波々日記

内に“動愁生疑”を起こすingな日々から解き放たれて

なんか疲れたなぁ…

2008-12-26 22:04:36 | 自分のこと
今の役職の任命を受けて早6ヶ月。
疲れたなぁ。
ああ、疲れた―。
学会で定められた年末年始友好期間ですが、毎日何かしらやらなければならないこと(まぁ訪問&討議ですね)があり、なんかもうくたびれちゃって息切れで、やってることに全然身が入りません。

実はこの数カ月~来年にかけて50%引っ越す可能性があり、これで離れられれば願ったり叶ったり!とふんでいたのですが、引っ越す確率がやや低下しちまいました―。まだ0%ではないですが。。。


私がギブアップしたってちゃーんと誰かがやるんだし。

半年前、大量人事があって任命になったのですが、「それもこれも選挙のための人事です」って任命前の懇談で大勢集められたときにハッキリこの言葉を聞いて、ここにいること、ここに来てしまったことは相当やばい…」と思いながら、後戻りできない状況に諦めの境地で座っていました―。

一人ひとりの懇談(面接)なんて、一人10秒ぐらいですよ
ただ面接者の氏名・担当地域が書かれた一覧表を見てるだけ。

これから担当する地域の実情についても、自分(私)自身のこと(仕事や家庭状況)についても何も聞かれず、いくらなんでもこんな面接あり?と憤りを感じたのち、ああ、この役職は、もう他から気遣われるような立場じゃねえんだよ!ってことか―と一人心の中であれこれ考えていたのでした―。

温度差

2008-12-24 18:33:47 | 具体的な活動で
正役職の私がいる。
その上、さらに上の正役職がいる。
私をサポートする区幹部(副役職だったり書記長だったり)・支部幹部(副)の担当者がいる。

何か物事を検討・討議するとき、上からの打ち出しと現場の狭間にいて悩むのは私なのですが、同じことをするのも正役職の正論・真っ向からの打ち出しと、副役職や経験値のある幹部のアドバイスと、随分違うものだよなぁと感じます。

経験値のある方のアドバイスは、打ち出しを咀嚼して現場のことをよく考えて出た、例えるなら体温に近い言葉。
直近の上の幹部の言葉は、正論なんだけれどもやる気をなくすというか、やる気がなくなる温度の言葉―。

前者が活動に不真面目ということではないのですが、ちょうど真ん中にいる私は、どっちの話も聞くわけですが、それを聞いた上ででは自分はどういう温度で伝えればいいのか、考えなきゃいけないのですが、今の立場になって組織の部分部分で異なる温度差というものが良く見えるようになった気がします。


憂鬱な時期

2008-12-23 12:03:50 | 具体的な活動で
この時期はひどく憂鬱になる。
地区やブロックで今年の総括と来年の様々な目標・取り組みを話しあう「討議」があるからだ。

加えて入場券・カレンダーなど配り物もとても多くなる。

討議の内容は、いつも思うのだけどとても1時間でできるものではない。
折伏、新聞啓蒙、座談会、地域友好、教宣部など、学会の全ての活動について年末のこの1時間だけでまともな討議ができるわけがない。

参加された方たちが話したいことと、討議書に記載された項目の間に、ズレがありすぎるし―。

この討議を進めるにあたって、頼りにしたい担当幹部がおり(例の要所要所の幹部)、「入らせてもらいます」といってくれていたのですが、お子さんの学校関係の集まりなど、結局どこの討議にも参加してもらえませんでした。

私は、今の役職はまだ数カ月。
その幹部に入ってもらうことで、どうやって決めていくのか、進めるのか、ちゃんとお手本を見たかったのです。

今の一つ下の役職のときもそうだったことを思い出しました。
夜の会合がおしゃべりでどうしても長くなってしまう傾向があり、中心者(自分)が皆さんの話ををさえぎって進めることは、そうやすやすとはできません。
「○○さん(私のこと)がやりやすいように、私もその会合に行くから」といってくれたのに、来てくれたことは一度だけ。しかも、用事があるので途中で帰ってしまいました。それじゃ、来てもらった意味がたいしてないんですけど。。

そういうことが重なってくると、あまり期待しなくなってきます。

あまりに会合・集まりが多いので、どんな幹部にだって、生活、家族があるわけで、その幹部が100%悪い、攻めたい、というのとは少し違いますが、できないことを安易に引き受けないでほしいという思いは常にあります。

役職上、伝えなければならないことがたくさん。
やらなければいけないこともたくさん。

新年勤行会の連れ出し、確認、報告。
参加できない人への対応。
○○月間の新聞啓蒙目標の吸い上げ。
どれもこれも自分が中心にならなければいけないことばかり。

数!数!数!!
報告!報告!報告!!
もう本当にうんざりです。
学会の中にいる限り、これが一生続くんです―。

本当に意味があるのか疑問な報告・連絡とは全く無縁の世界へいきたいです―。

ゾッとした

2008-12-20 23:37:30 | 具体的な活動で
今日は今年最後の区活に参加。
一題の活動報告があった。

内容は、財務に関すること。
奥さんは生活を切り詰めて貯金すべてはたいて財務するほどの人。
「今年も冬のボーナスを思いっきりイケダセンセイの元に財務させていただきました!!」と意気揚々と語っていた。

「池田センセイのもとに」の一言に大いなる違和感を感じて思い切りゾッとした。

昨今の派遣切り、リストラ、100年に一度といわれるほどの経済状況の悪化を懸念し、壮年部への励ましや、だからこそ信心で勝て!みたいな激励をセンセイ自身、新聞などでもされている。

言わないことはわかってるし、仮に言われても三桁とか思いっきりやっちゃう人はやっちゃうでしょうけど、「こんな経済状況です、財務は思い切り頑張らなくてもいいんだよ」とかセンセイがもしも言ってくれたらどんなにか楽になるでしょう。言葉だけでも言ってみてもいいんじゃないのかなー??

財務で功徳、選挙で功徳、
この言葉、昔から私はものすごくキライです。
取引みたいですごくイヤらしい気がします。
あとは○○で宿命転換、も。

そして、学会でよく使う言葉、「○○させていただく~」というのも、最近すごくいやらしい気がしてきました。
へんに謙虚過ぎる。

財務を学会にしてあげてる(非活でない限り拒否できなくてさせられている)のに「させていただいている」。
役職だって押し付けられているのに「させていただいている」。

こんなちょっとした言葉にも敏感になってるのは、私が日に日にアンチになってる証拠ですかねぇ。

要領

2008-12-19 23:23:20 | 具体的な活動で
言葉は悪いのですが、結論として「とても要領がいい」と感じる幹部の方がいます。
いえ別に要領よく楽してるという意味ではないのですが、言い換えれば要所・要所を押さえるのがうまいといいますか―。

それはきっと、“経験値の違い”も大きいと思います。

その人は、普段、家電も携帯もメールも、こちらが相談したいときなかなか連絡がつきにくい。でも、例えば組織の中で、この人は押さえどころ!という人をシッカリ押さえておくことを忘れません。

例えば、重要な集まりがあるとして、ある人がこられないであろうことが想定されるとき、「今度の会合にはいらっしゃれますか?」(来れないとして)「では、○○について何かご意見がありましたらぜひお聞かせ下さい」とこちらから声をかけておく。
そうすることで、「ちゃんと私のことを気にかけてくれている」と相手は思うし、自分は尊重されていると感じるでしょう。

たとえ会合に出られなくても、事前にこちらから意見を求められているので、後からウダウダ文句を言うこともないでしょう。

その幹部の人は、本当に連絡が取れにくい。
必要なとき、困っているとき、連絡がとれない。

ですが、ここははずせない!というときには顔を出し、○○しておいた方がいいとこちらに連絡が来る。

学会活動は、会合・連絡が多いし、全部が全部真面目にやったら、自分の時間・家庭の時間はほとんどもてなくなるものです。

いつでもどこでもきちんと連絡が取れる幹部もいますが、その幹部は、そうではない。
でも、要所要所は外さない。
だから、たいしたトラブルも起こらない。
学会活動、こういうやり方も充分ありだと思います。

本心の現れ??

2008-12-13 09:25:03 | 自分のこと

以前、割と頻繁に見る夢がありました。
何かに追われて、逃げている夢。
逃げて逃げて、逃げ切れずに、「たすけて」と声を出すのですが、声が声にならなくて、絶体絶命…というとき、実際にうめき声がもれているのか、隣で寝ている家族に起こされる―。

思い返せば、その頃、人間関係で強いストレスを感じながら仕事をしていました。
実はある人に頼まれて、期待されてその仕事を始めた経緯があり、始めたからには簡単には辞められない理由があり、と同時に自分の本心を隠しながらやらなければいけない、ここを去ってはならないと思いながら毎日仕事をしていました。

辞めた後にぱったりこの夢を見ることがなくなったので、無意識ながらも、その本心と仕事のズレがこういう夢となって現れてきたのかなと思ったのでした。

なぜ、この夢の話を書いたかというと―、実はこの夢がまた復活してきたのです。
久しぶりに見たのは数週間前だったかもしれませんが、昨夜も含めてこの1週間に2回も見ました。
逃げ切れないと感じた瞬間、出ない声を出したとき目が覚めた。

そこで私は思ったのです。

頼まれて、期待されて役職を受けた経緯があり、始めたからには簡単には辞められない理由があり、と同時に自分の本心を隠しながらやらなければいけない、ここを去ってはならないと思いながら毎日学会活動をしていました。

先ほどの「仕事」に「役職を受けた」、「学会活動」という言葉を当てはめると、当時と全く同じ状況ということに―。

夢は、私の本心の現れ、なのかもしれません―。


風前のともし火…

2008-12-09 08:11:58 | 具体的な活動で
師匠と弟子って、例えば職人の世界などイメージすると、いつもとても近くにいる存在で、~教えを乞い乞われ、後世に技術を伝承していく関係~が浮かぶのですが、学会の場合それは全く当てはまりませんよね。

女子部時代、とある人材グループに入っており、同時中継のメイン会場に何度か行かせてもらいましたが、だからといって目が合ったとか、言葉を交わしたとか、そういったことを経験しているのは極わずかです。

よく新聞は「先生からのお手紙」といいますが、新・人間革命や連載記事など、本当に先生が書いているのかと現場では口が裂けても言えませんが、実は内心とても疑問です。

かなりご高齢ですから、長時間の本幹スピーチをご自身で話しきるのは無理があるとしても、あれだけの膨大な量を休みなく書き続けられるとはあまり思えないんですが…。

それからお手紙やご報告だって、すべて目を通していると聞きますが、ありえなーーーーい。
センセイから激励をいただいたといっても、名代の幹部が決まった文例から手配しているだけですよね。
それでも師匠と感じられるんしょうか。
私は理屈屋でしょうか。


最近、担当する地域に新たに2世帯の転入があることがわかりました。

担当地域は、他の地域の2倍、それ以上の世帯数を抱えています。
ですが、2つに分割してしまうと役職に就く人がいない。
新聞を配れる人もいないので(自分は代配やってます)、
大所帯のままずっときているのが実情です。

引越して来る人がいるとわかって、みんな拍手して喜んでいる。
「目指せXXX世帯!」??冗談じゃない。
とても拍手して喜ぶ気なんてなれません。
ああ、また増えて大変になるなぁ。それだけ。

もはや風前の灯の私です。。

ますます厳しそうな支援活動

2008-12-05 23:02:42 | 具体的な活動で
定額減税⇒定額給付金となりましたが、「元々その発案をしたのは庶民の味方・公明党♪」といううたい文句で9月から2ヶ月ほどキャンペーン(?)が張られていましたが、大手新聞各社などマスコミの調査では半数以上が「いらない」といってると報道されました。
私個人的には、1人12,000円を一度もらったからといって、経済効果があるとはとても思えずないし、しかも辞退を想定する年収が確か1800万円でしたっけ、とても市井の庶民の年収とはかけ離れていると思うんですけど。

一般紙の新聞投書欄などに掲載される「それより雇用対策を」「少子化対策を」「産科・小児科などの医療充実を」などの声がまっとうに聞こえてくる。

麻生総理は「でもくれるといったら給付金をもらわない人はいないでしょう」と受け答え。民主党にいたっては、「総理、定額給付金は撤回すべき」と進言する。

実際、どうなっていくかはわかりませんが、今、毎日これだけ派遣社員、期間従業員・・・にとどまらず、企業によっては正社員まで波及する首切りのニュースを耳にするたびに、この給付金のために使う2兆円は、はたして本当に価値のあるものなのだろうか―、と思えてくる。

民主の小沢党首は、臨戦態勢で自宅で行う新年会を取りやめたという。
地元では衆院選は来年4月以降の見方が強いようだとの声も聞かれるけれど、選挙の顔として立てられた麻生総理が今のような感じだと、とても勝てないんじゃないの?という気もしてきます。

小沢代表の言うように、年明け解散なんてなったらどうしよう。
4月、遅くとも任期満了の9月までには衆院選があるのは決まったことですが、今のこの自分の精神状態で、尋常でない学会の支援活動を最後まで走り抜けることはできない気がして。。。

正直言って、支援のお願いは親しい友人ほど私はしません。
薄い関係の人にしか依頼していません。

これまでは、創価学会一人ひとりの人脈に頼ってなんとか結果を出してきたのだと思いますが、昨夏の参院選でも惨敗だったし、聖教新聞(公明新聞か?)では、大健闘!!みたいな論調でしたが、これからは、やればやるほど厳しい戦いになっていくのではと感じます。

一生懸命にやればやるほど、言われた方は引いていく。
これまでと同じような戦いでは、もはや勝てなくなってきているのは紛れもない事実。真面目で純真な学会員は、自分の頑張りがあと少し足りなかったから・・・などと言ったりしますが、それは違うんじゃないかと思います。

みんな、それこそ期間中は家庭や仕事を犠牲にしてまで気が狂ったかのようなテンションで支援活動に邁進しています。それは、いつだってそうです。
それでも勝てなくなった理由を上層部はしっかり考えるべき。

にしても―。
選挙に限らずですが、人前ではなかなかいえませんが、日頃の活動の中で口にすることがとてもためらわれるフレーズがあります。役職上、どうしても言わなければいけないときが音zれるフレーズ、それが「先生のために」「先生にお応えするために」です。

一昨年ぐらいからでしょうか、本幹に参加して、ある違和感を感じたことを今でもよく覚えています。それは「三代会長」「三代会長」と幹部がやたら声を張り上げて語るのです。それまではほとんど聞いたことのない内容で、必要以上に持ち上げている感じがして、なんだか大きな違和感を感じたのでした。

鎌倉時代、弟子たちは「日蓮大聖人のために」「大聖人のために」とわが身を擲って行動していたのでしょうか・・・?
それはわかりませんが、この仏法を保って生きること自体を否定はしませんが、なんでもかんでも「先生のために」「師匠のために」―、到底そこまではなれません。

先生は、私が生まれるずっと前から今日まで、1人矢面に立ち、批判され、非難され、裏切られしてきたということは実際そうなのだろうと思います。
でも、スピーチでご自身を「私はやりました!」「戸田先生の構想を全て実現してきたのは私だけです!」「私でしかできなかった!」と自慢しすぎなのには辟易してしまう。。。
言わなくてもみんなわかってます。
あえて繰り返して仰るのが、とても痛いと感じてしまうのです。。

あれれ、定額給付金の話から全然違う方に飛んでしまった。
とにかく、今の与党はとても勝てる気がしません。
日曜公明も取ってますが、紙面を見るたびに白々しく感じてしまう自分です。

どんどん萎えてくる…

2008-12-02 23:01:49 | 具体的な活動で
数ヶ月前からとある役職を受けました。
というか、もし話が来たら、この役職だけは絶対に断ろうと決めていたのに、普段温和で優しい本部長とは別人のような『役職は断ることはできないのよ』の冷徹な一声で、萎縮してしまった。

というか、抗うことを諦めてしまった自分がいたのです―。

でも今思えば、そんなの絶対におかしいと思う。
役職なんて、強制されてするものじゃない。

私は素直すぎた。

後で周囲の人に聞いたら、役職を断ったことがある人はたくさんいたのだ。

今日も、喉まで出かかった。
「もう限界です。」の言葉、幹部を目の前にすると、どうしても言えなくなってしまう。

正直に本音を言えば、とても面倒なことになる。
ここらへんの葛藤は、これからもおいおい書いていくことになるけれど、心の病に罹ってしまうんじゃないかというほどに、本心とこうすべきという建前での行動がかけ離れすぎている自分。

今日も上の幹部から電話。
あれやこれや、なんか途中から話が日本語に聞こえなくなって、自分の返事も消えそうになって、何かを悟られまいと慌てて声を大きくする。

でもダメだ。
完全に萎えてる。
まったくやる気なし。

新聞も、財務も、本幹も、座談会も、新年勤行会も、なにもかももうどーでもいいって気持ち。

やれる人がやってってください、私はもう結構。
そんな人が役職なんてやっちゃいけない。