日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「敬老の日」に歌舞伎役者と大学教授をくらべると

2007-09-17 17:50:38 | 学問・教育・研究
五代目中村富十郎さんが新作歌舞伎「閻魔と政頼」に取り組む姿をNHK教育テレビが紹介していた。78歳でバリバリの現役、人間国宝は伊達ではない。役作りの過程などふだんお目にかかれない舞台裏の様子が面白かった。

富十郎さんは閻魔大王を演じるのだが、自分の役作りに台詞の言い回しを工夫するのはもちろんのこと、舞台の上での演技・動作を共演者と相談しつつ組み立てていく。自分で主役を演じながらこれだけのことをやるのだから、ただ口を出して指導するだけの演出家ではない。このように指導者が共演者と一体となって舞台を作り上げる姿を見て、大学の研究室も本来こうであってほしいと思ったのである。

かねがね思っていることであるが、分野を実験科学に限って、大学院学生を対象に教授(研究指導者という意味)の日々の行動についてアンケート調査をしてほしいのである。まず教授が日常的に研究室に出て来て実験をしているかどうかを問うてみる。私の推測では全体の三割もおればいい方だと思う。下手すると一割もいないかも知れない。私の見聞きした限られた範囲ではあるが、いわゆる『有名教授』ほど実験離れが進んでいるような気がする。『実験をしない教授』を私がどのように見ているかは過去ログで述べている。

捏造論文問題 疑わしきは罰せよ

論文に名を連ねる資格のない教授とは

実験をしない教授に論文書きをまかせることが諸悪を生む

世の中の人が研究者(実験科学)についてどのようなイメージを持っているだろうか。実験白衣をまとい試験管やビーカーなどの実験器具を操り(古いたとえをお許しあれ)、薬品瓶から薬を取りだし混ぜ合わせたり、熱したり冷やしたり、高価そうな装置で加工したり、そのように実験している人をまず思い浮かべるであろう。

ところが大学の多くの研究室ではもう実験をしない、または実験の出来ない教授が至極当たり前の顔をして照れることもなく研究者を名乗っているのである。研究論文に共著者、多くはコレスポンディング・オーサーとして名前を連ねていることがそれを物語っている。そしてその正当性をアイディアを出したとか、研究費を稼いできたとか、論文原稿に目を通して添削したとか、百万言費やして主張する。

これがどれほど世間の常識からかけ離れているかは歌舞伎の世界と較べてみるとよく分かる。富十郎さんのように共演者を指導もするが自らも主役を演じるからこそ、ポスターに役者としての名前が大きく出るのである。台本を書いたのなら作家、振り付けを工夫したのなら振付として名前が出るのであって、おのずと扱いが違ってくる。

富十郎さんの舞台姿はとても素晴らしい。台詞が口跡鮮やかなことは当たり前として、年齢を感じさせない力強さと充実感に圧倒される。役者というのは凄いもので、一人一人が自分の力で舞台に立っている。舞台で役を演じられないと覚ったら引退しかありえない。個人の能力が直に現れる実にすっきりした世界である。だから暦年齢は問題にならない。

それにくらべて科学研究者はどうだろうか。70歳代はもちろん80歳代でも活発に論文を発表しているアメリカの友人、知り合いがいる。自分で実験している人もおれば、とっくの昔に実験から退いた人もいるが、お金があればポスドクを掻き集められる利点をフルに活用している。それはそれとして、日本では国立大学の場合、たとえば私だと63歳で定年退職すれば研究生活はそれで終わりであったが、最近は状況が変わってきたようである。9月15日の朝日朝刊に元阪大総長の岸本忠三さんに聞く、とインタビュー記事が出ていて、その紹介に《元阪大総長で今も研究に携わる岸本忠三さん(68)》とあった。68歳の岸本さんは紛うことのない高齢者ということになるが、その高齢科学者である岸本忠三さんの『研究』の実態とはどのようなものだろうか。

68歳の岸本さんは従来なら阪大は定年退職の筈なのに、いまだに教授で、と世間の人は訝しく思われるかもしれない。私も最近の大学事情に疎くなったので聞きかじりの知識しかないが、近年、定年を迎えた教授でも何らかの手段で研究費を獲得出来れば研究を大学で継続することが可能になったらしい。ところで岸本さんは世間の人の見る研究者に当てはまるパリパリの実験科学者なのだろうか。もしそうならば新しい制度下で研究を進め新境地を開拓していただきたいと思うが、私には実態が見えてこない。

私はかって阪大の医学部長をされた方と親しくさせていただいたが、この方は実験好きで本物の実験科学者であった。現役時代は自分でなかなか実験できないことを託っておられたが、定年後、意気揚々と実験の現場に戻って行かれた。しかし今のような制度はなかったので、確か研究生の身分でお弟子さんたちに迷惑をかけることを気にされつつも、実験場所を求めて転々とされた。このような方なら他人を当てにせずとも、実験補助が一人でも二人でもおれば、思う存分研究三昧に耽られたことと思う。実は私もそのような制度を活用できたら70歳までは研究者としてチャレンジを続けたかったとの思いがある。

岸本さんをたまたま話のとっかかりにしたが、一般的な話として、すでに遙か昔に実験から離れた高名な学者が、高名であるがゆえに定年後もなんらかの名目で税金から研究費を得て、実は他人に丸投げの『研究』をしているような話も聞こえてくる。もしこれが事実なら税金の誤用である。指導という言葉を隠れ蓑に、若い人のエネルギーを『私欲』のために吸い上げているに過ぎないと私には思えるからである。たとえばこれは私のアイディアで始まった仕事だ、と高名な方は仰るかも知れない。しかしそのアイディアは天から降ってくるものではない。身近に実験する若手がおり、その若手から実験の進捗を聞き意見を交換するからこそ湧いてくるものであろう。実験している本人が遅かれ早かれ気づくことを、年の功で少し早く気づいただけなのである。いわば油揚げを掠う鳶なのである。それとは対極的に、若い人に惜しみなく自分の持てるものすべてを与え、若い人が思う存分仕事が出来るように助力を惜しまず、完成した論文では謝辞で満足するような人、そういう高齢科学者に若い人は出会って欲しいものである。

競争相手がいるような研究テーマからは高齢者はおさらばすべきである。年寄りの冷や水というではないか。競争者がいないがやがて多くの人の注目を集めるような可能性のある研究を目指す高齢科学者にこそ国はチャンスを与えるべきであろう。それでこそ高齢者パワーを科学の再生に役立たせることになる。

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