日本語って普通に難しい。
…という言い方は有りなのかどうなのか。
桀紂屋 - 「フツーに」の対義語は「ある意味」である
なるほど。
特に議論するつもりはないのだけれど、「普通においしい」という言葉を使う人たちが「多様化した価値観をニュートラルに戻す」ということをどれくらい意識しているのか私にはわからない。あまり意識してなさそうな気がする(気がするだけ)。
単純に一般的な標準を想定して
そういう料理・食物が「普通においしい」と呼ばれるのだと思っていた。
「普通においしい」の正確な意味はよくわからないが(自分では使わない言葉なので)、
というAKIYOSHIさんの意見には全く同感だ。たしかに「普通においしい」という言い方にはどことなく馬鹿にしたような響きがある。たぶん悪意はないのだろうが。
そこで思い出したのが、とある24年前(大昔だ!)のCMである。
[世界の出来事100年史] 1983年(昭和58年、癸亥)
80年代に一世を風靡した川崎徹によるナンセンスCMのひとつ。
当時は各社から樽型容器に入ったビールが新発売され(無駄に)熱い販売競争を繰り広げていた。
アサヒスーパードライの発売(1987年)以前であり、ビール各社と消費者のどちらにも「味による差別化」という意識は薄かった。
世にいう「容器戦争」のさなか、サントリーが「生樽」差別化のため満を持して(?)投入したのが「いかにも一般大衆が喜びそうなアイデア」である。それが具体的にどういうものかというと
「注ぐときピヨピヨと音が出るノズル」
なのであった。
…今にして思うと、いや当時からそう思っていたが、実に子供だましというかしょうもないオマケである。
これがとぼけたCMとあいまって大いに受けたのだから世の中というのはわからない。
現在使われている「普通においしい」という言い方は「普通の人が、普通に喜ぶ」ことを肯定的に表現しているが、それに対して「いかにも一般大衆が喜びそうな」はエリートが庶民を見下したような底意地の悪さがある。そういうセリフを庶民的なレオナルド熊に言わせるのが川崎徹の狙いだったのだろう。
CMの神様・川崎徹の裏話
83年頃にピヨピヨノズル付き「生樽」を喜んで買った人たちの気持は想像するしかないのだけれど(自分は子供なので「子供だまし」に怒っていた)、「どうせ俺たちは一般大衆さ」「しょうもないオマケに喜んでみせるのがむしろ粋じゃないか」といった屈折とか反骨精神とかいったものがあったように思う。
ああ庶民の哀歓。昭和は遠くなりにけり。男はつらいよ、三丁目の夕日(見てないけど)。
どうでもいいことだが、ネットで調べるまで「いかにも一般大衆が喜びそうなアイデアですね」という世間をナメたようなセリフは江川卓が言ったものだとばかり思い込んでいた。
まったく人間の記憶とは当てにならない。甘い、甘すぎる。
もももももももも桃ネクター。
…という言い方は有りなのかどうなのか。
桀紂屋 - 「フツーに」の対義語は「ある意味」である
「あれもこれもアリ」という多様化の価値観でがんじがらめになった時に、それらをリセットして共通の認識であることを明示する時に使う言葉が「フツーに」なのである。
なるほど。
特に議論するつもりはないのだけれど、「普通においしい」という言葉を使う人たちが「多様化した価値観をニュートラルに戻す」ということをどれくらい意識しているのか私にはわからない。あまり意識してなさそうな気がする(気がするだけ)。
単純に一般的な標準を想定して
- (グルメでも味音痴でもない) 普通の人が
- (奮発したご馳走でもなく耐乏食でもなく) 普通の状況で
- (満腹でも極度の空腹でもなく) 普通に腹を空かせた状態で
- (特に感激することも失望することもなく) 普通程度においしいと感じる
そういう料理・食物が「普通においしい」と呼ばれるのだと思っていた。
「普通においしい」の正確な意味はよくわからないが(自分では使わない言葉なので)、
少なくとも料理人を前にした時くらいは、「フツーに旨い」などと言わず、もっと機智に富んだ表現を考えた方が喜ばれるだろう。
というAKIYOSHIさんの意見には全く同感だ。たしかに「普通においしい」という言い方にはどことなく馬鹿にしたような響きがある。たぶん悪意はないのだろうが。
そこで思い出したのが、とある24年前(大昔だ!)のCMである。
[世界の出来事100年史] 1983年(昭和58年、癸亥)
「いかにも一般大衆が喜びそうなアイデアですね」(サントリー、生樽)[出演:レオナルド熊]
80年代に一世を風靡した川崎徹によるナンセンスCMのひとつ。
当時は各社から樽型容器に入ったビールが新発売され(無駄に)熱い販売競争を繰り広げていた。
アサヒスーパードライの発売(1987年)以前であり、ビール各社と消費者のどちらにも「味による差別化」という意識は薄かった。
世にいう「容器戦争」のさなか、サントリーが「生樽」差別化のため満を持して(?)投入したのが「いかにも一般大衆が喜びそうなアイデア」である。それが具体的にどういうものかというと
「注ぐときピヨピヨと音が出るノズル」
なのであった。
…今にして思うと、いや当時からそう思っていたが、実に子供だましというかしょうもないオマケである。
これがとぼけたCMとあいまって大いに受けたのだから世の中というのはわからない。
現在使われている「普通においしい」という言い方は「普通の人が、普通に喜ぶ」ことを肯定的に表現しているが、それに対して「いかにも一般大衆が喜びそうな」はエリートが庶民を見下したような底意地の悪さがある。そういうセリフを庶民的なレオナルド熊に言わせるのが川崎徹の狙いだったのだろう。
CMの神様・川崎徹の裏話
当初のコピーは「一般大衆が喜びそうなアイディアですね」だった。
が、それを読んだ出演のレオナルド熊は悩んだ。
(こんな、人を見下した台詞は言えない・・・)
しかし彼もプロだった。悩んだ末に開き直り(思いっきりバカにしてやれ)と思った。
「いっそのこと、“いかにも”ってつけたらどうでしょう?」
神様もアッサリ承諾し、あの流行語が生まれた。んだってさ。
83年頃にピヨピヨノズル付き「生樽」を喜んで買った人たちの気持は想像するしかないのだけれど(自分は子供なので「子供だまし」に怒っていた)、「どうせ俺たちは一般大衆さ」「しょうもないオマケに喜んでみせるのがむしろ粋じゃないか」といった屈折とか反骨精神とかいったものがあったように思う。
ああ庶民の哀歓。昭和は遠くなりにけり。男はつらいよ、三丁目の夕日(見てないけど)。
どうでもいいことだが、ネットで調べるまで「いかにも一般大衆が喜びそうなアイデアですね」という世間をナメたようなセリフは江川卓が言ったものだとばかり思い込んでいた。
まったく人間の記憶とは当てにならない。甘い、甘すぎる。
もももももももも桃ネクター。
意外な組み合わせの素材や調理法、その他もろもろの理由で「ホントにおいしいのか?」と思って食べてみたら、「普通に」(不自然でなく)とてもおいしかった、という意味で使います。
最近は、ただ単に「とてもおいしい」という意味で使ってる人もいるようですが、発祥は上記のようなことだったと理解しています。
いずれにしろ、おっしゃるとおり料理人の前で使うには不適切ですが…。
ご参考までに。
これも川崎徹作で、江川のキャラクターに微妙にマッチしてました。
私は、「美味しんぼう」に代表される蘊蓄など必要無しにおいしいという意味にとらえていました。
様々な「普通に」という言葉の解釈があるのでしょうが、私が一番しっくり来る「普通に」に対応する言葉は「何だか良く分からないけど」ですね。
→食べてみたが絶賛するほどの特徴もない味で、
→でも相手に悪いので「美味しい」とは言いたくて、
→言うのは良いが褒めるべきところもなくて、これ以上のコメントも求めてほしくなくて、
といったときにも「フツーに美味しい」を使うこともありますね。