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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

新聞・テレビに『殺人報道』はいらない

2005-02-20 15:52:00 | 社会・政治
私が子供だった頃、『人殺し』が世の中に無かったわけではないだろうが、新聞であれラジオであれ雑誌であれ、子供の耳目に触れることはまずなかった。今でも何一つ思い出すことが出来ない。私の知る人の死は『戦死』であり『玉砕』であり『自爆』であった。それでもまともな社会人に成長した。

今はどうであろう。世の中、『殺人報道』だらけである。
私はかねてからマスメディアによる『殺人報道』の取り上げ方に疑問を持っていた。
そして思うのである。新聞・テレビに『殺人報道』はいらない、と。

最近の例、『寝屋川殺傷事件』をNHKは午後7時のニュースのトップで何日も報じた。NHK(お金を取るNHKに代表して貰ったけれど、もちろん民放も含む)は何をどのように考えてこのニュースを流したのだろう。

社会的影響の『大きな事件』だから、と云うのかも知れない。
国民は知らなければそれまでのこと、大きく取り上げるから『大きな事件』になるのではないか。もともと世間を騒がせるニュースなんてありやしない。元来犯罪は秘匿性の高いものだし、『事件』もふつうは音声の到達する範囲で知られるに過ぎない。マスメディアが騒ぎ立てるから世間が否応なしに知らされるのである。

では何故マスメディアは国民に知らせるのだろう。
こういう痛ましい事件の再発防止のために世間の注意を喚起するのだと云うのかも知れない。

私に云わせると、中身のない言い抜けに過ぎない。
マスメディアはこれまでことあるたびに悲惨な『殺人事件』を報じてきた。それが奏を効して、『殺人事件』が減るとか、その報道が減ったりしたのだろうか。私の印象ではそれとは反対にますます『殺人事件』が増加しているように思う。再発防止に無力であることは統計データが裏付けるだろう。

時には被害者の告別式の様子までが報道される。悲嘆に暮れる遺族のインタビューさえ流される。これが国民の『知る権利』に応えたことになっているのだろうか。このような報道はまったく無用である。静かにしてさし上げることが、無念の思いを必死に耐えている遺族への最低のマナーなのではないのか。

『加害者』についてまたあれこれと並べ立てる。生い立ちとか性行とか、場合によれば『専門家』らしき人のコメントが加わってくる。そして『動機』についての憶測が飛び交う。ある種の予断を与えるだけに過ぎないこのような報道内容は一切不要である。人間の行為の跡づけが、その心の動きまでを含めて簡単に出来るほど『人間』は理解可能なものではない。

『殺人事件』を報道する側の理屈を機会があればお聞きしたいものであるが、既に『事件記者』という言葉が辞書にも載っているぐらいであるから、ひょっとしたら『殺人事件』の報道はマスメディアの反射行動に定着しているのかも知れない。

午後7時といえばわが家では夕食の時間である。『殺人事件』のニュースが流れるとチャンネルを切り替えることにしている。テレビを観ながら食事を楽しんでいる家庭が日本中に多いだろうに、この時間に『殺人事件』をはじめとする殺伐たるニュースを反射行動的に流す不躾さは言語道断である。

未成年者の『殺人事件』が発生すると、世間は『殺しの番組』の影響などと取りざたする。『番組』が絵空事であるのに比べて『殺人事件』はまさにリアルそのもの。『俗悪番組』を論うのもいいが、それよりなにより『殺人事件』の報道をなくすべきである。『殺人報道』以外に能がないというのなら、せめて子供の寝静まる深夜にでもひっそりと流せばいい。ゴールデンタイムにこれでもかこれでもかと陰惨なニュースを視聴者に押しつける品性欠如のマスメディア、『殺人報道』をTPOを顧みずにオンエアする無神経さはいい加減にご免被りたい。

試しに一年間でいい、あらゆるマスメディアに『殺人事件』の報道を停止して頂く。国民は何一つ不便を感じることはない。そして日本が明るくなり活気を取りし景気がよくなることは確実である。


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