良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

なんでだろう?って思いましょうよ。

2016-02-05 19:28:05 | つぶやき
 冷たい・・・ あまりの冷たさに目が覚めてしまいました。
よほど疲れていたのか、それとも寝心地がいつもよりも良かったのか、私はベッドに入った時のままの体勢で寝ていたようです。横向きになってウトウトしながら、「ああ、右手がお布団から出ているわ・・・」と思っていたことを覚えていました
 それから数時間。朝の冷え込みで一層室温が下がり、その「お布団から出ていた右手」が氷のようにつめたーーーーくなってしまっていました

 私はまだ夜が明けきらない時間の、薄暗い部屋の中で目を閉じたまま、「何時かなあ・・・やっぱり手をお布団の中に入れて寝れば良かったあ・・・大失敗。まだもうちょっと寝られるかなあ・・・」と思いました。
 お布団の中に入れた右手は、だんだんじわじわと温まってきましたが、私は半分寝ているはずの頭の中で「お布団から出ている手は、あんなに冷たくなるんだなあ・・・」という思いがいつまでも離れず、もうひと寝入りしたいと思っているのに、なぜか脳ミソだけが活動を始めてしまったかのようで・・・
 その次に頭の中に浮かんできたのが、「むー・・・手を出してたらこんなに冷たくなって、目まで覚めてしまったのに・・・じゃあなんで顔は冷たくならないのかな?」「おかしいじゃない・・・顔は毎晩、お布団から出ているのに、どうして冷たさで目が覚めないんだろう?」ということでした
 そっと温まりかけた右手を出して顔をさわってみても、さほど顔は冷たくはありません。
 いやいや・・・考え出すと、どんどん脳は勝手に動きだし、楽しい二度寝はできる様子はなくなってしまいました。

 私達の身の回りには、「どうしてだろう?」「不思議だな?」と思うことがいろいろとあります
そんなにご大層なことではなく、ちょっとしたこと・・・「昨夜に使ったバスタオルは、どうして日なたに干しているわけでもないのに、洗面所のタオル掛けで乾いているんだろう?」そんなことだって、自分できちんと説明ができるか?と問われると、自信はないです ってことは、知っているような気になっているだけで、実際には「不思議だなあ」と思うことでもあります。

 3歳くらいになった子ども達は、よく「ねえ、なんでえ?」「どうしてなのお?」と聞いてきます
最初のうちは、まあうちの子も成長してきたのねなどと、フフフの気持ちだったのに、次から次へと「ねえ、なんで、なんで?」とやられているうちにすっかり面倒になり「もー、なんでなんでばっかり聞かないの とにかく、なんでもなの」などと言いたくもなっています。
 まっ、こんな時の答えるコツは、あまり学術的な説明をしようとするのではなく、3歳は3歳、4歳は4歳の頭で「なるほど」と思えるようなたとえ話などを使って、簡潔に、手短に答えることですよ 完璧に教えよう!などとは思ってはいけません

 それにしても。
私達大人は、いつしか「何事にも驚かなくなり」「おー!というような感動をしなくなる」そうではありませんか?
 そして、それが成長することだ、と思ってしまっている・・・ でも 私はやっぱり何歳になっても、自分の身の回りに起こること、周りの様子にびっくりしたり、感動したり、え?あれ?わー!という感性を持っていなければならない、と思っています
 なんでもかんでも、そりゃあそうでしょう、とか、まあこんなもんじゃない、のような「平坦な感性」では、きっと脳ミソが老化していき、身体の中の細胞たちも、どんどんとどんよりしていくのじゃないかな?と思うのです

 そう言えば。
かわいげのない子っていうのは、大人びた子、だと思いませんか?その大人びたって表現は、いつも平坦な感情で、わー!とかきゃー!とか、すごい!みたいな感情の起伏が乏しく、何でもそんなの当然でしょう?!みたいな顔をする子・・・だと私は思います
 大人も子どもも、「驚いたり、感動したり」する、プルンプルンした感性があったほうが、その人は素適で、豊かな毎日が送れるし、そのほうが生活が楽しいように思います

 ところで、何で顔は冷たくならないのかな?調べてみなくっちゃ



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