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春の日の花と輝くの原曲とされた曲

2024-05-10 21:00:00 | ロマン派
バラ ピエール・ド・ロンサールのアーチが満開になりました。



















木曜は少し寒かったですが、これがいつもの5月かも…わからなくなってきました。

「春の日の花と輝く」は
元は "Believe Me, If All Those Endearing Young Charms"(私を信じて下さい。もし、あの愛らしい若者が魅力的なら) という詩で、アイルランドの詩人

トーマス・ムーア (Thomas Moore ; 1779-1852年)アイルランド ダブリン生まれ、イングランド ウィルトシャー クローバートンコテージ没

が1808年に、以前からあった曲 "My lodging is on the cold ground"(私の小屋は冷たい土地の上にあります。) の旋律を借りて発表したものだといわれています。

元になった "My lodging..." は民謡
音楽執筆家ウィリアム・チャペル (William Chappell ; 1809-1888) が1856年に出版した "Popular Music of the Olden Time..."に次のような楽譜が載せられています。

あれ?旋律が違います。

作曲は、イギリス初期バロックの大家マシュー・ロック (Matthew Locke ; 1621/22-1677)とされています。
ただしロックの旋律は最上声だけで、伴奏は19世紀の味付けをしていると思います。 

17世紀イギリスの詩人・劇作家にウィリアム・ダヴェナント (Sir William Davenant, しばしばD'Avenant とも ; 1606-1668)


という人がいます。
シェイクスピアが名付け親だとか、あるいはシェイクスピアの庶子という説もあります。
本人はこの噂を否定せず、むしろ自身の活動にうまく結びつけていたとも言われています。
彼が1656年に発表した『ロドス包囲戦』は、イギリス史上最初のオペラと言われています。
イニゴ・ジョーンズの弟子ジョン・ウェッブがデザインしたロードス島の眺め。1656年5月にラトランド・ハウスで行われたダヴェナントのオペラ『ロードス包囲戦』の「レチタティーヴォ音楽による」初演のバックシャッターに描かれました。

自身のオリジナル戯曲も多く存在しますが、現在ではもっぱらシェイクスピア作品の改作で知られています。

そんな改作作品の1つに、シェイクスピアとフレッチャー共作『二人の貴公子 (Two Noble Kinsmen)』

を元とする『恋敵 (The Rivals)』という悲喜劇があります。

初演は1664年、印刷は1668年。
初演時の評価はそれほど高くはなかったようです。

その中の一節に "My lodging..." があります。
初版ではなく、後世にダヴェナントの戯曲集として編纂されたもので、ダヴェナント自作の詩とされています。

ロックは劇場音楽にも関与していて『ロドス包囲戦』に他の作曲家とともにロックの名も出てきます。
なので『恋敵』にもロックが曲を提供した可能性もあります。

しかし、この曲は「春の日に花と輝く」とは違うようです。
いつの頃からか「春の日の花と輝く」の原曲と取り違えてきたようです。

1775年に出版された "Vocal Music of the Songster's Companion..." に現在知られている旋律が登場してきます。


また、1805年に出版された "The British Musical Miscellany..." に同じ旋律で "I Lo'ed ne'er a Laddie but ane" という曲が載せられています。

いずれも作曲者不明です。 

やはり、アイルランド民謡でしょうか?

春の日の花と輝く
Believe me, if all those
endearing young charms

アイルランド民謡、作詞:トーマス・ムーア
日本語詞:堀内敬三
1 春の日の花と輝く
  うるわしき姿の
  いつしかにあせてうつろう
  世の冬は来るとも
  わが心は変わる日なく
  おん身をば慕いて
  愛はなお緑いろ濃く
  わが胸に生くべし

2 若き日の頬は清らに
  わずらいの影なく
  おん身今あでにうるわし
  されどおもあせても
  わが心は変わる日なく
  おん身をば慕いて
  ひまわりの陽をば恋うごと
  とこしえに思わん

シモーネ マンティア(1873-1951年)


はアメリカ合衆国でもっとも古くユーフォニアム奏者として活躍した人です。当時はダブルベル バリトーン
で、大小のベルを切り替えて演奏したそうです。
それでも彼はユーフォニアム奏者の元祖と言われています。

マンティアがユーフォニアムとコンサートバンドの為に書いた「春の日の花と輝く」





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