見えない鳥の存在: Blog版

Blog: L'oiseau Invisible
blog目的が途中から激変してしまった

死は目の前の現実なのだ

2016-03-25 | 死神との綱引き

手術のあと抗がん剤治療で入院中に、知り合った患者の中で、電話番号を交換したのは彼女だけだった。彼女は私より抗がん剤治療のスタートは数ヶ月早かったみたいだ。治療の成果はマーカーの数値には現われなかった。私は数値がよくなり3回を過ぎて「もうやめる」と決心を告げた時、「本当に治療をやめるの?」と吃驚していた。命を懸けての決断だったので、かなり迷いに迷ったが、数ヶ月の延命しかありえないのなら、抗がん剤で苦しみ続けることはない。彼女が何期だったのかは知らないが、いわれるままに抗がん剤治療を続けたのだろう。
私もマーカー値が3535になり、腹水も溜まり始めているといわれ、がけっぷっちに来て、実はどうすればいいか、考えあぐねている。一昨日はハイパーサーミアの見学に行ったが、やはり抗がん剤との併用を勧められて、二の足を踏んだ。そうすれば一時的にはマーカー値は確かに減少するが、じわじわ元に戻ることは間違いない。しかしそういった治療を様々に続けると、それぞれ数ヶ月の延命は出来ると思う。卵巣癌は予後が悪いので、いずれにせよ死ぬしかない。だったらなるべくQOLを維持して、短くても最後まで自分のことは自分で出来る、そんな状態を保つことが、私にとっては絶対必要条件だと思っている。
抗がん剤は毒だから、たしかにがん細胞を弱らせる。しかし身体全体が毒にやられるから、衰弱も激しいし、副作用でそのまま死ぬことも充分にありえる。またがん細胞は毒を盛らない限りは、とても高速でどんどん増え続ける。直線ではなく、放物線のような上昇を見せる。
彼女はどうしているだろうか?私のように再発しているのだろうか?ふとそう思って、思いきってさっき電話してみた。
彼女は山女で、田部井淳子を尊敬していて、彼女のように病院の治療で末期癌を克服しようと思っていた。最初の診察・検査の前日に、金剛山に登ったと言っていた。私のように抗がん剤でへたることもなかった。ドイツ兵のようなしっかりした足取りで、抗がん剤のあとも安定した歩き方をし、食欲も衰えなかった。だから彼女は抗がん剤をわりと平然と続けることが出来たのだろう。
電話口にはご主人が出て、彼女は去年の6月に亡くなったと告げた。ショックだった。去年の2月には、もうこれ以上さらに強い抗がん剤を続けることが困難になり、その時点で治療をストップされたらしい。抗がん剤は使う順番が決まっていて、体力から鑑みて、もう次の手がなくなったのだ。それでも去年の4月5月頃までは比較的に元気だったそうだ。そのあと腹水が溜まり始めて、6月にあっけなく亡くなった。最初の入院手術から1年半だそうだ。抗がん剤は10回続けた。10回目が去年の2月、それで治療がストップして4ヵ月後ということになる。
私は手術及び最初の抗がん剤から1年9ヶ月、もうギリギリまできているにせよ、良く持ちこたえている。がん患者はそれぞれに個性を持ったがん細胞を抱えているらしいから、他者との比較は何の意味もないが、抗がん剤をやめてから1年半経過した。とはいえもう先は見えてきた。
最近死を迎えるに当たっての心構えが随分違ってきた。いままでは、いよいよとなれば、できるだけ早くホスピスに行き、そこで、バンバンモルヒネを打ち、あっさり死ぬつもりでいた。しかしモルヒネを打つと酷い便秘になると知って、すこし再考するようになった。それと、医者にホスピスを紹介しないといわれて、そもそもあきらめざるを得なくなった。そこで私の希望としては、あらゆる代替療法にチャレンジしてみて、なるべく昔の年寄りみたいに、自宅でゆっくりと衰弱して、ひっそりと死ぬ、孤独死、これが理想になってきた。食事が出来なくなり、それでも7日間ほど水が飲めたら、そして次第に傾眠状態に入っていき、ひっそりと孤独死する。考えてみれば野良の犬猫のように死ぬのだけれど、決して悪いとは思わない。いまはそれこそが私の理想の死に方だと思っている。なんだかんだいっても、これからはそのような死に方をするひとがやはり増えていくだろう。それを理想としてその魁となるのだ。しかしなかなか条件が整わない限り、そんな理想的な死に方はできないだろうが。
それから辞世の句、素晴らしい句を用意しようと思っていたけれど、辞世の句は作らないことに決めた。ただ理想が、自宅のパソコンの前でばったり、なので、最後の言葉はできたらパソコンに打ち込みたいと思っている。何を書くか。それは以前に既に書いた。その人のブログでその人が呟いたあのことば、あれをそのまま借用したいと思っている。
「わたし、しっかりしろ!」
「まだ死にたくないよぉ」
これ以上に、死に行く時の私にぴったりな言葉はない、と今は確信している。だから辞世の句などは詠まない。

追記:2016年3月20日
かなり露骨なタイトルで、上のような文章を書いて寝たからか、今朝方恐ろしい夢を見て目が覚めた。何故か全身舞妓さんのお化粧のような白塗りで立っていて、よくみると腹部ががん細胞と腹水でグロテスクに変形して垂れ下がっていた。「ギャー!」
ここ数ヶ月夢を見るようになって、それがまた、こころの抑圧が浮上するような夢ばかりだ。普段なだめたりすかしたりしている自分の思いがその実体を夢の中で、精神分析のように明快なかたちをとり、悟らせてくれる。こう判断したのは、積み重ねられたこういう思いの結果だとか、心の中では予想に反してこういうことを懐かしんでいるのかとか、自分のこころはこの思いゆえに、こういうことを欲しているのか、とか気づくことが多い。いいことばかりではない。ふだん無理に考えないようにベールを被せていること、たとえば、こういうことが嫌で仕方がない、これが恐怖だ、そして憎悪すべき出来事の数々、それらもしっかりと再確認できてくる。浮上してきたものはすぐに明快に納得できるから、本来薄々気づいていることに違いないが、心の検察官が、「無駄なことは考えるな」と押さえ込んできたものたちだと思う。
死ぬ前に自分の心がはっきりとしっかりと見えてくるのは素晴らしいことだと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話変わり、追記:2016年3月21日
先々週北白川で、新しい人物(男性)に出会った。PCでここを見つけて初めてやってきた、とその人は言った。検査で見つかって、まだ手術前だという。しかも胃の全摘。ショックの様子は隠せないがいたって健康そうに見える。ご飯も丼で何杯も平気で食べるし、体調も体力もほぼ完璧、もともと体格も良い。検査がおかしいのでは?と聞いてみたら「自分の目で、自分の胃の画像を見たら、それらしきものが確かに映っていた」と。来月にはこの人の人生は一変するのだろう。体格も体調も体力も食欲も「健康そうにみえること」も、全部失う事になる。それでも、いき続けることが出来れば、という思いで自分の運命を受け入れるしかない。たしかに今胃がんは癌の中では寛解の可能性が非常に高い。一旦患者になった人間は、100%積極的に手術を受けるだろう。
近藤誠医師ががん検診を否定されていることを、この人を見てふと思い出した。平気でしかも健康そうに暮らしているひとから、無理やり胃を100%奪ってしまうことが、ほんとうに治療なのかと、たとえば、この人の寿命がかりにあと7年として、その7年を病に気づかずに生きるのと、胃のない不健康な半病人として不安の中で生きるのと、どちらが幸せだろうか、と考えてしまう。
とはいえ、わたしも手術は受けたし、私がこの人でも、当然手術を受けるだろう。患者とは、そういうものだからだ。患者とはそういうものだからだ。
しかし、この人を見て思う。今この人の受けているショックを見て思う。がん検診で、こういう患者がつぎつぎと量産されていくことだけは、隠しようもない事実だと。そして新しい新薬や治療法が開発され、医学もどんどん進歩していく、筈なのだ。
だとすると、二人に一人ががん患者になる世の中が到来するのは、何が原因で何が結果なのだろうか?

また話変わり、追記:2016年3月21日
ー最近死を迎えるに当たっての心構えが随分違ってきた。ー
と先に書いた。原因のひとつは前記事に書いたSAPIOの「安楽死を目撃した」という記事、もうひとつはこのblogだ。
デュラスの「アマン」を調べようと思って検索している時に、このblogに行き当たった。同じ病気だ、しかもこの人、Heleneは既に亡くなっている。異国でひとり。しかしこのひとには、このようにblogを立ち上げて彼女の闘病その他を記録に残した日本人の男性がいる。そこが全く違うのだが、この男性は彼女の恋人、ではなさそうだ。
とにかく一日がかりで読みふけった。顔の肉が削げ落ちていく病人の顔の写真、さらにショックをうけたのは、なくなった後のデスマスクだった。末期の様子がYou Tubeの映像にも残されている。
多分だけれど、自分がどのような気持ちで、どのようにやせ衰えて、餓死状態で死んでゆくか、この世から去ってゆくか、シミュレーションできるくらいにたくさんの情報がこのblogにはつまっていた。
自分の死に行く様だけでなく、死んだ後の状況まで、自分の場合はおそらく、としてではあるけれど、全部シミュレーション出来てしまった。私は日本人である、とわたしには「思いでのblog」を立ち上げてくれるほどに、この最後の闘病の場面で、私を知り私に寄り添う(女性はいうまでもなく)
男性も全くいない、という2点を除けば、私は、Heleneに自分をほぼ完全に自己投影して、なりきること、感情移入し理解することが出来た。
「わたし、しっかりしろ!」
「まだ死にたくないよぉ」
Heleneもそう言い続けて死んでいったと確信する。
私は寧ろ孤独を愛するものなので、死に向かう絶望的で孤独な旅路はかまわない。その旅路は無慈悲なまでに連続的攻撃的剥奪にはじまり、最後は有無を言わさぬ完全消滅に至らしめるところに、真のおぞましさの正体がある。死に辿り着くまでに、どれくらい涙を流すのだろうか?

早々に死体が発見されること、お葬式または遺体の処理、さらに入るお墓、納骨、たったこれだけだけれど、一番重要なことに関しての終活だけは完了している。こんなもの、死ぬ者にとっては一番重要でも何でも無いのだけれど、「終活のすすめ」に関して、去り行く者にとっての世間的「お勤め」について、昨今無慈悲なまでに厳しい(こうしろ、ああしろという)意見(死に行く者の作法)が、生者側から盛んに論じられている。
私には特別の宗教心は何もないが、死後49日間は、自由気ままに世界中・日本中を飛びまわれて、誰にでも会いに行けると確信している。死後幽体離脱して、死体処理、お葬式、お墓への納骨、等の見届け、かかわりあった人々へのお別れ訪問、特製の霊性高性能ドローンに乗って、すべて滞りなく済ませるのを密かに楽しみにしている。
勿論生きている間に知りたいこと、伝えたいこと、言い残したいこと、片付けておきたいことは、生きている間に出来るだけそうするつもりでいる。ただ今を生きるので精一杯、だから時間切れで何ひとつ出来ないかもしれない。現実には逆らえない。

2016年3月25日
頼み込んで特別枠で特健(市民健康診断)に追加する形で
内科医に
CA-125のマーカー値を調べてもらい今日結果を得た。
CA-125=9803
マーカー値を調べる意味はもうない
とここでも言われた。急がなければ。しかし何を?
頭は真っ白だ。腹膜播種の急進撃である。

一般健康診断の数値も付加しておく。
全く問題はない。血液に関する数値、白血球も
赤血球も血小板もなにもかも全く問題がない。
抗がん剤をやめているから骨髄抑制という副作用は
完全に消えている。しかも、健康的食事、ゲルマニウムやブロリコの多量摂取など、高額なものも含めて
30種以上の健康サプリメント、週2回のホルミシス治療
バスにのって緑の多い公園まで行ってするwalking
時々する体操、呼吸法訓練、岩盤浴、そしてたっぷりの睡眠、
イメージ療法、self-controle,ビタミンB17、亜麻仁油、
腸の調整のための2種の乳酸菌、野菜酵素、漢方便秘薬
ビタミンCやアミクダリンのための梅仙丹
様々な努力は健康な数値となって健康診断では
しっかりと報われている。免疫力も高い。
けれどもこんな数値と、がん細胞の増減とは
何の関係も無い、ということだ。
健康診断の意味さえないということだ。
とくに露に分かるのは、
免疫力を高めて癌と戦うという治療法というのは
全くの嘘だということだろう。
がん細胞は免疫からの攻撃を信号でキャッチして
事前に攻撃を跳ね返す、それに対抗するための
新薬の情報があったではないか。
免疫を高めて抗がん剤の副作用からなるべく早く
recoverする、ということは可能かもしれないけれど、
それは感染症回避にしか役立たない。しかも抗がん剤の毒は
かならず病に最後の止めを刺す

あらゆる治療に夫婦協力して取り組み続けてステイジ4から
奇跡的に回復して3年目を迎えた方と、このまえ話した。
「死ぬことは決まっている。QOLを維持しての延命、
それに全力を賭ける。踏ん張る、押し返す、
抗がん剤も免疫治療もなんでもする、Never Give Up
しかない」そうおっしゃっていた。

気力がどこまで続くか。二人三脚が稀有な気力の持続を可能にしているのだろう。次々と襲ってくる難関に立ち向かうのは気力の充実ではなく気力の持続なのだ。
あのサルトルでさへ、人生末期には糞尿の垂れ流しだったと、
たしかボーボワールが書いていた。あのクセナキスや、デ・クーニングやLuc Simonでさえ、晩年はアルツハイマーだった。
人生から飛び出す過程も、思いがけない落とし穴に落ち込むようなやはり人生最大の悲惨な苦行なのだと思う。
最近は良くガダルカナルで餓死した日本兵のことを思う。
私など、泣き言を言っている場合ではない。

追記:2016年3月27日
上に健康診断のことを書いているが
よく考えるとこれは健康診断というよりメタボ診断である。
したがって、がん細胞に栄養を横取りされて骨と皮に成り果てている末期がん患者が、メタボ診断にひっかっかるわけがない。
国民健康診断でひっかかるのは(発見されるのは)
北白川で出会った男性のように
胃やら、他に乳がんや、前立腺癌や、大腸がんや肺がん、
子宮がん等、一般がん検診に含まれるものに限る。


安楽死 その瞬間への立ち会い 追記

2016-03-11 | 死神との綱引き

安楽死 その瞬間への立ち会い:←クリック
(すぐにリンクが消える可能性在り)
考えなければならないこと、調べなければならないこと、行動しなければならないこと、山積みなのに、こんな記事に先ほどお目にかかって、ちょっと脱線したくなった。今思考が停滞しているから、こういう記事に逃げたくなるのかもしれない。
今月号のSAPIO,宮下洋一氏の記事である。
昔々オランダに安楽死幇助で有名な医者がいて、死神のように扱われていた時代を思うと、隔世の感がある。こういう形はとらないが、随分前から日本でも実際に行われていることだと思う。いずれ表立ってシステムとして法制化されるだろう。
「今までの人生は充分楽しかった。人生を肯定した上で、その人生をさらに肯定するがゆえに、自分の意思として死を選ぶのだ」とこのひとは宣誓しているが、今までの人生は肯定しているが、現在や未来の自分の人生を、このひとはきっぱりと否定しているのだ。その点を見逃してはならない。病気の現状、自分の年齢を考えた上で、何の希望も見出せなくなったのだろう。
しかし意識もしっかりしているし、苦しみや苦痛でよれよれになっているわけでもない。安楽死というより、やはり自殺幇助にしか見えない。たくさんの管や生命維持装置に囲まれて、意思に反した延命を無理やり強いられているわけではないことは明らかだ。
さて、SAPIOの読者からはどんな反響がよせられるのだろうか?
せまりくる超高齢化社会は国家にとってのマイナスだと認識されている現状を鑑みると、この方向が加速されることは間違いないだろう。「年よりはお国のため死にましょう」という有名な川柳がある。川柳の間はまだ楽しめる。が、「お国のため」だけが独り歩きして、これが一気に国是となる日も、すぐそこの角まで近づいているような気がする。incentiveとして報奨金が出るかもしれない。讃えて賞賛すれば、この先に楽しみを見出せなくなった老人は一気に「安楽死」に走るだろう。それが権利となった暁には、経済不況で苦しむ、未来を見失った(自分の価値を見失った)若者達も、老人達に負けてはいまい。

・・・・・・・・・・・・・・・
こんな古い記事を思い出した。10年以上も前の記事だ。

参照:再会 2005年1月21日: 
今回のSAPIOの記事のこの老婦人の自死願望の理由説明は以下の通りだ。
「昨年、がんが見つかりました。私は、この先、検査と薬漬けの生活を望んでいないからです」
たったこれだけのことで、自死や自殺幇助が制度として認められるなら、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、と最初から言われ続けているわたしは、一体どうなるのだろう。確かに身近に迫った死は確定されている。げんに今も抗がん剤治療をしないのなら(仮にしたいといっても優先権はない、とした上で)、マーカー検査をしても意味がないから、もうしてやらない、と断られている。しかもこの前まで約束されていたホスピスの紹介まで、一方的に反故にされている。理由は私が「抗がん剤漬けの治療を望んでいない」からだ。糞生意気な患者と思われているというより、抗がん剤を拒否するなら、もう病院にマーカー検査に来る必要(権利)はないということなのだろう。(医者がそこまで嫌がるほどマーカー値が酷くなっていることも事実なのだが。)
SAPIOの記事の女性も「再会」の女性も、「身近にせまった死が確定している」からこそ、それぞれそういう選択になったのだろう。では誰がそこまで、彼女達を追い込んだのかと言うことだ。しかもふたりとも、病院にかかっているにもかかわらずである。
私のような状態を癌難民と言う。しかし、抗がん剤治療を続けたとしても、末期癌の場合、手を変え品を変えてもいずれは、打つ手が切れてしまう。最終的には「もうこの病院で出来る治療はこれ以上ありません」といって、癌難民にされてしまう。ふたりの女性はその先を見てしまった結果、それぞれ未来に希望がないとして現在を自ら断ち切ったのだろう。治らないとしても、なぜ他の道を探そうとしなかったのだろう。ひとつに、それだけの恐怖心を植えつけられている、と言う事実もある。その恐怖心を乗り越えられる選択肢もない、というのもまた事実だ。
先に「今思考が停滞している」と書いたが、恐怖心を克服しても、その選択肢がないから思考は「足踏み」せざるを得ない。抗がん剤を断る、ということは、そういうことなのだ。今は日常生活をなんとか送れるが、この先どんどん悪化するのは医師にも患者にも目に見えている。じわじわと衰弱する衰弱死なら、覚悟は出来ている。それが最良の選択である。しかし、出血したり、腹水が溜まって動けなくなったり、全機能不全になったりした場合、どこか受け入れ病院を探し出し「治療を再開しなければならない」。抗がん剤は嫌ですとか、どうのこうの言っている場合ではなくなる。または臓器に転移してそこが腫れ上がってきたり、痛み出してきたり、機能不全に陥ったりした場合、「もういちど病院で手術をする必要がどうしても生じてしまう」。そのときどこの病院が引き受けてくれるだろうか、と言うことだ。抗がん剤を拒絶しても抗がん剤をやり続けても、結局恐怖心は同じなのだ。死以外の見通しがない。これといった選択肢もない。だからふたりの女性患者は、熟考のうえ、自死の結論を出したと言うことなのだろう。現在自殺幇助を認める国家が出現しているのもそのためだ。
何故こんな歪な事が現実になっていくのか。末期癌を克服する医学的手段が確立されてはいない、からだ。抗がん剤等の治療で昔よりも若干延命は可能になったが、その延命のための抗がん剤により、より苦しい闘病やより早い死を招く場合もある。その上ホスピスも満杯なのだそうだ。どんな患者が優先的に紹介してもらえるか、もう書かなくても分かるだろう。癌難民になって初めて見えてきた大きな壁、現実である。安楽死の記事に目を止めたのも、そのせいかもしれない。

2016年5月23日 追記
安楽死ツーリズム
良く出来た記事だと思う。
◎「あるいは難病患者や老人などが、介護に辟易している家族や周りの人々に圧力をかけられた結果、あるいは本人が迷惑をかけまいとして、安楽死を選択してしまう危険性もある。」
迷惑をかけまいとして、より寧ろ、迷惑がられた結果、安楽死を選択する危険性(もではなくが)が最も懸念される。
◎「自殺することを奨励するような医療政策をとっている国家は、難病や死に至る病を患った人達に対する、物心両面のケアが不足しているのではないかと懐疑する必要があるかもしれない。」必要は多いにあると思うが、医療政策というより、国民的倫理観そのものが反映されるのだと思う。
◎「彼女は生前、CBSテレビのインタビューで、「私は死にたくないのです。もし誰かが魔法の治療法で私の命を救ってくれるなら、私はそれを選びます。」誰が安楽死を選んだとしても、これ以上の本心はない。これが本心である。
◎「訳者の稲松三千野氏は、ロラン氏の心のどこかに「誰か死ぬのを手伝って」のタイトルとは相反する「生きるのを手伝って」という気持ちがなかったのか、と記している。」これ以上の真実はない。生きるのを手伝って、という思いが完全に拒絶された場合のみ「死ぬのを手伝って」という気持ちが湧くのだ。