2006/04/25(火)
CCU最終日の眠れなかった夜のお陰で、久し振りに熟睡しましたねぇ。
起き抜けに採血、心電図。
気のせいか一般病棟は何処かおっとりしてるような、こっちが普通でCCUが殺気立ってたのかな。
この病棟はフロアー真中のエレベーターホールから東半分だけのCCUとちがって全フロアーが病棟やから廊下が長い!
朝飯前に廊下をウロウロして、お茶サーバー、洗濯室、浴室などを偵察。
西と東に別々にナースステーションがあるんですなぁ。
こういうのって、移ってきたら先ず最初に説明があってしかるべしやと思うんですがねぇ?
担当看護師の矢竹さんは昨日お休みやったそうで、初対面のご挨拶。
09:00に心臓リハビリに行くので、ほんとにチラッと挨拶だけ。
心臓リハビリは自転車漕ぎ20分、休憩20分、歩行20分。
11:30 入院後便通様初お目見え、ところがあまりにも少量過ぎて全く達成感がないがな・・・。
こんな事では最悪浣腸などという事態にならんとも限らんぞ。
いやはや、本当に心配になって来ましたねぇ。
こうなったら「暇を見ては何度でも挑戦して波状攻撃、何とか常態に戻さんと!」と頑張った甲斐あって満足とは言えぬまでも頑固な栓は外れたみたい。
快食快眠快便が健康の源、ん、私は立派な病人か・・・。
いや病人なればこそ、食眠便を出来る限り「快」に近付けることが大事や、と勝手に決めて頑張るで。
朝食時間が家にいる時よりも2時間遅いのと、あんまり身体を動かしてないのがイカンのやろうねぇ。
20:20 中尾医師来室、あれ、どこかでお会いしたような?
なんや、昨日心臓リハビリで血圧計を取り付けてくれたのが主治医やったんや。
「主治医の中尾です。」と改めて言うてはるところを見ると、昨日既に逢ってるのに気付いてはれへんのやね。
「先生、ご挨拶はようしてなかったけれど、昨日お会いしませんでしたか?」
「エッ?あぁ、そういえばウォーキングマシンのところで。」
緊急処置をした病変(梗塞)部については上手くいったそうです。
上手くいってなかったら、リハビリどころやないわねぇ。
問題のある部分がもう一箇所あって、それを放って置くわけにいかんのですて。
これから二回目の経皮冠動脈形成手術(PTCA)実施への検査と準備をして行くんやそうです。
そうなると、二週間では退院できそうにないなぁ・・・。
「何日(イツ)頃退院できそうですか?」と訊いても「ダメージを受けた範囲が広いからねぇ、ムニャムニャ・・・」と大まかな見通しも何も、言葉を濁してはっきりとは言うてくれんのです。
私しゃ自慢やないけれど、ゴールさえ判ってたら、大抵の事は辛抱して頑張れる自信があるんです。
ところが、漠然とした宙ぶらりんの状態はもっとも苦手。
仮に「あそこまで泳げ」と言われれば10km泳げても「兎に角泳げるだけ泳ぎなさい」と言われたらものの200mで音をあげまっせ。
とボヤキが出たところで、中入ではないけれど、一寸ここいら辺で休憩して楽屋話でも。
この記事をアップするについての下敷きがこのメモですねん。
用紙は貰った色々な説明書類(主に治療に伴なうデーターを統計に利用する事への承諾)の裏ですねん。
入院直後の二日間はカミさんのメモを参考に後で補足しました。
私兎に角、自分の記憶力なんてな物を全く信用してないんですわ。
放っておいたら、どんどん忘れてしまうんですねぇ。
ま、殆どが忘れてしまっても何の支障も無い事なんですがね。
大して永うもない折角の人生やから、味わうてゆっくりしがみたいですやんか。
何の記憶もない日と言うのは、何処ぞに落としてしもたような気がしてね。
極端なことを言えば、昨日以前の記憶や記録が一切ないとしたら、果たして自分の今までの人生は何やったんやろ?という気になると思うんですよ。
仮に自分以外の人が「是々こうやたんやで」と言うてくれても実感も手応えも無いのとちゃうやろか?
そんな七難しい理屈はさて置き、早い話がメモリーの性能が劣ってるんですわ。
それをカバーするために、外部記録に頼らざるを得んのですね。
長年夫婦をやってると、これがカミさんにも伝染しまして、同じようにメモをしてますねぇ。
興味のある分野、価値観が微妙に違うんで、補完されて正直助かる事が多いですなぁ。
2006/05/24
虚々実々-心筋梗塞顛末記 目次
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