日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

21世紀COEプログラム「世界を先導する総合的地域研究拠点の形成」傍目八目

2007-08-09 20:23:59 | 学問・教育・研究
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科(ASAFAS)と京都大学東南アジア研究所(CSEAS)が中心となり、タイトルの21世紀COEプログラムをはじめた。「フィールド・ステーションを活用した臨地教育研究体制の推進」がその副題で、研究成果報告書(平成14 年度~平成18 年度研究拠点形成費補助金)がネット上に公開されている。人文科学系の研究者がこのCOEプログラムにどのように取り組んでいるのかと思って、PDFファイルにして272頁もある大部の報告書に目を通してみた。

《私たちのプログラムでは計画調書にあるように、「フィールド・ステーションを活用した臨地教育・研究の展開」、「地域研究統合情報化センターの設立」、「統一研究テーマ『地球・地域・人間の共生』にそった研究活動の推進」、という3 つの柱を設定し、これらの柱にそってプログラムを推進してきた。》とのことである。フィールド・ステーション(FS)とは何だろうと思ったが、報告書を読んでみると東南アジア・アフリカの何カ所に臨地教育・研究の展開のために作った『現地事務所』のようなものらしい。このプログラムのタイトル「地域研究拠点の形成」の『拠点』なのかとちょっと戸惑った。

『現地事務所』(FS)とは部屋に《事務用机、デスクトップ型パソコン、ミーティング用机、来客用ソファーなどが設置されている。デスクトップ型パソコンは、SEAMEO-CHAT のLAN を経由してインターネットに接続されている。また、国電話についはSEAMEO-CHAT の内線を経由して問題なく交信がはかれるよう整備されている》(ミャンマーの例、私注)とか、《ラオス国立大学林学部研究棟の11階に部屋を借り受けて、連絡事務所を設置した。ここにはコンピュータ1セットと作業机、本棚、標本棚を置き、現地に派遣される教員・学生が活用している》ようなものらしい。

報告書には《このプログラムでは、フィールド・ステーションの設置とフィールド・ステーションを基盤とする臨地教育・研究を強力に推進してきたが、このことは大学院教育に極めて大きく、良好な効果をもたらしたと思われる》との『自己評価』が記されている(58ページ)。確かに『現地事務所』のようなものがあれば、そこを使う日本人には便利だろうが、『現地事務所』を置かれた国の人はどのように受け取ったのだろうか。私は先ずそれが気になった。

たとえば日本の国立大学の一室に、ある日ドカドカと荷物が持ち込まれ、次の日からは片言程度しか日本語の話せない外国人が数人入り込んできて何か仕事らしきことを始める。それを見て周りの人たちはどう思うだろう。それよりなにより、日本の国立大学が日本人であれ外国人であれ外部の人間に気安く部屋を貸すことは出来ないはずだ。『現地事務所』がエーリアンの巣窟になっていなければいいのに、とつい思ってしまった。

FSの効用の一つは《FSを活用した臨地教育(オンサイト・エデュケーション)の成果としては、以下のような点があげられる。まず、大学院生と教員が一緒にフィールドワークをおこなうことにより、その現場において、大学院生の研究方法・目的等の不備を直接に指導し、高度な教育を効率的にすすめることができた。》とのことである。

私は学生時代自分の大学にないものだから、天草にある京都大学臨海実験所まで出かけて(費用は全て自己負担)臨海実験の指導を受けたことがある。海の生き物を勉強するにはこれに如くものはない。FSにおける臨地教育とはこのようなものだろう。それは分かるのだが、現地で何を学ぶのだろう。それに結構費用のかかることだ。そこまでする値打ちがあるのだろうか。この点に関して外部評価委員の一人である英国サセックス大学James Fairhead 教授の以下のコメントは注目に値する。

《Yet finding ways to introduce graduate students to field work is getting extremely difficult. Apart from the usual challenges linked to cost, cultural differences and economic inequailities, fieldwork is increasingly problematic given (a) post-colonial critiques of social scientists and (b) often precarious political conditions. 》(264ページ、強調は私、以下同じ)

植民地支配のトップリーダーであった英国の研究者が、特に強調部分に拘るのはよく分かる。列強による植民地支配の過去の歴史をしっかり学んだ上で現地調査に取り組むべきだ、との意見と私は受け取った。ところが報告書からはこのような準備教育が十分になされているのかどうか、伝わってこない。それどころか大学院生の臨地教育について私が見逃せない報告があった。

《長期滞在が不可欠なフィールドワークを実施するためには、大学院生が相手国において学生ビザなどを取得する必要があるが、フィールド・ステーションに派遣された若手研究者が、そのための支援をおこなったことも大きな成果のひとつであった。たとえばラオスでは、現地の研究機関とのあいだでMOUを締結している場合でも、学生ビザを取得するためには多くの時間を費やさねばならなかったが、フィールド・ステーションに派遣した若手研究員がこの手続きを仲介することによって、大学院生は容易にビザを取得することができた》(26ページ)

このようなことを成果と誇る脳天気ぶりに私はついて行けないが、あえて云わせていただくと、そのような手続きから学生にやらせるべきなのである。学生ビザの取得になぜ多くの時間が必要なのか、国情、政治情勢、外交関係などとの係わりで勉強させることが実地教育の第一歩であろう。院生王子のツアーでもあるまいし、効率重視なのかどうかそのせからしさが気になる。これでは上に述べた準備教育が果たしてなされているのかどうか疑わしく、不安を感じた。

報告書の19ページにこう述べられている。

《これまでの地域研究は、植民地期の旧宗主国や第二次大戦後のアメリカで行われた研究のように、「支配」の確立や政治的意図のもとに行われた研究が多かった。しかし私たちの拠点が目指したのは、地域に密着し、地域の人々との共生に向けた研究であった。具体的には、フィールドワークと現地語による調査を重視した研究を推進することであり、フィールド・ステーションの構築はこうした研究・教育活動を支援・強化するものであった。なかでもフィールドワークは、二次資料の蓄積が乏しいわが国の若手研究者が短期間で卓越した業績を上げるためには、独自の着想により、自らフィールドで収集した一次資料にもとづく研究が効果的との判断によるものであった。》

地域に密着し、地域の人々との共生に向けた研究がこのプログラムを支える根本理念のようであるが、私はここに植民地化政策の残滓を見る思いがする。いや、日本は東南アジアの対象国を植民地としてではなく、占領地として統治したのであるから、統治者意識の残滓と云った方がいいのかもしれない。

かってのアジア・太平洋戦争で日本軍は東南アジアの欧米植民地へ侵攻し占領した。アメリカ領フィリッピン、イギリス領マラヤ、イギリス領ビルマ、オランダ領東印度である。また独立国タイ、ヴィシー政権下フランス領インドシナ(ベトナム、カンボジャ、ラオス)などにも進駐した。その大きな目的の一つが「重要国防資源の獲得」で、石油が最も優先された。元『軍国少年』の私は京都大学東南アジア研究所の名称を見ただけで、この戦争中の記憶が甦る。そこで私が問題にするのは地域に密着し、地域の人々との共生に向けた研究なんて云いだしたのは、東南アジア諸国の人たちなのか、それとも京都大学関係者なのか、と云うことである。

多分京都大学が持ち込んだのであろうと思う。外部評価委員の一人University of Addis AbabaのEndashaw Bekele教授が次のようなコメントをしている。

《The objectives of the program is to build postgraduate level education in Area Studies by integrating research activities and on site education based on previous experience of ASAFAS and CSEAS and is based on noble spirit of guiding moral principles of the Kyoto and basic philosophy adopted in recent years by the University "Harmonious coexistence of the Goobal Community" as well as the University's academic standing tradition as "Positivism on Foot"》

戦争中、大日本帝国が八紘一宇をスローガンに東亜共栄圏建設とか唱えて東南アジア諸国を侵略した。Bekele教授の目に映った"noble spirit and guiding moral principles of the Kyoto"を『京大魂』と置き換えると、他の京大関係者には申し訳ないが、私にはこの『京大魂』が八紘一宇と同工異曲に見えてくるのである。何故なのか。

「ポスト・コロニアル」を標榜しているのであろうが、京都大学の唱える地域に密着し、地域の人々との共生に向けた研究の中身が見えてこない。それより「地域に密着し、地域の人々との共生」の立案者は、相手国の反応をどのように見ているのだろう。私は「地域に密着し、地域の人々との共生」が相手国に対する押しつけに見えてくるのだ。

戦時中に比島派遣軍最高顧問・駐比特命全権大使を務めた村田省三氏がまだ戦争も終わっていない1945年4月に「対比施策批判」を書いた(比とはフィリッピンのこと、私注)。そのなかに「我多数の同胞は教育あるも教養に欠くる所あり之がため稍もすれば異民族に疎んぜらるること」と述べているとのことである。ここでの教養をデリカシーと受け取ってもよかろう。私は「地域に密着し、地域の人々との共生」の押しつけを、このデリカシーに欠けた行為だと見る。何事もすべて相手国の要請があって、それに応えるというのが基本姿勢でなければならない。世界的に名声のある京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科(ASAFAS)と京都大学東南アジア研究所(CSEAS)であるなら、該当諸国から多数の留学生が押し寄せて来るであろう。現にこのプログラムに参加している大学院生に留学生が多い。その大学院生が橋がけとなりしかるべき手順を踏んでFSが作られたというのなら私にも話が分かるというものだ。

日本人にとって「ポスト・コロニアル」のあるべき姿は『三顧の礼』に応える姿勢を貫くところにあると私は思う。新明解には『三顧の礼』を《目上の人が、すぐれた人を何度も訪問して、自分のために働いてくれと頼むこと》とある。頼まれてはじめて腰を上げる、これが基本姿勢であるが、それに先立ち相手国を目上とみる謙譲の精神がまず日本人の心底になければならない。

この視点が欠けているといろいろと問題を引きおこしそうである。

日本は中国、韓国、台湾などと、例えば漁業資源の調査などの名目で相手国の領海に勝手に入り込むことは出来ない。あらかじめ相手国と交渉し同意があってはじめて可能になることである。このプログラムでも日本人が何をどのように調査するにせよ、相手国の了解と同意があってはじめてなし得ることである。相手国とどのように交渉しどのように合意が得られたのか、この報告書を見る限り表に出てこない。確かに相手国の大学などと交渉した経緯は見受けられる。その程度の配慮でいいのだろうか。

話は古くなるが、幕末にシーボルト事件なるものが起こった。オランダ商館医のドイツ人学者シーボルトが幕府天文方・書物奉行の高橋景保から伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」や蝦夷地図類を入手し、代わりに自分の所持する地理書などを与えた。地図類を国外に持ち出すことは禁止されていたが、シーボルトをそれらを持ち帰ろうとした。しかしその事が帰国直前に発覚し、高橋景保が捕らえられ死刑判決(実際は獄死)を受けた事件である。程度はともかく、これに類するトラブルを現地で起こしていないことを願うのみである。

日本人が現地に出かけては我が物顔にいろんな調査はするし、気がついたらあれやこれやの資料を収集して日本に持ち帰る。現に報告書にこのような記載がある。

《21世紀COEに先行するCOEプログラム「アジア・アフリカにおける地域編成―原型・変容・転成」(平成10~14 年度)においては、現地語文献を中心とする7 万冊を上回る図書資料の収集・整理作業を行った。これらの購入図書類は、東南アジア研究所図書室および大学院アジア・アフリカ地域研究研究科アフリカ地域研究専攻図書室に納められ、京都大学における地域研究の発展に欠かせない情報基盤となっている。本プログラムの図書部会では、この先行事業の任務および物的・人的資産を引き継ぎ、さらなる充実を目指してきた。》

《現在でもCOEによる7 万冊および、本21世紀COEプログラムによる2万冊の購入図書の大半は、京都大学附属図書館に一時的に別置保管を依頼している状況である。学内外の利用者の利便を考えると、このような大量の地域研究図書資料を一括して収納可能な規模の図書室機能が是非とも必要であろう。》

収納場所も確保せずに金にまかせて買いあさったな、というのが私の印象である。関係国の法律に触れた行為でないことを願うが、それにしても相手国にとって重要文化財的な資料が含まれているのではないか、と推測する。まさか十把本を買い集めたとは思われないからである。明治維新後日本の貴重な文化財が大量に外国に流出した。その重要性に気付く日本人がほとんどおらず、法の整備がなされていなかった隙間をつかれたものと云えよう。そういう経験を持つ日本人が相手国の制度になんらかの不備を気付けばそれを教えて相手国の利益となる方向に持っていく、それこそ「地域の人々との共生」であろう。貴重な資料は最新の優れた技術でデジタル化すればよいのであって、実物は先方に残すべきである。購入した本の内容は報告書からは分からないのが、本国では絶対に見られないものを、京都大学に行けば見られる、といったことになって欲しくない。

ところでこのプログラムの評価であるが、CNRS(France)のDr. Cecile Barraudは
《The results so far achieved in such a short period of time is quite impressive: in terms of the mumber of field stations established, of students having undertaken fieldwork, of faculty memners and COE researchers implicated in field research, of seminars and workshops held, of joint local seminars and activities, of international symposia,of fieldwork reports, and of publications.》と述べている。

ほとんどが『数』で数えられものである。確かに『数』が印象的だったのはよいとして、その『質』に対する具体的な言及が欲しいところである。それに関連してFairheadサセックス大学教授のコメントは示唆的である。出版物の多いこと、また成果などにアクセスできる日本語・英語二本立てのウエブサイトを評価しつつも、次のようなコメントを寄せている。

《It seems to me, however, that it would be possible for faculty and graduate students to submit more of their work to leading international journals. The quality of the work done is unquestionable, and the global impact of the programme would be enhanced by a more global publication strategy.》

そして

《Again, I would like to see these doctoral students given post doctoral opportunities to develop their theses into international peer reviewed outputs in English (journal aritcles and books), potentially focusing on the key journals published from within the regions (in English and French) as well as the (from our end) more prestigious US,UK & European based jounals.》と続く。

一口に云えば、仲間内でのみに通じる成果発表でお茶を濁さずに、peer reviewのある世界の一流雑誌に発表しなさい、と忠告しているのである。この言葉を素直に受け取りたいが、英国紳士の仰ることだから別の受け取り方があるような気がする。

ダラダラと続けていたらキリがないので、最後にCOEプログラムの『虚構性』にかかわりがありそうなことを一つだけ取り上げておく。

京都大学グループのこのプログラムの中核をなすのが、FSの設営とこれを利用しての臨地教育である。このFSは14カ所で設営されて平成14年度から18年度までの5年間に派遣された人数のデータがある。派遣人員のカテゴリーは教員、若手、学生となっている。ところがこのデータには21COEプログラム経費で派遣された人数と、21COEプログラム以外の経費で派遣された人数が含まれている。しかもその数が半端ではない。教員、若手、学生を一括りにすると、21COEプログラム経費による派遣者が全体で198人であるのに対して、それ以外の経費による人が153人でほぼ4:3の割合である(エチオピアFSの平成15年度のデータは理由があって除外)。全体で14カ所あるFSのうち5カ所では21COEプログラム以外の経費による派遣者の方が多かった。

それ以外の経費として報告書のなかに記載されているのは以下のようなものである。

環境省地球環境研究総合推進費のプロジェクトとして、「荒廃熱帯林のランドスケープレベルでのリハビリテーションに関する研究」
環境省プロジェクト「東南アジア低湿地における温暖化抑制のための土地資源管理オプション」科研費「森林とともに住む人々のヒューマンセキュリティーに関する研究」
科研プロジェクト「インドネシア地方分権下の自然資源管理と社会経済変容:スラウェシ地域研究に向けて」(基盤研究(A)(2)海外学術調査)
学振特別研究員
文部科学省科研費「バングラデシュとミャンマーの少数民族における持続的農業と農村開発」
文部科学省科研費「ミャンマー北・東部跨境地域における生態資源利用とその変容」
トヨタ財団の研究助成「ラオス Bang Hiang 川流域住民の生業における生態資源利用に関する研究」
文部科学省総合地球環境学研究所による研究プロジェクト「アジア・熱帯モンスーン地域における地域生態史モデルの構築」
松下国際財団助成
京都大学教育研究振興財団助成
文部科学省アジア諸国等派遣留学生などで、なかには私費渡航というのもある。

この中には国策的研究課題のように見えるものもある。21COEプログラムで始めなくても類似の研究テーマが活発に動いているようである。そして21COEで出来た『現地事務所』に、研究経費の出所を問わず山小屋に立ち寄るような感覚で関係者が足を踏み入れている状況が目に浮かぶ。

思うにこの京大グループにとって、21COEプログラムは男湯の暖簾、他の研究費は女湯の暖簾のようなもの、暖簾をくぐって中に入ったら仕切りのない浮世風呂を、文化財保存よろしく護り立てているようなものである。浮世風呂の外でCOEプログラムは『虚構』とかなんとか、段平を大上段に振りかぶっているようなブロガー(私?)が野暮に見えてくるところが面白い。

となると論文・著書などの研究成果でも、同じ論文が人によっては21COEプログラムの報告書にも他の研究費の報告書にも同時に現れていると想像するのは難くない。赤城前農水相の不正会計問題で、同じ領収証があちらの報告書にもこちらの報告書にも現れているとの糾弾をふと連想してしまった。


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