玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「あってはならない」ことを考える

2008年02月05日 | 代理出産問題
世の中にはさまざまな問題がある。
残念ながら日本は天国ではなく、住んでいる人々が完璧な善意と賢さに恵まれているはずもない。テレビのニュースを見れば、毎日悲しむべき事件や事故がたくさん起きていることがわかる。それらは「あってはならない」ことだけれど、「あってはならない」のだから「ない」のだ、と言い張っても無意味だ。嫌なことから目を背けても問題は消え去ったりしない。そのような態度が許されるのは幼児だけである。理想と現実を取り違えた言説を「逆立ち論法」と呼ぶことにしよう。

高い知性に恵まれた良心的な人が「そこに存在する」現実から目を背け、「『あってはならない』のだから『問題はない』のだ」という詭弁に固執している。逆立ち論法に取り付かれている。本当に不思議でならない。

Because It's There 日本学術会議、公開講演会を開催~“子がほしいという希望は、周囲の圧力によって生まれた”という主張は妥当なのか?
3.このように、法律的にも医学的にも禁止する根拠が乏しいとなれば、禁止する理由は日本固有の特殊事情が禁止の主要な根拠になっているのではないかと、自然と推測できます。その日本固有の特殊事情について、水野紀子教授は公開講演会で端的に述べていました。

「委員の水野紀子・東北大教授は「子がほしいという希望は、周囲の圧力などによって生まれたものともいえる」と、報告書案を支持する理由を述べた。」(毎日新聞)



(1) この「子供が欲しいという希望は自分の意思ではない」という禁止根拠は古くから言われているものです。いまだに、多様な夫婦の意思を無視した決め付けを平然と言い放つのかと呆れてしまいます。このような禁止根拠に対しては以前から反論がなされていますので、その一例を挙げておきます。

 「それでは子供を持つというのはどういうことかということを、当たり前のことですが、ちょっと考えてみたいと思います。

 不妊治療をしている女性は本当に自分が子供が欲しいというよりは、周囲のプレッシャーに苦しめられているからだという意見があります。例えば舅や姑に「孫の顔が見たい」とか、「跡取りはまだか」と言われるとか、友人に「赤ちゃんはまだ?」というふうに言われると。

 確かにそういう周囲の圧力が患者を苦しめているということは大変問題だと思いますが、そういう圧力がなくなれば不妊治療は必要なくなるのかというと、そんなことは決してありません。アメリカなんかを見ればわかりますけれども、アメリカでは跡取りはまだかというようなことを言われることはあまりないわけです。家に縛られない自由な国なわけですから。そういう国でも非常にたくさんの不妊治療が行われている。

 言ってみれば子供を持ちたいというのは人間として非常に本源的な欲求だということになります。もちろん本源的な欲求だから、どんな方法で子供を持つのも認めるべきだというふうにはならないわけですけれども、しかし子供を持ちたいという本源的な欲求を制限するには十分に合理的な理由を示す必要があるだろう。これはやっぱり最初の出発点として確認しておくべきことだと思います。」(平成14年2月3日第2回FROM Current opinions 読売新聞医療情報部次長・田中秀一「だれのための生殖医療か-----メディアの立場から」)




(2) 子供がいない夫婦に対して、親族や友人が子供を期待することは今でもよくあることです。しかし、本当に子供が欲しくて不妊治療をしている夫婦にとっては、ただでさえ悩んでいるのですから、そのような悩みを理解することのない心ない人々が過度に精神的なプレッシャーをかけることは、一種のいじめに近いものがあります。だから、代理出産を禁止する――。それも一手段であることは確かです。

しかし、いじめ問題と似ていますが、心ない人々が過度に精神的なプレッシャーをかけること自体が悪い、いじめる側が悪いのだ、いじめる側こそが最も問題であると明言しておくことが大事なことだと思うです。

不妊症は夫婦10組に1組の割合で発生する疾患であって少しも珍しくないのですから、不妊治療は日常的な医療行為なのですから、不妊であることに対してプレッシャーをかけるべきではないのです。そして、子供を持つか持たないかなど、「多様な家族のあり方」が現実として存在し、多様な価値観があることを認めるべきであることを、日本社会に対して啓蒙し、理解を求めるべきなのです。

このように、水野紀子・東北大教授が述べるような「子がほしいという希望は、周囲の圧力などによって生まれたものともいえる」という主張は、根本的に間違っているのです。


典型的な逆立ち論法である。
「あってはならない」から「存在しないとみなすべき」という論法が使われていることは明らかだ。

不妊であることに対してプレッシャーをかけるべきではないのです。そして、子供を持つか持たないかなど、「多様な家族のあり方」が現実として存在し、多様な価値観があることを認めるべきであることを、日本社会に対して啓蒙し、理解を求めるべきなのです。


ここは春霞さんのおっしゃるとおり。
親族や社会からの「子供を作れ」圧力は「あってはならない」。


このように、水野紀子・東北大教授が述べるような「子がほしいという希望は、周囲の圧力などによって生まれたものともいえる」という主張は、根本的に間違っているのです。

????????
どこが「このように ~ 根本的に間違っている」のか、理解できる人がいたら教えてほしい。私にはどこにも論理性を見出せない。飛躍が激しすぎてついていけない。頭がクラクラする。
私が語りなおすとすれば次のような論理になる。黄色文字が春霞さんの文章に欠けているステップだ。

不妊であることに対して圧力をかけるべきではない
             ↓
多様な価値観があることを認めるべきであることを、日本社会に対して啓蒙し、理解を求めるべき
             ↓                               
啓蒙によって日本社会から「子供を作れ」圧力はなくなる(無視できるほど低くなる)
             or
「子供を作れ」圧力をかける・圧力に負ける人たちの存在自体が間違っている
(彼らのことを考慮する必要はない)

             ↓
「圧力」論による代理出産反対は間違いである

春霞さんが実際のところどのように考えているのか知らないが、上の論理はどちらにしてもダメである。
啓蒙によって一朝一夕に「子供を作れ」圧力が消えるはずもなく、圧力をかけたりかけられたりする人々の存在を無視していいはずもない。空理空論である。実際のところ、「代理出産」が公認されたら社会の「子供を作れ」圧力が強まることが目に見えている。これまでは「できないのなら仕方ない」とあきらめていた親族が「代理出産」に希望を見出し、さらに戦意を高めるのは明らかだ。

話の順番が逆になるが、いまだに日本に存在する「夫婦は子供を作って一人前」「子供がいなくては幸せになれない」「無理しても子供を作るべき」といった偏見や圧力はとても無視できるものではない。家族や親類縁者、友人知人に話を聞けば誰でもひとつや二つ実例を知ることができるはずだ。GoogleやYahoo!で「子供を作れ 圧力」といったキーワードで検索してもいい。特に最近は結婚年齢が上昇し不妊に悩む女性が増えている。不妊が増えれば圧力をかけられる場合も増える。
残念なことだが「多様な価値観を認めるべき」といくら啓蒙しても追いつかないほど「子供を作れ圧力」は強まっているのだろうと思う。

皮肉なことに「誰かに無理をさせ負担を強いても子供がほしい」と考える人の存在は「代理出産」依頼希望者の姿そのものだ。彼らは今は「どうしても自分たちの子供がほしい」人たちだが、子供を得ることができたら20年後30年後には「どうしても孫がほしい」人たちになっている可能性が高い。「血の繋がった子供」に執着する価値観は「代理出産」によってさらに強まるだろう。


「あってはならない」現実を「存在しない」「考えてはいけない」とする逆立ち論法は65年ほど昔にも存在した。
大日本帝国がアメリカと戦争するにあたり、南方資源(インドネシアの石油等)や兵員兵器の輸送が問題となった。南シナ海や太平洋を船で運ばなければならないが、敵潜水艦に攻撃されたら大きな損害が出る。すでに大西洋ではドイツ潜水艦が米英の輸送船を多数撃沈して深刻な被害を与えていた。
それでは帝国海軍はどのような対策をしたか。結論から言うと「何もしなかった」。
まさに「あってはならない」現実から目を背け、護送作戦が必要だとする参謀の意見を「考えてはいけない」と封じ込めたのである。これは海軍の能力が不十分で「やりたくてもやれなかった」面もある。だがその結果は悲惨だった。
昭和17年の前半までは輸送船の損害は想定以下だが、以後は耐えられないほど急増した。輸送船を失えばせっかく南方で獲得した資源を日本に運ぶことができない。国力は弱まり、海軍の兵力はボロボロになって制海権を失い、さらに輸送船が沈められる。まさに泥沼である。当然の結果として大日本帝国は悲惨な敗戦を迎えた。

私は「代理出産」の問題においても「問題を無視する」ことがさらに問題を拡大させ不幸を増やすだろうと考える。
春霞さんのような逆立ち論法は最悪だ。「子供を作れ」という圧力はまさに現実のものとして日本社会に存在する。

ちなみに、春霞さんのブログのタイトルは「Because It's There」である。


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2 コメント

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水野 (倫敦橋)
2008-02-06 01:27:28
水野紀子氏のサイトに論文がいっぱい載ってます。
http://www.law.tohoku.ac.jp/~parenoir/

民法、特に家族法が専門の法学者。 フランスの生殖補助医療法体系を高く評価しており、アメリカ風の生殖補助医療の法体系は日本には馴染まないだろう、という感じの人かな。

そもそも日本の民法(親子関係をふくめ)は、フランスのナポレオン法典あたりを最初にお手本にして出発し、その後のドイツとか英米のやり方を取り入れてきたみたい。
だから、原点に戻ってフランスの法体系を参考に考えてるのかなぁ、と思ったり。

関連する論文

「不妊症治療に関連した親子関係の法律」
ペリネイタルケア2001年新春増刊号267-277頁(2001年)

NIRA国際シンポジウム「21世紀日本のあり方」
特別セッション「生命科学の発展と法-生命倫理法試案」コメンテーター発言
DISCUSSION PAPER SERIES 『「生命倫理法試案」に関するシンポジウム議事録』
総合開発研究機構(NIRA)編2001年6月発行

「人工生殖における民法と子どもの権利」
湯沢雍彦・宇津木伸編『人の法と医の倫理』信山社201-231頁(2004年)

「死者の凍結精子を用いた生殖補助医療により誕生した子からの死後認知請求を認めた事例」
高松高裁平成16年7月16日判決評釈」判例タイムズ1169号98-105頁(2005年)
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水野先生 (玄倉川)
2008-02-06 19:48:02
倫敦橋さんこんにちは。
水野先生のサイトは法律知識の基礎がない私にとって難しく感じられる文章が多く(「ジュリスト」や「判例タイムス」に掲載された文章ですからね)、残念ながら充分に理解できておりません。勉強します。
水野さんは代理出産容認に慎重と聞き及んでおりますので、私はひそかに応援しています。仮に代理出産を容認するとしても、世間の「容認ムード」に流されるような形ではまずい。後にトラブルが多発するのは目に見えています。
春霞さんのように問題の所在を「知っていながら無視する」ような態度は特に悪質です。
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