「オータニサン」には何故悲壮感がないのだろう
~ 以下 (AERA dot.)の記事より~
「羽生結弦」が苦手だ。
などと言えば、日本全国どころか今や世界中の反感を買いそうだけれど、女は意外に「羽生結弦」が苦手なのではないか。羽生結弦さん個人のことではなく、「羽生結弦」というプロジェクトに対する苦手意識のようなものだと思ってほしい。結婚の報告を読んで、やっぱり「羽生結弦」が苦手……という以前からどこかで感じていた気持ちがむくむくとわき上がってしまっている。あんまりモヤモヤするので、なぜ「羽生結弦」が苦手なのか、言語化してみたい。
率直に言えば、「羽生結弦」はとても重たく、そして直視するには、あまりに痛々しいのである。
これは「羽生結弦」だけでなく、幼い頃からスポーツ一本の世界を生き、凄まじい努力(本人だけでなく家族も)によって頂点に立ち、無数の人々に影響を与え、巨額が動く世界を背負い、一つひとつの勝敗によって激しく人生が揺さぶられ、多くが20代で「引退」を迎えるスポーツ選手に共通する悲壮感だとも思う。とはいえ「羽生結弦」の場合は、その「悲壮感」すらも「羽生結弦」というプロジェクトに織り込み済みのパッケージに見えてしまうモヤモヤがあり、それ故に痛々しさが募るのかもしれない。
例えば、今回の結婚の報告がそうだ。世界的なスーパースターとはいえ、フツーに「二人で幸せな家族をつくります。あたたかく見守ってください」くらいの軽さで良いはずなのに、そういう文言は「羽生結弦」の結婚報告には一切ない。「今日も、人生をかけて『羽生結弦』のスケートを深め、一生懸命に努力を続け、進化していきます」とか「今後の人生も、応援してくださっている皆様と、スケートと共に、全力で、前へと、生きていきます」などと「羽生結弦」プロジェクトの主が、一男としての羽生結弦の不祥事を謝っているかのような重苦しい雰囲気に貫かれている。「個人としての羽生結弦が結婚しても『羽生結弦』は永遠なのでご安心ください」という宣言にしか読めないのである。
さらに言えば。もっと気楽でいいのにー! と思わせる緊迫感が「羽生結弦」にはある。羽生結弦さん本人だけでなく、「羽生結弦」を前に緊張や感激のためか声を震わせる取材者などがいるほどだ。そういう空気があるのだろう。
なぜそういう気持ちになってしまうかといえば、羽生結弦さん自身が、「羽生結弦」の大きさに振り回されながらも、「羽生結弦」が「偉大なプロジェクト」であることを自覚し、それを躊躇なく語り続けてきているからだろう。実際、競技から退く記者会見で、羽生結弦さんはこう言っている。
僕にとって『羽生結弦』という存在は常に重荷です。すごく重たいです」「いつもいつも『羽生結弦』って重たいなと思いながら過ごしている」「もっといい『羽生結弦』でいたい」「『羽生結弦』という存在に恥じないように生きてきたつもりです」
こんなことを20代の若者に言わせるスポーツって何なのだろう……と、ただの一般人の女としては不思議な気持ちになるのである。あまりに可哀想ではないか。もはや、「フィギュアスケートが好きだから滑っている」という伸びやかさや軽さは「羽生結弦」にはない。東北を背負い、ジャパンを背負い、「羽生結弦」というプロジェクトを背負う真剣。それはスポーツというより、アスリートとしての「羽生結弦」を別人格におくことで自分を守り続けた一人の人間の、儀式めいた何か、に参加させられているような気持ちになってくるのである。
羽生結弦さんの演技がサムライの儀式のようにしか見えなくなったのがいつ頃だったか、羽生結弦さんが自身のことを「羽生結弦」とフルネームで呼ぶのが気になるようになったのがいつ頃だったか、もう忘れてしまうくらい前のことだけれど、「羽生結弦」という存在は、王座に座り続けることでしか存在意義がないとされる競技の世界の残酷を私たちに突きつける。その残酷すらショービジネスとして、私たちは楽しむべきなのかと重たい問いを突きつけてくる。
とはいえ、「羽生結弦」の重たさは、そういった重圧からくるものだけでなく、彼の容姿やその演技からは一見かけ離れているように見える日本的な「男らしさ」が見え隠れすることも大きな要因だろう。
「この度、私、羽生結弦は入籍する運びとなりました」
「羽生結弦」の結婚報告は、この一文のみだ。その後に続く文章では相手の女性について一切触れない。そのことをもって「妻をメディアから守るための配慮」と絶賛する人もいるが、不自然なほどの妻の不在は、妻となる人が生涯「羽生結弦の妻」というポジションでは社会に出てくることを「羽生結弦」として許さない、という決意と緊張感を与えるようにも読める。今までと変わらずに「羽生結弦」は「羽生結弦」であるとの宣言も、「羽生結弦」が何よりも優先されるべき結婚生活を送ることであると暗に知らしめるように感じるが、「男の偉大な仕事」が優先されるべき結婚というものが、妻にとってどのようなものになるのかは……フェミニストとしては様々な事例から不穏なものを感じてしまうのである。重たいよ、女にとって、「羽生結弦」というプロジェクトとの結婚だなんて……。
ちなみに、結婚とは「入籍」ではなく「新しい籍を二人でつくる」ことである。夫の籍に妻が入るという戦前の戸籍のイメージが継承されているため「入籍」という言葉を未だに使う人はいるけれど、20代の若い男性が敢えて「入籍」と言うのを聞くと、そもそも男性にとっての結婚とは、名前も変えず、生き方も変えず、本気で「オレの籍に嫁が入る」くらいのものなのだろうなーと目が遠くなる。ジェンダーを越境する魅惑的な演技で世界中を虜にした「羽生結弦」のジェンダー観を知りたくないと思っている私がいる。
ところで、新しい時代のスポーツ界のスター、「オータニサン」には何故悲壮感がないのだろう。オータニさんは自分のことを「オータニ」とか言いそうもないのは何故なのだろうか。オータニさんは、妻と対等な結婚をしそう……と期待させてくれるのは何故なのだろう。「オータニサン」のことを考えるとなんだかワクワクしてしまう。そんなことも、新しい日本の男らしさを考える一つのテーマかもしれない。
(AERA dot.)
羽生さんの入籍報告がいつだったのか、もはや覚えていないんですけど、
今日、この記事を目にするに至り、そうそうそうなのよ、と合点がいった次第なのです。
巷では「プーさんと結婚した?」などという反響もあったそうですけど、
いや、そういう反応もわかりますよね。
私は羽生さんにたいしては、満身創痍のからだでありながら、超人的なメンタルで乗り越え、
前人未到の偉業を成し遂げたアスリート、というリスペクトしかないのです。
決してそれ以外は何の感情もないのですが、それにしても、「結婚」という言葉や、
「妻」「嫁」「相手」「パートナー」「相棒」などという、伴侶を示す言葉がまったくない文面に、
「で、何のために報告が必要だったの?」と疑問だらけだったので。
そして、ふたりで清々しく2ショットで写真も添えた報告を行った某女性芸能人のニュースが
かすんでしまったのがお気の毒でしかたなかったのでありました。
記事で連綿と書かれている内容に頷きながら、「羽生結弦」でいることの栄光及び重責?は
これからも軽くはならないんだろうかと、不遜にも同情を禁じえなかったんですけど、
羽生さん自らが守りたいスタンスでもあるのかなあと、思ってしまったりもしたのです。
で、最後に言及されていた「オータニさん」!
笑っちゃいけないんだけど、ベーブルースを超える記録を打ち立てている大谷翔平選手のこと、
筆者がそこで対比するのはズルい気もしますけど、あんなに偉大なひとが、あんなにあっけらかんとしていて、
明るくて、毎日、ニュース番組のたびに取り上げられているのに、悲壮感がないのはなぜなんだろうと
思いました。
それぞれ、全身全霊で臨んでいるのにね。
性格なのかな。
でも、大谷翔平選手が結婚、となったら、やっぱり1億総小姑化すると思いますけど(笑)
そこまで予測して書いてほしかったですよね(笑)
羽生結弦ファンの橙子が通りますよ〜。
このAERAweb記事には、特にそれほど異論反論はないんですけど、
このライターが羽生結弦苦手なのは昔からでしてなぁ。
10年も前かな?高橋大輔さんと橋本聖子さんが
ソチ五輪打ち上げでチューした件で、擁護記事を書いとるんですわ。
『フィギュアスケート界はドロドロ』と伊藤みどりさんも言うとりました。
高橋大輔さん(別に私は嫌いでもないです)の熱心なファンたちが、
日本男子永遠のエース大ちゃん♡を、まだ高校生だった羽生くんが
あっさり負かしちゃってから、羽生くんを叩きに叩き始めて、
もうドロドロですのん。
だから、大ちゃんファンのライターがこの程度のこと書くのは
かわいいもんですけど、「女は意外に羽生が苦手」っつうのは、
羽生結弦東京ドーム単独公演で、女が溢れかえって満席だったのを
この目で見てるので、はて?と思いますが(あ、男もおりました)
『私は苦手』で通すべきだったかと…
ただ、雑誌AERAで妖艶な羽生氏の表紙が重版で売れまくってる最中に
webAERAでこういう記事が出るのは、羽生結弦は推しても下げても儲かる、
というメディアのしたたかさを感じたことでしたよ。
話は突然松ケンになりますが、
NHKのYouTube、どうする家康虎の巻7が今夜アップされております。
松ケン本多正信のシーンだけを繋いだ動画になっておりますので、
ぜひ見てくださいましね〜(*゚▽゚*)
羽生結弦さんにも高橋大輔さんにも思い入れがないのですけれど(すみません)、
やっぱり、あの入籍報告の文面は、
≪私≫にとっては違和感バリバリの2乗くらいあったので、取り上げた次第です。
羽生結弦さんと高橋大輔さんのファン以外は、
ライターさんのことを知らないと思うので^^、
叩きに叩いてこられた経過も
まったく存じ上げておりません。
個人的な事情を抜きにしての、
御本人による発言への違和感についてのみ、
そうそうそうなのよ、と合点がいったのでございました。
アスリートであり≪アイドル≫でもあられた、
それが拮抗していることを感じておられるからであろう、
ご本人の決断であり、
それはファンの前で胸をはり、隠し事や偽りのない姿勢であるのが羽生結弦である、
という誠実さからの、ぎりぎりのところだったのかもしれませんね。
ちょっと話がそれますが、
毎日オータニさん、の大谷選手でございますが、
NY在住歴長きにわたる野沢直子氏によれば、
≪アメリカはバスケやアメフトのほうが大人気なので、
野球は好きな人が観るかなあという程度≫とのことでした。
そっかあ、オータニさんのニュースは日本では必ず朝昼晩と流れるけど(笑)、
空前絶後の世界一のアスリートって扱いは、
アメリカではないのねーー、と思いました。
大谷さんの、ひとつの競技で100年以上ぶりに成し遂げられた記録が色あせることはないですが、
羽生さんと並べて論じるのって、
あざとい日本人向けのやり方なのね、と感じた次第でございます、はい。
≪どうする家康≫、どうするよこの酷すぎる描き方、
なのと血液流れる描写苦手な私は、リアルタイムで観れないときは録画とりためて
そのままになってしまっております^^
(ごめんね、松山さん)
NHKの動画、拝見させていただきますね。
教えてくださってありがとうございます。