音楽の喜び フルートとともに

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遅刻と巨匠

2024-05-13 21:02:00 | 近代
日曜日、午後からベートーヴェンの第九の練習でした。
天王寺区民センター。
毎回場所が変わるのですが…。
やってしまいました。
天満橋で八尾南行きに乗らなくてはいけないのに、大日行きに…。
あっていると信じ込んでいて4駅目になって四天王寺前夕陽ヶ丘駅が無い!
と気づいて、そんなはず無いと検索。
結局都島まで行ってしまいました。

早めに出たのにそこから折り返して5分遅れてしまいました。
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

みんなはその前にミサ・ソレムニスを練習しているので遅刻なし。
私はミサソレは降り番なので、今回は第九だけ…なのにお話になりません。

そういえば大フィル時代、榎田先生ある島に泊まって、翌朝本番というのに台風で欠航。
「どうしようもならなかった。」

「オーケストラの仕事の殆どはその場にいること。」とおっしゃっていました。

はい。その通りです。
以後気をつけます。

レナード バーンスタイン(1918-1990年)アメリカ合衆国マサチューセッツ州ローレンス生まれ、アメリカ合衆国ニューヨーク没
ウクライナ系ユダヤ人移民の2世として生まれました。
父親サミュエルは敬虔なユダヤ教徒でした。家族には音楽的な環境は全くなく、母親ジェニーが持っていた蓄音機の音楽に耳を傾けるのが大好きな赤ん坊だったといいます。
理髪店を経営していた父親の強い反対を押し切って、プロの音楽家の道を志しました。

ボストン・ラテン・スクールを経て、ハーバード大学・カーティス音楽院で学びます。
卒業後、1943年夏にアルトゥール・ロジンスキの指名によりニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮に就任しました。

1943年11月14日、病気のため指揮できなくなった大指揮者ブルーノ・ワルター(1876-1962年)
1912年のワルター
の代役としてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(現・ニューヨーク・フィルハーモニック)を指揮、ラジオでも放送され一大センセーションを巻き起こします。

1958年、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任します。

1969年にニューヨーク・フィルの音楽監督を辞任した後は常任指揮者等の特定のポストには就かず、ウィーン・フィル、イスラエル・フィル、バイエルン放送交響楽団、ロンドン交響楽団、フランス国立管弦楽団などに客演しました。

音楽解説者・教育者としても大きな業績を残し、テレビ放送でクラシック音楽やジャズについての啓蒙的な解説を演奏を交えて行いました。

マイケル・ティルソン・トーマス、小澤征爾


大植英次

佐渡裕

など多くの弟子を世に送り出したことでも知られています。

作曲家としても「ウェストサイド物語」「キャンディード」など多くの作品を残しています。

1982年バーンスタインのリハーサルシーンの動画が残されています。

「私は今、テレビ映像のために、実際の演奏のライブラリーを構築したいと思う。 
私は録音がとても好きだ。

なぜならば、普段のコンサートでは注意を向けさせるのが不可能な部分までを、あなたがたに伝えるための方法が数多くあるからだ」
1970年のグラモフォン誌でバーンスタインはこのように語っています。

1930年にエイドリアン・ボールトによって創設されたBBC交響楽団は、英国放送協会が所有する放送オーケストラの一つです。

1950年にボールトが首席指揮者の地位を退いてからは、数多くの名指揮者がその地位を受け継ぎ、また客演指揮者としてもトスカニーニを始めとした錚々たる指揮者が顔をそろえています。

1935年BBC交響楽団トスカニーニ指揮

さて、バーンスタインは、このオーケストラとの初顔合わせの時に遅刻しできました。
その上、謝罪もしなかったというのです。

両者の関係は極めて前途多難なものになることが予想されました。

しかし実際にリハーサルが始まると、バーンスタインの強烈な解釈と情熱的な指揮は、たちまちオーケストラを魅了したのです。

彼らの「エニグマ」はLP時代から名演として通っていますが、その「名演」が生まれるまでのプロセスを、このリハーサル映像はつぶさに見せてくれています。

これは、バーンスタインとBBC交響楽団との唯一の映像です。
(ナクソスのDVD紹介より)

これは、その時の動画の1部です。
バーンスタインの魅力に圧倒されますが、決して巨匠も遅刻するから私の遅刻も赦されるなどと言いたいのではありません。ぶるぶるっ!