ギリシャへ そして ギリシャから From Greece & To Greece

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失われない時を求めて

2012-10-22 | 私のギリシャ物語

長い間このブログを更新できずにいました。それにもかかわらず訪問して下さった方々ありがとうございます。わたしの身の回りでは次々と大変なことが起きて心身ともに余裕のない日々を送っていましたが、ようやく少し時間にも気持ちにもゆとりができるようになりました。

 気がつくと、もう2ヶ月あまりの2012年で、楽しかった出来事は7月のギリシャ旅行だけだった気がします。

ところで、楽しいとか幸せを感じるとは、いったいどういうことをいうのでしょう?おそらく人それぞれ違うでしょう。

わたしの感じる「幸福」の具体的な例をあげてみると「いっぱい泳いだ夏の午後。裸足のまま目の前に輝く海のあるタベルナで、気のあう人たちと遅い昼食のテーブルを囲んでいるとき」とか、

「日本からの長いフライトの末、アテネの空港からなんとか夕方のピレウス港へたどり着き、島へ向かうフェリーのキャビンでシャワーを浴び、木綿の白いサンドレスに着替えて、夕陽を観に甲板に出ると、船はちょうどスニオン岬の当たりに来ている瞬間」とか.....でしょうか。

 例にあげた10年前のフェリーでの瞬間を私は克明に想いだすことができます。

エンジン室から流れる燃料の匂い、船体のペンキの色、陽射しの傾き加減、風と波が創る独特のリズム、船内放送、それにかぶさるギリシャ語のざわめき.....

そして、大声で笑い転げたくなるような、からだ全体からこみ上げるよろこび。その記憶は私がこの世からいなくなるまで失われないでしょう。

幸福感が沸き上がるその瞬間に、小さな私という記憶の回路が、あたかも地上に向けて放電される夏の夕立の稲妻のようにときはなたれ、無限に大きな記憶の回路に繋がる。突き抜ける、永遠との一体感は失われない記憶となり、儚い一瞬が私の中で永遠という名を与えられる...これこそ、わたしがギリシャヘの旅を続ける理由です。

さて、これからお話しするのは今年の7月ギリシャを去る前夜のことです。

シフノス島からフェリーで戻った友人のアパートは昼の熱気が閉じ込められてたので、荷物を置いて窓とベランダへの扉を開け友人と外へ出ました。モナスティラキ広場からティシオの駅まで続く遊歩道沿いにはタベルナのテーブルが途切れずに並んでいます。

夜11時を回っていましたが、夏のギリシャでは宵の口、寝るには早い・・タベルナもまだ営業中ですが、あまり人の姿はありません。

注文したのは冷たい白ワインのハーフ・カラフェとサラダだけでしたが、一日の最後で疲れているであろう中年のウエイターは笑顔です。お客さんがあるだけでうれしい、と顔に書いてあります。「経済危機も悪くない」と思いました。

隣あったタベルナからアコーデオンを弾きながら歌声が近づいてきます。声の主は肌の浅黒いロマの少年。まだ声変わりしていない澄んだソプラノで、いい唄い手のようです。

友人は私の様子に「ダメ。じろじろ観ているとこっちへ来ちゃうわよ」と注意しますが、わたしはかまわず彼に手招きしテーブルに呼びました。 

「君なんと言う名前なの?」「ヤニス」本当の名前ではないことを私は知っています。ロマは仲間以外に本当の名前を教えない。それでも私は出逢うたびに彼らに名前を尋ねます。それは儀式のようなものなのです

「ヤニ、良い声をしてるわね。わたしのためにもう一曲唄ってくれる?」というと。

少年は一瞬私をみつめ、彼のまだ細い指がアコーデオンの鍵盤に伸びて、ゆっくりとした前奏がはじまりました。どうして彼は知っていたのでしょう?それがわたしの一番のお気に入りの曲だと。

ギリシャ最後の夜、ロマの少年が私のために唄ってくれたのは「サガポ・ヤティ・イセ・オレア」でした。

その時、私は知ります。それが用意されていたギリシャからわたしへの別れの贈り物だということを。そして、自分はなぜ、今こうしてここにいるのかを。

「おまえがここにいることを知っている。そして、おまえを歓迎している」というメッセージを伝える使者としてこの痩せたロマの少年がやってきたことを。

私はもう以前から気づいています。そのメッセージを発しているのは人でも神でもないことを。それは「決して失われなることのない時」と、その双子の兄弟である「記憶」であることを。

こうして、わたしはギリシャ巡礼をあきることなく繰り返しているのです。