読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

リア家の人々 橋下治 新潮文庫

2013-01-28 22:28:13 | 読んだ
久々の「橋下治」である。
といっても、前に読んだのはいつだったのか、何を読んだのか、は忘れたけれど・・・
(多分、月刊誌に掲載された短編小説だったのではないか、と思うのだが)

さて、本書の帯の表には

「この『リア家』の主人公は『昭和』だ」(高橋源一郎『波』)

「橋下文学の頂点」(安藤礼二『文學界』)

裏には

「橋下は、巧みな技法で、いつもあの時代が何だったのかを問い続けている。」(金子勝『文藝春秋』

「終戦から二十数年で起きた日本の激しい変化を小説はしずかにあぶり出し、その急速な変化が取りこぼしたものへと冷徹な焦点を当てる」(角田光代『サンデー毎日』)

と『絶賛』である。

物語は、題名からお分かりのように、シェークスピアの「リア王」を下敷きにしている。

リア王は、帝大出の文部官僚である栃波文三。そして娘が三人。
文三は、戦争中に官僚であったが重要な職ではないのに、戦後、公職追放となる。
公職追放中は苦労をするが、やっと復職し家を建てる。
そして妻が死に、娘三人を育てることとなる。(といっても長女・次女は大学と高校である)

文三は、融通が利かず相手の気持ちを知ろうともしない男である。であるのに、だんだん『気の毒』になってくる。
文三が48歳のとき妻が死に、翌年、再婚を娘二人がお父さんの面倒は私が見るといって反対され、あとはただ時がたつのを漫然として過ごしているようである。

著者は書いていないが仕事はそこそこやっていたのだと思う。
でも、仕事に生きがいを見いだせないタイプ。

上の娘二人は、結局、父を末娘に預けて出ていく。
しかし、最後には、財産を目当てにすり寄ってくる。

リア王の世界は、昭和のどこにもあるような家にも起きている。

そんなことを言いたかったのか。
だとしたら、それがなんなんだ。

兎も角、なんだかよくわからないが、そして、文三の末娘・静には幸福になってほしいと思うが、登場する人物たちに感情移入ができないのだが、読み続けてしまい、読み終わった後は、重いのだけれど清々しい気持ちになってしまった。

不思議な小説である。

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docomo GALAXY NoteⅡ Perfect Manual ㈱ソーテック社

2013-01-21 22:50:12 | 読んだ
携帯電話をスマホに変えた。

携帯電話は、なんとなく使い方がわかったが、スマホは使い方がわからない。

スマホで何をしたいのか、ということは決めていた。

①携帯、パソコン、手帳と3つで管理しているスケジュールを統一したい。
②手帳に書き留めるメモを電子化したい。
③手軽に情報を得たい。

ということから、各種の雑誌を「立ち読み」して検討した結果、ギャラクシーノートⅡが自分には合うのではないか、と思った。

手に取ってみると大きいが、それでも何とかなるだろう、と思った。
多分、夏になるとポケットも少ないので、どうやって持って歩こうかと今から心配はしているのだが・・・

さて、購入してついてきたマニュアルを見て何とか始めた。
しかし、最初は電話を受け取ることもできなかった。或いは、アラームを設定したのはいいけれど、止め方がわからずあわててしまったり。

この本「docomo GALAXY NoteⅡ Perfect Manual」は、スマホと一緒に買ったのだが、まだよく見ていない。
この本のレベルまで到達していないのだ。

何しろ、マニュアルに書いてある画面にたどり着くことができない。

それにしても、いろいろなコトバがあり機能があるんだなあ。
さっぱりわからない。

といいながら、メモ機能と手書きの機能はすばらしい。
特に手書きで書いた文字が変換されるのはすごい。
このため、メールが早くなった。とともに、くどい文面になってしまった。

これから徐々に覚えていこうと思うのだが、実践することも少なく、時間を要するだろう。


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すれ違う背中を 乃南アサ 新潮文庫

2013-01-19 21:47:10 | 読んだ
いつか陽のあたる場所での第2巻。小説新潮で読んではいたが、どのあたりからか読まなくなり、文庫本で再会。
ちょうどNHKで毎週火曜日「いつか陽のあたる場所で」でドラマ放映されている。
ちなみに主人公は上戸彩、共演は飯島直子。

再会したのは、主人公の小森谷芭子と相棒の綾香。そして、別の小説の主人公である高木聖大。この物語では客演というところか?

芭子と綾香はいずれも前科持ち。一緒に監獄で過ごした仲である。
出所後、二人は支え支えられ生きている。
本来は、出所後に会うことはならぬ、のだが、なぜか二人はウマがあい、一緒にいる。

芭子は第1巻の「いつか陽のあたる場所で」においては、マッサージ店でアルバイトをしていたがその店主にセクハラをされて辞めている。
綾香はパン屋で修行中である。

「すれ違う背中で」には4つの物語がおさめられている。

第1話の「梅雨の晴れ間に」は、綾香が抽選であてた大阪旅行に芭子も一緒に行く。そしてその旅先で、綾香の高校時代の友人(ボーイフレンド)と出会う。彼は高校時代とはうってかわって、みじめなサラリーマン生活を送っていた。芭子と綾香はそのみじめなところを偶然見てしまう。綾香は一生懸命明るい話題で慰めようとするが・・・

第2話は「毛糸玉を買って」
この物語で、やっと芭子は就職することとなった。ペットショップである。そういえば、芭子は昔トリマーになりたいなんて言って母に叱られた。そういうことからペットショップで働くこととなった。
そこで、出所後初めて能動的にペットの服を作ろうと思いたち実行する。
その「服」が結構評判がよく・・・
ところで、芭子は高木聖大巡査から「俺、芭子さんには、ガッカリですよ。まじ」と言われ、とうとう前科持ちであることがばれたのかと怯える。
いつでも、芭子の頭の中には「前科がばれたら生きていけない」という考えが住み着いている。

第3話「かぜのひと」では、綾香が若い男と知り合い、芭子に似合いだと思いこみ、二人を会わせ何とかくっつけようとする。
芭子は「いいひと」だとは思うのだが、どこかひとつしっくりこない。
三人でお酒を飲みに行ったりして、徐々に親しくなり、とうとう芭子の家の雨戸の不具合までを直しに来たりする。
その時、またしても高木聖大に「その人とは関わらない方がいいですよ」といつもは見せない真面目な顔で言われる。
さて、彼の正体は・・・

第4話は「コスモスのゆくえ」
芭子は偶然出会った女性に挨拶される。綾香と二人でよく訪れる居酒屋「おりょう」のアルバイトの女性であった。
その後、また偶然に出会い、3人は仲良くなる。
しかし、この女性:野川まゆみもまた何か秘密を抱えているようである。

まあ、それぞれの話はそれぞれにいわゆる「オチ」があって面白いのだが、それよりもいつの間にか芭子と綾香の二人に大きく心を寄せている自分がいることが面白い。

多分、現実に彼女たちと出会って、尚且つ前科持ちであることを知ったら、絶対に「ひく」と思うのだ。
小説のように彼女たちの心情を知ることができないから、やっぱり「前科がある」というだけで、なんとなく「ひく」と思う。

そういう現実社会にいるのだけれど、物語を読むうちにはこの二人に大いに心ひかれるのである。

「生きる」ということにこんなに正面から向かい合っている人たちはいない。
「けなげ」という言葉がまっすぐにあう人たちはいない。
と、思ってしまうのである。

でも、この二人は、どこかで自分から離れて自分を見ている。
それは醒めているということでもあり、自らを笑っているということでもある。

それがいい塩梅なのである。
いい塩梅は気持ちいいのである。

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東京家族

2013-01-17 22:31:51 | 観た、聴いた
本日、東京家族の試写会に行ってきた。

試写会には、主演の橋爪 功さん、吉行 和子さんが舞台あいさつに登場。
こういう経験は初めてであったので「すごいなあ」と思ってしまった。
ただ、席を後ろのほうというか高い方にしたので、よく顔が見えなかった。

さて、東京家族である。
これは、小津安二郎監督の「東京物語」への山田洋次監督のオマージュであるという。

私は「東京物語」を幾度か観ている。
これは、小津安二郎の伝記ともいえる高橋治著の「絢爛たる影絵」を読んで、小津安二郎と女優・原節子に興味をもって1回。
その後は、ただひたすら原節子の魅力である。

で、今回の東京家族はこの東京物語の現代版である。(と、言い切ってもいいだろう)
ほぼ設定は同じである。
違うのは『物語』では原節子の役柄(平山紀子)が戦死した二男の嫁だったのが、今回の「家族」では蒼井優が演じる間宮紀子となり、生きている二男の恋人となったこと。
「物語」には三男と次女が登場したが(都合5人兄妹)だったのが3人兄妹となったことである。

物語の流れは同じ。
田舎から両親が上京してきて、もてなしたり、もてあましたりする。
まあ「親」というのはそういうものではあるので、長男・長女の態度にも大いに共感する部分があるのだが。

父親から必要以上に厳しく育てられた二男とその恋人は優しく接する。
これもなんとなくわかるような気がする。

それほど大きな事件が起きるわけではなく、淡々と物語は進む。
そして「母」の死。

物語と家族を比較すると、物語の子供たちは『大人』だったような気がする。
昔と比べると、全体的に「幼く」なっているのかもしれない、ということを思っていたのだが、今回映画を見てその感を強くした。

そしてもう一つ、みんな「優しく」なっている。
もっと言えば「厳しさ」が薄れてきているように思える。

舞台あいさつで橋爪さんが「笑えるところでは笑って」とフッていたせいか、笑い声もあり、もちろん鼻をすする音もあり、なんというか多くの人が『前のめり』で見ていたような気がする。

「これはあなたの物語です」
というのがこの映画のキャッチフレーズであるが、そのままには受け入れられない気がするけれど・・・
それは、この家族はみんないい人、過ぎるくらいである。
こういう家族は今はないんではないの?
と思いながら見てしまった。

一番印象に残った場面は、母(吉行和子)と二男の恋人(蒼井優)が指切りをするところである。グッときてしまった。
そして、吉行和子の「母」は優しくて我慢強くて上品な母であった。
だから、彼女が死んだとき観ている我々までもが涙・涙・涙だったのだと思う。

面白かった?と聞かれれば面白かった。
感動した?と聞かれれば感動した。
と答える。
そして、今度はお金を払って見に行こうか、なんて思っている。

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レ・ミゼラブル 映画

2013-01-15 20:30:08 | 観た、聴いた
久々に映画を観た。
年末から話題の「レ・ミゼラブル」である。

原作は2002年に読んでいる。子どものときには世界少年少女名作文学で「ああ無情」という題で読んでいる。

子ども時代に読み、大人になって読み、心を揺さぶられるような感動が今でも残っている。
また、NHKで海外ドラマとして放映されたものを見ているので、概ね物語の「筋」というものは理解している。(つもりだ)

また、いつかはミュージカルでも見てみたいと思っていたので、今回、ミュージカル映画ということだったので是非見たいと思っていたのである。
そのうち、劇団四季のミュージカルも見てみたい。

さて、映画である。
ミュージカル映画は初めてなので、違和感があるのか?と思っていたが、全然違和感はない。
これは、英語であることが大きな理由でもあると思う。
日本語で、やらたと歌われたのでは「?」となるところもあるのだろう。
そして、字幕を追い続けなければならないので、台詞であろうが歌であろうが、ということもある。

そして、歌は情景を説明するだけではなく、心の声を表わす。
台詞だけでは感じ取れない部分を補っているようにも思える。
特に、レ・ミゼラブルでは、会話だけでは、登場人物たちの心の動きのようなものを表現するのは難しいのではないだろうか。

レ・ミゼラブルでは、心を大きく揺さぶられるのは前半ではフォンティーヌ、後半ではエポニーヌである。
フォンティーヌは、子どものために自らを犠牲にして生き、この世に心を残して亡くなる。
この「心残り」というところに涙するのである。

また、エポニーヌは恋を成就するためにいわば「打算的」つまり自らの心とか欲望とかを抑えて行動する。
この場合「いじらしい」と表現すべきなのかちょっと疑問ではあるが、マリウスに対してだけは正直でありたい、正直でさえあれば振り向いてくれる、という気持ちだけなのである。
それが、人として美しい。
一体、愛とはなんなのだろう?
愛とは「無償」のものなのだろうか?

後半ジャンバルジャンを苦しめるのは、ジャベールでもなくテナルディエでもなくフランス革命でもない。
精一杯の愛をこめて育ててきたコゼットである。
そして、コゼットが愛したマリウスなのである。

このあたり、こう言っては何だが「腹が立つ」
コゼットよもう少しわきまえてはどうだろうか?
と、意見をしたくなる。

愛はそのまま戻ってはこない。愛される喜びよりも、無償で愛する喜びの方が人として幸せなのだということであれば、『なんだかなあ』という気分になる。

レ・ミゼラブルのような、いわゆる「名作」は繰り返して接することで、こちらの感じ方が違ってくる。
それが、自分の成長であれば幸せなのであるが・・・

それにしても、この映画は美しくもあり迫力もあり、世間の評判どうりであった。

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初詣2013 その2 松島瑞巌寺

2013-01-13 18:25:21 | 観た、聴いた
昨日(12日)は、非常に穏やかな天気で、ここ数日来の厳しい寒さも和らいだ。

ということで(というわけではなくあらかじめ予定はしていた)、松島の瑞巌寺に初詣に行ってきた。

先ずは松島の海を望む。

穏やかでしょう。右側にヨットが浮かんでいます。
3,11の東日本大震災による津波は、ここ松島も襲いましたが、数々の島が防波堤となったのか壊滅的な被害はなく、今は通常のように観光客が訪れています。
しかし、国道45号線沿いにはまだ閉じられている店もあり、まだまだ完全とは言えません。

山門です。

ここを入ると参道。以前より杉の木が少なくなっています。塩害で伐採したようです。今でも赤く枯れているようなところもあります。


振り返ると山門越しに「海」が見えます。


さて、瑞巌寺はいま改修工事中であります。平成28年3月に完成予定となっていました。
というわけで、今は本堂を見ることができません。
しかし、庫裡から入って仮本堂を見ることはできます。



庫裡の入り口です。


で、この先は撮影禁止。

そもそも瑞巌寺は「松島青龍山瑞巌円福禅寺」というのが本名であります。
平安初期に建立されたのが、伊達政宗よって更に大きくなり、その後伊達家の庇護を受けてきました。

したがって、本堂には伊達政宗以来の藩主の位牌が祀られています。
仮本堂では、ご本尊のほかこれら位牌が間近で見ることができます。しかも明るい場所ですから、もしかしたらこれらを見学するには今かもしれません。

さて、松島は、我が家から1時間弱の距離にあるため、これまでは「いつでも行ける」ということから、通り過ぎることはいっぱいあったものの、改めて瑞巌寺を見たりするなんてことはありませんでした。
今回、初詣ということでしばらくぶりにこうして見学をすることができたのでありました。
これを機会に時々行ってみようかと思っています。

それと、これまでの我々のイメージでは「松島の食べ物は不味く高い」というものでした。
ところが近頃はこれが改善されてきたように思われます。
なかなかおいしいものも出てきました。
まあ、観光地というのはそういうものでしたがね。
この食べ物がうまくなってきた、というのもこれからたびたび訪れようという気持ちにさせる一因でもあります。



追伸
瑞巌寺の帰りに、柳津虚空蔵尊にも参ってきました。
いつもなら底冷えのする境内ですが、本日は芯から冷えることもなく、ゆったりとお参りができました。


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テツぼん 1・2巻 永松潔 <原作>高橋遠州 小学館

2013-01-12 23:20:16 | 読んだ
「テツぼん」は、ビックコミックオリジナルに連載されている漫画である。

主人公は、国会議員の仙露鉄男。
国会議員になる前はコンビニでアルバイトしていた、
それが疎遠であった国会議員の父の死によって急きょ立候補し当選した。
その実態は「鉄オタ」である。

鉄道オタクの国会議員、しかも卒業した大学は三流以下で、今はつぶれてない、という状況。
国会議員の仕事は父の代からの秘書がおぜん立てをしてくれている。
そして彼は国会議員などをやめて「鉄オタ」に専念をしたいのである。

彼は党の中の「道路族」であるために、鉄オタであることは内緒にしなければならない、しかし鉄道に関連することは積極的に絡みたい。

という背景があって、様々な問題がでてきて、それを鉄オタであることを生かして解決していく。
それがこの物語の流れである。

それにしても、まあうまく解決していくのである。
最初は、2世議員のボンボンでパッとしないことで周囲からは甘く軽く見られていたのであるが『なかなかどうして』ということで、徐々に認められていく。

しかし、仙露鉄男は認められたくないのである。

そのあたりのギャップがこの物語の面白さである。

現在は単行本5巻まででている。
今回は1・2巻を読んだ。

1巻は、最後に仙露の異母妹と名乗る「児玉のぞみ」という女性が登場。
彼女は母の「ひかり」とともにアメリカにわたって育ち大学で政治学を学び、亡き父の秘書となろうとしていたのであるが、亡くなったので『その代り』お兄ちゃんの秘書になるべく来日(帰国)したのである。

で、この妹が優秀なのである。
ロールプレイゲームで主人公が徐々にアイテムを手にして進む、というように、仙露は最も頼りになるアイテム(秘書)を手に入れ、更に降りかかる問題を解決していく。

それにしても「オタク」の知識をオタクだけにとどめずうまく活用していくとスゴイことになるものだ。
現実には、仙露のような外に向いてなおかつ柔軟性のあるオタクがいないから、なかなか難しいんだろうけれど、オタク活用法を見ているようである。

これからも楽しみにして読んでいこうと思う。
もしかして、加治隆介のように大物になるんではないだろうなあ。

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初詣2013 中尊寺・毛越寺

2013-01-08 21:12:02 | 観た、聴いた
日曜日(6日)平泉へ行ってきた。
毎年恒例の初詣である。

今年は雪も少なく、中尊寺の月見坂も割と歩きやすいだろう。
それに、人出も少なくなっているだろう。
と思い、行くと、大当たり。
駐車場も空いていて、参道もゆっくり歩くことができた。
というか、あまりにも人出が少なくて、ちょいと拍子抜けしてしまった。

先ずは「中尊寺」
お正月以外は、お堂は手を合わせるだけで通り過ごしているのだが、お正月ということで、一つずつお賽銭を入れて「家内安全、無病息災、そして世界平和」を祈る。



ただし、金色堂は、外から手を合わせる。



中尊寺には「白山神社」という神社がある。
そこにお参りして、隣の「かんざん亭」へ向かう。


ここは山頂であるから、いつも休憩場所にしているところだ。
で、本日は妻と二人なので『甘いもの』を食べることとする。
ここは、甘いものだけではなく蕎麦もあるしコーヒーもある。
以下、外にあるメニューです。


かんざん亭は、近年すごく『おしゃれ』になって、店内には「ジャズ」が流れている。以前は「立ち食いソバや」風だった。
寺で山で神社があって「ジャズ」である。そして世界遺産なのだ。
というわけで、しらたま団子とかぼちゃのムースである。





店から頼まれたわけではないが、中尊寺に行った際にはぜひお立ち寄りしてはどうでしょうか。

この日は天気も良く、中尊寺の向かいにある「束稲山(たばしねやま)」の大文字もきれいに出ていました。
この大文字は、京都とおなじくお盆に送り火となるものです。



続いては毛越寺。



こちらは本当に人が少なかった。
天気も良く、昼食後だったこともあり、池の周りをぐるっと散歩した。
いつもなら浄土庭園としてゆったりとした風情を見せるのであるが、本日は雪景色。

出島石組みと池中立石


というわけで、本年もなにかと無事であれ。

追伸
おまけの写真です。(中尊寺の大長寿院)


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新宿遊牧民 椎名誠 講談社文庫

2013-01-03 22:48:33 | 読んだ
文庫本の裏表紙に紹介されている文の最後に
「名作『哀愁の町に霧が降るのだ』から30年、愛すべき男たちの実録大河バカ小説」
とあった。

シーナマコトのこの手の小説は全て読んできた(つもり)の私が、これを読んで飛びつかないワケがないではないか。
表紙のカバーには
「おうい、みんなあそぼうぜ!」
「え?新宿にモンゴルをつくる!?」
ともある。

ワクワクしながら読み始めたのであった。
出だしには『大河小説』を書くと宣言してあるのだが、すぐに『大勢小説』となり、『小川いっぱい小説』と名付けられた。

シーナさんのお友達がいっぱい出てくる。事実をベースにしている。
ということが続いて語られる。

この系統の小説(小川だらけの物語)が巻末のあとがきに並んでいた。
①哀愁の町に霧が降るのだ
②わしらは怪しい探検隊
③あやしい探検隊北へ
④怪しい探検隊不思議島へ行く
⑤新橋烏森口青春篇
⑥銀座のカラス
⑦本の雑誌血風録
⑧新宿熱風どかどか団
⑨海浜棒球始末記
⑩わしらは怪しい雑魚釣り隊

このうち私は ①、⑤、⑥、⑦、⑧を読んでいる。
「怪しい」シリーズは全く読んでいなかった。
これも小説だったのか?と不明を恥じたのであった。

で、本書には、私が読んでいた本の常連である、弁護士の木村晋介やイラストレーターの沢野ひとし、そして本の雑誌で深くかかわっている目黒考二(北上次郎)は、あまり出てこない。

この物語に出てくる人たちは、シーナさんの新しい人脈なのである。

この人たちは小説を読むかぎり「変な人」だらけなのである。
変な人ということをもっと詳しく説明すると、仕事も遊びも好き、いや、仕事を遊びにし遊びを仕事にする人たちなのである。
私などは到底できないようなことを平然としてのけている。

だから、小説というかこういう物語で出会う分はいいのだけれど、実際に会ったら相当大変だろうなあ、億劫になるだろうなあと思うのである。

物語は、カバーにあったように、新宿にモンゴルを作ることに集約されていく。
そのことにかかわった人たちが、大勢でてきて、その人たちの人生が語られる。
つまり小川がいっぱいでてきて大河になるような感じなのである。
久々に胸がスーッとなる物語であった。

この物語の舞台として多く登場する新宿の居酒屋「池林房」であるが、シーナさんが何度も何度も「ここの生ビールは最高だ!」というので、次に東京に行ったらぜひ訪れて飲んでみようと思う。
何故、おいしいのかは本書を読んでもらいたい。

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坂の途中の家 角田光代 週刊朝日連載終了 1/4.11新春合併号

2013-01-02 16:50:37 | 読んだ
週刊朝日で連載していた「坂の途中の家」が終了した。

物語は、裁判員裁判に補充裁判員として参加した、山咲里沙子がその裁判を通じて自分について考える、というものである。

裁判の被告は『安藤水穂』。生後8カ月の長女を浴槽に落として死なせた罪に問われている。
何故、死なせたのか、というところが裁判の焦点である。

水穂の言い分について、そして彼女の周囲の人たちの証言を聞いて、里沙子は考える。
更に、里沙子も2歳の娘・文香の子育てで多く悩んでいる。

里沙子は、水穂に同情する部分が多くある。
しかし、彼女の意見は少数意見である。

里沙子は、育児に疲れ、疲れている自分の味方が一人もいないことを心の中で嘆く。
ただ嘆くだけで、内省的になっていくのである。
そして、裁判で見る水穂に自分を見るのである。

近頃の母は一人で子供を育てようとする。
そして子供はマニュアルに書いてある通りに育つものと思っている。
子供は『かわいい』だけのものと思っている。
それが「違う」ということを認めようとしない。

そういう世の中になったんだなあと、この物語を読むと思う。
人と人とのつきあい或いは関わりが希薄になっている。

それは、自由とか個人の尊重とかという考え方の『負』の部分であるような気がする。
もっと、広い意味でいえば『民主主義』の『負』の部分、封建主義を急いで修正しようとした動きへの『反動』ではないか。

封建主義や家族主義をすべて否定しようとしたところ、子育てを教科書やマニュアルで行おうとしたところに、「不幸」が生じる。

でも、世の中の多くの人はそのあたりを「うまく」やっている。真面目な人たちが「うまく」できないのではないか。

そんなことをこの小説を読みながら思った。
そして里沙子を助ける人が現れるのだろうと思った。
でも、そういう人は現れそうで現れなかった。
それが「現実」なんだとは思うのだけれど・・・

時代の移り変わりは激しく急である。
それについていくにはある意味『鈍感』であることが必要だ。

追伸
この物語が終わったら、週刊朝日の定期購読をやめようと思っていた。
いわゆる「橋下事件」において、週刊朝日は自己否定をした。それなのに発刊は継続するという。
そういう対応、あるいは覚悟のなさが、あの事件を起こした。
だから、お気に入りの部分はあるものの、この小説を読み終えたら見限ることにしていたのである。

しかし、である。
今号から新連載が3本始まった。

「TOKAGE3 連写」今野敏
「内通」堂場瞬一
「私に似た人」貫井徳郎

グラッときた。ので継続することにした。
決して巻頭の「いい雑誌、いい本をつくるために再出発します」という社長の文に納得したわけではない。

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あけましておめでとうございます 2013

2013-01-01 21:54:57 | 日々雑感
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

私の住んでいるところは、穏やかな元旦を迎えました。
年の初めは、こういう穏やかな天気であると、心が落ちつきます。

さて、2012年(平成24年)の、嘉壽家堂読書日記は更新が少なかった、という反省につきます。

何故、更新が少なかったかといえば、本を読むのが少なかったから。
何故、本を読むのが少なかったかといえば、夜酒を飲んでテレビ(主にドラマ)を見ることが多かったから。
何故、夜酒を飲んでテレビを見るようになったかといえば、本を読むのが億劫になったから。
何故、本を読むのが億劫になったかといえば、気持が進まなかったからである。

で、やっとこの頃本を読む気持ちが復活気味になってきた。
復活気味になってきたのであるが、本を読まないのは、酒とテレビの日々が身に染みついてしまっている。

というわけで、2013年はできる限り酒を飲むのを控え、テレビもあまり見ないようにしようと思う。ガンバロウ!

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