はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

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私事であるが、今春の連休明け頃に、右上腕に痺れるような痛みを感じ、整形外科に行ったところ、頚椎部分で神経が刺激されるための症状とのこと、、で、以来、時おり首の牽引療法を受けることとなった(一ヶ月以上の時間をかけて痛みは徐々に消えてきている、、とりあえずよかった.)。

首を引っ張るベルトを顎のあたりに引っ掛けて、機械により断続的に7キログラム重程度の力で引っ張り上げる、、このリハビリ治療を受けながら私は、人間は大昔よりこのような感覚をとおして、体感としての「力」の素朴なイメージを持つようになったのだろう、、などと、職業意識から離れられない悲しい性に根ざす思索に心を投じていた。

眼を閉じて、首が引っ張られる力とは如何なるものかを感じとろうとした。もちろん、上向きに引っ張り上げる力を感じようとしたのである。ところが、驚くべきことに、集中すればするほど、上向きの力の感覚など存在しないことがはっきりしてくるのである。確かに顎のベルトのあたりに圧迫感のようなものは感じるが、それは上に引っ張られる感覚ではなく、体重が首と顎にひしひしとかかってくる感覚であり、下向きの重力を感じているようにも受け取れる。

そうなのだ。人は体感でベクトルとしての「力(force)」を感じることはないのだ。例えば、加速する乗り物の中で感じる効果も、背中への圧迫感なのであって、決して後ろ向きの慣性力そのものではない。

では何を感じるかと言えば、基本的には体の応力変形を感じるのだ。あえて言えば、これは、力よりはエネルギーの効果に対応するものだ。人は力を感じない。エネルギー(の高まり)を感じる、、、突拍子もないなことを言い出してしまったが、こう考えた方がつじつまが合うことも多いのである。

しかし、「力」という言葉はNewton力学以前から存在する。「力」がぴったりくる影響と現象はもちろんあるわけだ。例えば、散歩する犬の首輪のロープに引っ張られるとき、我々は、犬が発揮する力を感じる。馬を引くとき、馬に力を与えているように思う。これはどういうことだろうか。

-----つづく-----
force, ability, power, faculty

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