静風徒然ブログ

心の赴くままに、鳥のように、虚無の世界!

魏氏楽譜

2012-03-05 09:22:02 | Weblog
明楽を日本に広めた魏之炎、
明和5年に江戸の書林芸香堂から出版された「魏氏楽譜」50曲は以下の通り。

「江陵楽」 「壽陽楽」「楊白花」「甘露伝」「蝶恋花」
「估客楽」 「敦煌楽」「沐浴子」「聖壽」 「喜遷鶯」
「関山月」 「桃葉歌」「関唯」 「清平調」「酔起言志」
「行経華陰」「小重山」「昭夏楽」「江南弄」「玉胡調」
「遊子吟」 「太玄観」「陽関曲」「杏花天」「採桑子」
「思帰楽」 「宮中楽」「平蕃曲」「賀聖朝」「瑞鶴仙」
「清平楽」 「龍頭吟」「龍池篇」「天馬」 「月下独酌」
「秋風辞」 「萬年歓」「白頭吟」「洞仙歌」「千秋歳」
「水流吟」 「鳳凰臺」「大聖楽」「青玉案」「大同殿」
「玉臺観」 「長歌行」「風中柳」「慶春澤」「斉天楽」

天保2年の「花月琴譜」に
「高山流水」「九連環」「鳳陽調」「算命曲」「茉莉花」などが出てくる。

彦山の月

2012-03-05 08:34:01 | Weblog
聖福寺雛祭り二胡演奏の会場で久しぶりに新名規明先生と出会った。
「松林さん、この本を読んでみてください」と渡されたのが「彦山の月」
文化元年9月に長崎奉行所に着任した大田南畝(蜀山人、直二郎)の
長崎での生活と江戸に戻ってからの余生を記述したものである。

長崎人で一番出てくるのは唐通事劉一水の末裔、彭城東作と遊龍彦次郎、
劉一水一族と明楽の祖、魏之炎一族は姻戚関係にあったようだ。
魏之炎の息子に劉家2代劉宣義の娘が嫁いでいるとのこと。
であれば二人が明楽に精通していたであろうことは類推できる。
劉家10代の彭城貞徳は画家であったが琴古流のトップ、吉田一調から
一調銘を許され「逸調」と号した琴古流の高弟だった。
松寿軒の絵を残したのも彭城貞徳である。
「彦山の月」の中で彭城東作の妻サイが胡弓を弾き、
遊龍彦次郎の妻スミが月琴を奏でる光景が出てくる。七弦琴と洞簫の合奏も、
どうやら当時は筒井景周が明清楽を指導していた模様、


大田南畝が長崎着任以来、多くの文化人が長崎を訪れた。
市川団十郎もその一人、
聖福寺に供養等を建立したのも大田南畝が関わっていたはずだ。
ほかに頼山陽や木村蒹葭堂の名も本の中に出てくる。
新名規明先生と逢えたこと。まさに佛縁だった。

久しぶりに静風文庫から「宮田安著・唐通事家系論攷」と
「新長崎年表・上下巻」を出して、ページをめくってみた。