見えない鳥の存在: Blog版

Blog: L'oiseau Invisible
blog目的が途中から激変してしまった

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4回目の入院決定 & 追記

2016-07-31 | 死神との綱引き

昨日はぐったりベッドに臥している時間が大半だった。さらにやせ細ってさらに足腰が言うことをきかなくなる。早々と眠りについたのだが、夜中に痛みで何度も繰り返し目覚めた。腹水が胸骨下部を圧迫して、骨が痛さで悲鳴を上げているのだ。疲労困憊しているので、うとうとするのだが、すぐに痛さで目覚める。まさか骨転移ではないと思うのだが。部屋を移動してベッドを換えたり、座ってみたりしたが、骨折するのではないかと思うほど痛い。骨が軟弱化していることは充分考えられるので、その対策の投薬はしてもらっている。いよいよ今週半ば辺りの4回目の入院が確定しそうだ。なんとか頑張って、2週間は間隔を開けないと、取り出した栄養分の、一部濾過再注入ができない。そうなると更なる衰弱、しかも急激な死への転落が始まる。

このblogを毎日見て、入院のタイミングを察知して、お見舞いに来てくださる方々がいるが、昨日その一人から励ましのお電話をいただいた。有り難いことだ。どのお薬が効いたのかよくわからないが、今少し痛みがおさまっている。入院日はまだ未定だが、久々にこのblogに現状報告を入稿することにした。

「黄泉路の過酷は、自衛なき道」-肉体的のみならず、精神的には想像を絶するような思いもかけない過酷な日々が続いている。精神力だけで辛うじて生きている人間にとっては、致命的な辛さだ。しかし私には、からかわれようと、おちょくられようと惨殺されようと、「命に代えても」守らなければならないものがある。今は守るだけの「生命力」「拮抗力」「必要な時間」が無いのが、辛い。


追記 2016年6月27日
入院日が決まりました。6月29日(水)
前回の入院からちょうど2週間目。
今日も明日もひたすら水曜日を待つだけ、何も出来ない。

追記:2016年6月28日
お知らせ 「私の本名をかたった怪しいメイルにご注意!」
私の迷惑メイルBoxに私の本名発信の、怪しいメイルが入っていました。添付メイル付です。御注意ください。
タイトルが怪しげなので、判別可能だと思います。
私の本名発信の添付メイル付きのメイルは、
またタイトルの怪しいものは
決してクリックしないでください。
yahoo mailが自動的に迷惑メイルに選別すると思いますが。
発信者の名前を見てついうっかり、
迷惑メイルをクリックしてしまう場合もあるので
くれぐれもご注意を。まずは御連絡のみ。

 

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再々入院の決定 & 退院

2016-06-19 | 死神との綱引き

入院の間隔をなるべく引き伸ばすこと、カートをする回数をなるべく少なく抑えること、が患者のできる努力のすべてだと、以前に書いたが、これは正しくないことが分かってきた。
カートは消耗するけれど、大きなおなかでうんうん頑張ることのほうが、はるかになけなしの体力を消耗する。足腰も痛める、骨や心臓にも負担がかかりすぎるし、そのうえ、がんばることは大小の排泄機能を不全にして、余計に苦しみを増す。緩和治療には、癌を縮小させる力はないが、つまり治癒は望めないが、苦痛や衰弱をできるだけ緩やかにすると言う働きがあり、それが仮に死への急速な一直線でしかないとしても、患者にとっては、ありがたいことなのだ、ということも分かってきた。
だから次の入院を少し早めようと思う。次の次の入院も考慮に入れて、早く日にちを決めたいと思うが、やはりもろもろの状況を考え、今のところ決断は下せていない。

腸が癒着していて、そこに癌細胞が絡みついていて、腸閉塞の危険も常にある、既にある。しかし今の状態では、手術は無理、抗がん剤も無理。カートで対処するしかない。今回の腹部のパンパンは、腹水だけではないような気もする。腸の詰まりだ。すでに出るものが出ない。出せば、2,3日の入院の延期は可能になるような気がする。少し瞬間的にでも楽になるはずだからだ。せめて手を変え品を変え、試みてみようと思う。

足腰も弱っていて、動くにも大きな苦痛を伴う。従ってもう治療にはいけないし、散歩も不可能、梅雨なので、日光浴もできない。うんうんと唸りながらベッドから降りて、洗濯や食事や片づけや資料の発送や、PCでのメイル打ちなどをしているが、毎日18時間以上はベッドの上でぐったりと眠っている。そして衰弱は日々激しくなる。まだ、遣り残したこと、今しなければならないこと、がたくさんある。その気持ちでその精神力で、生きながらえている。薬も一杯飲みながら。
しかし精神力だけでは、動きづらいことや食欲の低下、日々急速に進むエネルギーの低下までに対処することはできない。これからが、うめき。叫び、わめく、断末魔が待っている。所謂壮絶な末期癌末期の闘病である。日本ではまだ不可能なのに、ここに来て初めて「安楽死」を考えるようになった。

35年も前に書いた、松岡洋右のジュネーブ演説の英文解釈問題集を本の形にしてお葬式の代わりお配りしようと思っている。今はもういかなるものもかけない。予備校講師をしていた昔に書いたものだが、当然のことながら、どこでも採用されなかった。歴史解釈は一切入れていない。純粋な受験問題集である。「つんつろりんの、かっくん」といって死ぬのが夢だったが、臨終の場に誰もいなかったら、そう言ったところで意味がない。それに変わるBruxellesの最後のギャグのつもりの(死亡連絡のお配りもの)である。制作は北海道の古い文学友達に全面依存している。私がまだ「生きたい」という希望を保てるのは、100%彼の伴走や励ましのおかげである。
是非にチャレンジしたいと思う受験生や読者の方がいらっしゃれば、(コメント欄に非公開で)早急に御連絡いただきたい。死亡連絡先名簿制作には、まだ手をつけていない。名簿完成前に死んだら、残念ながらお約束は果たせない。死亡報告も出来ない。

2016年6月14日
gooのシステム・メインテナンスは午前中に終わったようだ。
またもや緊急入院だが明日に決まった。
痛みと苦しみと衰弱で家でがんばったところで
何も出来ない。早く腹水を抜いて、たとえ4,5日でも
苦痛緩和を図りたい。そういえばLhasa de Sela
がインタビューで、誕生や死のことをbig bangのように
説明していたことを突然思い出した。
死に逝くと言うことは日常的想像を超えたbig bangなのだろう。

2016年6月19日
15日に入院して、昨日18日に退院してきた。
前回は、その衰弱ぶりを鏡で見て大変ショックを受けたが
まだ「めじから」が強く残っていた。今回の入院では
それがすっかり消えて、さらに別人の顔になり
目はとろんと空虚になりかけている。
もう誰が見てもカート治療を始める前の私と同じ人物とは思わないだろう。
尿の出が悪いのは、腹水のせいが大きいが、腎臓機能が弱っているのも原因らしい。出血傾向が見られるようになり(どこからか分からないが、ついに!)貧血症状や極端な低血圧症状が常時現われてきた。
炎症反応数値も極端に上昇しつづけている。
腹水を抜いたので、胃や骨や心臓への負担は随分と軽減したが、退院時の3日後にはすでに御腹が膨らみ始めてきた。今回は外出許可願いも言い出しにくい状態だった。早く退院したのはそのためだ。
次回の入退院時に、私の主治医が不在なのが今の一番の心配事だ。次回は別の医師の担当になる。
今回の3度目は、濃縮再注入時の副作用である、長時間の歯のガチガチや強い全身の悪寒に襲われることがなかった。今回は、6,7時間かけてゆっくりと点滴を落としたからかもしれない。終始身体が温かくて助かった。
次回の入院は今月末か、来月初めを予定しているが、そこまでどのように「生き抜く」か、不安だ。ここまで来たら、もう「成せばなる」の気力しかない。

私の希望としての終日と、冷静な判断の終日の予想を退院時に主治医に告げてみた。「一応そう思っておいて、それを超えれば、よかったよかったと喜べばいいのでは」、というのが主治医のアドヴァイスだった。この病院の主治医は、大学病院の主治医と異なり「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、お前は死ぬ死ぬ」と言い続けないのがいい。不快云々と言うより、もう聞き飽きてしまった。主治医はやさしく接してくださって少し楽観的で、励ましたり安心させたりしてくださるかたがいい。5月6月と生きてこられたのも、今の主治医と今の病院のおかげだ。カートをしなかったら、苦しんだ挙句にすでに亡くなっていただろう。


 

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よみじの過酷は自衛なき道

2016-06-10 | 死神との綱引き

以前野良の犬猫のように死ぬのが理想だと書いたが、「それは一番迷惑な死に方だ」と言う人がいた。人が死ぬと周りのものが迷惑する、という発想をするひとが、多くなっているような気がする。「終活しておきましょう」「死んで迷惑をかけないように心がけましょう」の類の雑誌のタイトルもチラホラと見かける。ニボルマブという高価なお薬を話題に出し、保険が破綻するから年寄りには使うな、と言う主張も堂々と公に述べられ、多くの共感さえ受けている。世の中は生きて活動している人の意見で動いている、とつくづく思う。世の中を動かしている人の意見なのだから、尊重される。それにしても、死に行くのは作法としては難しい。重病人や死に行くものにとっては「迷惑」という言葉だけが、あちこちから集中的に浴びせられるのは、とても辛い。好んで倒れるわけでも、好んで死に行くわけでも無いのだから、まだ生きている人間としての基本的「立場」がない。出来るだけ家族?に財産を残して、出来るだけ「迷惑」をかけないで、せっせと死に急ぐのが実際老人の「義務」だと感じている(感じさせられている)人たちも、物凄く多いような気がする。これは「オレオレ詐欺」や「後妻業」などの犯罪が頻発するのも、根っこは同じだと思う。自分の親兄弟の介護を言葉も分からない移民労働者(単なる他人も含めて)に委ねましょう、という発想(そしてそれで良しとすること自体)もまた、家族や肉親や友人や地域や国家から、「人間の情」そのものを希薄にさせている。又実際世の中の流れとして「自分が生きてゆくのが精一杯」という状況に既に多くのひとたちが陥っている、それもまた、見えないかもしれないが日本社会の現実なのだ。家族がいてもこの有様だ。末期の独居病人の悲惨は筆舌に尽くしがたい。もちろん例外もあり、全部が全部そういうわけではないことは言うまでもない。しかし例外は極めて稀だ。

(これは5月の2度目の入院前にすでに書置きしてあったものです)

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まだ入院したくない、けど

2016-05-28 | 死神との綱引き

今日で3週間目。一回目としては最短。家にいても寝てるばかりで、ほとんど何も出来ないけれど、少しでも動ける間に、整理しておきたいことが山ほどあって、ふとつでも、ふたつでもと思って、入院の予約を月曜日に伸ばした。決断に手間取った。次に退院してきた後では、もっとなにもできない状態になるだろうから。
で、PCを開いたのだが、windows 強制upgradeが襲ってきて、あわてて電源を切るという暴挙にでたら、PCが開かなくなった。2日間の延長の意味がなくなってしまう。PCを使った作業や連絡、コンタクトは何もできなくなる。私にはケータイがなく、病院には公衆電話もポストもない。孤島に一人、状態となる。医師も看護士もいて充分お世話をして貰えて、家に一人いるより状況的にははるかに安心なのだけれど。自由意志では何も出来ない。
今回は運よく立ち上がったが、次回電源を入れると、瞬間的に勝手にwindows10のインストールが始まる可能性がある。いろいろ相談したが、下手に抵抗するより、もし強制インストールが勝手に完了していたら、あきらめようと思っている。後ほんの少しの間、メイルや書き込みが出来ればいいだけのことなのだから。それにしても真っ青になった。

腹部の膨張と重みで、腰に負担がかかるようになった。歩行や呼吸や、体重が、死に近づいた重病人風になってきた。精神力ではもはや誤魔化すことはできない、誰が見ても、普通ではないのは丸分かり。これで外に用事に行くのは辛いが、少しでも口にものを入れることは重要だし、通販のお薬の支払いや、さまざまな請求書が毎日来て、コンビニや郵便局にはせっせと出向かなければならない。よろよろでも、まだ少しでも歩ける間が華だ。

2016年5月30日
いまからゆっくり入院準備をして、お昼から入院です。
ギリギリで、入院に付き添ってくれる人が現われて
(たまたまその人の時間の都合がついて)
ラッキーです。いくら気力を振り絞っても
もう一人ではタクシーに乗れません。

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緊急入院 腹膜播種 腹水

2016-05-06 | 死神との綱引き

腹膜播種の腹水は1月頃からたまり始めていたのだけれど、4月になった頃から急速に悪化していった。
ようやく予約の日を迎えることが出来て、今日行ってきた。どこか引き受けてくれるところを求めて紹介状を貰うために4時に出かけた。
「あなたは確実に死にます。何をしてもこれ以上よくなることはありません。この病院とも、かかわりはこれで最後です」といわれても、もう初めからさんざん言われてきているので、がっくりくることもなかった。希望は紹介状を書いてもらうこと。そして腹水を抜いてもらうこと。後のことはそれから考えようという気持ちだった。内診エコーの結果、月曜日といわれた紹介状を今日書いてもらえることになって、そして明日の10時半の緊急入院が決まった。その間もうPCには触れない。
入院先は阿倍野区天王寺町北2-31-4の奥野病院。Bruxellesは本名でそこに入院します。身体が衰弱しているので多分1週間から10日くらいは入院するのではないかと。ここまで来たら運を天に委ねて、楽天的な未来の先取りをしようと思っています。何らかの事故がない限り、ほんの少し死の先送りが可能になりました。抗がん剤の再開やハイパーサーミヤもある程度視野に入れた、今後の対策も入院中に考えたいと思っています。

追記:2016年5月15日
まだ入院中なのですが、外出許可を貰って数時間の帰宅中です。
5月7日の土曜日、入院即、カートの治療をしていただきました。
カートの治療をしてもらえないままなくなる人も多いので、おかげさまで少しですが延命することができました。
すでに腹水は溜まり始めているので、次の入院までどれくらい日数が稼げるかは分かりません。いずれにせよ入退院の頻度が増え間隔が次第に狭まるのは避けられません。
衰弱も既に激しく、食欲も落ちていますが、とにかく後は、死に向かう速度を極力落とすにはどうするか、を考え、可能と判断できれば
実行するつもりです。
終日ベッドで寝ていると、もはやないに等しい筋肉がさらに萎え、結構高速で認知機能も鈍るようですので、衰弱しているからといって寝ているわけには行きません。
かといって入院中に情報収集が出来るわけもなく。
そんな中で、いま思案範囲に入れているのが、以下の二つの治療です。
Insulin Potecilalized Therapy
Metronomic Chemotherapy
どちらも保険が利かず、危険も伴い成功例もごく数例しかありませんが、溺れるものは藁をも掴む
の大博打を打つかどうか、慎重に考えてみたいと思っています。時間切れが先に来てもその時はあきらめるとして、ともかく慎重に。
いろんな先進療法や民間療法を検討しましたが、がん細胞を一瞬でもビビらせることが確実に出来るのは、抗がん剤以外にない、と知りました。しかしそれは同時に発ガンやがん細胞の増殖を促す。
この矛盾を解決できない限り、末期がん患者にとっては、どんながん治療も死への旅立ちへのはなむけ、にしかならないと思います。

2016年5月18日
昨日退院してきました。胃の辺りが特にはれていて
不快感が強く、直接腸で吸収できる栄養ドリンクをたくさん
いただいて帰りました。腹水が胃を押し上げて圧迫しているせいで
胃の機能が落ちている、と看護婦さんに説明されました。
次の入院までできるだけ自宅で暮らせる時間を確保したいと思っています。死ぬのも自由気ままに死ねるわけではないと、思い知らされています。死に至る道は手術や抗がん剤の100倍以上のストレスに見舞われるということを実感しています。
ハイパーサーミアも、いままで続けていたホルミシス治療も、行く見通しが立たなくなってきました。末期癌でもなんでも動けるうち、食べれるうち、眠れるうちが華。死ぬ生きるに生命力は関係なく、血管がつまったり、消化器系が機能しなくなったり(つまったり)、排泄系が動かなくなったり、そして呼吸のつまり酸素などの出し入れが困難になったり、何か物理的な破綻が原因で命が消えるのだと考えるようになりました。しかし精神力は重要で、祈る心も重要で、何か奇跡の出現を願いたい、実はそんな気持ちで一杯です。

2016年5月25日
先ほどまで5時間半ほど、動けなくなっていました。
頭や神経のためではなく、完全にエネルギー切れ、力が入らないという感じでした。お薬を飲むために水を飲みに行こうとするのですが、動けません。あー、とか、うーとか、声を出すと少し動けるのですが、立ち上がることは出来ない。原因は胃とおなかがパンパンに腫れ上がっているのに、食事をしジュースを飲んだからでしょう。
4月の初め頃までは、食事も大変おいしく食べられていたのですが、5月に入ってからは、後の苦しみのほうがはるかに強くなってきて、一杯のお茶さへ、味わって楽しむことは不可能になりました。
腸の癒着が進行していると言うことだったので、腹水のみならず、ガスや尿も行き場をなくしているのでしょう。
おなかは1月頃までは、ふわふわだったのですが、今はカチカチです。がん細胞がびっしりとつまっているような感じに、固いです。
あと1年とは申しませんが、せめてあと1ヵ月、のろのろとでもいいから、動ける身体でいさせてください。

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合掌

2016-05-06 | 死神との綱引き

4月の時点で限界がきていたのだが、医者の休日や連休が原因とかで、明後日まで、診察は不可能だと。診察の必要は無いのだが、診察をしないと、紹介状は書けない、といわれたら、その先に患者が勝手に進むわけにもいかない。腹膜播種から溜まり始めた腹水が、ここに来て急激に膨らみ始めて、もう胃までせり出してきた。こうなるとブラジャーのホックを止めると苦しくなる。一週間前までは、まだ少しウエストラインもくびれていたのだけれど、いまは完全にずん胴になった。お腹が圧迫されて痛いので、伏して寝ることも、不可能になった。お腹はついに妊婦のように膨らんできた。上半身はあばら骨が浮き出るくらいにガリガリになってきているのに、胃と腹部だけが膨らんで飛び出る、異形に陥っている。膀胱が圧迫されているためか、一回の尿の排泄が、日本酒のお猪口半分も出ない、排尿困難に陥っている。腹膜の中の臓器は全部酷い圧迫を受けて、じわじわと内蔵機能不全に陥っていく。風船に水や空気をポンプで送り込んでいくと、いつかは破裂する、同じ原理だ。腹膜播種ー腹水、となると典型的な末期癌の末期症状だ。呼吸困難や咳も少し始まり、心臓のヒヨヒヨも時々起こるようになった。こういう状態になると、自宅や外出先で、意識をなくして突然倒れる可能性が出てくるらしい。
毎日飲んでいるたくさんのお薬の入手先、振込先、毎回の量、補充の必要などを確認せねばならない。あまりに種類が多いので、できたら表にしておこうと思っているが、いつまで身体が動くか。動作がすでにのろくなってきている。身体を休めて眠り込んでいる時間が増え始めている。少なくとも明日中に、入院のしたくだけは、なんとか済ませておきたい。ようやく診察の日に辿り着いたとしても、すぐに紹介状を書いてくれるとは限らない、から、この腹水がすぐ抜けるかどうかも分からない。抗がん剤の副作用は抜けているし、まだモルヒネも打っていないので、意識は今のところ保てている。朦朧ともしていない。ただ筋肉はもうしわしわになってきている。
あと何日、一人で動けるだろうか。

・・・・・追記:2016年5月5日・・・・・

昨日書いた予定を何一つこなせなかった。
日光浴のため公園に行き、ベンチで身体を横たえて目を閉じていた。
「もしもし、失礼します。大丈夫ですか?脱水症かなにかでは無いかと」
目を開けて声の方をみると、親切そうな初老の男性の心配顔が。
ついに、行き倒れ者に見えたのかと、吃驚した。
トイレに行き、顔を確認。両目がドスンとへこみ、頬の厚みが
全く無くなって三角形になっていた。

午前中に連休中、最初で最後の唯一の電話が、同市に住むSMさんからかかってきた。
この文章で近況を知って、気になってお見舞いの電話を下さった。
彼女は仕事をしながら、両親の介護をしている。
私は死にたいとは思わないが、彼女は死んで楽になりたいと思う時があるようだ。
私も死にそうになるような親の介護の経験があるので、彼女の苦悩が良く分かる。

私は膨大なシャンソンの研究資料を持っているのだが、そのごく一部を、最近入会した信州大学シャンソン研究会(代表吉田正明教授)に寄贈することが出来た。後世の研究に何らかの形で役立てていただくことが出来れば、こんな嬉しいことはない。どなたとも面識はないが、情熱は受け止めていただけるのではないかと思っている。まだレコードの他に、紙媒体の資料が山ほどあるが、それらに手をつける時間はもうない。この研究会に滑り込みセーフで出会えて本当によかったと思っている。
私が一番恐れているのは、遺体だけでなく、私の人生そのものが、ほとんどゴミのように扱われるのではないかということだ。それが一番の苦悩、苦痛だった。
しかし最後の最後に、私が定期刊行物やリトルマガジンなどに昔々長年書き散らしてきたものを、なんとか年譜にまとめてあげよう、という方が現われた。遠く北海道の金石稔氏だ。
年譜といえば、以前支路遺耕治が亡くなった時に志摩欣也が仕上げた「年譜」に感動したことがある。それ以前には吉田城が仕上げたマルセル・プルーストの年譜に、「年譜」の持つ魅力に目を開かれた思いがしたことがある。私ごときが年譜云々というのは、おこがましいが、せっかくの阿吽塾の金石稔
氏のお申し出にすっかり甘えて、私の人生の過去録をなけなしの資料共々、委ねることにした。こまごまとしたものだが、完全異分野未発表のものも含めると、量は相当多い。多くのお時間を奪い取ることになるのではと思うと、心苦しいが、そのお気持ちに感謝と共に飛びついてしまった。このことを外部に公表しても良いと言って下さったので、敢えて書いてみた。私の人生がゴミのように一瞬の内に破棄・焼却されることから、危機一髪免れることができた。
私がこの十数年一番力を入れてきたTel Quel Japon関連の記事に関しては、論壇の大御所、西尾幹二先生のBlogに特別リンクを貼っていただいたし、ごく最近もご自身のBlogで、数回にわたり再度の掲載・ご紹介をしていただいた。媒体を通して私の魂までもが生き残れるのかどうか、そこまではわからない。なんらかのかたちで思いがけない人たちにバトンを渡せるかどうかも、全く分からない。しかし遺体はともかくとして、私の人生は、少なくとも一瞬の内にゴミのように破棄・焼却されることからは免れた、と思っている。
死は手探りの闇の果てに辿り着くものではなく、未来に繋がる微かな光に導かれていくものではないかと考えられるようになった。有り難いことだ。
合掌。

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別室の上映会 Trail of Tears

2016-04-26 | Bruxellesの原稿

Trail of Tears (Two Part Series)
Documentary producer Philip Coulter re-examines the great Cherokee removal of 1838.(音声)

Trail Of Tears Short Documentary :
C-SPAN Cities Tour- Chattanooga: Trail of Tears :

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
We Shall Remain, Episode 3
Trail of Tears Part 1~Part 7

(映像)

//////////////////

(1) We Shall Remain - After the Mayflower  :
(2) We Shall Remain - Tecumseh's Vision :
(3) We Shall Remain - Trail of Tears:
(4) We Shall Remain - Geronimo :
(5) We Shall Remain - Wounded Knee :

 

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死は目の前の現実なのだ

2016-03-25 | 死神との綱引き

手術のあと抗がん剤治療で入院中に、知り合った患者の中で、電話番号を交換したのは彼女だけだった。彼女は私より抗がん剤治療のスタートは数ヶ月早かったみたいだ。治療の成果はマーカーの数値には現われなかった。私は数値がよくなり3回を過ぎて「もうやめる」と決心を告げた時、「本当に治療をやめるの?」と吃驚していた。命を懸けての決断だったので、かなり迷いに迷ったが、数ヶ月の延命しかありえないのなら、抗がん剤で苦しみ続けることはない。彼女が何期だったのかは知らないが、いわれるままに抗がん剤治療を続けたのだろう。
私もマーカー値が3535になり、腹水も溜まり始めているといわれ、がけっぷっちに来て、実はどうすればいいか、考えあぐねている。一昨日はハイパーサーミアの見学に行ったが、やはり抗がん剤との併用を勧められて、二の足を踏んだ。そうすれば一時的にはマーカー値は確かに減少するが、じわじわ元に戻ることは間違いない。しかしそういった治療を様々に続けると、それぞれ数ヶ月の延命は出来ると思う。卵巣癌は予後が悪いので、いずれにせよ死ぬしかない。だったらなるべくQOLを維持して、短くても最後まで自分のことは自分で出来る、そんな状態を保つことが、私にとっては絶対必要条件だと思っている。
抗がん剤は毒だから、たしかにがん細胞を弱らせる。しかし身体全体が毒にやられるから、衰弱も激しいし、副作用でそのまま死ぬことも充分にありえる。またがん細胞は毒を盛らない限りは、とても高速でどんどん増え続ける。直線ではなく、放物線のような上昇を見せる。
彼女はどうしているだろうか?私のように再発しているのだろうか?ふとそう思って、思いきってさっき電話してみた。
彼女は山女で、田部井淳子を尊敬していて、彼女のように病院の治療で末期癌を克服しようと思っていた。最初の診察・検査の前日に、金剛山に登ったと言っていた。私のように抗がん剤でへたることもなかった。ドイツ兵のようなしっかりした足取りで、抗がん剤のあとも安定した歩き方をし、食欲も衰えなかった。だから彼女は抗がん剤をわりと平然と続けることが出来たのだろう。
電話口にはご主人が出て、彼女は去年の6月に亡くなったと告げた。ショックだった。去年の2月には、もうこれ以上さらに強い抗がん剤を続けることが困難になり、その時点で治療をストップされたらしい。抗がん剤は使う順番が決まっていて、体力から鑑みて、もう次の手がなくなったのだ。それでも去年の4月5月頃までは比較的に元気だったそうだ。そのあと腹水が溜まり始めて、6月にあっけなく亡くなった。最初の入院手術から1年半だそうだ。抗がん剤は10回続けた。10回目が去年の2月、それで治療がストップして4ヵ月後ということになる。
私は手術及び最初の抗がん剤から1年9ヶ月、もうギリギリまできているにせよ、良く持ちこたえている。がん患者はそれぞれに個性を持ったがん細胞を抱えているらしいから、他者との比較は何の意味もないが、抗がん剤をやめてから1年半経過した。とはいえもう先は見えてきた。
最近死を迎えるに当たっての心構えが随分違ってきた。いままでは、いよいよとなれば、できるだけ早くホスピスに行き、そこで、バンバンモルヒネを打ち、あっさり死ぬつもりでいた。しかしモルヒネを打つと酷い便秘になると知って、すこし再考するようになった。それと、医者にホスピスを紹介しないといわれて、そもそもあきらめざるを得なくなった。そこで私の希望としては、あらゆる代替療法にチャレンジしてみて、なるべく昔の年寄りみたいに、自宅でゆっくりと衰弱して、ひっそりと死ぬ、孤独死、これが理想になってきた。食事が出来なくなり、それでも7日間ほど水が飲めたら、そして次第に傾眠状態に入っていき、ひっそりと孤独死する。考えてみれば野良の犬猫のように死ぬのだけれど、決して悪いとは思わない。いまはそれこそが私の理想の死に方だと思っている。なんだかんだいっても、これからはそのような死に方をするひとがやはり増えていくだろう。それを理想としてその魁となるのだ。しかしなかなか条件が整わない限り、そんな理想的な死に方はできないだろうが。
それから辞世の句、素晴らしい句を用意しようと思っていたけれど、辞世の句は作らないことに決めた。ただ理想が、自宅のパソコンの前でばったり、なので、最後の言葉はできたらパソコンに打ち込みたいと思っている。何を書くか。それは以前に既に書いた。その人のブログでその人が呟いたあのことば、あれをそのまま借用したいと思っている。
「わたし、しっかりしろ!」
「まだ死にたくないよぉ」
これ以上に、死に行く時の私にぴったりな言葉はない、と今は確信している。だから辞世の句などは詠まない。

追記:2016年3月20日
かなり露骨なタイトルで、上のような文章を書いて寝たからか、今朝方恐ろしい夢を見て目が覚めた。何故か全身舞妓さんのお化粧のような白塗りで立っていて、よくみると腹部ががん細胞と腹水でグロテスクに変形して垂れ下がっていた。「ギャー!」
ここ数ヶ月夢を見るようになって、それがまた、こころの抑圧が浮上するような夢ばかりだ。普段なだめたりすかしたりしている自分の思いがその実体を夢の中で、精神分析のように明快なかたちをとり、悟らせてくれる。こう判断したのは、積み重ねられたこういう思いの結果だとか、心の中では予想に反してこういうことを懐かしんでいるのかとか、自分のこころはこの思いゆえに、こういうことを欲しているのか、とか気づくことが多い。いいことばかりではない。ふだん無理に考えないようにベールを被せていること、たとえば、こういうことが嫌で仕方がない、これが恐怖だ、そして憎悪すべき出来事の数々、それらもしっかりと再確認できてくる。浮上してきたものはすぐに明快に納得できるから、本来薄々気づいていることに違いないが、心の検察官が、「無駄なことは考えるな」と押さえ込んできたものたちだと思う。
死ぬ前に自分の心がはっきりとしっかりと見えてくるのは素晴らしいことだと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話変わり、追記:2016年3月21日
先々週北白川で、新しい人物(男性)に出会った。PCでここを見つけて初めてやってきた、とその人は言った。検査で見つかって、まだ手術前だという。しかも胃の全摘。ショックの様子は隠せないがいたって健康そうに見える。ご飯も丼で何杯も平気で食べるし、体調も体力もほぼ完璧、もともと体格も良い。検査がおかしいのでは?と聞いてみたら「自分の目で、自分の胃の画像を見たら、それらしきものが確かに映っていた」と。来月にはこの人の人生は一変するのだろう。体格も体調も体力も食欲も「健康そうにみえること」も、全部失う事になる。それでも、いき続けることが出来れば、という思いで自分の運命を受け入れるしかない。たしかに今胃がんは癌の中では寛解の可能性が非常に高い。一旦患者になった人間は、100%積極的に手術を受けるだろう。
近藤誠医師ががん検診を否定されていることを、この人を見てふと思い出した。平気でしかも健康そうに暮らしているひとから、無理やり胃を100%奪ってしまうことが、ほんとうに治療なのかと、たとえば、この人の寿命がかりにあと7年として、その7年を病に気づかずに生きるのと、胃のない不健康な半病人として不安の中で生きるのと、どちらが幸せだろうか、と考えてしまう。
とはいえ、わたしも手術は受けたし、私がこの人でも、当然手術を受けるだろう。患者とは、そういうものだからだ。患者とはそういうものだからだ。
しかし、この人を見て思う。今この人の受けているショックを見て思う。がん検診で、こういう患者がつぎつぎと量産されていくことだけは、隠しようもない事実だと。そして新しい新薬や治療法が開発され、医学もどんどん進歩していく、筈なのだ。
だとすると、二人に一人ががん患者になる世の中が到来するのは、何が原因で何が結果なのだろうか?

また話変わり、追記:2016年3月21日
ー最近死を迎えるに当たっての心構えが随分違ってきた。ー
と先に書いた。原因のひとつは前記事に書いたSAPIOの「安楽死を目撃した」という記事、もうひとつはこのblogだ。
デュラスの「アマン」を調べようと思って検索している時に、このblogに行き当たった。同じ病気だ、しかもこの人、Heleneは既に亡くなっている。異国でひとり。しかしこのひとには、このようにblogを立ち上げて彼女の闘病その他を記録に残した日本人の男性がいる。そこが全く違うのだが、この男性は彼女の恋人、ではなさそうだ。
とにかく一日がかりで読みふけった。顔の肉が削げ落ちていく病人の顔の写真、さらにショックをうけたのは、なくなった後のデスマスクだった。末期の様子がYou Tubeの映像にも残されている。
多分だけれど、自分がどのような気持ちで、どのようにやせ衰えて、餓死状態で死んでゆくか、この世から去ってゆくか、シミュレーションできるくらいにたくさんの情報がこのblogにはつまっていた。
自分の死に行く様だけでなく、死んだ後の状況まで、自分の場合はおそらく、としてではあるけれど、全部シミュレーション出来てしまった。私は日本人である、とわたしには「思いでのblog」を立ち上げてくれるほどに、この最後の闘病の場面で、私を知り私に寄り添う(女性はいうまでもなく)
男性も全くいない、という2点を除けば、私は、Heleneに自分をほぼ完全に自己投影して、なりきること、感情移入し理解することが出来た。
「わたし、しっかりしろ!」
「まだ死にたくないよぉ」
Heleneもそう言い続けて死んでいったと確信する。
私は寧ろ孤独を愛するものなので、死に向かう絶望的で孤独な旅路はかまわない。その旅路は無慈悲なまでに連続的攻撃的剥奪にはじまり、最後は有無を言わさぬ完全消滅に至らしめるところに、真のおぞましさの正体がある。死に辿り着くまでに、どれくらい涙を流すのだろうか?

早々に死体が発見されること、お葬式または遺体の処理、さらに入るお墓、納骨、たったこれだけだけれど、一番重要なことに関しての終活だけは完了している。こんなもの、死ぬ者にとっては一番重要でも何でも無いのだけれど、「終活のすすめ」に関して、去り行く者にとっての世間的「お勤め」について、昨今無慈悲なまでに厳しい(こうしろ、ああしろという)意見(死に行く者の作法)が、生者側から盛んに論じられている。
私には特別の宗教心は何もないが、死後49日間は、自由気ままに世界中・日本中を飛びまわれて、誰にでも会いに行けると確信している。死後幽体離脱して、死体処理、お葬式、お墓への納骨、等の見届け、かかわりあった人々へのお別れ訪問、特製の霊性高性能ドローンに乗って、すべて滞りなく済ませるのを密かに楽しみにしている。
勿論生きている間に知りたいこと、伝えたいこと、言い残したいこと、片付けておきたいことは、生きている間に出来るだけそうするつもりでいる。ただ今を生きるので精一杯、だから時間切れで何ひとつ出来ないかもしれない。現実には逆らえない。

2016年3月25日
頼み込んで特別枠で特健(市民健康診断)に追加する形で
内科医に
CA-125のマーカー値を調べてもらい今日結果を得た。
CA-125=9803
マーカー値を調べる意味はもうない
とここでも言われた。急がなければ。しかし何を?
頭は真っ白だ。腹膜播種の急進撃である。

一般健康診断の数値も付加しておく。
全く問題はない。血液に関する数値、白血球も
赤血球も血小板もなにもかも全く問題がない。
抗がん剤をやめているから骨髄抑制という副作用は
完全に消えている。しかも、健康的食事、ゲルマニウムやブロリコの多量摂取など、高額なものも含めて
30種以上の健康サプリメント、週2回のホルミシス治療
バスにのって緑の多い公園まで行ってするwalking
時々する体操、呼吸法訓練、岩盤浴、そしてたっぷりの睡眠、
イメージ療法、self-controle,ビタミンB17、亜麻仁油、
腸の調整のための2種の乳酸菌、野菜酵素、漢方便秘薬
ビタミンCやアミクダリンのための梅仙丹
様々な努力は健康な数値となって健康診断では
しっかりと報われている。免疫力も高い。
けれどもこんな数値と、がん細胞の増減とは
何の関係も無い、ということだ。
健康診断の意味さえないということだ。
とくに露に分かるのは、
免疫力を高めて癌と戦うという治療法というのは
全くの嘘だということだろう。
がん細胞は免疫からの攻撃を信号でキャッチして
事前に攻撃を跳ね返す、それに対抗するための
新薬の情報があったではないか。
免疫を高めて抗がん剤の副作用からなるべく早く
recoverする、ということは可能かもしれないけれど、
それは感染症回避にしか役立たない。しかも抗がん剤の毒は
かならず病に最後の止めを刺す

あらゆる治療に夫婦協力して取り組み続けてステイジ4から
奇跡的に回復して3年目を迎えた方と、このまえ話した。
「死ぬことは決まっている。QOLを維持しての延命、
それに全力を賭ける。踏ん張る、押し返す、
抗がん剤も免疫治療もなんでもする、Never Give Up
しかない」そうおっしゃっていた。

気力がどこまで続くか。二人三脚が稀有な気力の持続を可能にしているのだろう。次々と襲ってくる難関に立ち向かうのは気力の充実ではなく気力の持続なのだ。
あのサルトルでさへ、人生末期には糞尿の垂れ流しだったと、
たしかボーボワールが書いていた。あのクセナキスや、デ・クーニングやLuc Simonでさえ、晩年はアルツハイマーだった。
人生から飛び出す過程も、思いがけない落とし穴に落ち込むようなやはり人生最大の悲惨な苦行なのだと思う。
最近は良くガダルカナルで餓死した日本兵のことを思う。
私など、泣き言を言っている場合ではない。

追記:2016年3月27日
上に健康診断のことを書いているが
よく考えるとこれは健康診断というよりメタボ診断である。
したがって、がん細胞に栄養を横取りされて骨と皮に成り果てている末期がん患者が、メタボ診断にひっかっかるわけがない。
国民健康診断でひっかかるのは(発見されるのは)
北白川で出会った男性のように
胃やら、他に乳がんや、前立腺癌や、大腸がんや肺がん、
子宮がん等、一般がん検診に含まれるものに限る。

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安楽死 その瞬間への立ち会い 追記

2016-03-11 | 死神との綱引き

安楽死 その瞬間への立ち会い:←クリック
(すぐにリンクが消える可能性在り)
考えなければならないこと、調べなければならないこと、行動しなければならないこと、山積みなのに、こんな記事に先ほどお目にかかって、ちょっと脱線したくなった。今思考が停滞しているから、こういう記事に逃げたくなるのかもしれない。
今月号のSAPIO,宮下洋一氏の記事である。
昔々オランダに安楽死幇助で有名な医者がいて、死神のように扱われていた時代を思うと、隔世の感がある。こういう形はとらないが、随分前から日本でも実際に行われていることだと思う。いずれ表立ってシステムとして法制化されるだろう。
「今までの人生は充分楽しかった。人生を肯定した上で、その人生をさらに肯定するがゆえに、自分の意思として死を選ぶのだ」とこのひとは宣誓しているが、今までの人生は肯定しているが、現在や未来の自分の人生を、このひとはきっぱりと否定しているのだ。その点を見逃してはならない。病気の現状、自分の年齢を考えた上で、何の希望も見出せなくなったのだろう。
しかし意識もしっかりしているし、苦しみや苦痛でよれよれになっているわけでもない。安楽死というより、やはり自殺幇助にしか見えない。たくさんの管や生命維持装置に囲まれて、意思に反した延命を無理やり強いられているわけではないことは明らかだ。
さて、SAPIOの読者からはどんな反響がよせられるのだろうか?
せまりくる超高齢化社会は国家にとってのマイナスだと認識されている現状を鑑みると、この方向が加速されることは間違いないだろう。「年よりはお国のため死にましょう」という有名な川柳がある。川柳の間はまだ楽しめる。が、「お国のため」だけが独り歩きして、これが一気に国是となる日も、すぐそこの角まで近づいているような気がする。incentiveとして報奨金が出るかもしれない。讃えて賞賛すれば、この先に楽しみを見出せなくなった老人は一気に「安楽死」に走るだろう。それが権利となった暁には、経済不況で苦しむ、未来を見失った(自分の価値を見失った)若者達も、老人達に負けてはいまい。

・・・・・・・・・・・・・・・
こんな古い記事を思い出した。10年以上も前の記事だ。

参照:再会 2005年1月21日: 
今回のSAPIOの記事のこの老婦人の自死願望の理由説明は以下の通りだ。
「昨年、がんが見つかりました。私は、この先、検査と薬漬けの生活を望んでいないからです」
たったこれだけのことで、自死や自殺幇助が制度として認められるなら、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、と最初から言われ続けているわたしは、一体どうなるのだろう。確かに身近に迫った死は確定されている。げんに今も抗がん剤治療をしないのなら(仮にしたいといっても優先権はない、とした上で)、マーカー検査をしても意味がないから、もうしてやらない、と断られている。しかもこの前まで約束されていたホスピスの紹介まで、一方的に反故にされている。理由は私が「抗がん剤漬けの治療を望んでいない」からだ。糞生意気な患者と思われているというより、抗がん剤を拒否するなら、もう病院にマーカー検査に来る必要(権利)はないということなのだろう。(医者がそこまで嫌がるほどマーカー値が酷くなっていることも事実なのだが。)
SAPIOの記事の女性も「再会」の女性も、「身近にせまった死が確定している」からこそ、それぞれそういう選択になったのだろう。では誰がそこまで、彼女達を追い込んだのかと言うことだ。しかもふたりとも、病院にかかっているにもかかわらずである。
私のような状態を癌難民と言う。しかし、抗がん剤治療を続けたとしても、末期癌の場合、手を変え品を変えてもいずれは、打つ手が切れてしまう。最終的には「もうこの病院で出来る治療はこれ以上ありません」といって、癌難民にされてしまう。ふたりの女性はその先を見てしまった結果、それぞれ未来に希望がないとして現在を自ら断ち切ったのだろう。治らないとしても、なぜ他の道を探そうとしなかったのだろう。ひとつに、それだけの恐怖心を植えつけられている、と言う事実もある。その恐怖心を乗り越えられる選択肢もない、というのもまた事実だ。
先に「今思考が停滞している」と書いたが、恐怖心を克服しても、その選択肢がないから思考は「足踏み」せざるを得ない。抗がん剤を断る、ということは、そういうことなのだ。今は日常生活をなんとか送れるが、この先どんどん悪化するのは医師にも患者にも目に見えている。じわじわと衰弱する衰弱死なら、覚悟は出来ている。それが最良の選択である。しかし、出血したり、腹水が溜まって動けなくなったり、全機能不全になったりした場合、どこか受け入れ病院を探し出し「治療を再開しなければならない」。抗がん剤は嫌ですとか、どうのこうの言っている場合ではなくなる。または臓器に転移してそこが腫れ上がってきたり、痛み出してきたり、機能不全に陥ったりした場合、「もういちど病院で手術をする必要がどうしても生じてしまう」。そのときどこの病院が引き受けてくれるだろうか、と言うことだ。抗がん剤を拒絶しても抗がん剤をやり続けても、結局恐怖心は同じなのだ。死以外の見通しがない。これといった選択肢もない。だからふたりの女性患者は、熟考のうえ、自死の結論を出したと言うことなのだろう。現在自殺幇助を認める国家が出現しているのもそのためだ。
何故こんな歪な事が現実になっていくのか。末期癌を克服する医学的手段が確立されてはいない、からだ。抗がん剤等の治療で昔よりも若干延命は可能になったが、その延命のための抗がん剤により、より苦しい闘病やより早い死を招く場合もある。その上ホスピスも満杯なのだそうだ。どんな患者が優先的に紹介してもらえるか、もう書かなくても分かるだろう。癌難民になって初めて見えてきた大きな壁、現実である。安楽死の記事に目を止めたのも、そのせいかもしれない。

2016年5月23日 追記
安楽死ツーリズム
良く出来た記事だと思う。
◎「あるいは難病患者や老人などが、介護に辟易している家族や周りの人々に圧力をかけられた結果、あるいは本人が迷惑をかけまいとして、安楽死を選択してしまう危険性もある。」
迷惑をかけまいとして、より寧ろ、迷惑がられた結果、安楽死を選択する危険性(もではなくが)が最も懸念される。
◎「自殺することを奨励するような医療政策をとっている国家は、難病や死に至る病を患った人達に対する、物心両面のケアが不足しているのではないかと懐疑する必要があるかもしれない。」必要は多いにあると思うが、医療政策というより、国民的倫理観そのものが反映されるのだと思う。
◎「彼女は生前、CBSテレビのインタビューで、「私は死にたくないのです。もし誰かが魔法の治療法で私の命を救ってくれるなら、私はそれを選びます。」誰が安楽死を選んだとしても、これ以上の本心はない。これが本心である。
◎「訳者の稲松三千野氏は、ロラン氏の心のどこかに「誰か死ぬのを手伝って」のタイトルとは相反する「生きるのを手伝って」という気持ちがなかったのか、と記している。」これ以上の真実はない。生きるのを手伝って、という思いが完全に拒絶された場合のみ「死ぬのを手伝って」という気持ちが湧くのだ。

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別室の上映会  嘆きの天使

2016-02-20 | Bruxellesの原稿

Marlene Dietrich - The Blue Angel - Full movie
映画 嘆きの天使 解説へリンク
あまりにも有名な映画であり主題歌なのだが、映画を初めて全編みた。
デートリッヒが別人のように若い。
それから20年代のドイツのキャバレーの雰囲気が少し体感できた。

作品の感想はまだいえない。
シャンソンを2曲思い出した。
これは前半を見ての感想だ。
後半は悲惨すぎて、まだ言葉が出ない。
決して同情しているわけではないが、悪趣味なほどやりすぎ。

前半を見て、思い出した2曲のシャンソンを探してきて貼り付けることで、とりあえずの感想としたい。
Correspondances過去記事
Monsieur WilliamとLes Dames de la Poste

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思い出したこと 知らなかったこと

2016-01-29 | 死神との綱引き

1.思い出したこと
「どうして末期になるまで気づかなかったのか?」と良く聞かれる。卵巣癌とは自覚が無いのだ。奥の方に隠れているので、治療をどうするか、どの抗がん剤を使うかも、とにかくおなかを手術で開いてみないことには、何もわからない病気だ。問題の腹水であるが、おなかが膨れ上がるので、いやでも目立つが、たいていの人は、中年太りだと勘違いしてしまう。そこで思い出したことがあるので、書き記すことにする。
とにかく物凄い音で、グオーゴーゴーとおなかがなるのだ。空腹の場合グーとなるが、その10倍くらいの音がしかも少し長々とつづく。今から思えば、あれが腹水の合図だったような気がする。この前も図書館に要る時に、やはりそういえば、グオーとおなかが鳴った。ちょっと、誤魔化せない音なので、途方にくれてしまう。

2.思い出したこと
「体調の悪さにどうして気づかなかったのか?」 そういえばの話だが、そしてこれは何も末期癌に限らないが、歩きながらウンウンとうなるようになったら、気をつけたほうがいい。ウンウンとうならなければ足を運べなくなっている、ということは、身体が悲鳴を上げていると思って間違いないだろう。だれでも、かなり無理をしながら我慢して生きているので、ひどく体調が悪いのか、ちょっと疲れすぎているのか区別ができない。歩きながらウンウンとうなるようになったら、癌でなくても、どこか深刻に病んでいると思って間違いない、のではないだろうか。

1.気づいたこと
治療に関する本を150冊以上読んだが、混乱することが多い。今になって思うのだが、人がバラバラのことを言うのは、癌の治療と、健康生活の維持、を混乱しているからだと思う。だいたい、真相は真逆、つまり、日常生活で疲労が溜まったり、老いて疲れやすくなったり、動きが鈍くなったりするのを防ぐために、こうすればいい、ああすればいい、という健康法は、基本的にがん治療には全く役立たない、と思ってよいのではないか。早い話が、健康ドリンクやら、焼肉やら、うなぎやら、疲労回復用のものは、癌にはよくない。毎月の健康雑誌に、ああしろ、こうしろといろいろ書いてあるが、一般的な健康法で、癌が治る、とは考えない方がいい。ここを明確にしておきたい。健康法や疲労回復食は、癌でない場合は確かに役立つが、そのまま、がん治療にも使える、と思うのは大きな間違いである。癌の予防と癌の治療は全く違う。ここを取り違えてはいけない勢いを増し勢力拡大中の末期癌が、体操やマッサージや気功や免疫細胞療法によって寛解するわけがない。末期癌には、安全な治療法など、そもそもありはしない治療法を探したり、試したりするのはとことん尊いことではあるが
話題の先端医療に関する本も徹底的にしらべたが、究極的に言えることは、どれもこれも抗がん剤との併用で,
はじめて、ごく短期間とはいえ、勢いづいた癌細胞の拡大を抑えることが出来る、ということだ。不死鳥のように必ず蘇るが、癌をとりあえず制するのは、抗がん剤という極めて危険な毒を盛るしかない。
とはいえ、抗がん剤治療等が、あらゆる民間療法や代替療法に勝るといっているわけでは,
決してない。延命やQOLの維持にはむしろ後者のほうにこそ僅かとはいえ可能性は残されている。
極々初期だったり、部位によっては進行が極めてゆるやかな癌もあるが、そういう場合は、むしろ放置したほうが、危ない橋をわたるよりはるかに安全だ。だからと言ってそれをすべての癌に当てはめて、がんと言う死に至る病をなめきってはいけない。

1.知らなかったこと
マーカー値がたとえば2000から20に下がったら、正常値範囲ということになる。しかしそれで治ったと言うことが無いのが、癌という病気だ。抗がん剤を何回も打って、マーカー値が
3000から1年半かけて10になったとしよう。でもその人が最初に3期のCと判定された末期がん患者ならば、10になっても5になっても、ずっと3期のCの末期がん患者、という判定のままなのだ。最初の判定がずっとつきまとうわけだ。3期のCの患者が2期や1期の患者になることは、ありえない。それを知らなかった。

2.知らなかったこと
私の場合卵巣癌だったので、血液検査はずっとCA-125を見てきた。卵巣癌のマーカーである。しかし、私の場合のように再発が早々と確定し、あとは、どこに転移するかだけの話になっているのに、いつまでたっても、調べるマーカー値はCA-125であって、肺がん検査や大腸がん検査や肝臓がん検査はしてもらえない。再発がとっくに確定しているのに、どうしてどこに転移するのか、すでにしているのかの検査をしないのですか?と聞いてみた。答えは、もともと卵巣癌の人は、原発が卵巣癌の人は、どこに転移しても卵巣癌の3期のCの末期がん患者なのだそうだ。つまり、たとえどこへ転移しているとしても悪化の度合いなどはCA-125で調べるのが、一番で、それでしか調べられないらしい。知らなかった。

何かの参考になればと思って思いついたことを書いてみました。

追記:2016年1月30日
北白川で出会った方に木村ユウジ氏サイトを教えられた。
身近で介護する御家族の方々には心支えになるかもしれない。
実は前から知っていたのだが今回もう一度探してみた。
彼女は起業をするとおっしゃっていたが穂高養生園
Findhornのような宿泊施設を考えておられるのだろうか?
そこに大自然があるならできたら行ってみたいが
はたして、「残された時間」に間に合うかどうか、厳しい。
参照 見えない鳥の存在 過去記事:

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綱引きの敗北

2016-01-22 | 死神との綱引き

今日の運勢は最悪、悪い予感がしていた。
しかし空は晴れていた。いつものように希望を持って、判定を聞きに行ったのだが、綱引きの敗北が言い渡された。CA125のマーカー値は3535、腹水も僅かながら溜まり始めていると。医者にはわかるのだ。この先どうなるか。11-44-919-1148-3535、もうマーカー値を求めての血液検査はしません、と宣言された。しても意味がない。腹水は溜まり始めると早い。苦しくなって抜くと、あとは死への一直線。
形式的に抗がん剤は勧められたが、一旦断っているので、他の人の空きを待たなくてはならない。つまり優先順位は一番最後。しかも前の抗がん剤開始のときにこう言い渡されている。抗がん剤は、数ヶ月の延命に繋がる場合もあるが、(3期のCの場合は)それ以上は望めないと。
治る可能性があるわけではない。一度はそれでも抗がん剤にすがりついた。でももう二度と抗がん剤にすがりつくのはやめようと思う。手術前から死は、すでに繰り返し宣言されていたではないか!

日ごろの必死の努力が報われて、いままでながらえてきた。それを忘れないで、今までの治療を続けようと思う。腹水はまだ苦しいほどには溜まっていない。排便排尿にやや異常が見え始めている。それと、体重の減少。この先体重の減少に比例して、腹水が溜まっていくのだ。私の知っている方に、がん細胞は活動していないと宣言されたにも関わらず、腹水が溜まり続けて、衰弱してなくなられた方がいる。腹水は口にした栄養を全部横から奪い取ってしまうので、がん患者はがりがりに痩せて全体的に小さくなって、そして死ぬ。
抗がん剤に批判は高まっているが、がん細胞の勢いを殺ぐのは、抗がん剤しかない。少しでもマーカー値を下げたり、その間延命させたりするのは、やはり抗がん剤が一番なのだ。抗がん剤は毒薬なので、それで、その副作用で死ぬ可能性も高い。しかし、副作用がゆるい場合は、医学的には抗がん剤に勝る治療は今のところ日本ではない。抗がん剤の毒性で死ぬ確率と、抗がん剤をしないで放置することによって(また代替療法によって対処する場合も含めて)死ぬ確率と、さて、どちらが高いかという話なのだ。それは部位にも寄るし、ステイジにもよる。そしてなにより、個人の体質にもよる。つまりは寿命と言う言葉で置き換えると一番わかりやすい。末期癌はどう転んでも死に至る病なのだ。決してみくびってはいけない。がん細胞は恐ろしく聡明で、抗がん剤はもとより、どんな治療にもすぐに対策を講じて、乗り越えて行く。早期発見がやかましく言われるのは、そのためだ。がん細胞が充分な知力を持たぬ幼い間なら、少量の抗がん剤でも、あっという間に死ぬ。がん細胞が小さい初期ならば、「恐ろしいほどの聡明さをまだ持ち合わせていない」からだ。しかし成長したがん細胞にやられた末期患者は、どんな手を打っても死ぬし、どれだけ抗がん剤を打ち続けても死ぬ。いずれにせよ、精一杯いくばくかの「延命」が可能になるか否か、それだけのことだ。幸い「延命」を願う気持ちが、もう萎えてしまったわけではない。一日でも長く元気で生きていたい。そのために全力で、末期癌患者という現実と戦っていきたい。今までの人生に大きな意味を持たせるか否かが、それにかかっている。生きてきた過去、自分の人生に対する、肯定であり、敬意であると思っている。そして「死」に直面しつつも、そう思える現状の「幸」(つまり、まだ死にたくないという気持ちが在るということ)に対して、心からの感謝を捧げたい。
まだ尻餅をついた段階で、否応なしに綱でズズーと引きづられて
泣き叫ぶのはもう少しだけ先送り、に願いたい。

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Baking Soda Treatment

2016-01-10 | 死神との綱引き

去年、一時期ではあるが励ましあっていた同病の方が、途中で力尽きてなくなられた。北白川で6月にお会いしたご夫婦も、完璧な二人三脚で驚くほどの知識を持ってStage4からの脱却になかば成功しておられたが、このまえお会いした時は、抗がん剤を再開されていた。膀胱や直腸をやられた場合、普通に生活も出来ないし、民間療法をする時間と体力の確保も出来ない。怖いのは腎臓・肝臓への転移だといわれているが、脳であろうと骨であろうと、転移は恐ろしい。正直なことを言うと、日々戦々恐々としている。精神安定のコントロールや気力充実の対策を繰り返し立て直しては、「ゆとり」や「余裕」にすがりつこうとしている。

北白川で出会ったVが治療に関するアイデアを送ってくれた。
よく読むとひとつはGerson therapy、これは以前から知っているが、厳格すぎてひとりで完璧に実行するのは不可能だと思う、もうひとつはBaking Soda Treatment、これは全く初めて聞く。それで、どんなものか調べてみることにした。時間が無いので、調べつつ同時に書くことにする。
Baking Soda Treatment
どれくらいをどのように飲めば、自分の状態に適しているのか、あまりイメージできないが、日本語のペイジを発見したのでお届けしたい。
重曹療法
早速重曹を買ってきたが、あまりに安いので吃驚した。上記の参考資料を読んでみても、はっきりしたエビデンスも見当たらない。消化器系の癌には試してみるのもいいかもしれない、とは思う。昔々大手製薬会社の副社長までされた東大出の薬学博士が(胃腸が弱かったので)重曹を飲んでおられた、ことを覚えている。ヨーロッパでも子供が寝込んだ時などに、よく使われるらしい。効用はというと、PHをアルカリに傾けること、その作用があるらしい。Vもそう書いてきたし実際に薬局に行って驚いたのだが、重曹は薬局ではお掃除用品のコーナーに置かれている。まずそちらに案内された。お薬として飲むのだというと怪訝な顔をされたが、最後には医薬品のコーナーに行き着いて、制酸薬と表記のある炭酸水素ナトリウム(重曹)を入手することが出来た。
結局この治療を始めるのかどうかと言うと、早急には手を出さないことにした。似た効用のお薬を既に飲み続けているからだ。乗り換えも可能だが、今飲んでいるほうは、飲み方も良くわかっているし、クエン酸サイクルの理論にも当てはまる。ミトコンドリア系エネルギー発生と言うものを1年以上調べまわっているが、ミトコンドリアの活性化に繋がるのが、どうやらこのクエン酸サイクルの理論のような気がする。気がする程度で、(どうすればよいかを)はっきりと書いた本にはまだ出会っていない。

//////////////////////////////////

その昔粉ミルク健康法がブームになったことがあった。癌では勿論なかったが酷い便秘だったので、早速粉ミルクを買って試していた。加藤氏の本も何冊か読んだ。ところが一ヶ月もしないうちに、加藤氏が逮捕されてしまった。加藤氏が治療院を開いていたマンションには、友達のデザイン事務所があって、よく行っていた。友達も表の掃除をしている加藤氏の姿や、治療に来ている車椅子に乗った患者さんたち(末期と言うことだろう)の姿を何度もたくさん見たといっていた。私は単純に医師法違反という罪名に驚いて、粉ミルクを捨ててしまったのだが。
このところ2冊ほど、図書館から借りてきて、加藤氏の著書を読み直してみた。指圧がメインで、粉ミルクを飲めば、癌が治ると言うものではないが(いろいろ複雑な組み合わせがかいてあった)腸の調整のためだけを目的とするなら期待できるかもしれないと考えて、とりあえず買ってきた。ゼロ才用の、極めて母乳に近い粉ミルクである。自分が飲むのだというと、「こんなもの味も何にもありませんよ」と、薬局ではやはり怪訝な顔をされた。
参照:粉ミルク健康法
参照:粉ミルク断食
参照:「わたしの健康」(1985・8号) 
参照:調合 粉ミルク: 素人が生半可に出来そうにない。

/////////////////////////////////////

今飲んでいるサプリメントの種類や錠剤の数が
あまりに多いので、なかなか新しいものを
割り込ませることが出来ない。
もうひとつ、ずっと気になっているのが
Vitamin B17 アミクダリン
アミグダリン(ビタミンB17)の国産びわ種健康粒剤、
も既に購入して手元にあるがまだ封を切っていない。
Edward Griffin のWorld Without Cancerさへ
まだ聞き込んでいない。
だから具体的にあまり理解できていないのだが
もっと調べる価値はあるように思っている。

/////////////////////////////////////



慎重なのか優柔不断なのか
これだけいろいろ調べだしているのに
なかなか新しい民間療法に踏み出すことが出来ない。
そんな中で、あっさりはじめたものがある。
正解とでるか失敗と出るかはわからない。
前に書いたquark cheese and flax seed oilの療法だ。
種の粉砕機も混ぜ合わせる攪拌機も材料の
quark cheeseも入手していないのに
flax seed oilを一日に小さじ一杯だけ
お昼に飲むことをごく最近始めた。
ホルミシス治療に行く日は無理なので
週2回はのめない日があるわけだ。
何故決心したかと言うと効く効かないよりも、
副作用がないと確信したからである。
そして食用のものがあまりにも簡単に手に入る。
チーズの代わりに、ヨーグルトを混ぜている。
いいかげんなのみ方なのだが
北白川の旅館の方(その方は癌ではない)が
物凄く健康そうになられて
そのかたの強力なお勧めも
一歩踏み出すことに役立っている。
これで癌が小さくなる、少なくなる
などとは、思っていない。
からだに油をさす、という程度に考えている。
2016年1月7日 追記
日清製油の小さな容器のものを買ったのだが
プッシュして押し出した後
キューと言う音とともに
空気がどっと容器に逆流入してしまう。これはダメだ。
暗い色のビンに入ったイタリア輸入物を
を買わなければダメだー。
2016年1月10日 追記
空気の逆流入を防ぐ工夫をこらした容器に
はいったものを見つけた。すぐにもあれを買いに行こう。
ヨーグルトも特定の銘柄に決めた。
杏100%しかも砂糖不使用の瓶入りのジャムを
梅田大丸で見つけた。これを亜麻仁油入りの
ヨーグルトに加えたら、凄くおいしかった。
さらに今朝はその上にびわ種健康粒剤を追加して
食した。いい結果を出せるかどうかは
わからないが、とにかく検査の結果が出るまで
アミクダリンに期待を賭けることにする。
Edward Griffinの話し方はとても説得力がある。
梅田の大丸には苦梅の種を原料にした
お薬を買うために行った。こちらはアミクダリンプラス
クエン酸サイクルに期待してのことだ。
以前のProject Miracle(5項目)は3連敗中なので
現在は、修正して(ほとんど追加ばかりだが)
Project 16(16項目からなる)にそって治療を考えている。

死にたくないと、しゃかりきになった回数分項目が増えた。
もちろんこの中にはイメージ・コントロールも入っている。
追記:2016年1月13日
うっかり忘れていた。そのまえにProject 55と言うのも
考えた。55もの項目を毎日確認するのは大変なので
自然と忘れていった。
しかしたくさんのことを同時に考えなければ
Projectを実行することは出来ない。
一日は24時間しかない。55の対策をたてても
実行に移せるのは僅かでしかない。
多種多量のサプリメントを取る以外に
何一つ習慣化できなかった。
食事療法に関しては本を読むだけでなく
資料をデーターベイス化し、食材を選択し
さらに助っ人として買出し人、腕のいい調理人
片付け人、信頼できる記録係、が必要だ。
人間、諦めが肝心、ということも
少しづつ甘受していきたい。

//////////////////////////////////


追記:2016年1月5日(火)
何ヶ月か前に?42キロに落ちたと書いた体重が
ついに40キロ台になった。
がん細胞に栄養を盗まれ続けているのか
今飲んでいるサプリメントの中に減量作用の
あるものが混じっているのか?
30キロ台になれば、顔に癌相が現われるだろう。怖い。
あばら骨がくっきり浮き上がってきていて、
物にあったってもいないのに時々痛みさえ感じる。
追記:2016年1月7日
今日北白川で、数人の人に
無茶苦茶痩せましたねと言われた。
このほんの数ヶ月で全く別人のように痩せてしまった。

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Julie and Julia (2009)

2016-01-01 | Bruxellesの原稿

直前の記事で映画「Julia」を取り上げて、Juliaのモデルに思いを馳せてみた。モデルはおそらくあの二人に限定されるとは思うが、主人公の名前で、またあの人に立ち返ってしまった。
「見えない鳥の存在」のこの過去記事を再度ご覧ください。
Spy Sorge&Donovan(展開2)&Stephenson (3)
Juliaという名前は面白く楽しい戦勝国女性スパイの代名詞のような使われ方をしているのだろう。少なくとも名前だけは、この人からの拝借に違いあるまい。



2009年にはこんな映画まで出来ていた。簡単なあらすじを求めて、日本のBlogに当たってみた。どのような受け止め方をされたのだろうか?
◎ジュリー&ジュリア Julie and Julia (2009)
そのいち : そのに : そのさん :
Julia Childを演じたMeryl StreepのInterviewでも同じような感じですね。
こちらは実際のJulia Childの番組「The French Chef」からOnion Soupのつくり方。


(違和感ありませんか?)

完全に映画の話に入ってしまいますが、Meryl Streep, Julia Childにここまで似せて演技しているのですね。
演技と言うより「物まね」?
Meryl Streep vs. Julia Child
追記:2015年12月23日
「神経」といえば、料理人がパンの扱いを
しくじっているところ、しかも落としたものを
再び、パンに戻しているところ、
帽子をかぶらず、手で髪の毛にさわっているところ、
非常な違和感を感じるのですが
これが彼女の個性なのでしょうね。
まだそういう時代だったのでしょうか?



2015年11月25日の記事を書いた時から、鶏を持ってにっこり、のこの写真に、なにかしら深い抵抗を感じていたのですが(つまり、日本人的には、神経を疑う、の図に思える)、この辺を民俗学的に検証すると、日本に原爆が落とされた理由、すなわち徹底的な敗戦の理由や、今後の国際政治の展開や未来の世界覇権の展望などが、はっきりと見えてくるような気がするのですが、あなたはどう思われますか?各民族の”神経”を分析すれば、その政治思考を操る根源のようなものが、見える。思想や宗教や文化云々よりも、はるかに単純に見えてくる、そんな気がしませんか?
ご覧ください。「Julia Child Chicken」 You Tube
食するのは同じなのだから、単なる慣れの問題でしょうが、しかし「慣れ」こそが民族的感性の根源でしょう。違いますか?

追記:2015年12月29日
京都の北白川の温泉場で出会った人と友達になった。
ありがたいことに彼女は忙しい中Blogを読んでくれる。感想も聞かせてくれる。Julia & Julieも実際見たのだそうだ。ただStoryを良く覚えていないが、何かスパイに関係が有るの?と質問が来た。
説明を加えてこのリンクを送った。
One to One : Covert Affair:
ついでに私も今回これをじっくり見て、OSSの正体がかなり
浮き上がってくるのを感じた。

Jennetはルーズベルトからトルーマンに代わったことを
方針の転換の原因に挙げているが、スパイたちは
Julia Childは
日本の敗戦の後旧宗主国が再び
かつての植民地を武力で取り戻しに来たことに
大変ショックを受けたようだ。
Jennetもはっきり言っているがOSSは
New Dealerたちの巣窟で、本国の方針の転換によって
1949年あたりから、元スパイたちはかなり厳しい
立場に立たされる。後にマッカーシーなどによって
ごく一時的にではあるが、全米がヒステリー状態に陥る。
(歴史的にはそれには充分な根拠があるのだが)
この辺は日本を統治したGHQも「逆コース」を
取るあたりなのだが、いままでは単純に
「露呈してきた米ソ対立」で説明されてきたが、
米国内の分裂は第二次世界大戦を
Facism vs Communismの図式で
(実際はFacism=Communism)

単純にとらえた知識人が大変多かったためだろう。
私が見る限りネット上に於いては
少しづつではあるがマッカーシーの正当性は
証明されてきていると思うのだが
あちらの教材ではどうなのだろうと
「アメリカの小学生が学ぶ歴史」と言う本を買って
読んでみたら、マッカーシーはボロクソに書かれていた。
今は再度の「逆コース」になっている。

この辺はテーマとしてもっと検証を深めたい
と思っているところなのだが、
複雑に長くなるので今回はここで止める。

「どこの国から?」
「ならば、あなたのお国は枢軸国側だったですね」
これが私が彼女にかけた最初の二言だった。
その後彼女はたくさんのがん治療の方法を
送ってきてくれている。
あとの2日は、それを記事にしてまとめることに
費やそうと思っている。
マーカー値が増え続ける一方の
末期がん患者に大晦日もお正月も無い。

追記:2015年12月30日
今日も時間が無かったし、明日も全く無い。
「あとの2日は、それを記事にしてまとめることに
費やそうと思っている。」
と昨日書いたが、不可能になってしまった。



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//////////////////////////・・・話変わり・・・////
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あっけにとられて声も出ない。
この事態(日韓合意)でもまだ
安倍さんは、大変な中、精一杯良くやった
安倍さんは、お気の毒
これからもがんばってください
といい続けるのだろう。
あまりにも馬鹿馬鹿しい。
安倍談話の「保守世界の統一反応」に対する
激しいショックがいまだに消えない。
声も出ないほどのあまりにも激しい裏切りだった。
私には丸見えだ。
もう延々と数年前からずっと工作が続いている。
覚醒している日本人はどこにいるのだろうか。
ペテンもわかれば、
方法・手段も行き先も目的も私には
丸見えだ。
正論、産経新聞等は何十年「慰安婦」「南京」
のマッチポンプ
記事で生計を立ててきたのか。
アホでもわかるように一行で言うと安倍は
保守を懐柔し理解力をかく乱させ人格を
破壊し
よだれをたらした羊に仕上げ
「左翼を喜ばせることばかりを実行に移すために」

総理になったと言うことだ。
担ぎ出したのも、今もまだ狂喜乱舞しているのも
自称真正保守だけなのだから、○○はもう終わっている。
この件(安倍内閣)に関しては、今後一切書かない。
死にたくないからだ。

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Virginia Hall & other female american spies

2015-12-19 | Bruxellesの原稿

Virginia Hallの話を書いて、やれやれと思ったのもつかの間、記憶の中からある女性が現われ、思考の輪に引っかかってしまった。それは現実の女性ではなく、ある映画の登場人物である。昔々その映画を見て、物凄く感動した。レンタルショップで借りて十数年後にもう一度か二度見たような気がする。その割りに内容をあまり把握していない。思い出すのは、女性二人が再会するレストランでのシーンのみ、という有様なのだが。何故思い出したかと言えば、Virginiaが義足であったこと、ナチのファシズムと戦ったと言うこと、ウィーンに留学していた裕福でハイソなアメリカ人であるということ、から自然とその映画、即ち「Julia」を思い出すこととなった。ご存知でない方のために、まず映画の紹介を。
本当はアメリカの映画評から出すべきだと思うが、見たことのある方はよりリアルに思い出されるかもしれないので、日本語での映画評からリンクを始める。

みんなのシネマレビュー
西澤 晋 の 映画日記
映画「Julia」 wikipedia 日本語
Review Julia:
Film Article:
映画 Julia wikipedia 英語

日本語のwikipediaのなかでジュリアを演じた「ヴァネッサ・レッドグレイヴの授賞式における政治的発言について」の項目があるので、そのYou Tubeをとりあえず探してみた。
Vanessa Redgrave Wins Supporting Actress: 1978 Oscars :
ヴァネッサ・レッドグレイヴについて
Vanessa Redgrave60分
Jane Fondaだけでもかなり政治的なのに、この人も合わせると、あまりに政治的で、映画の内容と実際が混沌としてくる。この人がJuliaを演じたと言うだけに、ここでは止めておく。
英語のwikipediaでは以下のことが問題になっている。
「In 1983, New York psychiatrist Muriel Gardiner became involved in the libel suit between Mary McCarthy and Lillian Hellman, when she claimed that she was the character called Julia in Hellman's memoirs, Pentimento (1973), and in the movie Julia based on a chapter of that book. Hellman, who never met Gardiner, claimed that "Julia" was somebody else.」
映画のJuliaとそっくりな活躍をした(即ちスパイだった)MURIEL GARDINERという人が、自分をモデルにしている作品だと名乗りをあげている。
Muriel Gardiner:wikipedia
MURIEL GARDINER, WHO HELPED HUNDREDS ESCAPE NAZIS, DIES
作家のリリアンは、Murielではない別人だと言っている。
作家は何も作品にそのままの人物をそのままに取り上げるわけはないのだから、結論としてVirginia Hallのように、フランスのレジスタンスに加担して、ナチの兵隊を多量に殺害した女性アメリカ人の連合国側スパイが、最低でもHall以外に1,2人はいたということになる。
Virginiaをモデルにしたのか、Murielをモデルにしたのか、他の誰かなのか。同じような女性スパイはひょっとしたらもっとたくさんいたのか。

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古い映画から少しはなれて
現代の時点では
どれくらい明らかになっているか調べてみた。
結果こういうペイジを二つ発見した。過去に伏せられていた蓋は、今は堂々と開けられている。Virginia Hallを言わば開祖とする、女性スパイチームは米国ではもはや伝統となるまでに成長している。Osama Bin Ladenのありかを突き止めたのもVirginiaの息を引き継ぐ女性諜報員グループだったと記録されている。
10 Amazing Female Spies Who Brought Down The Nazis
female american spies in history

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Julia, 1977 - Trailer : You Tube

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追記:2015年12月23日
Special Agents: The Women of SOE
偶然見つけたので追加します。
これを読むと、強制収容所に送られたり
処刑されたりした女スパイも数人はいたようですね。
おそらく自由のためにと命を懸けたのでしょうから
やっぱり気の毒ですね、そう思います。

このところスパイの話ばっかり書いてきて
ふと思い出したスパイ事件があります。
昔記事にした、世にも不思議な奇奇怪怪の
ありえないようなスパイ事件です。
興味津々でお読みください。
これも映画になっています。そしてあくまでも
事実にのっとった話なんです。
女スパイの話なんですが
女スパイではないんです???

Monsieur Butterfly dies...

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