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今日の御言葉 20170713 エゼキエル19:1~14「君侯たちへの悲しみの歌」

2017-07-13 | Weblog
7月13日(木)
現在のテーマ「エルサレムへの裁きの預言」
今日のテーマ「君侯たちへの悲しみの歌」
■聖書 エゼキエル19:1~14 (14bcd)
■聖句 「それゆえ、この木には/支配者の杖となる強い枝はなくなった。この歌は悲しみの歌。悲しみの歌としてうたわれた」。(14)
■解説
19章はqina(哀歌)と呼ばれる形式の詩文です。それはqina調と呼ばれる嘆きに満ちた調子で書かれた歌で、詩編の中にも見られ、またエレミヤの哀歌はその典型です。ここではユダ王国の最後の3人の王について記されています。1-4節はヨシヤの子ヨアハズのことで、BC609年にファラオ・ネコによってエジプトへ連行されました(列下23:30-34)。5-9節はヨヤキムの子ヨヤキンのことで、BC597年に捕囚としてバビロンに連行されました(列下24:15)。10-11節は挿入的にイスラエルの繁栄(ダビデ・ソロモン王朝)が回顧され、次に歌われるエルサレム滅亡を際立たせています。12-14節はユダ王国最後の王で、ヨシヤのもう一人の子ゼデキヤです。彼はバビロンの傀儡王であり、ダビデ王朝最後の王となります。ところで、もしこの詩が8章にある年代「第6年の6月5日(BC592年9月17日)」から次の年代が示される20章「7年5月10日(BC591年8月9日)」の間に書かれたとした場合、前の2人の王については歴史的事実からの描写となりますが、最後のゼデキヤに関しては預言詩となり、まさに歴史は預言の通りになったと言えます。もちろん、ゼデキヤに関する部分は後代の付加であるとする批評的見解もあります。いずれにしても、「この木には/支配者となる強い枝はなくたった」のです。19章は悲嘆で終わっています。しかし、私たちは「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで」(詩11:1)とあるように、また「その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる」(エレ33:15)とあるように、メシアによる復興の希望があることを知ってます。
■祈り
大きな悲しみの中にもメシアのよる希望の光が輝くことを私たちは知っています。どんな時にも現実の向こうにある神の御手の業、栄光を見ることができますように。