音の向こうの景色

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フンパーディンク「ヘンゼルとグレーテル」より お祈りの二重唱

2011-01-08 01:40:11 | オペラ・声楽
 今日はオペラのGP(*ゲネラル・プローベ:最終リハーサル)で譜めくりをしてきた。地域の市民と一緒に舞台を創るという企画で、元気な子どもとお母さんたちが楽しそうに歌っていた。演目はフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」。オーケストラのサイズはワーグナーばりだが、今回はこれをピアノ1台で伴奏している。ピアニストさんが隙間なく音を埋めて厚くしていることに感嘆しながら、譜面を追っていた。
 有名なグリム童話をもとにして作られたオペラで、メロディーも覚えやすくわかりやすいので、往々にして「子供向け」と思われがちだが、実によくできた作品だと思う。楽譜を見ながら全幕を聞いたのは今日が初めてだったのだが、意外に凝ったリズムで書かれていたり、丁寧に和声がついていたりして、改めてその素晴らしさに驚いた。耳触りが良い音楽なので、いつもなんとなく聞き過ごしていたが、さすがはワーグナーの弟子。随所にライト・モチーフがちりばめられている。
 「子供向け」として片付けられがちだが素晴らしい作品といえば、ケストナーの小説「ふたりのロッテ」がある。そっくりのふたごが入れ替わる楽しいお話、として記憶している方も多いのではないだろうか。ミュージカルやアニメにもなっているが、「離婚した両親の再婚」という割と大人っぽいテーマを扱っている。あちこちに、ぴりっと効いた寸鉄がちりばめられている。
 このふたごのお父さんは、ウィーンのシュターツ・オーパー(国立歌劇場)の楽長という設定だ。おまけにその恋人はインペリアル・ホテルのオーナーの令嬢ということになっている。音楽家の生活についての描写はかなりリアルで、大人になって読んでみるととても面白い。そして、小説の真ん中辺で、お父さんがフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」を指揮するというシーンがある。
 桟敷席からお父さんの燕尾服姿を初めて見たロッテは、感激しながら序曲を聴く。ところが、ヘンゼルたちが母親の癇癪で追い出されると、ロッテは舞台の上にすっかり感情移入する。『両親は子どもたちを愛しているのです! それなのにどうしてそんな意地わるになれるのでしょう? それとも、ちっとも意地わるじゃないのかしら? することだけが意地わるなのかしら?(高橋健二訳)』ロッテはその晩、オペラと現実がまざったような夢を見てうなされる。
 フンパーディンクのオペラと「ふたりのロッテ」に共通しているのは、「悩む大人」の姿がありのままに描かれていることだ。ヘンゼルのお母さんは「お金がほしい…」と言って泣く。ロッテのお父さんは赤ん坊の泣きわめく声に耐えられず、部屋を出て行く。子供が鑑賞する作品にも関わらず、大人が愚痴を言ったり、情けない行動に出たり、感情的になったりする。そのリアルさが、作品に深みを加え、我々をはっとさせるのだ。
 両親の離婚の事情を説明するくだりで、ケストナーは言う。『そういうことについて、すじ道のとおった、わかりよい形で、子どもらと話をしてやらないのは、あまりに気が弱すぎるばかりか、道理にそむくことでしょう!』おそらく子供たちにも、この真剣な直球が届くのだろう。
 いずれの作品も、子供たちの機知とまっすぐな気持ちが、清清しい。「悩む大人」に対して描かれた子供たちの動機は純粋だ。「やってみよう」という気持ちから行動までが、速い。そしてそれはときに、力強いものとなる。彼らの奮闘を見ているうちに、忘れていた何かを思い出して、胸がすっとしてくる。ロッテたちが最後に親指をにぎって祈るシーンは美しい。現実は面倒くさくて、複雑かもしれないけれど、もう一度、単純な真実に立ち戻ってみればいいのだ。
 フンパーディンクのオペラの中では、森で迷ったヘンゼルとグレーテルが、眠りの精に魔法の粉をかけられて眠たくなる。そこで、ふたりでひざまずいて、眠る前のお祈りをする。ありとある二重唱の中で、私が最も好きな二重唱だ。序曲の冒頭に出てくるのは、このお祈りのテーマである。聴くたびに、なんと美しい音楽だろうと思って、涙がこぼれる。ふたりは14人の天使に囲まれた夢を見る。子供たちの純粋なお祈りが、かなえられる。そんな単純なことが、この上なく美しい。

*1月8日15時開演。パルテノン多摩。お時間のある方は、ぜひご家族で。
市民と創るファミリーオペラ
フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』 (※日本語上演)

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