率直に言わせてもらえば、馬鹿じゃないかと思う。
花岡信昭ウェブサイト - my weblog : 「竹島」日韓軍事衝突を見たかった
誤解のないようにあらかじめ言っておくが、私が愚かしいと断じたのは花岡氏の「軍事力で竹島を奪還すべき」という主張ではない。いや、この主張そのものには決して賛成しないけれど、「結果として日本にメリットがない」というレベルであって、愚かしいとまでは言わない。
私が強い嫌悪感を抱いたのは、花岡氏が自衛隊派遣(竹島への防衛出動)について「国民のどれほどが支持するかと考えると、なんともおぼつかない」と認めておきながら、「海上保安庁の調査船が堂々と調査を行い、これを妨害されたら、正当防衛として対抗し、さらに自衛隊が出動する」ことを「格好のチャンス」としていることだ。
この発想は関東軍と同じだ。石原莞爾と何の違いもない。事件が起きたら(関東軍の場合は自分で事件を起こしたのだが)それを拡大し国民感情を煽りたてようということだ。無責任きわまる機会主義であり、日本の運命を勝手に賭け代にしてバクチを打とうということだ。
花岡氏はお気楽にも「軍事衝突が一度起きれば、今度は政治決着への道が模索され、竹島問題は一ランク上がることになる」と書いているが、軍事衝突(戦争)とはパンドラの箱であって、それが開かれたあと花岡氏が決め込んでいるような都合のいい結末に落ち着くという保証はない。だからこそ明治天皇は日清戦争に同意せず、伊藤博文はぎりぎりまで日露の衝突回避を模索し、山本五十六は最後まで日米戦争に反対したのである。
山本五十六にはこういうエピソードが伝えられている。
花岡氏が本当に「竹島問題を一ランク上」げたいのなら、ご自分のペンの力で読者に、国民に訴えればよいのである。国民意識が変われば日本政府の態度も変わり、日本が行動すれば世界はそれに反応せざるを得ない。
具体的に言えば、憲法改正と「竹島への防衛出動」の正当性をあちこちの媒体(新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・ネット…)で語ること、これこそが氏の「ジャーナリスト」たる職分ではないか。
「格好のチャンスだったのである ~ 軍事衝突が一度起きれば」などと書いて恥じない輩は、私に言わせてもらえばジャーナリストを名乗るに値しない。むしろ無責任な野次馬、あるいはアジテーターと呼ぶほうがふさわしい。
花岡信昭ウェブサイト - my weblog : 「竹島」日韓軍事衝突を見たかった
領土を獲得するのに、「話し合い」で決着するなどということはまずない。フォークランド紛争でときのサッチャー首相は英国海軍艦隊を派遣、戦闘の末に奪取した。これが当たり前の国の当たり前の姿である。それができなかったところに日本の「国家の基本的対応が備わっていない、敗戦国ショックを引きずったままの状況」があった。ウィニングラン未放映問題では花岡氏の結論を支持した私だが、こういう愚かしい文章を見ると本当にうんざりする。
本来は、韓国が警備隊を乗り込ませたときにこちらも兵を送って奪い返すのが「通常の」やり方なのだが、平和国家・日本はそれをしなかったのである。国家の主権が侵害されようと、なすすべもなく見ているだけだったのだ。これは北方領土でも基本的には同じであって、もし、自衛隊派遣となれば、国民のどれほどが支持するかと考えると、なんともおぼつかないのである。
竹島の場合、半世紀にわたって韓国の実効支配が続いているわけだ。日本側がいかに古文書を持ち出して、日本の領土でございますと主張したところで、半世紀も放っておいたら、国際社会は認めるだろうか。
だから、今回は格好のチャンスだったのである。海上保安庁の調査船が堂々と調査を行い、これを妨害されたら、正当防衛として対抗し、さらに自衛隊が出動する。軍事衝突が一度起きれば、今度は政治決着への道が模索され、竹島問題は一ランク上がることになる。
日本の領土と主張している以上は、相手が力でくるなら、こちらも力で奪い返さなくてはならない。何度も繰り返すが、これが当たり前の国の当たり前の対応なのであって、なんら不思議なところはない。
誤解のないようにあらかじめ言っておくが、私が愚かしいと断じたのは花岡氏の「軍事力で竹島を奪還すべき」という主張ではない。いや、この主張そのものには決して賛成しないけれど、「結果として日本にメリットがない」というレベルであって、愚かしいとまでは言わない。
私が強い嫌悪感を抱いたのは、花岡氏が自衛隊派遣(竹島への防衛出動)について「国民のどれほどが支持するかと考えると、なんともおぼつかない」と認めておきながら、「海上保安庁の調査船が堂々と調査を行い、これを妨害されたら、正当防衛として対抗し、さらに自衛隊が出動する」ことを「格好のチャンス」としていることだ。
この発想は関東軍と同じだ。石原莞爾と何の違いもない。事件が起きたら(関東軍の場合は自分で事件を起こしたのだが)それを拡大し国民感情を煽りたてようということだ。無責任きわまる機会主義であり、日本の運命を勝手に賭け代にしてバクチを打とうということだ。
花岡氏はお気楽にも「軍事衝突が一度起きれば、今度は政治決着への道が模索され、竹島問題は一ランク上がることになる」と書いているが、軍事衝突(戦争)とはパンドラの箱であって、それが開かれたあと花岡氏が決め込んでいるような都合のいい結末に落ち着くという保証はない。だからこそ明治天皇は日清戦争に同意せず、伊藤博文はぎりぎりまで日露の衝突回避を模索し、山本五十六は最後まで日米戦争に反対したのである。
山本五十六にはこういうエピソードが伝えられている。
○連合艦隊最終打合せでの山本と指揮官たちの応酬の言葉軍事力行使の重さを理解していれば、「格好のチャンスだったのである ~ 軍事衝突が一度起きれば」などという無責任な発想は生まれてこない。残念ながら、花岡氏は昭和初期に関東軍の暴走を応援した愚かなマスコミのレベルから大して進歩していないようだ。
山本「ワシントンで行われている対米 交渉が妥結したならば、ハワイ出動部隊はただちに反転して帰投せよ」
南雲忠一中将など何人かの指揮官「それは無理な注文です。出しかけた小便は止められません」
山本「もしこの命令を受けて帰れないと思う指揮官があるなら即刻辞表を出せ。百年兵を養うは、ただ平和を守るためである」
その時歴史が動いた「シリーズ真珠湾への道 <後編> ~山本五十六 運命の作戦決行~」
花岡氏が本当に「竹島問題を一ランク上」げたいのなら、ご自分のペンの力で読者に、国民に訴えればよいのである。国民意識が変われば日本政府の態度も変わり、日本が行動すれば世界はそれに反応せざるを得ない。
具体的に言えば、憲法改正と「竹島への防衛出動」の正当性をあちこちの媒体(新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・ネット…)で語ること、これこそが氏の「ジャーナリスト」たる職分ではないか。
「格好のチャンスだったのである ~ 軍事衝突が一度起きれば」などと書いて恥じない輩は、私に言わせてもらえばジャーナリストを名乗るに値しない。むしろ無責任な野次馬、あるいはアジテーターと呼ぶほうがふさわしい。
花岡さんの議論は、産経新聞辺りの「空気」を反映したものでしょう。拙者も、交渉決裂→調査決行→…のシナリオを考慮して、竹島版「リットン調査団」の結成を国連に働きかけることを考えましたけれども、初めから「衝突」を期待したわけではありません。
軍事行動が怖いのは、「止めたいときに止められない」ということに尽きます。「民主主義国家は怒り狂って闘う」(ジョージ・F・ケナン)。要するに、民主主義国家は喧嘩する時には「キレタ」状態で、やるということですね。これでは、まともな喧嘩にならなぃ。民主主義国家における軍事行動というのは、それだけ危険なものだということは、諒解しておいたほうがいいと思います。
韓国は李承晩時代に拿捕・拉致した漁民を人質として日韓交渉に利用した国ですから、同じように反日ナショナリズムに染まった盧武鉉大統領が同様の手段を取ってくることは考慮しておくべきだと思います。
乗組員が拿捕されて人質にされてしまった場合、解放のための交渉は困難を極めるでしょう。
調査船が拿捕されればよいという意見もネットにはありますが、拿捕される人の事を考えれば、そのような選択は取るべきではないでしょう。
>乗組員が拿捕されて人質にされてしまった場合、解放のための交渉は困難を極めるでしょう。
調査船が拿捕されればよいという意見もネットにはありますが、拿捕される人の事を考えれば、そのような選択は取るべきではないでしょう。
私も「調査船が拿捕されればよい」とは思いませんでしたし、そういうことはありえないと思っていました。
ただ、人質論に関してはおかしいと思います。
私は李承晩ラインをめぐって韓国政権が日本の漁民に対して悪辣かつ暴虐なことを行っていたことを当時のラジオで聞いていました。
私の家は貧しかったので、ラジオを聞けるようになったのは1950年代の終わりだったと思います。今でもその当時のラジオ放送で思い出すのは李承晩ラインをめぐる事件、そして浅沼社会党委員長の刺殺事件です。安保騒動はラジオでは記憶がありません。
人質論はそういう時点であればありうるでしょうが、現時点ではありえないことだと思います。拿捕ができるわけないと思います。
韓国政府がまともに対応することを希望する、まさに字義のとおり「希望」します。
日本はこれを自衛隊の目標・目的とすべきかと。
私は調査中止は「悔しいなぁ」と思う派ですけど(笑)、今の日本ではこれが限界かと。
>国家にとって主権を守る、領土を守るということはいかなることを意味するか、日本という国家はその基本をわきまえているのか、という問題提起です。
そういうことだろうと思いましたよ(笑)。
ただし、こういう話は、花岡さんのような重量級ジャーナリストが書くことではないですな。要らぬ誤解を受けます。拙者も、「やっちまえ…」という言葉が出掛かるのを必死に抑えて書いているのですから…。
がありますな。本当に勉強になりますm(__)m
只、支那朝鮮や反日マスゴミには散々煮え湯を
飲まされていると言う思いが国民の半数以上
にある事だけは確かです。そこんところを
踏まえてどう書くかが難しい所ですな。
負け惜しみ、ですか?
韓国側が本当に調査船を拿捕できたのかという点については議論の余地があるでしょうが、韓国側が拿捕も辞さずという姿勢だったのは事実ですから、日本側はその可能性も考慮して行動を決めなければならなかったでしょう。
それに韓国側が拿捕に踏み切った場合、韓国の国際的孤立は避けられませんから、追い詰められた韓国側が常識外の行動に出ることも考えるべきであり、その一つとして人質外交の可能性も考慮すべきだったと思います。
別に韓国だからというわけではなく、追い詰められた国というのは何をしでかすか予測不可能なところがありますからね。
先ほど行ってきたのですが、自民党の海洋特別委員会の議論はおもしろかったですよ。
某先生の「韓国は野蛮国家(国際法を守らないという意味で)、わが方は文明国家」というのは日本の共通認識のようですが、野蛮なのは韓国の外交当局ではなく、青瓦台にそれを認識する能力がない。外交当局は自分たちの国がやっていることが国際法に照らしてヤバいことは分かっている。しかし、政権が感情的になっていてそれが理解できない。世論も。いわば「国際法を超えた政治的圧力の中にいる」状態での交渉であるというのは興味深かったです。
わが国もいつそういう「空気」になるか分からないと思うとぞっとしますし、玄倉川さんや雪斎先生のような言論がある国でよかったと思いました♪産経は読んでないですが、新華社通信に今回の日本の対応が評価されているのがおもしろいですね。
いつも胸にある言葉:
「外交は絶対に賭けでやってはいけない」(石破茂)
「戦争になったらどうしようかという実験なんかできない。責任ある政策をするためには、いかに未然に防ぐかだ」(小泉純一郎)