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[衆院選] 若者セーフティネット、奨学金返済に苦しむ(制度見直し)

2012-12-07 | Weblog

非正規雇用などで収入が不安定のため、奨学金の返還に苦しむ若者や親が多い。背景には、貸与中心の奨学金制度など構造的な問題がある。各地の法律家らは、奨学金返還についての相談活動に力を入れ始め、この問題に取り組む労働組合と、制度見直しを求める運動にも力を入れる構えだ。二週にわたり、奨学金の返還問題について考える。

 奨学金の返還や労働相談に乗る首都圏なかまユニオン、日本学生支援機構労働組合(学支労)などの労組と各地の法律家らが、九月二十九日に開いた「奨学金返済ホットライン」。全国五カ所で計六十件の相談が寄せられた。

 東海地方に住む主婦も、悩みを電話で法律家に伝えた。「子どもの奨学金返還の負担が重く、家計がピンチ。子どもも将来展望が見えません」

 夫は六十歳で定年退職した後も会社勤めをしているが、年収は以前に比べ大きく減り、二百万円ほど。子ども二人は私立高校から私立大学に進み、下宿生活を送った。共に就職し、一人は正社員だが、もう一人は契約社員の扱いで、約一年勤めたものの諸事情から退職、今は求職活動中だ。

 二人とも、日本学生支援機構の奨学金を高校生のときから利用。貸与総額は一千万円を超えた。現在は、失業中の子どもの返還を親が肩代わり。住宅ローンと合わせると、毎月十万円ほど返している。貯金は底をつきかけており、必死で節約する日々だ。

 ホットラインの相談の大半は、親からの相談だった。「子どもが就職に失敗した」「就職はしたが、非正規労働で低賃金」「子どもが精神疾患になった」といった事情が目立つ。奨学金は子どもに支給されるが、通常は親が連帯保証人になる。

 奨学金ホットラインは、これまでは労組が中心になって東京都や大阪市、那覇市で行っていたが、今回は全国各地の弁護士や司法書士に協力要請し、初めて名古屋市や札幌市でも開設した。

 奨学金でシェアが大きいのは日本学生支援機構。同機構は、低所得などで返すのが困難な人向けに返還猶予制度を設けており、なかまユニオンなどは、相談を受けた際に「返還猶予制度を使えば、返還を一時的にストップできる」とアドバイスする。

 ただ、奨学金の返還に迫られ、消費者金融なども利用して多重債務に陥った人も少なくはない。そうした場合などは、法律家に頼んで債務整理することが必要だ。

 日本弁護士連合会貧困問題対策本部に所属する岩重佳治弁護士は、各地の弁護士や司法書士に協力を要請した結果、「全国の五十人ほどの法律家に協力してもらえることになった」と説明。「今後は各地の弁護士会にも協力を呼び掛ける予定。制度改善に向け、弁護士会としての提言なども検討してほしい」と話している。

◆「非正規雇用で延滞」増

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 日本学生支援機構が持つ債権のうち、3カ月以上返還が延滞している分の金額は、2011年度末で2647億円。12年前の約2.8倍の水準=グラフ。学生への仕送り額が減少し続けるのに伴って、奨学金利用者が増え、比例して延滞債権額が伸びた。

 非正規雇用労働者の割合が高まったことを反映し、今は延滞者の半数以上が非正規雇用や失業中の若者だ。全体の債権額の伸びが大きいので、今後も延滞債権額は伸びていく見込みだ。

 労組幹部は同機構の奨学金制度にも問題があると指摘する。学支労の岡村稔書記次長は「返還が不要の給付型を導入すべきだし、貸与型については無利子タイプのものを拡充しなければ」と訴える。「大学の学費そのものを抑えるべきだ」という意見も、労組や法律家には強い。

 
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 就職しても低賃金だと返還が難しくなる奨学金。返還の必要がない給付型が主流になれば、利用する側はありがたい。が、日本では、国や自治体の財政難から公的な奨学金のほとんどは貸与型だ。一部給付の独自の奨学金制度を導入した香川県の事例や海外の事情を基に、「貸与か給付か」を考えた。 (白井康彦)

 「反響はかなりありました」。香川県教育委員会高校教育課の中村禎伸課長補佐は、こう振り返る。これまで県独自の奨学金制度はなかったが、低所得世帯の学生を支援するため新設。二〇一一年秋に初めて利用者を募集した。

 一二年春に大学、短大、大学院などに入学する人が対象で、学力や世帯収入の基準を満たすことが条件。募集人員は約百人。これに加え、特別に一一年春に入学していた学生も約百人募集した。計約二百人の募集枠に約八百人の申し込みがあった。

 今年三~四月は、一三年春の入学者を対象に二回目の募集を行い、約三百五十人が応募した。

 人気の要因は、県内就職者への一部返還免除だ。免除されるのは、一万五千円に奨学金の利用月数を掛けた金額。奨学金を四十八カ月利用していた場合は、七十二万円を返還しなくて済む。

 この奨学金を利用しても、卒業後に県内で就職するとは限らない。中村さんは「県内就職は半分ぐらいと見込んでいる」と説明する。年間利用者約百人のうち五十人が県内で就職すると仮定すると、一部返還免除の合計は毎年三千六百万円になる計算。県の財政はその分だけ持ち出しになる。

 浜田恵造知事は、一〇年の知事選で奨学金制度の創設を選挙公約に掲げた。財政難の中で一部給付の奨学金が実現できたのは、知事主導だったからだ。

 国の予算が使われる独立行政法人「日本学生支援機構」(東京)の奨学金はすべて貸与型。給付型は、個々の大学が学業優秀者に支給するほかは、多くの自治体が医師確保策の一環で医学部生へ奨学金を出しているのが目立つぐらいだ。

 欧米諸国では状況が大きく異なる。教育関係の労働組合などでつくる「奨学金の会」が、経済協力開発機構(OECD)が編集した「図表でみる教育OECDインディケータ」(一〇年版)を基にまとめた資料を見てみよう。家計の教育費への公的補助に占める給付型奨学金の割合を示したものだ。日本は0%だが、フランスやイタリアなど欧州の十一カ国は100%で、OECDの平均でも58・5%。欧米では給付型が主流だ。

 「奨学金の返還負担の重さを考え、貧しい世帯では大学進学をあきらめる人が多い」。こういった声が教育界で強いため、文部科学省は日本学生支援機構の奨学金に給付型を導入しようとした。

 文科省の概算要求で、高校生向けの奨学金については一〇、一一、一二年度に、大学生など向けも一二年度に給付型の新設を求めた。大学生など向けは二万一千人を給付対象に、一人当たり平均で年間七十万円を給付する案だった。

 しかし、国の財政が厳しいことを理由に財務省や与党が給付型の導入に反対し、結局、給付型は導入されなかった。文科省は、一三年度の概算要求では給付型を求めなかった。

 実現が遠そうな給付型。低賃金の非正規労働の割合が上昇し、給与所得者の平均収入は減り続ける。奨学金の返還を将来長く背負わされる若者はつらい。

 奨学金問題に詳しい中京大国際教養学部の大内裕和教授は「日本の教育予算の割合は海外諸国に比べて低く、大幅にアップさせる必要がある。給付型奨学金を導入するなどして、若者に希望を持たせねばならない」と話している。

 

 

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[衆院選] 原発フェードアウト、選挙公約はアテになるか?

2012-12-07 | Weblog

REF.12月4日付本ブログ、[衆院選] タカ派トリオ公約、石原・安倍・橋下(原発容認)

「原発周り」選挙公約はアテになるか?(伊東乾)

先に今回の結論を言ってしまうと、今回の選挙で原発に関連してなんらかの数値を挙げることが、そもそも「公約」にならないのではないか、と思うのです。  

というのは、3.11東日本大震災後の福島第一原発事故の収拾はもとより、エネルギー政策の根本的な転換といった問題を含め、次の選挙で選ばれる議員の任期でどうにかなるものなど、実のところひとつもないのですから。  

出来ることを適切に言うのは「公約」、そうでないなら「アピール」とか「宣伝」と言うべきでしょう。約束にもならないことを公約と称するなら、単なる法螺か嘘にしかなりません。  以下ではどこの政党がどう、と名を挙げることはしません。「選挙と原発」の一般論として考えています。そのようにご了解ください。というより、ことは一党一派がどうこう、という問題ではないと私は考えており、それが本稿の一番のポイントでもあります。

 例えば2030年代までに「既設の原子炉による原子力発電を「フェードアウト」するとか、それを見直させるとかいう話が載っており、何かの印字ミスではないかと目を幾度か擦らざるを得ませんでした。これは「公約」にはなりようがありません。

寿命から考える

  というのは、現在稼動している原子炉であれば、放っておいても大半が寿命を迎えるので、段階的にストップしているのが当たり前で、いわば「何もしない」という状態が「フェードアウト」なる言葉に一番フィットしていると思うからです。

  「みなさん、西暦2050年には、今生きている人の何割かが、すでに地上にはいないでしょう。2100年には、現存の人はほとんど『フェードアウト』する。我が党はこれを、かたく皆さんと公約して、お守りしたいと思います」 という話があり得るか?

 「原発停止」をうたうものであれば、これはフェイキング、表現の詐術と言わねばならんでしょう。一目見てレトリックと分かりましたが、それではあまりに有権者に失礼な言葉のあや、幾度か目を擦って見直したわけですが・・・実際にそう書いてありました。その程度のイメージ選挙と思っている可能性があります。

  今のアウトラインを、もう少し具体的に見てみましょう。例えば日本全国のどこでもいい、今現在『既設』の原子力発電所データをチェックしてみると・・・例えば九州電力川内原子力発電所は1号機と2号機が現在点検中、3号機が計画中とのことですが、 1号機が1984年7月4日の運転開始 2号機が1985年11月28日の運転開始 3号機は2019年度運転開始予定となっています。 ここで思い出していただきたいのですが、福島第一原発第1号機は1971年3月26日の運転開始、寿命40年の原子炉で39年11カ月半を経過して、あと半月というタイミングで3月11日を迎えてしまったのでした。

  現在設置されているおのおのの原子炉の正確な耐用年限を確認していませんが、例えば上の川内原発であれば40年目は1号機が2024年、2号機が2025年に寿命を迎え、2030年代までには廃炉段階に入っていなければなりません。もし、文字通り「そういう公約は直させる」という人がいるとしたら、つまり2030年を過ぎてもこれらの原発を無理やり稼動させるというのなら、それはつまり耐用年限を過ぎた、いつ壊れても不思議でない45年目46年目の原発を、経済性を優先して運転させ続けるという意味になってしまうはずです。

  いくらなんでも、そこまでおろかな候補者はいないと思いますので、要するに大味な話をしていることになる。  選挙を「イメージ」で戦わざるをえないというのが、残念ながら今の日本の過不足ない現状でもありますが、いくらなんでも乱暴な、と思わざるを得ません。

 既存施設の停止コスト

  仮に2030年とか2030「年代」とかいう言葉を使うとき、微妙になってくるのは、ここから40年を差し引いた時期より前と、後とに運転開始(あるいは今後に運転開始予定)という原発でしょう。具体例を挙げてみましょう。

  北海道電力泊発電所は、3基の原子炉が設置されています。これらのデータを見てみると 1号機:1989年6月22日運転開始 2号機:1991年4月12日運転開始 3号機:2009年12月22日運転開始 となっています。これらを仮に2030年1月1日の時点で考えるなら1号機は運転開始から40年と半年を経過しており、廃炉していなければならない時期ですが、2号機は運転開始から足掛け39年目に入るところで、まだ少しですが寿命を残っています。3号機は運転開始からまだ21年しか経っていません。

  また仮に「2030年代には」という言葉を2039年12月31日まで伸ばして考えることにしても、泊原発三号機は30年目で、稼動寿命がまだ10年ほど残っています(2029年末ならまだ寿命が20年)。

  これらを政策的にストップさせるとすれば、何らかの補償がなされることになるでしょうし、当然ながらその財源が必要になる。またかなりの補償がなされたとしても、各電力会社のバランスシートに照らせば、やはり収支は悪くなるのは、まずもって間違いないところでしょう。

原子炉を新設しない場合のコスト

  また、もう一度先ほどの川内原発に目を転じれば、2019年に運転開始予定のプランが凍結されているわけですが、この後始末をどうするか。あるいは政策が変わり、やはりプランを続行することになったなら(この場合、いわゆる「脱原発」「卒原発」ではない、2029年末には運転開始10年で残余寿命が30年、39年には寿命20年、かりに寿命の限界まで運転すれば2059年まで動くことになる。

  私は1965年の生まれですので、その頃はもうこの世にいないと思いますが、もし仮にこの時まで生きていたとすれば94歳の老人で、大往生するとしても人生の最後まで原発は稼動していた、ということになると思います。

  これら、現在計画が進められ、3.11でいったん止まった原子炉をどう考えるか。すでに準備、発注した部分、買収した用地はどう考えるか。受注した企業としては、大事な仕事ですから、当然ながら再開を希望しつつ、いまはジッとしているというのが偽らざるところでしょう。規模の小さいところなら、会社の命運を左右し、個人経営なら一家の将来が掛かっているかもしれない。

  そうした具体に対するコストを、きちんと考えてのスローガンになっているか? それとも、本来大人の分別なら細大考えねばならない現実を考慮せず「天下を取ってから議論すればいい。ヴィジョンだけ示してあとは官僚に命じればよい」といった、その実中身のないパブリシティ、見せ金的広告になっていたりはしないか? そういう点に留意して、ひとつひとつの主張を見るようにしています。

  ちなみに私自身は、かつて大学・大学院で物理を学び、放射線管理区域で寝起きしていた時期もある一個人として、現状の原子炉による発電は段階的停止を進め、新規運転開始には極力慎重、代替エネルギー開発のイノヴェーション重視、を基本に考えるものです。

  雇用その他の社会経済を念頭に、極力ソフトランディングに注意するのが、ことに対処する上では重要です。そういう観点からみて、今回選挙で各党、各候補が掲げる「政策」「公約」はどうでしょうか?  どこがどう、とここではあえて論評しません。「公約」ならぬ「膏薬」程度で、その場の空気を取り繕う、イメージ的なキャッチフレーズが大半ではないでしょうか?

  でも、残念ながらそれは仕方ないのかもしれない。この国の選挙ですから。そもそもの低投票率に加え、雰囲気で右にも左にも流れる「民意」であることは、いままでの戦後の選挙の歴史が如実に見せているとおりです。

  私が一番強く思うのは、たかだか4年任期の立法府が、一過性の大衆の人気で左右されて、方針をフラフラさせるようなことなのか、この問題は? という一点にほかなりません。

長期に責任を負う「技術官僚」

  選挙では、瞬間風速が結果を左右します。そういうとき、攻撃は最大の防御というもので「中央官僚支配の打破」などというと、それらしく見えるかもしれません。が、ここで遭えて強調しますが、公務員総合職はさておき、現場に張り付いて技術に責任を持つ「技官」の言葉を一番大きく参考にします。

  「中央官僚」と一言で言うと、情宣つまりアジテーションとしてはそれらしく見える。しかし立法府はたかだか4年6年で「国民に信を問う」ミソギでざぶざぶ洗われて、右へ左へと方針が定まらないリスクがある。

  そんなことでは国は動きませんから、きちんと安定した公務員、役人という立場があるわけですが、ここでキャリア、総合職の任期が議員などよりもさらに短く、頻繁に異動してゆくことで、現在の『硬直』の大半が起きているのではないか。  逆に5年や10年のタイムスパンでは絶対に対処できない、共同体の大切な仕事に、ほとんど現役の全生涯をかけて取り組んでいるのが、現場の技官など、専門職のプロフェッショナルにほかなりません。

  「官僚支配を壊す」の鼻息はよしとして、それをどう進めるか?と問われ、具体的な工程のヴィジョンはいっさい示すことが出来ず、それを官僚にやらせるのが政治家の仕事だ、などと開き直っても、役所という所は絶対に動きません。確かに役所には役所の体質があります。が、それは決して悪の巣窟のようなものではない。しっかり見れば、一人ひとりはきちんとしたプロがちゃんと責任を全うして仕事したいと思っている人が、すくなくとも専門職は大半と思います。

  2年、3年、4年というタイムスパンで、確実に出来ることを工程含め明示すること。20年30年というスパンが絶対に必要不可欠なものについては、不可能な法螺を吹いたり、放置してもそのまま起きる現象を膏薬のごとく貼り付ける、とかでなく、長期対応にしっかり即した見解を示すこと。

  今回の選挙は、いろいろな意味で日本にとって大きな変化になり得るもの、本当に大事なものと思っています。そのとき、ベニヤ板一枚のテレビスタジオのセットみたいな膏薬は、しっかりそれと見抜く力が、有権者には本来、絶対的に求められていると思います。

  是を是とし、非を非とすること、具体的ヴィジョンを示し言葉に責任を取ること。どうしてそういう当たり前のことと、選挙が連動しないのか。SNSなどで青臭い書生論議と言われるのは承知の上で、こうした民主主義と選挙制度の「源流探訪」をせずにはいられない思いを持たざるを得ません。

 (文)伊東 乾:1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。