音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

ジャン ド ニヴェル練習中

2010-11-30 20:45:32 | 近代

万両は、ヤブコウジ属だそうです。赤い実が目立ちだすと、冬が来たなと言う気がします。

土日ブログを投稿しないせいで、日記がずれています。
昨日はドリーブのオペラ「Jaen de neville」のファンタジーをピアノのSさんと合わせました。

作曲者のポール・タファネルは、フルートを知り尽くした人です。
14歳のゴーベールを見出し、最晩年にはモイーズを教えました。
有名なタファネル・ゴーベールの「日課練習」は「メソッド 
コンプリート」の一部です。

フルートの基礎を築いた人だけあって、「このフレーズで、こういう動きなら、これくらいの速さでふけるだろう。」「このフレーズならここまで早くできるだろう。」と言われているような気がします。途中から「これでもか、これでもか」と、スピードが上がってきますが、フルートを吹く側から言えば真に自然。基礎がきちんとできていれば、吹けるはず・・・。
ああ、恐ろしいこと。

動きは早いですが、フレンチスクールらしく、あくまで軽やかに優美に演奏しなくてはなりません。

初めが肝心。ゆっくりと決してあせらず、「どんなに滑らかに次の音に移行するか?」ということに集中しながら、何度も吹きます。
「唇、指、首、肩、腕の緊張が解けているか?地面にしっかり足がついているか?」うまくいったら、一メモリだけ、メトロノームのテンポをあげます。
「どんなに早くても、そこからはじめなさい。」とレイモンド・ギオー先生は、おしゃっていました。

がんばれ私。


なにわの愉快ななかまたちコンサート

2010-11-29 20:43:05 | コンサート

27日は、葛原睦子さんと、なかまたちの演奏会に行ってきました。
御堂筋を久しぶりに歩きました。見えにくいけど、大川にアクアライナー。行楽シーズンで楽しそうな観光客がたくさん降りてきました。

御堂筋の銀杏並木が美しい。

ギンナン見っけ!落ちるそばからひらっている人がいて、あまり落ちてないんです。

池田市民会館でロマンティックコンサート「なにわの愉快な仲間たち」と、銘打ったコンサートは、マンドリンの葛原さんとテノールの井澤章典さん、同じくテノールの清原邦仁さん、ピアノ江口由味子さんの4人で毎年開かれていて、もう6年続いているそうです。

お茶付きの、気楽なサロンコンサートですが、大勢の人たちが詰めかけ、イベントホールはいっぱいに。
葛原さんが安定したテクニックと、美しい音色でムニエルの「マンドリン協奏曲第1番」、カラーチェの小品を演奏。
華やかなテノールの清原さんと、柔らかい声のテノールの井澤さんの対比もおもしろく、3時間を越すコンサートもあっという間でした。

清原さんのリゴレットのマントヴァ公の「ほおの涙が」圧巻でした。
nel con piu(うつろの心=もはや私の心には感じない)変奏曲は、ベームがフルートのためのヴァリエーションを書いていて、とってもヴィルトゥオーゾの技巧的で華麗な曲ですが、一度テーマを生歌で聴いてみたかった。果たして美しくて感動ものでした。

井澤さんが選んだ曲は、木下牧子さんの歌曲や合唱曲。
私は不勉強で知らなかったのですが、合唱コンクールの課題曲などで活躍されているそうです。やなせたかしさんの「さびしいかしの木」や、岸田衿子さんの「たけとんぼ」、立原道造さんの「夢見たものは・・」などなどを何曲かうたってくれました。

井澤さん曰く「暗くて、どこにも救いの無いような詩に、明るい希望の刺すような曲を書いているのが、とてもいいのです。」
なるほど、どの曲も心に気持ちが行く感じがします。

楽器は言葉がないけれど、言葉のある良さがよく出たコンサートでした。

本当に楽しかった。
マンドリンクラブの同期や、先輩や後輩も来ていて、休憩や、帰りも一緒。思い出話をしたり、音楽について話したりして、楽しかった。
音楽を愛し、生活の一部にしている仲間は、長く会っていなくても、またすぐ話ができてやっぱりいいものです。

コンサートを開いてくれた葛原さん、江口さん、清原さん、井澤さんに感謝。


ヘンデルの11のフルートソナタ

2010-11-26 21:02:25 | 名曲

淀川八幡辺りから、対岸の大山崎を望む。いいお天気です。


ヘンデル(1685~1759年)の11のフルートソナタはフルート、オーボエまたはヴァイオリンとチェンバロ、または低音弦による通奏低音のために書かれています。
ドイツのハレで生まれ、1703年に、イタリアに移り、1712年には、イギリスへ、帰化してそこで亡くなりました。
1番から8番までは、1711,12年頃に9番から11番までは1703年までの作品だと言われています。

ヘンデルと同時代に、テレマン、バッハ、ヴィヴァルディが、フルートのためにソナタやファンタジーを残していて、フルートにとっても大切な時代です。

テレマンや、バッハが器楽的であるのに対して、ヘンデルは声楽曲を取り入れるなど、歌の要素を感じます。特にアダージョや、ラルゲットなど緩徐楽章にその要素を強く感じます。オペラやオラトリオをたくさん書き、チェンバロや、ヴァイオリン、オルガン奏者でもありましたが、息で吹く楽器オーボエを好きで若い頃から吹き、生涯そばに置いていたと言うのも納得です。
楽譜から、呼吸を感じます。

ドイツ音楽の伝統に根ざしながら、イタリア風、フランス風な瀟洒な空気も取り入れています。当時流行していて、テレマンも取り入れています。
当時のイギリスでは、イタリアオペラだと思ってヘンデルのオペラを聞いていたフシもあるそうです。

このソナタも歌を感じながら演奏すると良いと思います。
また、楽譜は比較的シンプルに出来ていて、自由に装飾を施しても良いようにできています。それを考えながら、練習するのもおもしろいです。


笑いの大学

2010-11-25 20:39:28 | 本・映画など

ガレージの屋根のアイビーも紅葉してきました。
ようやく例年通りの秋の感じ。今日は新聞を取りに行った他は、一歩も出ませんでした。
息子が高校の帰りに、花粉を運んでくるのか、この時期あまりひどくなかった花粉症で、鼻水と、目がコロコロして痒いです。穂谷川横の道は、のどかで美しいですが、野草がいっぱい。その横を30分も自転車で走る彼の体には花粉が付着するのも無理ないです。しかし、外に出ないおかげで練習ははかどります。
一日吹いていても飽きない。自分が不器用なこともありますが、やることは山ほどあって、まだまだ先は長いです。

昨夜、三谷幸喜さんの映画「笑いの大学」を見ました。
ほとんど、稲垣悟郎さんと、役所さんの2人だけの芝居のような映画でした。
大戦下の日本で喜劇芝居の台本をなんとか許可して欲しい劇作家(稲垣)と、笑ったことがないという検閲官(役所)の話です。

「何がおかしいのかわからない。」と言う検閲官に「どこをなおせばいいですか?」と食い下がり、「日本を舞台に、お国のためと言う台詞をいれて。」など彼の無茶と思われる言葉の通り、一晩で台本を書き直すと言う作業が、1週間続き、しかし、意に反して、なおすうちに、台本はどんどんおもしろくなっていき。

検閲官も、笑いに目覚めていきます。それに気を赦して、劇作家は
「なぜ、笑っちゃいけないんですか?ぼくの戦いは、台本を書き換えてこれを通してもらい、みんなに笑いを届けることだと思っています。」とつい、本音をもらしてしまいます。

途端に、冷たく「それを聞いては許可できない、ちょっとでも笑いがあってはいけない。笑いの全く無い脚本をかきなさい。」と言われて・・・・。

2人のやり取りは劇ですが、音楽もそうですが、1人よがりでは、いい物は出来ない。誰かに読んで(聞いて)どう感じるか?を言ってもらわないと、上達していかない。
この検閲官は、許可しないためにではなく、「おもしろく思えない。」と本音を言っています。それが、映画を見ている私達にもわかります。
「どこがどうだめなんでしょうか?」と劇作家の方もくいさがります。
この時点で、お互い本音のフィードバックが始まってしまいます。


彼は許可が欲しいために、一言一言を前向きに受け止めてなおそうとします。
これで、いいものが出来ないわけが無い。
あらゆる共同作業の本質がこの映画にはあると思います。おもしろかった。


ボーンズ フォー ライフ

2010-11-24 20:27:53 | レクチャー、マスタークラス

先生に何かいわれた時、怒りで受け取る人と、涙で受け取る人がいます。
どちらも必要がないことですが、怒る人は、「どうしてそうするの?」「なんでそんなことしなくちゃならないの?」と言いますが、どうしてがわかるなら、先生は要らない。
涙で受け取る人は、黙って聴いているように見える時もありますが、泣くので、先生は段々その人には何も言わなくなるので成果があがらなくなります。
どちらもロスが多い。心静かに、受け取ることができるようになれば、成果があがります。
子ども達はそうでしょ。手を上げてと言ったら手を上げます。その体験自体をわくわくと楽しんでいるからです。

未来の結果を得るために今の課題をやっている間中、今を味わうことができない。

選択肢になるためには、その先生が言った体験を味わわなくては。
味わいつくした時、初めて選択肢になります。

機械のように課題をすることとは、それは違います。

体験を味わう。やってみる、感動を持って。

脳は感動した時に一番学びます。

形だけやってみても、心の中は反抗心でいっぱいで、味わうどころでは無いという状態では学びの率は下がります。
それでもやらないよりはましだけれど…。

体と言うと、体を早くやってと言う人が多いけれど、それはハウツーが欲しいだけで、学びとは違います。学ぶためにはその人が自分の心を動かして味わうお手伝いをしなければ。

本当にこの講習は役立ちます。
また、来たいです。


打合せ

2010-11-23 20:34:26 | Weblog

休日の今日、夕方買い物に出かけました。ここ牧野は、大阪の北東の端。週末よく出かける大型店舗はもう京都の南端です。また少し寒くなってきました。

昨夜は、声楽歌のKさん、ピアノのSさんと12月にする親子向けのクリスマスコンサートの打合せでした。
忙しい二人と時間を合わせるのが大変。20時集合。
Kさんは素晴らしいソプラノですが、フルートと合わせたい。と始まったのですが、楽譜がありません。

サンサーンスとか、無いことは無いですが、クリスマスにふさわしいものがありません。

仕方ないので、フルート2本とピアノや、フルートとヴァイオリン、ピアノのトリオの楽譜を引っ張り出して、少し編曲することになりました。
楽しい小品ばかり。

しかし、またまた楽譜を作成することになってしまいました。
本当に、鍛えられます。
ちゃんと編曲を習った方がいいと思うようになってきました。


大阪樟蔭女子大学マンドリンクラブ45周年記念コンサート

2010-11-22 22:09:18 | コンサート

21日は、大阪樟蔭女子大学マンドリンソサエイエティ45周年記念コンサートでした。

45年続いたマンドリンクラブも、状況の変化が起き、現役の学生が減っています。クラブそのものに入る学生が減っていることもありますが、選択肢も増えているなか、待っていてもなかなか入ってくれないと言うのが実情。
今年は4回生2人 3回生1人 2回生0、1回生で持ち直して5人。8人の現役に、50人近いOGがあつまりました。

9期の大先輩葛原睦子さんが、ずっと学生を指導してくださっていて、私達OGと現役をつなげてくださっています。

演奏したのは、50名ですが、聴くためにOGが、九州や四国からも駆けつけてくれました。

同期は、6人が出演、客席には後の5人は全員出席。
福岡から実家に帰ってきてくれたIさん、和歌山のRさん、いつも良いお母さんのMさん、仕事が忙しいYさん、母の介助がたいへんなTさん。

特別な絆のある同じ指揮者パート、フルートパートの先輩や、後輩にも会いました。

長いこと会えていなかった人にも会いました。

フルートのS先生、私の生徒のSさん。

音楽が繋げた輪は、池に落ちた一滴の水紋のように、年月にも耐え深く静かに広がり続けてるのが、この一時に見えたような気がします。

プレクトラムのほかに、カルメンなどの大曲もありましたが、最後の学歌には、会場から手拍子がでて、このクラブを愛し支えて下さっている人たちの愛情をひしひしと感じました。

技術や、肩書き、地位はいつかは消えていくけれど、仲間とがんばった記憶は消えない。そのことには、誇りを持っていい。と私は思います。そういう記憶はいつまでも私を支えてくれます。
きっとこれからも。

 


予防

2010-11-19 20:33:55 | Weblog

我が家の小さい庭にも、紅葉がきました。アイビーは、日陰の小さな葉から紅葉するようです。ここ以外はまだ濃い緑です。

フルートの調子が良いと、練習も楽しいです。
大きな変化ならすぐわかりますが、少しずつタンポがへたっていって、その間すこしづつ音がでにくくなって、そして、ある日我慢できないくらいになって、問題が表面化してきます。

以前は、自分のせいか、機械的な問題かよくわからなくて、問題が起きるまで、つまり、変な音が出るまでになってやっとわかる。と言う感じでした。

最近はそれより少し早くわかって、手が打てるようになってきました。
しかし、何でも無い時にメンテナンスすると言うのは、思ったより難しいことです。

文化の高さは、「予防」に時間やお金をかけられるかどうか?と言うことでわかる。
といいます。

確かに物については、日本ではほとんど予防が組み込まれるようになってきました。定期検査、定期健診。

これからは、目に見えないものにも、予防を考える人が増えてくると思います。

目に見えないものは、本当に見えないものではなくて、実は変化が小さくて繊細すぎて見えないだけなのです。
少しづつ変化して、ある日大きな変化になるような。

大きな変化になってから、手を打とうとすると、治療が必要になりますが、それまでで気づくことができれば、少しの方向転換ですむようになります。

出来るだけ感性の網の目を細かくしたり、いろいろな角度から見れるような訓練をしていきたいと思います。


ボーンズ フォー ライフ

2010-11-18 21:46:35 | レクチャー、マスタークラス

昨日の午前中ボーンズ フォー ライフを受けました。

「これを受けることで、何を得たいですか?」
「自分の人生にどんなことがあると思いますか?」
いつも問いかけから、始まりますが、こう聴かれると、教えてもらおうとか、How toや、目の前の結果が欲しい自分に気付かされます。

プロセスや、今の自分がどうなっているのか?今この時を味わうことよりも、いつも「なんとかしなきゃ。」
右足が少し内側を向いている。なんとかしなきゃ。
ウェストに肉がついてきたなんとかしなきゃ。
タンギングが遅い、なんとかしなきゃ。
仕事がへたくそ、なんとかしなきゃ。
子育てがうまくいかない、なんとかしなきゃ。

次には、取り合えず手っ取り早くやり方教えてよ。

プロセスなんか、すぐどこかへ飛んでしまいます。

「歪んでいると気付いたら、さあ、体操。ゆがみを直したくなって、ギュウギュウ足を押し開いたり。それは、害にしかならないので、絶対やめてね。」

「ただ、興味深いと、見ればいいんです。」

「それが、あっちの方に連れて行こうとしたり、こちらを矯正しようとしたり。子どもにもそうしてない?まずい所を見たらそれを即座に消そうとしていない?それは、多様性とは言わない。」

「消してしまったら選択肢にはならない。自由とは、選択肢があると言うことです。」

「まずい所を興味深く見たら、それを意識的に再現できるまでやってみるのです。うまく行った所とまずい所と両方できて、初めて選択肢になります。」

「ベストをみつけて、他を消そうとするのは、宝くじに当たるくらい大変なことです。達人は自分でまずいことから、うまく行ったことまでの間を全部できる多様性を内包しています。」

「赤ちゃんを見てごらん。柔らかくて、利き手もそうでない方でも、体をいろんな角度や、方向に動かしたり、なめたり、味わったり。全てを試して興味深く遊んでいるでしょ。それだけの多様性が自分の中にもあったのに、得手や、ベストと思うやり方を身につけた途端、他のやり方を切り捨てて、自らワンパターンに陥って育ってしまったんだよ。」


「味わって楽しめばいいのよ。まずいところを、見つけてもそこで止めておいてね。脳はその方が勝手に学ぶから。」

それだけ聴いても、まだ、まずい所に注目したい結果が欲しい私がいます。まだまだレッスンに通って言ってもらう必要があります。



 

 

 

梅田レッスン

2010-11-17 21:28:02 | レクチャー、マスタークラス
今日は午前中、ボーンズ フォー ライフ。午後は梅田でレッスンでした。

フルートの報告から。
産休だった、メンテナンスのHさん復帰。
かわいい女の子のお母さんになりました。
高音部が出にくくなっていたので、調性をお願いしました。
高音部はばっちり、それだけでなく、こんなことを言うと笑われるかもしれませんが、フルートが柔らかくなって、喜んでいるのがわかります。1年ぶりの感激。
本当に信頼できる技術者です。帰って来てくれてよかった。感謝です。

エラートの18番、19番。
18番は、単旋律の楽譜ですが2声あるように書かれています。旋律と、伴奏を意識して、明確に分けて吹くこと。特に伴奏は聴こえないほど小さくPで演奏する方が良い。この楽譜に関わらず、大切な音をわかって演奏すること。
三連符のスタッカートはしゃぼん玉が割れるように音を切って。

19番はスタッカートの後のスラーの音が大切です。
同じように見える二つのスラーは、後のほうはスラーの後音符の上にスタッカートがついています。これは、タンギング無しで短く切ります。スラーと音符の上にスタッカートがついているものは、タンギングしてから切ります。違いを自分の耳で確認しながら丁寧に吹きます。

テレマンのファンタジー5番。
始めのPrestoは上の音が立つように、Allegroのスラーは、厳密に。
普通に演奏すると、スラーではなくて、後の音にシンコペーションのようなアクセントをつけたくなります。なぜ、そうしたのか?そこにテレマンの他の人との違いがあります。それは無視しないほうが良い。
もし、オリジナルな考えを出したいなら、繰り返した2回目の方に行いましょう。

今日は先生はnewsweekを持ってこられていました。
特集は3歳児までの教育。
お孫さんのためかと思ったら、「ぼくは、これを読んで、自分が育てられなかった所、育て損なっている所をもう一回見つけてみようと思うんだ。」
恐れ入りました。先生還暦。まだまだ子どものような学ぶ心をお持ちです。