音楽の喜び フルートとともに

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2009-06-30 22:52:24 | Weblog

ミニチュアシュナウザーを始めて見たとき、「飼うんだったら絶対この犬種」と思いました。それから何年もたっているけれどまだ、犬を飼う予定はありません。これはペットショップのミニチュアシュナウザー。
犬は買うものではなく、拾うものという誤った信念は、子ども時代犬、猫、セイキセイインコ数世代、おたまじゃくし、ハムスターを拾ったり、うちに捨てて行った親戚や友人によって育まれました。よって、うちのペットは森で取ったクワガタ、川ですくってきたドジョウにタナゴ、めだか。

祖母はもっとすごくて、戦時中、母子家庭3世代同居。人が食べるのが大変な時代…家庭なのに捨て犬、猫を「かわいそうに」と拾って帰り、何匹も養っていたそうです。ちなみに世話は一切せず、面倒見るのは母だったそうです。私は有能なお世話係のおかげ様で、かわいがるのは好きですが、面倒見る能力は育てないできました。未だに自信ありません。ミニチュアシュナウザーを飼うのはまだまだ先になりそうです。それより、この種の犬を捨てる人はいるのか?と言う問題もありますが。



 


大声

2009-06-29 22:39:04 | 子ども

叩くのは暴力。では、大きな声で怒鳴るのは?
年齢の低い子から高い子に怒鳴ったら?大人が子どもに怒鳴るのは?
怒鳴られた子が仕方ないと黙っていたら?
お互いに合意している遊びの中だったら?
ルール違反をした人に怒鳴るのは?


3年生が1年生を怒鳴っていて、「先生見ていると怖いから、大きな声を出さずにはなしてくれない?」と声を掛けると、3年生の子が「これくらいで?俺たちあそでんねん。」と言います。
すると1年生が「そうや、あそんでんねん。」「大丈夫やなーっ。」「うん。全然平気。」と3年の子が1年の子の肩を抱きます。

「そう、あそんでるの?でも、先生は見ていると怖いから、ちょっと声を落としてくれると、うれしいな。」
「先生、よわっちいな。」「うん」と言い合いながらも、声を落としてくれたりします。

「あそんでいる。」といわれても私は複雑な気持ちになってしまいます。
なぜなら逆。その1年生がその3年生を怒鳴るところは見たこと無いから。

「こいつ、おやつの順番抜かした!ルール破りや!悪いんだ!悪いんだ!」
4年の女の子が、3年の男の子に大声で何度も言います。男の子はうつむいて黙っています。
部屋の別の場所では同僚の一人が、おやつの時間に漫画を読んでいる男の子に「おやつの時間は、漫画読んだらだめっていってるでしょ。」と大声で言いながら、無理矢理漫画を引き抜こうとしています。
横目で見ながら、こっちを対処するのが先かと、4年の女の子に「ごめん、大きな声で言ったら、先生怖くて、何を言っているのよくわからなくなってしまうから、声を落として言ってくれる?」
と言うとその女の子は「うっさいんじゃ。そっちのおばさんが大声で聞こえへんから、大声になるんじゃ!そのおばさん黙らしてから、言えよ!」

・・・何も言えなくなってしまった。

一日だけよその児童会から来た加配さんが、「かばん出しっぱなしとか、信じられへんわ。うちの児童会だったら、どやしつけるけど。」
「それで、効果があるんだったら、しますが、無理ですよね。」と言いながら、世界中こうなのかとウツになりそう。

自分の力の無さが情けないです。


un peu

2009-06-28 23:13:21 | 名曲

買ったプリンターを使うことになったので、実家の父に古いプリンターをお下がり。捨てるつもりだったのですが、モノクロ、ワードしか使わない父に、カラー調整がだめになっただけのプリンターは、ちょうど良いと言われて、親子でリサイクル。買ったプリンターも中古格安品。とはいえ新品同様。日本橋ばんざい

夫と息子がPCを設定している間に、Sさんとアンサンブル。
ゴーベールのソナタ第一番 

2楽章 15小節の短い間にテンポの変化を表す調合がたくさん書かれています。

Cedez un peu ~  a Tempo~  Pressez un peu~  a Tempo~ ~ Poco rit.~ Allegretto modelato~ Cedez

ゆらいでは戻る。しかも、un peu(少し)付き、ドイツ音楽ほどはっきりと確固とした変化ではなく、イタリア音楽ほど豊かで大きな変化ではない。
理性とエスプリの国フランスの音楽らしい変化。まさにゆらぎという感じです。

テンポだけでなく、
同じフレーズの繰り返しに見えて、調合をひつとだけ変えてみたり、まさに木漏れ日にゆれる木の葉の光りと影のような小さなゆらぎを、調性の変化を通して表現していきます。
ゴーベールは、調性を本当によく理解していたのだと思います。
少し暗めの♯系短調で始まり、♭を一つ入れて、別世界の明るさを表現したかと思うと、現実のハ長調世界の戻る、と思うと幻想的な明るい♭系に行ってしまう。
繊細で小さな変化が繰り返されますが、ドビュッシーのように生々しいうねりのようなカオスには決して行き着かず、琳派の絵画のように端正でそして穏やかな感じです。

ささいで小さなものこそ強く、美しい。ゴーベールの音楽を演奏しているとそんな気がしてきます。




日本橋

2009-06-27 23:50:02 | Weblog

壊れたプリンターをやっと買い換えることにしました。ちょうど昨日15歳になった息子の誕生祝を買いに、日本橋に夫と息子が行くというので、私も同行することにしました。

アニメブームの真っ只中に青春を過ごした私は、結構この街に違和感が無いです。
と言うか、昔の方がおっさんの街という感じのところがあって入りにくかったですが、今やアニメや、PC、ゲームに特化した街になって、もっと入りやすくなった。時代が追いついてきた感じがします。

梅田の繁華街を歩いている感じとはずいぶん違います。
男性が多いといつもちょっと圧迫感をかんじるのですが、この街ではほとんどありません。
名物の
メイドさんも、アニメの中から抜け出してきた仮想のシンボルのような感じで、熱い性的な視線を向けられているような感じもありません。むしろ、いけばなのような・・。
あくまで、街行く人々の関心は仮想世界へのツールに向いているようです。

閉店になったバーの中に懐かしいものを見つけました。「赤い彗星」シャーのザク。
その昔、友達と、ガンダム第1回映画版の初演をみました。始発で難波の映画館に行くと、グルリと映画館の周りから外まで長蛇の列。一回目の上映時間が繰り上がって、先着100人に入って、セル画をもらって、その日の最終上映まで4回位同じ映画を見続けました。
映画の中の、台詞の言い回しのおかしさとか、ちょっとした矛盾を見つけて、友達と延々話ができました。トイレに行くと、何度も他の上映でも会った顔を覚えてしまった他府県の人と会って、「こんにちわ」なんて挨拶してたりして。とにかく熱かった。あれがこの街の種だったんだって気がします。

〇年前の私たちのような、高校生たちとたくさん出会いました。私達のグループの中から、アニメーター、漫画家になった人、メカ好きが高じて設計士になった人、主婦になって子どもと昔のアニメの主題歌を歌っている人、少なからず影響を受けてその後の人生を私達も生きてきました。
さて、彼らはどんな大人になってどんな世界に生きるのでしょうか?


クワガタと朝顔と古代の笛

2009-06-26 22:31:25 | 音楽

我が家の新顔2種。
ヒラタクワガタの佐助。深夜飲んで帰ってきた夫が、駅前のコンビニ前の電灯にくっついていたのを発見。変な名前をつけて飼っています。夫と息子二人で覗き込んで、心和ませているようです。

昨夏のこぼれ種の朝顔。勝手に芽をだし、双葉プラス本葉一枚で咲いてしまいました。夫が折れた傘の骨を突き刺して、蔓を巻きつける計画らしい。花は小さめで愛らしいです。


しかし、この夫のセンス(クワガタに佐助 ドジョウはエリザベス。傘の骨)・・・何年一緒にいても理解不能です。

3万5千年前の、「笛」がドイツ南西部でみつかったそうです。材質はハゲワシの骨だそうです。
21.8㎝ 直径8㎜ 指で押さえる穴が5つ。他にマンモスの牙でつくられた1~2㎝の笛の破片が3個発見されているそうです。

写真を見ると、歌口はV字に切り込まれ、ケーナのように見えます。最古の女性像と一緒に発見されているそうです。ネアンデルタール人も笛を吹いていたのですね。
太鼓は遠くまで、言葉を伝えたそうですが、笛はやっぱり音楽かな?女性像は安産のお守りみたいだったそうですが、出産を祈願する祭礼に音楽をつかったのかしら?
ロマンはつきないですね。


身体を作る

2009-06-24 22:04:21 | 音楽

擬宝珠は夕方になると花を閉じます。
仏様の宝珠のような葉。
今日、午前中は心と体のワーク、午後、梅田でレッスン。夜は、CAPの練習でした。
ワークは、坐骨を感じる。あぐらをかいて、座り、お尻の下に片手を入れ、手のひらに坐骨を乗せゆっくりとホンノ数ミリずつ、時計の文字盤の上を通るようにまわしたり、直線を行き来します。
上半身はほとんど動いていないように見えるくらい。
数回繰り返すと、お尻やあぐらの足が床により密着するように感じます。それで、座ったまま足を上げると軽々と、上半身を動かさずとも上がるようになります。
寝てフルートを吹くと、いい音がするのに、起きると体がたちまち固くなって音が変ってしまう、と言う話をしたら、足の裏を感じる、床が足を支えている感覚をもって演奏するといいよ。ということで
そのまま、午後レッスンを受けに行くと、

…お腹や足に気(注意)がいっていると、いい音がします、しかし指や楽譜に注意がいくと途端に音が変わってしまいます。
そして夜、CAPの練習をすると、「声がいつもとはちがう。よくでているよ」という、仲間の言葉。
体が変ると、本当にいろんなことが変るみたいです。

この身体を維持する、継続することが課題です。


レハール

2009-06-23 20:25:43 | 近代

今年も、庭の擬宝珠が咲きました。北向きの庭の塀沿い、影の濃いところに咲きます。楚々とした山野草の風情が、はかなげで美しいです。宝珠のような葉は、お料理の時、ハランのような使い方もできます。

「メリー・ウィドウ」の作者フランツ・レハール(1870年~1949年)は、ハプスブルグ・オーストリア生まれのドイツ人。活躍した場所はベルリンやウィーン。大衆に愛される美しいメロディーで有名です。
生前に成功した音楽家ですが、この時代の音楽家にもれず、ナチスとの関係に苦しんでいます。

「メリー・ウィドウ」はヒトラーに愛された歌劇です。レハールもヒトラーにそのスコアを送ったりしています。そのおかげで、ヒトラーに庇護されています。
「微笑みの国」を作詞したユダヤ人作家フリッツ・レーナー・ベーダーは、強制収容所送りを免れようと、レハールを頼りますが、レハールの妻はユダヤ人。そのことをナチスに持ち出されて、沈黙してしまいます。
レーナー・ベーダーは強制収容所に送られ、1944年死亡します。
レハールは35年を最後に新作を発表しませんでしたが、戦後ナチスの協力者として、非難されました。

レハールこそ、現代の私達、政治に関心がなく、自分の小さな身の回りのものだけを大切に生きている大半の人々と繋がる気がします。
だからこそ、彼の音楽は大衆のものだったし、特別な英雄でないレハールは友人の苦境に沈黙した。
・・・こんな選択をする立場にはなりたくないものです。
1935年がウィーンのオペレッタの終焉の年と言われています。
そのすぐ後、世界は楽しい夢から覚めて、人の作り出す地獄を見たのです。


2009-06-22 22:13:29 | 音楽

紫陽花は段々色が変ってくる…と思っていたのですが、この毎日見ている紫陽花はもう1週間以上白いまま。色が変るというのは通説だったのかな?もうちょっと観察する必要があります。これはこれで女王のように美しいですが。

音楽をやっていると、「美」と言うものの本質について、いろいろ考えざるを得ません。
「美」とは何か?美しい音とは?

誰かの演奏を聴いて、これこそ「音楽」「美」だ。と感動したとして、その感動を同じ音楽、同じ楽器で再現しようとしたとしても、中々思うようにはいきません。

感動の中心、何が「美」であるか?ということを、自分に問いかけ、
具現化するためには、アンブシュアは?脊椎は?右足は?左手は?呼吸は?とただただ具現化するための実験を、自分の体を使って繰り返します。
寝てみたり、片足を上げたり、お腹を膨らませたり、へこませたり、あごを上げたり、首を伸ばしたり。

いい演奏というのは、生命力に満ちていたな?とか、楽しんでいるように見えたり。リラックスして見えたり。前向きであったり、じっくりと慈しんで音を味わっていたり、


「美」というのは、具象化したり、再現できる唯一の抽象概念。

と中学の時の美術の先生が教えてくださいましたが、まだまだ、「美」の足元にも及びません。






ショスタコービッチ

2009-06-21 21:41:33 | 音楽

ショスタコービッチは、スターリン体制と、ずっと危ういダンスを踊り続けていました。
自分のやりたい音楽表現を自由にすると、退廃音楽と決め付けられ、その後から、まっとうな交響曲を書き、国民のための音楽家と持ち上げられ、また退廃音楽を書くということを繰り返し。
まっとうなとされる交響曲には、体制とは裏腹なメッセージを暗号のように織り込んだり。

彼はそうやってスターリン体制を生き延びました。

スターリンは粛清と殺戮を繰り返しましたが、ショスタコービッチの武器は音楽だけ。
それでも彼より恵まれない当時の音楽家や民衆に彼はどう映っていたのでしょう?

二極的な視点だけでは捉えきれないことが、現実の世の中にはたくさんあります。

ナチスの中にもいろいろな人がいて、ユダヤの中にも、もちろん日本人の中にもいろいろ。
音楽家の人生を振り返る時、国や民族を超えて、一人の人としての苦しみや、悲しみ、喜びに心をよせることになります。

特に厳しい時代を生き抜いた人からは学ぶことがたくさんあります。

かくいう私も職場の力関係の中で、気に染まぬこと、言わずにいることなど五万とあります。その中で、大切に思うことをどうやって守ったらいいのか?ショスタコービッチの人生は、そういうことを切り抜ける知恵をあたえてくれます。






アンサンブルとドレス

2009-06-20 22:38:01 | 音楽

あまりに見事な紫陽花の花。携帯で撮っていると、「朝撮ったら、もっときれいですよ。」年配の女性が声をかけてくれました。この紫陽花の家の方です。見知らぬ他人の無断撮影なのに、優しい方でした。しばらく世間話をしていきました。

今日は久しぶりにSさんとアンサンブルをしました。
前回「心と体のワーク」を受けた後に、アンサンブルしたら、体が活性化したと同時に、ピッチが4分の1音も上がってしまい、時間が無かったこともあって、そのことに気づかずに演奏して、前の楽器のセッティングのままに音程を合わせながら吹こうとするから、指の位置が変わって動きにくく演奏はめちゃくちゃになってしまいました。

今日は、頭部管をそのときより5㎜抜いて、演奏しました。今度は前よりずっといいです。
ワークで、左足にほとんど体重がかかっていないことが判明。
わかったあと、「なんとかしなくちゃ。」とがんばって吹いていることで、余計に体を固め、自然な呼吸を妨げていたことも判明。
ただ、「interesting!興味深い」と認識するだけで、脳は賢いので、気持ち良い場所に勝手に移動していくそうです。
もう一つ、おもしろいことに、右肩を痛めて上がらなかったのですが、ワークの次の日、ゆっくりあおむけになってフルートを吹きながら両膝を立てて、足裏を床につけることだけを意識して、左右にゆっくりと動かすこと5分。全く痛みが消えてしまいました。ゆるいゆるい運動です。
「遺伝子の方が意識より賢いのよ。」なるほど

同じワークをうけたSさんと、確かに以前と演奏がちがいます。

午後はSさんと私で、友人Mさん宅に行って、ドレス合わせ。
ビーズ入りの布はビーズを一つづつ取って、縫わないとミシンの針がとんでしまいます。
Mさんはビーズを取ってはミシン掛け、気の遠くなる作業を一人で片付けてだいぶ出来ていました。
私はドレスを合わせて、思惑通りに出来ていることに、「しめしめ。」と悦にいってしまいました。

残った縫いのためにアイスコーヒーを飲みながら、ビーズをとったり、接着芯をアイロンでくっつけたりお手伝い。もちろん、世間話は欠かせません。

息子の中学校は今年から校舎建替えに着手しました。完成は2年後で、3年生の彼には恩恵は無いけれど、トラックの通り道や、先生の動向、地元高校のPTA役員をしている彼女は地域の情報に精通しています。いろいろ情報交換をして、楽しい時間はあっという間にすぎてしまいました。
暖かい友人達に囲まれて本当に私は、幸せものです。