朝日新聞は「日本国籍を持った在日韓国人」という概念を認めるのか。
私にはそれこそ差別に思えるのだが。
【大阪】 「コリア系日本人」大阪府議選に立候補へ 少数派ゆえ弱者の思いわかる 地方議員目指す在日韓国人
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1175137514/
以上は2ちゃんねるからの引用である。
なぜ元記事から引用しないかというと、不思議なことにすでに朝日のサイトから消されているから。
asahi,comでサイト内検索すると結果一覧には出るものの、リンク先に飛んでも「お探しの記事はみつかりませんでした」になる。
それにしても、この記事を書いた記者は国籍の意味がわかっていないのか、それともわざと都合よくごまかしている。
李敬宰氏本人の意識、あるいは朝日新聞の見方はどうあれ、彼は「元」在日韓国人2世と呼ばれるべきだ。自らの意思によって国籍を取得した日本人を「在日韓国人=外国人」と同一視するのはそれこそ差別である。
この記事の書き方だと李敬宰氏が韓国・朝鮮籍を維持しつつ日本国籍を取得したように読める。
だが日本は二重国籍を認めていない。李敬宰氏も当然のこととして韓国籍から離脱したはずだ。国籍法の第4条5項において、日本国民でないものが国籍を得るとき「国籍を有せず、又は日本の国籍によってその国籍を失うべきこと」と定められている。
李氏が違法に二重国籍を保持しているのでなければ、記事は「韓国・朝鮮籍を離脱して日本国籍を得」と書くのが正しい(やや煩雑だが)。
李氏のご母堂のお気持は知るよしもないが、目立つことと日本国籍取得は関係ない。在日韓国・朝鮮人が帰化するのはまったく普通のことだ。法務省の統計によれば毎年約1万人の韓国・朝鮮人が日本国籍を取得している。よほどの有名人でなければ帰化自体がニュースになることはない。
ここまでは記事の書き方についての疑問だが、記事が伝える李敬宰氏の考え方にも共感しかねる。
コリア系日本人が議員を目指すこと自体は何の問題もない。
だが、「差別への抵抗」として自らの意思で「韓国籍にこだわ」ってきた李敬宰氏と、どんなに望んでもその立場から逃れることのできない高齢者や障害者とではずいぶん違う。記事が正確だとしたら、李氏は何か勘違いしているようだ。
私自身は「外国人への地方参政権付与」には反対だ。憲法に定められた国民主権の原則に反していると思うから。
日本国憲法第15条 - Wikipedia
「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」
憲法学の通説では立法によって地方選挙権を認めることは可能であるとされているらしいが、私は憲法が改正されないかぎり外国人参政権には納得できない。
せっかくこだわりを捨てたはずなのに、何だかずいぶん後ろ向きに見える。
李氏はむしろ「これまでこだわり続けてきたことに何の意味があったのか」「35年のこだわりの結果、何を得て何を失ってきたのか」自らに問うほうがよいのではないか。
参考リンク
Amazon.co.jp: 在日韓国人の終焉: 鄭 大均
25 o'clock:むくげの会の李敬宰氏が天皇制を妥当し日本人を差別するために立候補
私にはそれこそ差別に思えるのだが。
【大阪】 「コリア系日本人」大阪府議選に立候補へ 少数派ゆえ弱者の思いわかる 地方議員目指す在日韓国人
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1175137514/
1 :かしわ餅φ ★ :2007/03/29(木) 12:05:14 ID:???0
大阪府高槻市の在日韓国人2世、李敬宰(イ・キョンジェ)さん(53)が30日告示の大阪府議選に立候補する。昨年6月に日本国籍を取得、被選挙権を得た。日本に住む韓国・朝鮮籍の人は05年末現在で約59万9千人。大阪府には最も多い14万2712人が暮らすが、日本国籍を得て選挙に出るのは珍しい。李さんは少数派として生きてきたからこそ、高齢者や障害者の人権にも敏感になれると思い、「コリア系日本人」として地方議員を目指す。
李さんは戦時中、同市内の軍用倉庫で働いていた在日韓国・朝鮮人らが暮らす集落で生まれ育った。水道も整備されず、中学校では「あいつは朝鮮人」といじめられた。
高校卒業後、在日韓国・朝鮮人の若者が悩みを語り合える場を作ろうと市民団体「高槻むくげの会」を立ち上げた。同時に、教員を目指して通信制大学で学んだが、当時、公立学校の教員採用試験を受けるには日本国籍が必要だった。
「日本で生まれ育ったのに、なぜ試験すら受けられないのか」。日本国籍を取って教員採用試験を受けるのは、差別に負けることだと思い、教師への道をあきらめた。韓国籍にこだわることが差別への抵抗だった。
その後、高槻むくげの会の専従スタッフとして、在日韓国・朝鮮人の子ども会活動などに取り組み、03年には在日1世を主な対象にした福祉事業も始めた。
子ども時代に比べ、差別は和らいでいると感じる一方で、自分たちが本当に日本社会に飛び込んでいるのか疑問に思うようになった。「日本で生きていくなら、自分が住む地域で何らかの貢献をするべきではないか」
日本国籍を取得しなければ参政権を持てないことには今も疑問がある。しかし98年以降、国会には永住外国人に地方参政権を認める法案が繰り返し提出されているものの成立の見通しは立たず、「もう待てない」という思いが強かった。
「目立たんように」と言い続けた母(79)は、あきらめているのか、日本国籍取得について何も言わなかった。「こだわりを捨ててまで何が得られるのか35年間考え続けてきた。今も日本社会に拒まれるんじゃないかと思うと怖い。だけど怖がって動かずにいる限り、何も始まらない」
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200703290021.html
以上は2ちゃんねるからの引用である。
なぜ元記事から引用しないかというと、不思議なことにすでに朝日のサイトから消されているから。
asahi,comでサイト内検索すると結果一覧には出るものの、リンク先に飛んでも「お探しの記事はみつかりませんでした」になる。
それにしても、この記事を書いた記者は国籍の意味がわかっていないのか、それともわざと都合よくごまかしている。
大阪府高槻市の在日韓国人2世、李敬宰(イ・キョンジェ)さん(53)が30日告示の大阪府議選に立候補する。昨年6月に日本国籍を取得、被選挙権を得た。
李敬宰氏本人の意識、あるいは朝日新聞の見方はどうあれ、彼は「元」在日韓国人2世と呼ばれるべきだ。自らの意思によって国籍を取得した日本人を「在日韓国人=外国人」と同一視するのはそれこそ差別である。
日本に住む韓国・朝鮮籍の人は05年末現在で約59万9千人。大阪府には最も多い14万2712人が暮らすが、日本国籍を得て選挙に出るのは珍しい。
この記事の書き方だと李敬宰氏が韓国・朝鮮籍を維持しつつ日本国籍を取得したように読める。
だが日本は二重国籍を認めていない。李敬宰氏も当然のこととして韓国籍から離脱したはずだ。国籍法の第4条5項において、日本国民でないものが国籍を得るとき「国籍を有せず、又は日本の国籍によってその国籍を失うべきこと」と定められている。
李氏が違法に二重国籍を保持しているのでなければ、記事は「韓国・朝鮮籍を離脱して日本国籍を得」と書くのが正しい(やや煩雑だが)。
「目立たんように」と言い続けた母(79)は、あきらめているのか、日本国籍取得について何も言わなかった。
李氏のご母堂のお気持は知るよしもないが、目立つことと日本国籍取得は関係ない。在日韓国・朝鮮人が帰化するのはまったく普通のことだ。法務省の統計によれば毎年約1万人の韓国・朝鮮人が日本国籍を取得している。よほどの有名人でなければ帰化自体がニュースになることはない。
ここまでは記事の書き方についての疑問だが、記事が伝える李敬宰氏の考え方にも共感しかねる。
李さんは少数派として生きてきたからこそ、高齢者や障害者の人権にも敏感になれると思い、「コリア系日本人」として地方議員を目指す。
コリア系日本人が議員を目指すこと自体は何の問題もない。
だが、「差別への抵抗」として自らの意思で「韓国籍にこだわ」ってきた李敬宰氏と、どんなに望んでもその立場から逃れることのできない高齢者や障害者とではずいぶん違う。記事が正確だとしたら、李氏は何か勘違いしているようだ。
日本国籍を取得しなければ参政権を持てないことには今も疑問がある。しかし98年以降、国会には永住外国人に地方参政権を認める法案が繰り返し提出されているものの成立の見通しは立たず、「もう待てない」という思いが強かった。
私自身は「外国人への地方参政権付与」には反対だ。憲法に定められた国民主権の原則に反していると思うから。
日本国憲法第15条 - Wikipedia
「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」
憲法学の通説では立法によって地方選挙権を認めることは可能であるとされているらしいが、私は憲法が改正されないかぎり外国人参政権には納得できない。
「こだわりを捨ててまで何が得られるのか35年間考え続けてきた。今も日本社会に拒まれるんじゃないかと思うと怖い。だけど怖がって動かずにいる限り、何も始まらない」
せっかくこだわりを捨てたはずなのに、何だかずいぶん後ろ向きに見える。
李氏はむしろ「これまでこだわり続けてきたことに何の意味があったのか」「35年のこだわりの結果、何を得て何を失ってきたのか」自らに問うほうがよいのではないか。
参考リンク
Amazon.co.jp: 在日韓国人の終焉: 鄭 大均
25 o'clock:むくげの会の李敬宰氏が天皇制を妥当し日本人を差別するために立候補
理屈じゃない、感情だとでも言うのでしょうかね。でも感情論としても、国籍とその権利・義務についてはちゃんと考慮しなければいけないことであって、なあなあにしてごまかしてはいけないと考えます。当選しても落選しても、ご本人の弁が聞きたいですね。
このブログが李氏について参考になるかと。
偽善的人権・平等主義。
在日とか人権とかホームレスとか、そんなこと売り物にする人間が立候補する、してもおかしくない地域には、正直、暮したくない。
多くの町で第一中学といえば名門というか歴史・伝統があるものですが、高槻でも城跡公園や市民ホールに隣接した中心地の学校です。
そこでこのような揉め事を起こしておいて支持が得られるとは、恐らくご本人も思っておられないでしょう。
ただ、彼が立候補したことで大阪府議選の高槻選挙区は定数5に対し候補者6となって無投票当選が避けられたという功績があることは指摘しておきたいと思います。
このような人の立候補を告示直前に記事にした朝日新聞の態度には今更ながら大いに疑問を抱いております。
話題から外れますが、世に倦むの方の更新がありませんね。著書の売れ行き不振に落込んでるのでしょうか、復活を心待ちにしてるのに
その記事で言う所の「もう待てない」人が更に増加することを望んでやみません。
そういう立候補者に票を入れない為に、
私はだからこそ、住み続けなければと感じます。
こういう人達に、私は絶対票を入れません。
これからの表記は「コリア風日本人」
これだ。
>自らの意思によって国籍を取得した日本人を「在日韓国人=外国人」と同一視するのはそれこそ差別である。
その人を不当に低く取り扱おうとしてそのような表現をしたなら差別とも言いえるが、その記事を読む限り朝日新聞の意図はそうでもなさそうだ。 それより、「日本人を『在日韓国人=外国人』と同一視するのはそれこそ差別である」と言うことこそ、在日や外国人に対する差別になりませんか?
>李氏のご母堂のお気持は知るよしもないが、目立つことと日本国籍取得は関係ない。
「目立たんように」とは、日本国籍取得のことではなく、自分の息子が日本社会で「在日」のアイデンティティで政治参加しようとしていることに対する母親の老婆心から出た言葉でしょう。 「在日が日本社会で政治活動なんかして、波風が立つようなことにならんといいが、なにか悪いことが起こらんといいがね・・」というような、息子の活動を憂慮するお母さんの気持ちが表れたのだと思います。