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好きなことだらけさ…

『奇跡がくれた数式』

2016年10月28日 | 映画 洋画

1914年。イギリスの名門ケンブリッジ大学の数学者
G.H.ハーディ教授(ジェレミー・アイアンズ)のもとに、一通の手紙が届く。
インドからはるばる送られてきたその手紙には驚くべき定理が書かれており、
ハーディは差出人を大学に招聘する。
その差出人ラマヌジャン(デヴ・パテル)は、インドで事務員として働く傍ら、
独学で数学の研究をしていた。
他の教授たちは、身分が低く学歴もない彼を拒絶。
ラマヌジャンは孤独と過労が重なり、ついに重い病に。
ハーディは彼の代わりに奇蹟の証明に立ち上がる。
(MovieWalkerより)


数学者といえば、変人多し!――と思ってるww
以前NHKのドキュメンタリー番組で見た「ポアンカレ予想」を証明した
ペレルマンも相当変わっていた。
(番組は面白かったけどw)

今回も実話の映画化。
こちらの数学者ラマヌジャンはまともな人間に描かれていた。
ケンブリッジ大学のハーディの方はちゃんと数学者っぽいw
人付き合いが得手ではなく、自分には数学しかないって感じ。
ラマヌジャンは既存の教育を受けてないため、権威に縛られる事もなく、
結婚してるから生活のため働かなければならない。
人としては余程真っ当な気がする。

いつの時代もどこの国でも人種差別はあるんだよなぁ。
この時代のインドはイギリスの植民地だから、
余計に人間扱いされないだろうし。
権威の殿堂にいる方々にとっては、下々の中から天才が現れるのは
 信じられないだろうし、考えたくもない事なんでしょう。
そんな偏見すら持ち合わせていないハーディが彼を見出した。
でも、お偉方を納得させるためには証明が大事。
ラマヌジャンにとっては自明の理になぜ証明が必要なのか分からない。
いい感じに間に入ってたリトルウッドは戦争が始まり大学を去ってしまう。

時代が違えば、32歳で病死することもなかったであろうラマヌジャン。
今でこそ、"アインシュタインと並ぶ天才"と言われるシュリニヴァーサ・ラマヌジャンと
ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディとの逸話。
ウィキにはハーディが"数学者に点数をつけるとすれば、
「自分は25点、リトルウッドは30点、ヒルベルト
は80点、
ラマヌジャンは100点」である"と称したと出ています。
彼がもっと長く生きていたら、どうなっていたんでしょうね。