なにやら意味ありげなタイトルだが、単なる日常の雑感を並べただけである。
読者の皆様どうかお許しください。とりあえずタイトルだけはカッコつけたかったのです。
まず男の色気について。
NHK大河ドラマ「義経」が面白い。話のわかりやすさ、衣装の華やかさ、女優さんたちの美しさがその大きな理由なのは確かだが、今日の「義経誕生」を見て、主人公である義経に色気があるのが最大の理由かと思い至った。
主演の滝沢に関しては、これまで特に関心はなかった。顔の美しさは認めざるをえないが、現代のドラマで主演をするには背の高さと存在感が足りない。自分がプロデューサーだったら配役に困る俳優だと思っていた。
だが、「義経」の役には見事にはまっている。いや、「義経」のキャスティングは滝沢のみならず近年まれな適材適所の見事なキャスティングなのだが、他の人たちについてはひとまず措くとしよう。
滝沢義経は色気がある。通常使われるような、女性(とある種の男性)からみた性的魅力、という意味とは少し違うかもしれないが、なんとも言いがたい不思議な魅力、とでも言おうか。
私自身はもちろん市井の一庶民にすぎず、源氏の御曹司たる義経に感情移入することは難しい。彼が何を考え、どういう気持でいるのか、およそ想像することはできても自分に置き換えて実感するのは不可能である。だが、遮那王=義経の魅力に惹かれ、何度断られても強引に家来になりたがる連中、つまり弁慶・喜三太・伊勢三郎・駿河次郎らの気持はすとんと胸に入ってきた。
彼らはそれぞれ、それまでの人生を続けていくことに希望を見出せなかった。あまりこういう言葉を使いたくはないが、「人生の負け組」になろうとしていた。そんな彼らの目の前に現れた「源氏の御曹司」は、その血筋に恥じることのない気品と強さ、そして美しい顔までも兼ね備えた若者である。彼らが「この人についていきたい、どうしても家来にしてもらいたい」と電撃的に感じたのは私にとって不思議ではない。
弁慶たちは中国の史実のように「奇貨居くべし」と思ったのだろうか?いや、そんな計算高い考えはなかっただろう。灰色の日常から何か崇高な未来へ自分たちを連れて行ってくれそうな存在にすべてを託したくなっただけだ。自分の未来を自分ひとりで作り上げるより、「この人は」と見込んだ相手を主としてどこまでも突き進むほうが気楽である。封建的で古臭い心情といってしまえばそれまでだが、平安時代の人の心は多くの現代人にも理解できるだろう。
さて、ホモではない私が長々と義経の色気について書いてきたのだが、ほりえもんには全く色気を感じることはできない。彼の魅力がどこにあるのか私にとって理解しにくい理由のひとつである。「男惚れ」させるものがいったい彼のどこにあるのだろうか?
つぎにブログの色気について。
いや、単に自分のブログのテンプレート選びをどうしたらいいのか?ということなのだ。
前提条件として、私は部屋を暗くしてPCを使うことが多いので(暗い奴だ)、暗色の地色に明色の文字でないと読みにくい。白地に黒文字など論外である。
最初のテンプレートはこれだった。青系の色使いは好みなのだが、文字が小さすぎ、文字と下地色のコントラストが弱くて読みにくかった。そこで現在のテンプレートにしたのだが、黒地に白文字ではあまりにも色気がない。
カスタムテンプレートを使えばある程度自分の好きなようにデザインを変えられるようだが、そのためにはCSSなるものを覚えなければならずちょっぴり敷居が高い。
「色気があり、媚びた感じがせず、しかも読みやすいデザイン」が望ましいのだが、さてどうしたものか。
読者の皆様どうかお許しください。とりあえずタイトルだけはカッコつけたかったのです。
まず男の色気について。
NHK大河ドラマ「義経」が面白い。話のわかりやすさ、衣装の華やかさ、女優さんたちの美しさがその大きな理由なのは確かだが、今日の「義経誕生」を見て、主人公である義経に色気があるのが最大の理由かと思い至った。
主演の滝沢に関しては、これまで特に関心はなかった。顔の美しさは認めざるをえないが、現代のドラマで主演をするには背の高さと存在感が足りない。自分がプロデューサーだったら配役に困る俳優だと思っていた。
だが、「義経」の役には見事にはまっている。いや、「義経」のキャスティングは滝沢のみならず近年まれな適材適所の見事なキャスティングなのだが、他の人たちについてはひとまず措くとしよう。
滝沢義経は色気がある。通常使われるような、女性(とある種の男性)からみた性的魅力、という意味とは少し違うかもしれないが、なんとも言いがたい不思議な魅力、とでも言おうか。
私自身はもちろん市井の一庶民にすぎず、源氏の御曹司たる義経に感情移入することは難しい。彼が何を考え、どういう気持でいるのか、およそ想像することはできても自分に置き換えて実感するのは不可能である。だが、遮那王=義経の魅力に惹かれ、何度断られても強引に家来になりたがる連中、つまり弁慶・喜三太・伊勢三郎・駿河次郎らの気持はすとんと胸に入ってきた。
彼らはそれぞれ、それまでの人生を続けていくことに希望を見出せなかった。あまりこういう言葉を使いたくはないが、「人生の負け組」になろうとしていた。そんな彼らの目の前に現れた「源氏の御曹司」は、その血筋に恥じることのない気品と強さ、そして美しい顔までも兼ね備えた若者である。彼らが「この人についていきたい、どうしても家来にしてもらいたい」と電撃的に感じたのは私にとって不思議ではない。
弁慶たちは中国の史実のように「奇貨居くべし」と思ったのだろうか?いや、そんな計算高い考えはなかっただろう。灰色の日常から何か崇高な未来へ自分たちを連れて行ってくれそうな存在にすべてを託したくなっただけだ。自分の未来を自分ひとりで作り上げるより、「この人は」と見込んだ相手を主としてどこまでも突き進むほうが気楽である。封建的で古臭い心情といってしまえばそれまでだが、平安時代の人の心は多くの現代人にも理解できるだろう。
さて、ホモではない私が長々と義経の色気について書いてきたのだが、ほりえもんには全く色気を感じることはできない。彼の魅力がどこにあるのか私にとって理解しにくい理由のひとつである。「男惚れ」させるものがいったい彼のどこにあるのだろうか?
つぎにブログの色気について。
いや、単に自分のブログのテンプレート選びをどうしたらいいのか?ということなのだ。
前提条件として、私は部屋を暗くしてPCを使うことが多いので(暗い奴だ)、暗色の地色に明色の文字でないと読みにくい。白地に黒文字など論外である。
最初のテンプレートはこれだった。青系の色使いは好みなのだが、文字が小さすぎ、文字と下地色のコントラストが弱くて読みにくかった。そこで現在のテンプレートにしたのだが、黒地に白文字ではあまりにも色気がない。
カスタムテンプレートを使えばある程度自分の好きなようにデザインを変えられるようだが、そのためにはCSSなるものを覚えなければならずちょっぴり敷居が高い。
「色気があり、媚びた感じがせず、しかも読みやすいデザイン」が望ましいのだが、さてどうしたものか。
さて、「色気があり、媚びた感じがせず、しかも読みやすいデザイン」ですか。
媚びていなくて読みやすいなら、今のままでも充分クリア出来ているのではないでしょうか。
後は色気ですね。
例えばグレーのラインや項目のバックカラーをワインカラー(#AE007Dや#78004B)に変えて見るというのはいかがでしょうか。
後は素材屋さんでカクテルや夜景の画像を探してきてタイトル部分に貼りつけるとか…
結構色気は出るのではないでしょうか(笑)
アドバイスありがとうございます。
滝沢義経には色気がある、と書きましたが彼と比較すれば私には色気など全くないので、ブログもモノトーンでいいような気がしてきました。
ブログの名前も「くろ」くらがわですし。
飽きるまでもうしばらくはこのままにしておきます。