ちょっと憂鬱である。
ブログに書きたくないことが溜まってしまった。
「書きたいことが溜まる」「書きたいことがない」という状態は普通だが「書きたくないことが溜まってしまう」のはめずらしい。
ちっともうれしくない。
書きたくないなら書かなければいい、というのはもちろん正しいけれど、古人曰く、「物言わぬは腹膨るる業なり」とか。モヤモヤした嫌な感じは固めて外に出さないといつまでも残る。
いったい何のことかといえば、「光市母子殺害事件弁護団への懲戒請求殺到」問題だ。
中国新聞ニュース:懲戒請求4千件超える 光母子殺害のTV発言波紋
「光市母子殺害事件の弁護団」については以前にも書いたことがある。
社会主義的弁護士を望むthessalonike2氏
「弁護」の意味を知らないthessalonike2氏
読み返してみてそれほど変なことを言ってなかったからとりあえず安心した。
ただ、「「弁護」の意味を知らないthessalonike2氏」で
と断定したのは軽率だった。
弁護団の一員である今枝弁護士のコメントを読み、「死刑廃止論のため裁判を利用している」という憶測に根拠がないと納得したので批判を撤回する。
私自身は漸進的な死刑廃止論者であり、国民の多くが「死刑を廃止しても問題ない」と思う日が来ることを願っている。だが残念ながら光市事件弁護団の手法は(弁護人の義務への誤解が原因とはいえ)死刑廃止論への反発を生んでおり、「これでは逆効果だ」という苛立ちからつい八つ当たりしてしまった。
イデオロギーのためでなく職責として困難な任務を遂行している弁護士の方々にお詫びする。申し訳ありません。
ここまでの文章で私の「モヤモヤした嫌な感じ」の対象が光市事件の弁護団でないことは明らかだが、それならいったい誰に・何に対して不快感を抱いてるのか。
とりあえず「嫌な感じ」をキーワードにして並べてみた。
・ 「相手の立場に立って考える」
・ 世間主義
・ 死者の威を借りる生者
・ 批判と「黙れ!」の違い
・ 論理的な過ちの指摘と「人として間違っている」論
・ 弁護人の義務と「人として」論
・ 「正義の味方」と「法秩序の執行者」
・ リーガルマインドとプロフェッション
・ 光市殺人事件弁護団懲戒請求と「代理出産」
・ 「かわいそう」は無敵
・ 実感思考とシステム思考
一つひとつが私にとって難しい。実は「プロフェッション」という言葉の意味からしてよくわかってない。頭を振り絞って書いても結局は誰かの二番煎じか「意余って力足らず」になりそうだ。
ついでに気が重くなる理由を並べてみる。
・ こんなこと書かずに済めばその方がずっと幸せだ
・ そもそも自分には司法制度について知識がない
・ 特定の「悪党」を叩けばスッキリするような問題ではない
・ 何百万何千万人という「善良な一般人」を批判してもまさに蟷螂の斧
・ 「善意の人たち」の「純粋な怒り」を向けられるのが鬱陶しい
・ 人情の薄い奴だと思われたくない
・ 書いても楽しくなさそう
・ その他いろいろ
ますますモチベーションが下がった。
キーワードを見て何かを感じた方がおられたらご自分のブログなどで考察してくれないものか。誰かが「わが意を得たり!」という文章を書いてくれたら自分で書かなくて済むのに。
そんな虫のいい話はないか。
これまでブログをやっていて「書きたかったことを誰かに先に書かれて悔しい」と思ったことはあるけれど「自分の思っていることを誰か代わりに書いてほしい」と願うのは初めてだ。
ブログに書きたくないことが溜まってしまった。
「書きたいことが溜まる」「書きたいことがない」という状態は普通だが「書きたくないことが溜まってしまう」のはめずらしい。
ちっともうれしくない。
書きたくないなら書かなければいい、というのはもちろん正しいけれど、古人曰く、「物言わぬは腹膨るる業なり」とか。モヤモヤした嫌な感じは固めて外に出さないといつまでも残る。
いったい何のことかといえば、「光市母子殺害事件弁護団への懲戒請求殺到」問題だ。
中国新聞ニュース:懲戒請求4千件超える 光母子殺害のTV発言波紋
光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審で、被告の元少年(26)の死刑回避を訴える弁護士への懲戒処分請求が四千件を超える「異常事態」になっている。きっかけは、橋下徹弁護士(大阪弁護士会)のテレビでの呼び掛けとされ、元少年の弁護団のうち四人が橋下弁護士に損害賠償を求め提訴。弁護の在り方をめぐって、刑事とは別の法廷で、弁護士同士が全面対決することになる。
橋下弁護士は、五月二十七日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)で「あの弁護団に対してもし許せないと思うなら、一斉に懲戒請求をかけてもらいたい。弁護士会としても処分を出さないわけにはいかない」と発言したという。
放送後、広島を始め各地で弁護団メンバーへの懲戒請求が相次いだ。日弁連によると、七日昼までに十弁護士会、四千二十二件に達した。昨年一年間の全弁護士への申し立てが千三百六十七件で、突出ぶりがうかがえる。
今枝仁弁護士ら元少年の弁護団側は訴状で「広範な影響力を持つテレビを通じて不特定多数の視聴者になされた発言。専門家による正しい知見であると認識されやすく、極めて悪質だ」と指摘。
これに対し、橋下弁護士は、五日に記者会見し「世間は弁護人が被告を誘導して主張を変えさせたと思っている」とした上で「『刑事弁護はここまでやっていいのか』と思えば弁護士会への信用は損なわれる」と反論した。自ら懲戒請求しなかったことは「世間の感覚で出してほしかった」と説明した。
今枝弁護士は「刑事弁護活動には、社会に敵視されても被告の利益を守らなければならない困難を伴う」と話している。
最高裁判決は、本村弥生さん=当時(23)=の殺害、乱暴について「乱暴するため殺害を決意した」と認定。元少年も一、二審で殺意や乱暴目的を争っていなかった。
しかし、広島高裁の差し戻し控訴審で、二十二人の新弁護団は「殺意はなく傷害致死にとどまる」と主張し、元少年も「甘えたいと思い抱きついた」と法廷で供述。死亡後の乱暴は「復活の儀式だった」との説明に、夫洋さん(31)は「聞くに堪えない」と憤りをあらわにした。
▽自ら傍聴の努力を 一審から公判の傍聴を続けている作家佐木隆三さんの話
わたし自身も差し戻し控訴審で弁護団が主張するストーリーはあんまりだと思っている。しかし法廷を自分の目で見た上で、物書きとして原稿を書き批判している。今回、橋下弁護士はなぜ自分で懲戒請求をしないのか。テレビでけしかけるようなやり方には賛成できない。弁護団を許せないという意見も多いだろうが、自分で傍聴する努力もせずにテレビの情報だけで懲戒請求をしたという人がいたとすれば情けない。
「光市母子殺害事件の弁護団」については以前にも書いたことがある。
社会主義的弁護士を望むthessalonike2氏
「弁護」の意味を知らないthessalonike2氏
読み返してみてそれほど変なことを言ってなかったからとりあえず安心した。
ただ、「「弁護」の意味を知らないthessalonike2氏」で
あの事件の弁護士たちのやっていることは「被告人の人権の擁護」というより自分たちの死刑廃止論のアピールだ。
と断定したのは軽率だった。
弁護団の一員である今枝弁護士のコメントを読み、「死刑廃止論のため裁判を利用している」という憶測に根拠がないと納得したので批判を撤回する。
私自身は漸進的な死刑廃止論者であり、国民の多くが「死刑を廃止しても問題ない」と思う日が来ることを願っている。だが残念ながら光市事件弁護団の手法は(弁護人の義務への誤解が原因とはいえ)死刑廃止論への反発を生んでおり、「これでは逆効果だ」という苛立ちからつい八つ当たりしてしまった。
イデオロギーのためでなく職責として困難な任務を遂行している弁護士の方々にお詫びする。申し訳ありません。
ここまでの文章で私の「モヤモヤした嫌な感じ」の対象が光市事件の弁護団でないことは明らかだが、それならいったい誰に・何に対して不快感を抱いてるのか。
とりあえず「嫌な感じ」をキーワードにして並べてみた。
・ 「相手の立場に立って考える」
・ 世間主義
・ 死者の威を借りる生者
・ 批判と「黙れ!」の違い
・ 論理的な過ちの指摘と「人として間違っている」論
・ 弁護人の義務と「人として」論
・ 「正義の味方」と「法秩序の執行者」
・ リーガルマインドとプロフェッション
・ 光市殺人事件弁護団懲戒請求と「代理出産」
・ 「かわいそう」は無敵
・ 実感思考とシステム思考
一つひとつが私にとって難しい。実は「プロフェッション」という言葉の意味からしてよくわかってない。頭を振り絞って書いても結局は誰かの二番煎じか「意余って力足らず」になりそうだ。
ついでに気が重くなる理由を並べてみる。
・ こんなこと書かずに済めばその方がずっと幸せだ
・ そもそも自分には司法制度について知識がない
・ 特定の「悪党」を叩けばスッキリするような問題ではない
・ 何百万何千万人という「善良な一般人」を批判してもまさに蟷螂の斧
・ 「善意の人たち」の「純粋な怒り」を向けられるのが鬱陶しい
・ 人情の薄い奴だと思われたくない
・ 書いても楽しくなさそう
・ その他いろいろ
ますますモチベーションが下がった。
キーワードを見て何かを感じた方がおられたらご自分のブログなどで考察してくれないものか。誰かが「わが意を得たり!」という文章を書いてくれたら自分で書かなくて済むのに。
そんな虫のいい話はないか。
これまでブログをやっていて「書きたかったことを誰かに先に書かれて悔しい」と思ったことはあるけれど「自分の思っていることを誰か代わりに書いてほしい」と願うのは初めてだ。
すみません、力になれなくて。
玄倉川さんの態度は立派ですが、マスゴミって
「被取材者の応対が悪いからこそ憶測が飛び交う」
と公言して憚りませんね。朝青龍問題だって。
わたくしは精神分析と精神鑑定の区別もつかないような人々が声高に罵る醜態に嫌悪感を覚えますし、被害者ご遺族がお気の毒でなりません。 わたくしは以前、子供を二人失ったことがあります。 その事を持論を展開する場と利用する 善意の人々。殺してやりたかった。慰める側(に立っていられる)の優越感をじっとガマンして礼儀正しく感謝しながら聴いていなれればならない屈辱。そういう個人的な体験がよみがえって、つい感情的に他人の無知を罵りたくなるのです。雑談でいう精神年齢と発達心理学などの精神年齢とは全く違いますしね。
人様のブログにこのようなコメントを書き込むのは失礼だとは思いますが、トラックバックを二つ送信いたしました。一読していただければ幸いです。
> うえださん
「でもクライアントの利益になっていないんじゃないのとか」
これは私も気になるところです。
どうやら衆目の見るところ一審二審の弁護団の方針では死刑になる確率が高いようなので、新弁護団がガラリと弁護方針を変えるのは理解できますが、どれくらい勝算があるのでしょうか。
> てんてけさん
一部の扇情的なマスコミもそうですが、今回はネット世論の大勢が同調してますからね。
「あいつらは悪者、人間の屑」と思い込んだ人たちを説得するのは難しい。
> しいさん
トラックバックありがとうございます。
正義感に酔った人、自らの善良さを疑わない人は本当におっかないです。
この問題について自分がどれくらい書けるかわかりませんが、大きめの距離をとり特定の誰かを「悪者」にすることを避けて考えていくつもりです。
お子様のことはどのような事情か存じませんが、お気の毒に思います。
これは、難しいですね。
勿論法律上では、弁護人は「被告の代理人」であって「真実と正義を追究する人」ではないのです。
例えば、丸山弁護士は橋本弁護士について
「あれは橋本が悪い。でも、橋本から弁護依頼が来たら、私は擁護しますよ。」
とTVでいっていました。
今回の弁護団についても同様で、少なくとも彼らは法的には何も間違ったことはしていないし、エゴから死刑反対を訴えているというのは憶測でしかない。
でも、「憶測ではなく推定だ、そしてそれはまず当たってるに違いない」といわれてしまったら、
それ以上こちらから言えることは何もないんですよね…
新垣結衣 出演していたドラマでNGシーン勃発ありえないシーンが映っていた!
http://aragakiyui.mad.buttobi.net/
以前別のハンドルネームでお邪魔したことがある者です。
私にとってモヤモヤは、この問題が「従軍慰安婦問題の合わせ鏡」だからです。
光市母子殺害事件の弁護団のことではありませんが、いわゆる人権派弁護士は従軍慰安婦問題において『相手の立場に立って考え』ろと主張する『アジア主義』者で『被害者の威を借り』『論理的な過ちの指摘を日本人として間違っている』と切り返し、
慰安婦にされたおばあさんは『かわいそうという無敵』の『実感思考』で加害者(日本)を非難していました。
ところが(くどいようですが直接弁護団を指してではありませんが)光市母子殺害事件ではまったく逆に加害者(被告)の権利と冷静な議論による真実追求を主張しています。
だったらお前ら慰安婦問題でも同じような主張しろよ、ダブルスタンダード言ってんじゃねえぞ、というのが私のモヤモヤのひとつです。
もちろん懲戒請求した全員がいわゆるネットウヨクのはずはありませんが、彼らは慰安婦問題において、つまらぬ扇動者に乗せられてよく確かめもせずに加害者(日本)の悪辣さを信じ込み、いくら説明しても逆に「ごまかすな」「反省してない」と非難する韓国・朝鮮人に怒ってはハズではありませんか。
それなのに光市母子殺害事件では真実をよく確かめもせず、数と声のでかさで圧力をかけようとしています。
これじゃ日本大使館を取り囲んだ韓国デモ隊と変わらないじゃん、ダブルスタンダードかよ、というのがもうひとつのモヤモヤです。
両者が、以前と180度ちがう主張をしているのがまるで「合わせ鏡」のようであり、しかも当人たちがそれにまったく気づいてない様子なのが、なんとも悲しい気持ちにさせます。
少なくとも、弁護団は一審二審と差し戻し審で主張するところの「真実」をがらっと入れ替えたわけです。
内容の荒唐無稽は「それが真実だ」と言われれば(被告と弁護人以外に知る術はないから)憤りはすれど納得せざるを得ないところですが、光市母子殺害事件弁護団のような【弁護のために、主張する「真実」をも都合よく切り換える】に等しい手法は裁判として、犯罪抑止として、法曹の「法と良心」においてどうなのか?
前コメの何とかさんとは逆に、私は「弁護団のダブスタに怒る4000人規模の野次馬的第三者」を批判はできないし、そこに「合わせ鏡」的なダブスタはないのではないかと思います。
少なくとも弁護団の語る「真実」を検証する方法が(「裁判を傍聴」しようが何しようが)普通の人にはない以上、複数の報道で伝えられてある程度確かと思われる「弁護団の語る「真実」のダブスタぶり」を批判されるのはむしろ自業自得・必然であろうと思います。(佐木隆三さんの批判文にはその意味で首肯しかねる)
http://bc.kasumikko.com/?eid=660798
自分でも、気づかずに平気で善意の押しつけなどしますから、「どうせ俺は偽善者さ♪」と、諦めています。