吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2006年9月29日〈津屋崎学〉006:津屋崎は〈港町〉か

2006-09-29 08:24:49 | 郷土史
●写真①:津屋崎漁港から玄界灘を望む=福津市浜の町で、2006年9月29日午前7時16分撮影

・琢二と清の郷土史談義
『津屋崎学』

第6回:2006.09.29
  津屋崎は〈港町〉か

清 「この前、親友の安倍義彦に、叔父さんから聞いた津屋崎の謂われを話してやったら、今度は『一言で言ったらどんな町や』って聞かれて、また困ったとばい。教えちゃらんね」
琢二 「安倍晋三・新総理と同じ安倍と書く、あの岩手県平泉町出身の男か。平泉町民憲章では『奥州藤原文化発祥の地、平泉の町民であることに誇りをもち』とあるから、さしずめ平泉は〈奥州藤原文化発祥の町〉と言うのだろう。まァ、道に面して町家が建ち並んでいれば〈町〉で、自然の空き地に囲まれて門や塀の内側に建つ農家が集まっているなら〈村〉だが、さて、津屋崎のキャッチコピーは〈何々の町〉かな。少しは、自分で考えてみい」
清 「津屋崎漁港のある西部の福津市浜の町や古小路(こしょうじ)なんかは〈港町〉のようだし、津屋崎千軒通は商店があるから〈商家町〉にも見えるね。宮地嶽神社参道のある津屋崎東部の宮司は〈門前町〉やろうし、北東部山麓にある在自や須多田なんかは〈農村〉だもんね。漁師、商人、農民が一緒に住む町だから、一言で言いにくいたいね」


写真②:白壁の家が残る津屋崎千軒通りの町並み=05年8月12日午後4時撮影


写真③:宮地嶽神社秋季大祭最終日に参道の門前町を通る参拝客=福津市宮司で、06年9月23日午後3時8分撮影

琢二 「旧津屋崎町の沿革を言うと、港を基盤とした廻船業や漁業によって発展してきた津屋崎村と西隣の渡村が、市町村制施行の明治22年に合併して津屋崎村が発足。次いで、里山沿いの宮地、在自、須多田、大石、奴山の5村が合併して宮地村が、さらに北部に勝浦村ができた。明治30年には町制を敷いた津屋崎村が津屋崎町と改称、同42年に宮地村を合併するなどして、昭和30年に勝浦村と合併して津屋崎町となった。この歴史の流れと、古小路にある津屋崎の氏神様の波折神社が、海上の安全と大漁を祈願する神様を祭神に祀っていることから見れば、津屋崎は港によって栄えてきた〈港町〉と言うべきだろうな」
清 「そう言えば、津屋崎の天神町生まれで吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』を東京の新風舎から出版した青春さんは、カラオケで歌う18番は森進一の〈港町ブルース〉やったね。〈♪ 背伸びしてみる海峡を/きょうも汽笛が遠ざかる……〉って歌詞のヒット曲たい」


写真④:吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』(新風舎刊)=06年8月10日撮影

琢二 「ハハハ、青春さんは、津屋崎が港町というのをよく分かっているからやろう。彼は美空ひばりの〈港町13番地〉も、よく歌うばい。美空ひばりと言えば横浜の生まれで、横浜は港町たい。〈♪長い旅路の航海終えて/船が港へ泊まる夜/海の苦労をグラスの酒で/みんな忘れるマドロス酒場/あーあー/港町13番地〉という歌詞の〈港町13番地〉は昔、流行った歌だったな」

清 「2005年1月24日、旧宗像郡津屋崎町が隣の同郡福間町と合併し、福岡県福津市が誕生して、僕たちは町民から市民に〝昇格〟したようなもんやから、安倍にも僕は〈市民〉やが、君はまだ〈町民〉なんやな、って冗談を言ってやったよ。そしたら、安倍が怒って『俺のところは、由緒正しい町民なんじゃ』って息巻いたんで、びっくりした」
琢二 「町から市に名前が変わって喜ぶなんて、単細胞だな。福津市と言っても、市名からすぐに津屋崎の由緒が分かることがなくなったやないか。宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋の神隠し』の中に、能面のように顔の表情がないキャラで〝カオナシ〟というのが出ていたな。自己や自分の言葉というものを持たず、他人を呑み込んでその声を借りてしか他者とコミュニケーションできない謎の男だ。津屋崎町の名が合併で消えたということは、旧町民は〝カオナシ〝、つまり〝顔なし〟になったと同じことだぞ。ヒロインの千尋のように、〈不思議の町〉の湯屋で働くことになり、名前を奪われ、囚人のように〈千〉と番号で呼ばれて自我を消失させられ、個人の人生を奪われると言い換えてもいい。地名の消滅は、魂のアイデンティテイーを失うことに等しい重大な意味を持つ、と言っても過言ではない。青春さんが詩集『鵲声―津屋崎センゲン』を急いで出版したのも、津屋崎町の名が消えたのがきっかけやったとばい」
清 「そうか。詩集の〈序〉にも〈思い出の中にある〝セピア色の津屋崎〟。そのイメージを永遠に本の中にとどめたいと念じ、50編で編んだ〉と書いとんしゃったね」
琢二 「だいたい、日本の歴史的町並みで知られる町のうち、大多数は城下町か宿場町だと言っていい。城下町では、武家屋敷や町家がお城を取り囲み、宿場町では入り口に一里塚、中央部に本陣を配置した曲がりくねった街道が続く町並みになっている。これに対して、漁村では天然の良港の後背地に住家が細い街路に沿って建ち並ぶし、農村では水路と農地を利用しやすい所に住宅が建てられるとるな」
清 「なるほど。津屋崎の古小路なんかは、まさに〈港町〉らしい小字名たいね」
琢二 「津屋崎は、名探偵〈浅見光彦〉が活躍する人気シリーズで有名な旅情ミステリー作家・内田康夫さんの新聞連載小説『化生の海』の舞台になった。ストーリーは、江戸時代から伝わる粘土を素焼きして筆で彩色する素朴な〈津屋崎人形〉をキーワードにして、殺人事件の謎解きが展開するのだが、浅見に〈あの人形は、昭和の初め頃に福岡県の津屋崎という、玄界灘に面した古い港町で作られたものでした。津屋崎は北前船の寄港地で、北前船のお客が多く、〉と語らせているよ」


写真⑤:筑前津屋崎人形巧房=福津市津屋崎天神町で、05年8月
12日午後4時撮影


写真⑥:原田半蔵さん作の津屋崎人形=福津市津屋崎の市津屋崎庁
舎で、06年9月28日午前9時40分撮影

清 「そのミステリーは、僕も読んだが、津屋崎を核に物語がテンポよく展開して面白かったな。内田さんが、新聞連載終了後の2004年に津屋崎を2年ぶりに再訪した時に、〈とても大好きな町の一つ。小さな路地がたくさんあって素敵だ。古さを大事にしてほしい〉と話していたと聞いて、嬉しかったよ。全国的な視野で、よその人から津屋崎の良さを再認識させられ、はっとした。そうや! 安倍にも新潮社から出版された『化生の海』を読ませよう」


写真⑦:内田康夫さんの探偵小説『化生の海』(新潮社刊)=06年9月29日午前5時撮影

琢二 「津屋崎千軒の港町を訪ねた観光客は、静かな町並みに癒されたと言う人が多い。青春さんの『鵲声―津屋崎センゲン』に収録された詩篇〈津屋崎千軒〉にも〈小さな路地に潮の香がして/訪ねた人の気持ちを和ませ/温もりを持ち帰らせる/懐かしい町並み/それが津屋崎千軒でございます〉と詠ってある。津屋崎の誇れる宝である古い町並みを守り、自然豊かな美しい古里を後世に残していくのも清ら若い者(もん)の務めたい」
コメント
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