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今日の御言葉 20170707 エゼキエル15:1~8「ぶどうの木のたとえ」

2017-07-07 | Weblog
7月7日(金)
現在のテーマ「エルサレムへの裁きの預言」
今日のテーマ「ぶどうの木のたとえ」
■聖書 エゼキエル15:1~8(7-8)
■聖句 「わたしは顔を彼らに向ける。彼らが火から逃れても、火は彼らを食い尽くす。‥‥‥。わたしはこの地を荒廃させる。彼らがわたしに不信を重ねたからである」。
■解説
イスラエルを「ぶどうの木」になぞらえるのは、少なくともヤコブの祝福(創49:22)にまでさかのぼることができます。ぶどうの木は、立派な実を結ぶことが期待され、それこそが存在の意味と言えます。そのためにイスラエルはぶどう園であるカナンの地に植えられた(詩80:9-17)のですが、期待した実を結ぶことができなかったのです(イザ5:1-7,エレ2:21,ホセ10:1)。「完全なときでさえ何も作れないのに、まして火に焼かれて焦げてしまったら、もはや何の役にも立たないではないか」(5)は、BC597年にバビロンに攻め込まれ、被害を受けたエルサレムの姿を描いており、焦げた枝のような今のエルサレムの不完全と無価値を示しています。今日の聖句となり、審判が宣言されます。「わたしは顔を彼らに向ける」は、シリア語訳、アラム語訳聖書では「わたしの怒りを彼らに向ける」となっており、つづく聖句が、最初の火(BC597)を逃れても、さらに次の火が襲い掛かることを告げています(BC586年のエルサレム滅亡)。その理由は、イスラエルが不信を重ね、背信をくり返したからです。新約に入り、この「ぶどうの木のたとえ」は、教会にも適用されていることを知っておかなければなりません(ヨハネ15:1-6)。
■祈り
ぶどうの枝は幹から離れては実を結ぶことはできません。何の役にも立たないぶどうの枝ような私ですが、しっかりとキリストに結びつくことで、主が望まれる実を結ぶことができますように。

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