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プラタナスの木の住人

2008-04-08 | 絵を描く
             『リムノス島の羊飼い』

4月17日ロンドンのサザビーで、あるギリシャ人画家の絵が
オークションにかけられます。

村上春樹さんが、「遠い太鼓」で言及している以外、
セオフィロスは日本ではほとんど知られていません。

1873年、レスボス島のミティリーニ郊外で生まれました。

当時のレスボスの青年が皆そうであったように、一旗揚げようとスミルナ(現在トルコのイズミール)へ行きます。そこで何を生業としていたかはわかっていませんが、絵を描いて表現するという精神の解放を見つけたようです。

その後、ギリシャ神話ではケンタウロスが住むというテッサリ-の山岳地帯
ピリオンで30年を極貧の中で暮らします。

時はまさにギリシャ統一の機運があふれていた時代でした。

彼は人々を鼓舞するような演劇を創作し、アレキサンダー大王の扮装で舞台に上がります。観客は彼を笑い者にしたようですが、彼の方はそんな人々を愛してやまなかったようです。

この頃多くの絵画を描いてもいます。


レスボス島がようやくトルコからギリシャに返還され、セオフィロスはミティリーニに戻ります。

故郷にもどったのを機に、彼の絵のテーマは愛国主義的なものから、牧歌的な島の暮らしや、よく見知った人々などへと変わっていきます。

故郷でも彼は変人あるいは狂人と見られていましたが、一方で愛されてもいました。貧しいことに変わりはなかったのですが、食うに困ることもなかったのです。

ミティリーニから車で10分ほど山へ入ったところに、清らかな泉のわいている谷間があり、そこに「セオフィロ」というカフェニオンがあります。

ミティリーニの人が夏の午後などに緑陰濃い木陰に涼を求めてやってきます。

巨大なプラタナスの木の根元は中がうろになっていて、三畳ほども広さがあります。セオフィロスはそのうろの中に住んでいたのだそうです。

1934年に亡くなるまで、お金とは縁のない生活で、食事をさせてもらう代わりに、タベルナの壁に絵を描いて暮らしていたようです。

70年代までは街にセオフィロスの絵が残っていました。
現在は生まれ故郷に美術館が建てられてそこに集められています。

今でもレスボス島ではセオフィロス風の絵を描いたタベルナがありますが、
聞いてみると、そこのご主人が描いた絵で
「へ、へ、へ どうだい。セオフィロよりうまいだろ」なんて自慢してたりして、それはそれなりに嬉しくなります。

さて、サザビーでオークションにかけられるのは彼の代表作
The Death of Markos Botsaris(マルコス・ボツァリスの死)
価格は300,000 ユーロ(約5千万円)から始まるということです。

貧しく波乱に満ちた人生を送ったセオフィロスは
この金額をどう思うでしょう。





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2 コメント

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懐かしい。 (さらさ)
2008-04-09 15:42:36
絵を見た瞬間にセオフィロスだと思いました。
ピリオンにある小さな美術館に行ったことを懐かしく思い出します。素朴であたたかく、人々の息吹を感じさせるような絵や壁画に出会えました。そしてマクリニッツア辺りの山間を歩くとケンタウロスが今にも出てきそうな雰囲気でした。
絵画に値段をつけることは売買には致し方ないのかもしれませんが、気持ちがしっくりこないです。
さらささん (lesvosolive)
2008-04-10 08:57:39
機会があれば、lesvos島のセオフィロ美術館へも是非いってみてください。彼の作品だけでおそらく100点くらいあったかと思います。

2年前に友人を連れて行ったときのこと。

美術館の扉の前までいったら、閉館10分前だとわかり、「入る?どうしよう』と話していたら、私たちに気がついたらしく、中から足の悪い警備のおじさんが出てきました。

「10分で閉まると誰がいったね?」というので、
扉にある閉館時間の表示を指差すと、

「ゼン ピラージ エラテ」といって入れてくれ、ゆっくり見せてくれました。

いい加減なところもあるけど、実に優しい人たちなのですよね。

あぁ、ギリシャがレスボスが私を呼んでいる・・

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