音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

ボーンズレッスン

2012-10-31 22:23:24 | レクチャー、マスタークラス

今朝はボーンズレッスン。

まず、ピアノのSさんとフルートを演奏しました。
カルメンのミカエラの一フレーズ。
悪くはない。
すると、講師のDさんが、Sさんの座っているピアノ椅子の上にタオルを、無造作に丸めて、「この上に座って弾いて。」

もう一度演奏。
Sさんの音がさっきと全然違う。
「あなたは、変わらないね。」と今度は、私の左の靴下の中にティッシュを丸めたものを入れて「さっきと同じように靴を履いて演奏して。」
やってみると、今度は私の音が違います。

「でも、これで、毎回やっても意味がないからね。」

脳、自分の体に任せること。自分の足の裏、大地に接触している面をみること。

素人は指や、手だと思うけれど、名人は物事の本を見ています。
書をやっていて、一生懸命練習した弟子は、先生と同じように書ける。形は先生と変わらない。ところが、裏側を見たら、先生と、生徒の書いた書はまったく違います。

違和感がある時、脳や体はそれを意識するので、ティッシュや、タオルを入れたら一時は、足と床の接触面を意識することができますが、それが常態化すると、また、以前の状態に戻ってしまいます。

それを、タオルや、ティッシュだと思ってしまい、以前にできたという成功体験を目的に、再現しようとすると、行為は同じでも、観るという基本姿勢がもう、以前とは違ってきてしまうので、効果は得られなくなってしまいます。

ただ「観る」こと。解釈したり、展開させると今までの自分のやり方や、見方で見てしまうので、ずれて行ってしまいます。

いい音がでることを目的に見れば、いい音から外れていく。なぜなら、いい音というのは、固定化した一つのものではなく、有機的なものだから。
有機的な体や脳から出てくるものだから、ある一瞬の到達点を決めてそこを目指そうとすることとは違います。

体を水の入った皮袋のようにすることと、骨の軸通すことの両方が、どういうことであるのかを体で知ること。

考えると、どちらがいいとか悪いとか、上とか下とか考えだします。私たちは、レッテルを貼らないと落ち着かなくなります。そして、判断したい。

しかし音楽のような、有機的な表現はそれとは馴染まない。
レッスンの後、もう一度吹くと、またまったく違う演奏になりました。

フルートのレッスン0。
フルートだけれど、フルートではない。音楽だけれど、音楽ではない。
もっと、人、根本をやりたい。


カルメン練習中

2012-10-30 20:16:22 | 音楽

夏の間、暑すぎて実をつけなくなったトマトが気温が下がって復活!葉はいたんで色が悪くなっていますが、味はちゃんとトマトです。

朝、Sさんと、カルメンの練習。
リズムの取り方、アルペジオの到達点、オーケストラを一人でやるピアノは大変。
いろんなところで、微妙に解釈が違うので、みんなで合わす前に、練習、練習。

歌の伴奏は、一定のテンポで演奏するだけでは、不十分です。
4分音符が一つ書いてあっても、どこにむかっているのか?
ピアノなら、どのような勢いで指を鍵盤にのせるのか?どこで指を離すのか?ペダルを踏むのか?
音の重さなどで、リズムも違って聞こえてきます。

擦り合わせるところは、山ほどあります。
9時半から初めて、あっという間にお昼前。
Sさんは仕事にでかけます。

忙しい中、みんなよくやっています。


お琴とフルートコンサート

2012-10-29 21:32:19 | コンサート

父、今夕退院しました。高熱の原因はついにわかりませんでした。父は迎えのベッドにいた認知症の進んだ人を見て、「運動しよう。」と、ボツリ。一瞬すごい!と喜んだものの、いつまで、覚えていられるか?と思ってしまいました。

病院の近くに咲いていたオーシャンブルー。昨日、雨に濡れていい感じだったのを撮りました。

土曜日は、盛りだくさんでした。

朝いちばんで、病院に行き、父のズボンを引き取り洗濯。
午後、実家近くの公民館で、地域の文化祭でコンサートをしました。
母がお琴を弾き、私がフルートを吹きます。

1時間のプログラム。
母がご挨拶をして、まずは、お琴の独奏で六段を弾き、後2段で終わろうという時、バーン!
という大きな音がして、九の糸が切れてしまいました。
ギョッとして手を止めた母が「どうしよう?」とこっちを見るので、「弾き続けて」というと、
ちょっと弾いてまた止まる。
「あかん。」って言うから「最後まで弾いて。」たら、またちょっと弾いて、今度は本格的にとまってしまい「無理。お琴を取りに帰る。」
「すみません。どなたか車を出してもらえないでしょうか?」と、言ってしまいました。
公民館から実家まですぐ。お琴を運ぶのに車がいるだけです。

「後は頼むは。」と、手を上げた人と一緒に会場を出て行ってしまいました。
残されたのはお客さまと私。ひえ~っ。
「なんて、恐ろしいことでしょう。行ってしまいましたね。お琴の弦は以前は絹糸だったので、よく切れましたが、今のナイロン弦になってから、滅多にきれなくなりました。
私も、長くお琴の演奏を見てきましたが、初めて見ました。」話している内に、なんだか落ち着いてきました。
大丈夫、乗り切れる。次のプログラムはフルートソロだった。

話で引き伸ばして、
クーラウのしぼめる花バリエーション。
始めると、小さな会館ですが、音響はいい。お客様も事情が事情なので、一生懸命に聞いてくださっています。
「心がうつろになってしまった・・・恋とは、こんなに私を絶望させるものなのか?」
本当の絶望は、人を強くさせる。絶望の一歩先に希望がある。

だんだん、静かになってきて最後のバリエーションのころには、シーンとなりました。
暖かい拍手。よかった。なんとかなったみたい。
終わった途端、母が替えのお琴とともに帰ってきました。
そして、調弦。
母が司会をするはずが、結局私が終わりまで喋りづめになってしまいました。

母は知らん顔をしていましたが、やっぱり、一緒に合奏すると、焦っているのが、わかります。

「私がしっかりしなくっちゃ。」というわけで、いつもより、ちゃんとしゃべり吹けてていたような。

「春の海」「小鳥の歌」「篝火」が、どたばたのうちに終わり、「秋の子どもの歌」。

「皆さん、一緒に歌ってくださいね。」と、いうと、大きな声で、歌ってくださって。

何とかコンサート終了。あ~、びっくりした。
無事、終わってよかった。

夜はkさんのコンサート。打ち上げまで参加して、遅くまでごくろうさん。と自分に言ってあげよう。


うつろな心変奏曲

2012-10-26 20:30:32 | 名曲

今年春に買ったカリフォルニアローズ フィエスタのアップルブロッサムと、ユーフォルビア ダイヤモンドフロストの寄せ植え。
カリフォルニアローズは、暑さに弱く。気づいて日陰に移したにも関わらず、夏の間に、ほとんど花が無くなりました。その時以来、ダイヤモンドフロストだけが、どんどん繁殖して、こんな具合。



ところが涼しくなってきたら、またまた咲いてきましたカリフォルニアローズ。

いいでしょう?うれしくなってきました。

父が入院して、母と、私と妹でローテーションで、病院通い。
父のトイレと着替えが大問題です。
今日はぜいたくに3人でローテーションできましたが、妹は勤務があるので、明日からは、二人。
それから、コンサート。
洗濯ものを干し、あるだけのパジャマのズボンを置いてきました。乾かない季節になってきて、少し憂鬱。

クーラウの作品10番は、フルートソロの曲集です。
12曲の曲はすべて歌曲のバリエーションになっています。

No,11は「nel cor piu non mi sento」(うつろの心)の変奏曲です。
テーマはGiovanni Paisiello(1740-1816)ジョバンニ・パイジェッロ作曲 歌劇「水車屋の娘」の中の歌曲です。
この曲は、たくさんの作曲家に愛された曲で、ピアノの変奏でベートーベン、ヴァイオリンでパガニーニが、
フルートではベームの変奏曲が有名です。
シューベルトの「美しき水車小屋の娘」は、このパイジェッロのオペラが流行し、ミューラーが作詞したそうです。

「もはや、心を感じられない・・・・・恋とはこれほど、私を絶望させるものなのか」
という、歌詞は、青春の恋のいたみを思わせるだけでなく、人生の苦しみや、大切な人との別れを思い起こさせます。

明日、この曲を演奏します。





救急車を呼ぶ

2012-10-25 22:11:49 | Weblog

昨夜遅く、母からメールで、「お父さんの具合が悪いので、明日の朝、病院に連れて行って」と来ました。
「何時?」「8時半に受付したいです。」

「お父さん、いよいよ、来たかも。」という思いと、「お母さん、お稽古に間に合わせたな。」昼からお稽古なので、早めに病院に連れて行ってほしい。ってことかな?と思いました。
今朝、7時半に家を出て、実家に帰ると、母がのんびり朝食を作っていました。
「病院にいくんじゃないのお?」というと、「夕べは大変だったんだけど、5時くらいからねむっているから。」
それなら、出る前に連絡ちょうだいよ~。という思いは口に出さず。
「どんな感じ?」と聞くと、「昨日、高齢者会で、具合が悪くなって、連れて帰ってくれたの。それから、しんどいって寝てて、夕食は食べないし、3時くらいからトイレに何度も起きたんだけど、失敗ばっかりして。たいへんやったわ。」
「起きたんじゃない?2階で音がしたわ。」と、二人で2階に行くと、ベッドの端から足を降ろして、でも、上を向いて寝てるけど体を起こせない父がいました。
背中に手を入れて起こすと、「トイレに行く。」というので、支えて立たせると、ふらつきながら自分で、ゆっくりトイレまで行って用を足しました。しかし、トイレから体を起こそうとしたら、もう起き上がれません。
そのままずるずると落ちてトイレの床に寝てしまいました。
母と私では、2階から降ろすどころか、トイレから出すこともできません。
「救急車を呼ぼう。」

京田辺市の救急車は早い。5分も経たずに来ました。
「立てますか?」「僕の触っている手の感触ありますか?」
確認されると、「立てる。」と父は言います。しかし、立てません。
結局、3人がかりでシートの上に乗せて、階段を降ろし、救急車に乗せました。

病院についたら、すぐ、CTと、レントゲン、血液検査。
母と、長男と私の3人で、ついてしまうと何もすることがないので、椅子に座って自販機のコーヒーを飲んだりしながら、結果を待ちました。

看護師さんに呼ばれて、先生から説明を受けましたが、結局、脳のCTはきれいに何にも無い。肺はきれいなので、風邪でもない。白血球が多いのと、熱が8度でているので、内臓のどこかに何かあるかもしれないのと、立てないので、入院して検査しましょう。ということでした。

解熱剤を入れてもらって、熱が下がると、父は例によって、トイレに自分で行こうとします。
点滴を忘れて、そのまま行こうとするので一騒ぎになります。

ナースコールもやっぱり覚えません。
足元に、センサーマットを置いて、トイレに立つとナースコールがなるようにしてもらいました。
それでも私が家に入院グッズを取りに帰っている間に、看護師さんが来る前にトイレに行き、今度は、どこに帰ったらいいのかわからなくなってしまいました。

昼から、母はお稽古。替りに看護師をしている妹が来て、病状の解説をしてくれました。
こういう時は頼りになります。

二人でしばらく父の様子を見て、妹に任せ、私は先に帰って27日本番のために母と打合せ。
こればっかりはどうしようもありません。

短時間だと思うと、集中力が違います。母もいつもよりいい感じ。
でも、母の元気のもとはお琴を弾くこと。
母に音楽があってよかった。



栗の渋皮煮

2012-10-24 22:43:24 | Weblog

栗の渋皮煮。初めて挑戦しました。同窓会でいただいた栗を2週間放置。割れてきたところを、一気にむきます。割れ目があるとむきやすい。
①栗をひたひたの水に入れ、重曹を大さじ一杯を溶かして、一晩おきます。

②次の日、その水のまま、5分ゆで、冷めるまでおいたら、水で洗います。この時点で真っ黒な水です。


③水を入れ、重曹を大さじ1入れて、もう一晩おき、また水洗いします。水をかえて、40分間、中火で煮ます。


④砂糖600g、しょうゆおおさじ3、塩少々を入れて30分強火で煮て、次の日まで置きます。


⑥渋皮煮完成!


写真にすると、なんと地味な!!
所要時間3日。でも、思ったほど手はかかりません。ちょっと煮ては置いとくだけ。
皮が割れて、中身が溶けてしまったものも、多数ありました。
友人に聞いたら、重曹を入れずに、ゆっくり沸騰しないようにゆでこぼして、5時間。
すると、皮がわれずに、きれいな渋皮にができるそうです。

次はそれで、試してみよう。
見てくれはわるいですが、柔らかくておいしくはできました。


心と体のワーク

2012-10-23 20:44:23 | レクチャー、マスタークラス

雨が降って、寒くなりました。夕方雨が上がったら、きれいな夕焼け。

今日は、心と体のワーク。
「NO」というのも、「YES」というのも、意見という点では、同じ。
そのことを私は、つい見失ってしまいます。

子どもに、何でも言ってねと言いながら、自分好みでないことを言われたら、「何言ってるの?」と言ったり、無視したり。

いい意見と悪い意見に分けて、ランク付けしたり。

こういうことをやっていると、いざ、自分が意見を言おうとしても、その場に役立つことではなく、自分が人に受け入れられるか?どうか?ということが気になって、思っていることを言えなくなってしまいます。

率直な意見交換なしに、調整などあり得ない。

力の強いもの、能力のたかいものだけが意見を言えるのだとしたら、子どもや、障害のある人、老人は、順番は回ってこない。

そして、意見をいうことと、その意見が採用されるのとは、別であるということ。
共有の課題について出された案は、だれがだしたかとか、どういう風に出されたか?などということとは関係なく検討され、バスケットいっぱいの案の中から、みんなの目的達成により近いものを選べば、その場は活性化するし、よりダイナミックで有効な手段が選ばれることになるのです。

いつも、前に出ようとして出られない、肝心な仕事の質が下がってしまうのは、仲間からの受容ばかりが気になるから。

共同の仕事をしようとしている仲間なのだから、目的の質を上げるための多様な意見は、すべて、仲間にとってOKであリ、歓迎されるということを、一番自分が信じていない。
本当に面倒くさい私。

この根本を変えない限り、成長はあり得ない。そんなことがわかったセミナーでした。


カルメン実行委員会

2012-10-22 22:48:36 | ロマン派

今朝は枚方に音楽をひろげよう!実行委員会。
「カルメン」合同練習のビデオを見て、立ち位置、照明、舞台の流れなどの検討を、行います。

協賛金を頂いた方の報告。
Fさん家族。
枚方で姉妹で、語りとカリンバで、活動されています。絵本を覚えて語られるのですが、二人のつくる温かい空気にわたしは、数年前からずっとファンです。お母さんも、その二人を支えて、とっても素敵な家族です。

広告は、お世話になっている楽器店。Kさんの幼馴染のお菓子の企業。それから、大学の友人Mさん。音楽イベント派遣業をしています。
ありがとうございます。
本当に助かります。

協力いただいた方々のためにも、良いものにしなくては。お客さんもよばなくっちゃ。
がんばるぞ~。

それぞれに思い入れの深い企画なので、意見が一致せず、今回は、保留。
ということもいくつかありました。

それも、熱心なあまり。
妥協ではなく、理解と、調整に至るまで、「葛藤も無いようでは、良いものはできない。」とKさんの言葉に、感動。
やっぱりこのメンバーはすごい!

きっといいものが出来ます。


肩甲骨と、演奏の関係

2012-10-19 21:19:24 | フルートレッスン

今日の実験は、やわらかい体のまま吹くこと。
メルカダンテのコンチェルトEminorを初見で吹いてみます。
今日見るのは、吹きながら、体が柔らかいか?不自然な固さがないか?

吹いていくにつれて、首と、肩の付け根に少し固さがあります。顎関節から、あごの骨、首に向かって、緊張が広がっていき、複雑な早いフレーズになるとそれがピークになります。
吹きながらどんどん緊張が連鎖していくことがわかります。

一曲吹くと、うつぶせに寝て、肘を床につけて、二の腕を垂直に立てます。
ゆっくり、左右の肩を交代に床に近づけます。次に、肩はそのままで、脊椎を床に近づけます。
それを20回ほどしたら、今度は、手のひらを耳の横で床につけ、腕を立て、足をゆっくり床の上から離れないようにして、腕のほうに近づけていきます。
それと同時に首は足を見るように曲げていきます。わにが歩くような格好です。
20回。

床にうつぶせに寝て、どちらかの頬を床に着け、両手のひらで、顎と首のあたりを包むように軽く押さえます。膝から足首を垂直に立て、膝を曲げたままゆっくりと左右に振ります。

とっても気持ちよくて、リラックスできます。

それから、また立ち上がってフルートを吹きます。
今度はドヴィエンヌのコンチェルト第六番。

初めはいい感じ。息がたくさん入り、音がさっきと全然違ってどんどん伸びる感じです。
それでも、1ページ終わるまでに、舌の筋肉が固まってきているのに気が付きます。
口を縦に大きく開いてみると、少し塊が解けます。
途中で止めてまた、肩甲骨と首の運動。

それから、ドヴィエンヌの続き。

繰り返すうちに、どこから力が入り始めるのかわかってきます。
久しぶりにゆっくり自分の体と、対話することができました。
できるだけ、こういう時間を取りたいです。


お琴とフルート

2012-10-18 21:05:27 | コンサート

夕べブログを書いて投稿しようと思ったら、ネットがつながらない。あれこれやっても無理。朝、無線をあきらめ、ケーブルを繋いだら繋がりました。こんなことはなかったのに…。
で、今投稿します。→

雨が降って、随分気温が下がりました。
朝から実家に帰ったら、父はグランドゴルフの仲間から電話をもらっていました。
「今日は、風邪ひくから、休みます。」父は休みましたが、小雨の中、老人会のゴルフ仲間は、試合をしたそうです。昼前、「参加賞」とラップを父に私に来てくれました。ある一定の年代の人たちは、仲間とつながるのが、とてもうまいです。

時間は間違える。誰から呼ばれたのかもう覚えていない。何かを頂いても忘れてしまう。
善意を受けても何も覚えていられない父を、いつまでも気にかけてくれます。
ゴルフを使っても、もう大切なことを忘れない。

今朝は、京田辺市の町内会でする母と27日のお琴とフルートのコンサートの打合せ。
定番の宮城道雄作曲 春の海、小鳥の歌。
フルートといっても尺八を五線紙に置き換えたものですが、尺八が入ると、大編成になってしまって、お琴一台でというのは、少ないです。

仕方ないので、須山知行先生の秋の子どもの歌の第2琴をフルートに置き換えたりしてみましたが、音量がどうしてもフルートが勝ってしまって、いけません。結局、旋律をほとんどフルートに置き換えますが、第1琴と、第2琴は調子が違うので、そう簡単にはいきません。
たとえば第1琴で三の糸がGと書いてあって、第二琴の三はFだったり。

とにもかくにも、第二琴で対旋律を取りましたが、お琴は元来、どちらかが伴奏という概念がなく、どちらも旋律。バッハ以前の、二つの旋律が同時に進行して美しいという形がなので、単音の進行が多く、フルートとする場合には少しさびしい。
母に和音にしてもらいますが、大体右手の親指と、人差し指を広げて五音開けてシャンとひくとオクターブ。左手でもう一オクターブ下を弾くくらいで、和音といってもそうおもしろいわけではありません。

しかし、爪ではじく他に、弦をこすったり、柱の向こう側を持って揺らしたり、トレモロにしたり。いろいろ表現の幅はあるので、そういう特色を生かした編曲にしていきます。
こんなことで、もみじ、あかとんぼ、夕焼け小焼け、村祭りを片付け。

野村正峰作曲の篝火という曲を見つけました。
近代の作曲家ですが、親しみやすいメロディーです。こちらもお琴二台ですが、短めにして、一台でもいけそうです。

他に、六段を母が弾いて、なんとか注文の一時間持たすことができそうです。
一緒にやろうとおもうと、手間を惜しんではいけません。後合わせられるのは一回。希望が見えてきました。