に支援してくれていますし、これからの政権がどういう対応をするのか、注視したいと思っています」

自分の生活は自ら声を上げて守るしかない

西日本で、当事者の支援活動を続ける関係者も、筆者に、こんなメッセージを寄せてくれた。

「選挙の結果にも怖さを感じますが、こんな選び方をしている有権者たちの感性も怖さを感じます。この先どうなるのか不安ですが、自分のできる範囲でしか動けません」

 そう、生活保護基準は引き下げられ、セーフティネットもなくす方向に、この国は進んでいくのかもしれない。

 でも、どんな世の中になっても、思い切って声をかけ、みんなで手をつなぎ合わせて、絆を深める。そして、一歩一歩、前へ踏み出していくことが大事なのではないか。

「池上さんみたいに強くなれない」「闘って、何かいいことがあるんですか?」などと、当事者からよく叱られる。でも、そういう自分も弱い人間であるし、実は小心者だったりする。

 自民党政権になろうが、非自民党政権であろうが、大切にしなければいけないことはあまり変わらない。自分の生活は、自分で声を上げて、心ある人たちの助けを借りながら、守っていくしかない。

 

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生活保護どうなる 自民、維新は抑制策推進

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 生活保護受給者数が増え続けている。景気低迷で雇用環境が悪化していることや高齢化が背景にある。各党の公約は抑制から充実まで、制度改革の立場は大きく異なっている。 (上坂修子)

「生活保護の受給者数が過去最高を更新している原因は受給者にあるのか。デフレ、非正規雇用の増加。それは私たちのせいか」 (東京都、男性、45歳)

 うつ病を発症して会社を退職し、生活保護を受けながら療養している読者から、政府が進める生活保護見直し議論に怒りの声が寄せられた。

 生活保護受給者数は二〇〇八年のリーマン・ショック後、急増。昨年、過去最多を更新して、一二年八月で二百十三万人余に上る。一二年度予算の支給額は三兆七千億円に達し、十年間で約一・七倍になった。

 厚生労働省は九月、扶養を断る親族に説明責任を課すことや受給者の資産、収入などに関する自治体の調査権限強化を提案。財務省は生活扶助費の4%減額を提唱した。

 自民党は「手当より仕事」を基本にし、生活保護水準の原則一割カットを打ち出し、保護費の半分を占める医療扶助の適正化を公約に盛り込んだ。

 日本維新の会は維新八策で(1)支給基準の見直し(2)医療扶助に自己負担制導入(3)現物支給を中心にする-との抑制策を打ち出した。

 みんなの党も「生活保護制度の不備・不公平、年金制度との不整合などの問題を解消」と切り下げを示唆している。

 共産党は「必要とするすべての人に受給権を保障」と公約に明記。社民党は「生活保護制度を守る」とした。

 抑制に積極的な自民と維新、反対の共産、社民の中間が民主党。マニフェストに不正受給防止のため国や地方自治体の調査権限強化や一定期間ごとの受給要件の再確認を明記したが、支給水準下げは盛り込まなかった。日本未来の党は二日に公約を発表する。

 

 


[貧困社会] 弱者を痛めつける日本の政治(追い詰められる若者達の孤独死)

2012-12-25 | Weblog

「若者の死因、半数が自殺」はなぜ起きたか
就職できない、生活保護も受けられない若者の孤独 (プレジデント)

 年間自殺者が3万人下回る見通しだが…

 2012年の日本の自殺者数は、15年ぶりに、年間3万人台を割り込む見通しであることが明らかになった。

 内閣府自殺対策推進室が7日に公表した「警察庁の自殺統計に基づく自殺者数の推移率」をみると、今年1月から11月までの自殺者数は、2万5754人。昨年の同時点と比べて、2800人減少した。

 ご存知のように、自殺者は、金融危機による倒産や失業者数の増えた1998年、一気に3万人を突破。以来、昨年まで年間3万人を超え続けていた。

 しかし、2006年10月に、自殺対策基本法が施行され、内閣府に「自殺対策総合対策会議」を設置。2010年には「いのちを守る自殺対策緊急プラン」が策定され、ワンストップ相談窓口の整備や早期対応体制強化などの様々な取り組みが、ようやく功を奏してきたのかもしれない。

 一方で、気になるデータもある。

「お父さん、眠れてる?」というキャッチコピーの『自殺総合対策パンフレット』(2010年に内閣府自殺対策推進室が発行)によると、2008年における20歳から24歳の死因の50%は自殺だった。

 同じように、死因に占める自殺の割合は、25~29歳で47%、30~34歳で40.7%などと、若者世代で40%を超えていた。
 
 また、東京都が行った『自殺に関する意識調査』(平成24年)で「自殺したいと思ったことがある」と答えた該当者に対し、「自殺を考えたとき、誰かに相談したか」という質問をしたところ、「相談したことがない」と答えた人は、73.1%にのぼった。心理的に追い込まれた人たちが、気軽に相談を打ち明けられるような人間関係もなく、社会とつながっていない孤立の実態も浮かび上がる。

生活保護申請も窓口で追い返されることも

とくに、なかなか仕事に就くことができず、生真面目で、日々の生活費の支払いにも困窮しているような引きこもり当事者や、その家族にとっては、ますます深刻な事態に陥りつつあるという。

「一昔前までは、小泉構造改革のしわ寄せで、中小企業を経営しているようなお父さんたちが、会社をつぶされて亡くなる人が多かった。でもいまは、若い人たちの仕事がないことが問題なんです」

 こうして、自殺には雇用の問題が大きいと指摘するのは、引きこもり当事者支援などを行うある自立支援団体の関係者だ。

 親世代がイメージしている高度経済成長の時代と違い、いまは大学を出ても、高学歴であっても、なかなか就職先がない。それに一旦、会社を辞めると、なかなか再就職できなくなるという現実も加わる。

 そんな若い世代が、当面の生活費に困窮したとしても、なかなか生活保護を受けさせてもらえないという。

「1人で生活保護の申請に行っても、まず窓口で追い返されますね。“ハローワークへ行きなさい”とか“相談する場所はここではない”“ここは君の来るところではない”などと言われるんです」(前出関係者)

◆生活保護申請の“水際作戦”が強化、さらに追い詰められる若者たち

 しかし、これまでの連載でも報じてきたように、ハローワークへ行っても、面接にたどり着けなかったり、やっと採用されたと思ったらブラック企業だったりと、問題がすべて解決するわけではない。セーフティーネットが不備なままであるにもかかわらず、その場しのぎ的な“水際作戦”の強化によって、生活保護のハードルが高くなったことも、若い世代を追いつめるきっかけにつながっているのかもしれない。

 しかもここ数ヵ月、その“水際作戦”がとくにひどくなってきているという。

◆親や実家に甘えなくてはいけないのか?

「新しく提出する書類の様式が変わってきて、履歴書のように自分の経歴を細かく書きなさいという紙が付いたんです」

 経歴に空白期間のある「引きこもり」経験者は、ありのまま引きこもっていたと明かすしかない。しかし、彼らにとっては、ここでも敷居が高くなっていて、プレッシャーやストレスになる可能性もある。

 そうすると結局、「親や実家に甘えなくてはいけないのか?」という話になってしまう。生活保護を受けるにあたっては、親に照会が行く。そこで、親に知られたくないからという理由で、申請しないで我慢している人たちも少なくない。このように一生懸命頑張ってきた人たちが、誰にも相談できないまま追い込まれていくこともあるという。

「ある30歳代の男性当事者は、(障害や特性などのために)仕事に就けず、実家で年金生活の親とともに生活に困っていました。(障害者が地域で自立した生活を送るための)グループホームの入居手続きに行ったら、役所にいる保健師から、グループホームに入れてあげる代わりに生活保護を受けないようにと言われました。いかにこっちが正当であっても、一連の水際作戦によって、根拠もなく、このような嫌がらせを受けるようになったんです」(前出関係者)

 このように、家賃の補助は受けられても、今後の光熱費や食費などには困窮してしまうケースも最近、複数出ているというのだ。

「1人でも頑張れる人なら、大丈夫なんです。でも、対応のひどさによって、頑張れなくなってしまうのが、引きこもりなどの当事者の特性でもあるんです」

◆このままでは生存権さえ危うい?、1人ひとりの投票が今こそ重要

 夢も希望もなく、将来の目標も立てづらいという状況では、もはや絶望しかない。しかし、こうした仕組みを変えられるのは、政治家の政治力であり、彼らを選ぶのは、私たち有権者である。

◆候補者や政党の政策や訴えを注意深く見て投票を

多党化で注目されている今回の選挙では、「生活保護基準の引き下げ」や「最低賃金制度の廃止」の是非なども争点になっている。選挙の結果次第では、基本的な生存権すらも見捨てられるような政策も行われかねない。

 一方で、今春「わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できる」という考え方で問題になった「親学」の教育を推進しようとしている議員連盟や団体を背景にした候補者や政党もあり、発達障害の当事者は「特性であることも理解せずに、当事者に精神論やトレーニングを課すのは筋違い」と心配する。

 党派を超えて、日頃から「引きこもり」当事者や家族などに寄り添いながら、問題の解決へ向けて、行政に働きかける取り組みを熱心に行ってきた候補者も少なくない。

 気がついたら、引きこもる高齢者や障害者などを想定したような「生産性の低い人はいらない」という世の中になっていた…などということにさせないためにも、衆院選候補者や政党の政策、あるいは訴えを注意深く見て投票していくことがいま、私たち1人ひとりに問いかけられている。

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若者の雇用 「金の卵」は育ててこそ

 若者たちの雇用が細っている。十二月に主な企業の会社説明会が解禁され大学三年生の就職活動が始まったが、状況は依然厳しい。社会を支える世代への雇用支援は大きな政策課題だ。

 若者たちの就活は厳しい。来春卒業予定の大学生の就職内定率(十月一日現在)は63・1%、高校生(十月末現在)は60・9%で、いずれもリーマン・ショック以前の水準に戻っていない。就活中の四年生約十五万七千人が内定を得ていない中で、三年生の就活が始まった。

 無職のまま卒業する若者もいる。今春、大学を卒業した五十六万人のうち、約八万七千人が就職や進学をしていない。非正規職など安定的な仕事に就いていない人は二割強いる。若者の失業率は今夏で7~8%と全世代の倍近い。

 正社員の職を得ても使い捨てにする「ブラック企業」がある。辞めた後は非正規になりやすい。

 就職できない状況は改善したいが、就職できても非正規では技術や経験を積み、職業人として成長する機会が限られる。不安定で低収入のため結婚も難しく、少子化に拍車をかける。

 十月施行の改正労働者派遣法は肝心の製造業派遣は経済界などの反対で禁止が見送られた。来年四月に施行される改正労働契約法は有期雇用から無期に転換を進める狙いがあるが、待遇や人材育成面での正社員との格差は残ったままで不十分だ。

 厚生労働省調査では、パートの若者で「正社員になりたい」人は二十~二十四歳で約六割、二十~三十四歳でも四割を超える。その理由に収入や雇用の安定とともに「より経験を深め、視野を広げたい」ことも挙げている。

 自分を磨き自立したい若者を支える雇用環境こそ必要だろう。

 二〇一二年版の労働経済白書は中間層の拡大を目標に掲げた。企業に「人への投資」を増やすことを求めていることは当然だ。

 職場での非正規の職業訓練機会は、正社員の半分しかない。これでは人は育たない。企業は正社員化や能力開発など待遇改善と人材育成に努めるべきだ。

 国は雇用の受け皿となる成長分野を育て、働く環境の改善を進める必要がある。人を育てたいと考える中小企業や介護など業種もあるはずだ。若者には、仕事の魅力を探す就活をしてほしい。

 若者は経済成長の原動力と同時に社会保障制度を支える「金の卵」だ。しっかりと育てたい


[悲報] 時代が記憶すべき人、「はだしのゲン」作者死去

2012-12-25 | Weblog

広島原爆で愛する家族(父・姉・弟・妹)を失い、自身も被爆し、そのうえ被爆者としての差別をうけながら、その悲しさや苦しさを天が自分に与えた使命ととらえ、漫画を描くことで、戦争の悲惨、平和の尊さを訴え続けてきた中沢氏。ご冥福を祈ります。

しかし中沢氏がいま眠りにつき、原発推進・富国強兵をおす自民が蘇ってきたことはまことに皮肉だ。それに天職をまっとうした中沢氏と比べ、自民の安倍にしろ、維新の石原にしろ、職責を任期途中で投げ出し、国民を欺いた極右派のふらつきモノたちだ。

結局、ゴタゴタ続きの家庭には福が寄り付かないのと同じで、日本は完全に国運にみはなされたようだ。2011年は東電の前会長・勝俣恒久が引き起こした福島原発人災事故、そして今年は先代の外交努力を無とかし、日本の産業界に計り知れない経済的損失をまねいた前都知事石原慎太郎の尖閣購入計画。2013年は、よくはならないということだけは確かだ。本ブログ管理人の一言。

 

漫画家の中沢啓治さん死去 「はだしのゲン」作者

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「はだしのゲン」(c)中沢啓治/汐文社

  MAINICHI:19日に73歳で亡くなった漫画家で「はだしのゲン」作者の中沢啓治さんは、原爆投下と戦争の「責任」を問い続けた。漫画の主人公のゲンさながらに、ユーモアと明るさで包んだ怒りを、頑固に発信し続けた。

 8月6日の広島・平和記念式典に自分の意思で参加したことはなかった。「だって全然問わないからね、戦争責任を。平和宣言やって、鐘鳴らして。こんなもんじゃないだろう。もっと怒りを持たねばならない」。09年に「はだしのゲン」の原画を広島市に寄贈したことから、11年夏に初めて式典に招待された。「今生の別れのつもりで見届けたが、(ハトが飛ぶ演出など)空虚に感じた」とやはり手厳しかった。

 米軍による広島、長崎への原爆投下を「実験場にされた」とみていた。原爆以前から反戦運動をしていた日本画家の父晴海(はるみ)さんが投獄され、一家で「非国民」といじめられた経験、日本人自身が昭和天皇やA級戦犯の戦争責任をうやむやにした怒りを漫画に込めた。きれいごとを嫌い、「自由にものが言えなくなる」と、団体に一切属さなかった。

 怒りの矛先は原爆にとどまらなかった。「原子力」の利用そのものにも鋭い批判を向けた。旧ソ連チェルノブイリ原発事故から25年となった11年4月26日夜、広島市内であった自伝映画の上映会でのあいさつで東京電力福島第1原発事故に触れ、「人間の手で制御できない原発ばかりに頼るのは危険だ。これを機に自然エネルギー利用に転換すべきだ」と語った。被爆者が差別された経験から、福島でも同様の事態が起きないよう強く願った。

 若くして離れた故郷への愛着が、憤りを一層激しくしたのかもしれない。絵描きの才能を発揮した中沢さんは中学卒業後に看板屋に就職し、1957年完成の旧広島市民球場で看板広告を描いた。11年に式典に出席した前夜、新球場「マツダスタジアム」に初めて足を運び、カープの試合で始球式のマウンドに立った。力いっぱい投げ込み、子どものような笑顔を見せていた。

 既に肺がんが体をむしばみ、再発や転移を繰り返していた。抗がん剤や放射線治療をしたが副作用が強く出て中断。退院すると精力的に講演活動などを行い、今年8月6日の広島原爆の日にはラジオ番組に出演していたが、秋から肺炎で入院していた。

「踏まれても踏まれても、たくましい芽を出す麦になれ」。被爆死した父の教えは「ゲン」のテーマでもあり、その言葉通り中沢さんは何度も復活し、最後まで戦い続けた。

 中沢さんは家族に、家族葬が終わるまで死去したことを他言しないよう言い残していたという。

 【ことば】はだしのゲン

 小学2年の主人公、中岡元(ゲン)は広島の自宅で被爆し、奇跡的に助かるが、父や姉弟たちは家の下敷きになって亡くなる。ゲンも原爆症で髪が抜け落ち、死への恐怖に襲われる。母と原爆投下後に生まれた妹のために焼け野原を奔走するが、その後2人とも亡くなってしまう。ゲンは絶望のふちに追い込まれながらも立ち上がり、戦後の苦難を力強く生き抜いていく。

 

 


 参考:インタビュー記事(pdf)

http://www.japanfocus.org/data/Microsoft%20Word%20-%20genisangry.j.original.pdf

 

参考:経歴ほか

1945年8月6日、広島市立神崎国民学校(現在の広島市立神崎小学校)1年生だった時に広島で被爆。友達の母親に呼び止められて自身は建物の塀の影に入って熱線を浴びずに奇跡的に助かるが、父、姉、弟を失った。これは『はだしのゲン』の原爆投下時のエピソードとほぼ同じである。父は日本画家だった。

終戦後、手塚治虫の『新宝島』を読んで感動し、漫画家になる事を決意。

中学卒業後に看板屋で勤め、そこで当時の中卒最高額の給料を貰った。昼間は看板修行、夜は漫画修行、日曜の休みに三本立ての映画を見たと言う。その後、漫画の投稿を何度も行い、『おもしろブック』に時代劇の読みきりを描いて応募した作品が入選作となった。

1961年一峰大二のアシスタントになるために上京し、山手線日暮里駅のそばのアパートに住んだ。漫画家デビューは2年後の1963年とされる。

レースカーと産業スパイをからめた『スパーク1』(『少年画報』)でデビューしたが、打ち切られた。一からやり直すために、辻なおきのアシスタントになり、『週刊少年キング』では『宇宙ジラフ』を三ヶ月連載し、締め切りに追い込まれプロの厳しさが分かったと言う。

上京当初は周囲の原爆被爆者に対する差別の視線から、もう二度と原爆と言う言葉を口にすまいと決心し、自らが被爆した過去を語りたがらず、専ら少年向け漫画誌に原爆とは無縁の漫画を描いていた。

転機となったのは1966年の母の死で、広島に戻り火葬した際に放射能のために母の骨がなかった事に怒り、原爆という言葉から逃げ回るのでなく、漫画の世界で戦うと決意した。

初めて原爆を題材とした漫画『黒い雨にうたれて』を描き始めるが、最初はどこの出版社からも掲載を断られた。『漫画パンチ』のH編集長には感動されたものの「CIAに捕まるかも知れない」と言われたが、「喜んで捕まりますよ!」と答え、描き上げてから2年の時を経てようやく掲載された。『黒い雨にうたれて』は好評となり、『黒い川の流れに』『黒い沈黙の果てに』『黒い鳩の群れに』といった作品も描いた。

『はだしのゲン』は、33歳の時、出版社の企画で描いた自伝の漫画『おれは見た』に感動した編集長に長期連載を勧められ始まったもので、広島の原爆で父、姉、弟を喪った主人公の少年、中岡元(なかおか げん)が逞しく生きる姿を描いている。主人公・元の姉と妹の名前は中沢自身の姉と妹の名前をそのまま使用しているなど自伝的要素が強い。

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被爆者でありながら悲惨な被爆体験のため2010年まで平和記念式典に出た事はなかった。「原爆に触れるのが嫌だった。(慰霊の日)8時15分が迫ると気分が重い。逃げ回った姿が蘇る」と述べている。2010年に肺がんで生死をさまよった事を契機に、2011年、初めて出席した。

中沢の漫画は妻に手伝ってもらう他には一人で描いている。これは中沢がアシスタントを雇って作業する方法を嫌っており、自分一人で描くというポリシーを持っているためである。そういった中沢のこだわりもあり、違う職業の人としか顔を合わせないこともある。理由は、原爆漫画家と同業者からレッテルを貼られていることが不快で、自分の顔を見られることが嫌だからと語っていた。

最高戦争責任者だった昭和天皇の戦争責任を主張しているため、戦後も国家元首だった昭和天皇を激しく嫌い、その憎悪から天皇制を絶対に許せない物として強固に廃止する事を求めており、天皇に対する怒りは一切の妥協を許さない程厳しく、広島に行幸した天皇を『人間の神経をもたない冷血人間』と評している。

「天皇や軍部はポツダム宣言を無視し、その結果、広島・長崎で多くの人が亡くなった。なのに戦後、天皇が広島に来た時には日の丸を振るように学校で言われた。なぜ万歳なのか。今でも腹の中が煮えくり返る思いがある。日本人は甘いと思う。」と述べ、さらに「天皇ヒロヒトと皇族を助けるために広島と長崎は犠牲にされたのだ。」と過激な発言を述べている。

また日本の戦争責任者の昭和天皇が生き延びた事がイタリアの戦争責任者のベニート・ムッソリーニが逆さ吊りにされてイタリア国民に石を投げつけられる末路と正反対である事を比較している。しかし中沢は作中で天皇制批判を描いても嫌がらせがなく拍子に抜けたと言い、自伝や週刊誌や新聞で天皇制批判を載せている。

『はだしのゲンへの手紙』では読者に「天皇は憎いですか?」という質問に対し、「天皇の名によってアジアで2000万人、日本では300万人も殺された、私は天皇が憎い」と返答しており、一方、昭和天皇が1975年の日本記者クラブで「戦争中の事だからやむを得ない」と失言した事に対しては「被爆者に対して土下座して謝って欲しかった」と述べている。

原爆投下の当事者のアメリカに対し怒りを持っており、原爆投下をしたアメリカにはナチスドイツホロコーストを批判する資格はないと述べている。アメリカの原爆投下について『黒い雨にうたれて』では「勝てば官軍、負ければ賊軍、でも勝手すぎる」『はだしのゲン』では「喧嘩両成敗」と主張している。ただし、アメリカの国力もしくは文化には敬意を示しており、ウォルト・ディズニー白雪姫が戦前のカラー映画である事に気が付き舌を巻いたと言う。アメリカの児童やオバマ大統領とその子女に英語版『はだしのゲン』を読んで欲しいと述べている。

日朝関係に対しては、日本統治時代の植民地支配を批判し、朝鮮に対し贖罪意識を持っており、朝鮮語版『はだしのゲン』を北朝鮮に持ち込みたいと述べている。

日中関係に対しては平和交流を期待しており、「日本人が被害者ぶるのではなく他の国で何をしたのかも知っておく必要がある。南京虐殺の資料が出てくると、なんと日本人が酷い事をしたのかというのが出てくる。申し訳ない気持ちでいっぱいになります。」と述べている。

また、原爆を題材にした漫画の他、『グズ六行進曲』『お好み八ちゃん』など、主人公が一人前の職人や調理師等を目指して努力する「仕事シリーズ」や、「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」等の怪獣映画コミカライズも多数手掛けている。


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[葵彩募金] 目標の7割、さらなる心臓移植募金のお願い

2012-12-24 | Weblog

石原慎太郎の尖閣購入の呼びかけに応じて、ペテンに引っかかった哀れな寄付者たち。呼びかけた石原は、責任問題に発展するのを恐れ、すべてを放り出して任期途中で夜逃げしてしまった。さらに自分の後がまに副知事を推薦し問題を封じ込めようと企てた。外国であれば、とっくに寄付金の返還を求めて集団訴訟を起こされているケースだ。同じ寄付でも、葵彩ちゃんのためにしていれば、どれだけ自分の心も救われただろうに。管理人。

葵彩ちゃん募金、1億円突破 心臓移植へ目標の7割

重い心臓病を患う平田村の吉田葵彩(あおい)ちゃん(1歳8か月)の米国での心臓移植費用を賄うため、両親やその友人らが呼び掛けている募金が1億円を突破した。23日には県職員の有志も参加し、JR福島駅前など県内9か所で街頭募金を行った。

 葵彩ちゃんは心筋の機能が低下する拡張型心筋症と診断され、心臓移植以外に根本的な治療法はない。両親は米国での移植を決断し、友人らが「よしだあおいちゃんを救う会」を結成。手術費や渡航費など1億6500万円を集めるため、11月下旬に募金活動を始めた。

 市民や慈善団体の寄付のほか、過去に募金を集め、海外で臓器移植を受けた富岡町や千葉市などの子供の支援団体からも余剰金が寄せられた。23日までに、目標の7割に当たる1億2054万円が集まった。

 福島駅前で23日に行われた募金活動には、会員9人と県職員4人が参加。「葵彩ちゃんを助けるために募金をお願いします」と呼び掛けると、幅広い世代の人たちが応じていた。救う会代表の久保木徳男さん(65)は「皆様の協力で、予想よりも早く1億円を突破できた。今後も順調に集まれば、1月中にも渡航できると思う」と話していた。YOMIURI

 募金の振込先などはHP(http://www.aoi-chan.net/)で確認できる。問い合わせは同会事務局(0247・57・5562)へ。