玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

精神病を恐れて精神病者を憎まず

2007年03月01日 | 日々思うことなど
被害者と遺族が重い処罰を望むのは当然であり、そのこと自体をとやかく言うつもりはないが、報道の論調は被害者の感情に密着しすぎているように思う。法律家と精神科医の解説を付けてほしかった。

車暴走させ5人死傷の男、「心神喪失」で無罪判決 : ニュース : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 大阪府茨木市で2004年11月、車を暴走させて男女5人をはね、2人を殺害したとして、殺人と同未遂の罪に問われた元新聞配達員の男(25)の判決公判が28日、大阪地裁であった。西田真基裁判長は「被告は当時、心神喪失状態で罪にならない」として、無罪(求刑・無期懲役)を言い渡した。

 男は、自殺の道連れに通行人を殺害しようと、同月18日早朝、同市内の路上で自転車に乗っていた会社員村田忠治郎さん(当時61歳)と同米林和夫さん(同56歳)を乗用車ではねて殺害し、男女3人に重傷を負わせたとして起訴された。

 男は公判で「自殺の道連れではなく、悪魔に命令されてやった」と供述し、精神鑑定では「責任能力がまったく失われていた」とされた。これに対し、検察側は「心神耗弱状態だったが、心神喪失までには至っていない」としていた。

 判決で、西田裁判長は「犯行後、家族に『悪魔に5人殺してお前も死ねと言われた』と涙ながらに訴えるなどしていた。当時、統合失調症が急激に重症化し、著しい幻聴、妄想状態で、物事の善悪の判断や行動を制御する能力が失われていた」と結論づけた。

 無罪判決が確定すれば、重大犯罪を起こした精神障害者らを社会復帰させることを目指す「心神喪失者医療観察法」に基づき、検察官の申し立てで国が指定する医療機関で入院、通院治療を受けるかどうかを決める審判が開かれる。

 ◆「想像しなかった」遺族怒りあらわ

 判決後、大阪市北区の大阪司法記者クラブで、遺族らが記者会見。死亡した村田さんの兄、恒治郎さん(67)は「想像もしていなかった判決。これでは遺族や被害者の悲しみや苦しみは癒えない。こんな判決で社会の安全は守れるのか」と怒りをあらわにし、村田さんの妻、芳子さん(58)は「求刑以上の判決を願っていたのに無罪とは。必ず控訴してほしい」と涙ながらに訴えた。

 犠牲になった米林さんの妻、美紀子さん(56)も「悔しい。加害者が守られ、被害者がのけ者になるような法律はおかしい」と声を震わせた。重傷を負った女性2人も「病気なら、人を殺しても許されるのか」と話した。

 清水治・大阪地検次席検事の話「判決内容を精査のうえ、上級庁とも協議して適切に対応したい」


Yahoo!ニュース - フジテレビ系 - 大阪・茨木市で通行人を次々とはね5人を殺傷した男に無罪判決 遺族らは怒りの会見
大阪・茨木市で2004年、通行人を次々と車ではねて5人を死傷させたとされる男に、無罪判決が言い渡された。大阪地裁は「被告は、心の中の悪魔の命令で犯行に及んだ」と判断した。
事件で弟を亡くした村田 恒治郎さんは「想像もしなかった結果で、大変、驚いております」と話した。
負傷者の妻は「責任能力がなければ何してもいいんですか、そんなのおかしいやんか、こんな...」と、納得のいかない判決に怒りの涙を見せた。
2004年11月早朝、大阪・茨木市で走行中の車が人を次々とはね、2人が死亡し、3人が重傷を負った。
目撃者は「『ドーン』という音で、(車は)もうノンストップでいきはったみたいで」と話した。
運転していた25歳の無職の男は、事件の最後に車を民家に突っ込ませ、全裸の状態で取り押さえられた。
男は殺人などの罪に問われたが、裁判で「悪魔に命令された」と供述した。
対する検察側は「通行人を自殺の道連れにしようとした」として無期懲役を求刑し、判決の日を迎えた。
判決で裁判長は「被告が幻聴や妄想に支配され、心神喪失だった」と認定し、無罪を言い渡した。
裁判長は「犯行は、被告の精神世界にいる悪魔の命令によるもので、心神喪失者の罪は問えない」と述べた。
負傷者は「悪魔であれば、何をしてもいいんですか。許せません!」と語り、遺族は「これが法律なら、亡くなった被害者は、どこでどう報われていったらいいのか。本当に悔しい...」と涙ながらに語った。
検察側は「判決内容を精査のうえ、適切に対応したい」とコメントしている。

揚げ足取りのようになるのは本意ではないけれど、被害者側のコメントについていくつか思ったことを書く。

「こんな判決で社会の安全は守られるのか」
被告が事件を起こしたとき「悪魔に命令され逆らえなかった(弁護側主張)」あるいは「自殺する・死刑になることを望んでいた(検察側主張)」。どちらにしても異常心理に衝き動かされている。刑事罰を恐れる合理的判断はそこに存在しない。
なので、重い刑罰が同種の事件を抑止することは期待できない。

「求刑以上の判決を願っていたのに」
求刑以上に重い判決は滅多に出ない(たまにあるけれど)。むしろ「検察官の求刑が軽すぎる」と怒ったほうがいいのでは。

「悔しい。加害者が守られ、被害者がのけ者になるような法律はおかしい」
「これが法律なら、亡くなった被害者は、どこでどう報われていったらいいのか。本当に悔しい...」

この実感はわかる。何の理由もなく傷つけられ命を奪われた被害者と遺族が無罪の判決に怒るのは自然なことだ。
だが「法律の運用」ではなく法律自体への不満は裁判所よりも国会に向けるのが筋だ。裁判所は国会が決めた法律に基づいて判決を出しているのだから。
私自身は被害者と遺族には大いに同情するけれど「心神喪失者の不法行為」を重く罰するような法改正には賛成できない。

「責任能力がなければ何してもいいんですか、そんなのおかしいやんか、こんな...」
責任能力が無ければ「何をしてもいい」わけではない。誰であれ違法行為や不道徳なことはしてはいけない。
とはいえ、責任能力がない人間が不法行為をしてしまったとき処罰しないのが近代刑法の原則である。

精神障害で心神喪失の状態にある人が悪いことをしても処罰されないのは、なぜですか?
刑法39条1項は、「心神喪失者の行為は、罰しない」と定めています。なぜこのような定めがあるのか、を考えることになります。
刑法39条は、刑法の一大原理である「責任主義」の現れの一つだと考えられています。
責任主義とは、人を処罰するためには、その人が処罰されてもやむをえない何らかの事情(責任)が必要だとする考え方で、近代刑法の大原則の一つです。つまり、厳しい刑罰を科すためには、人が悪い結果を生じさせたということだけでなく、その人自身に刑罰が科されるだけの理由が必要だということなのです。そして、人が自らの意思で(悪いことだと分かっていて止めようと思えば止めれたはずなのに)犯罪を行ったこと、がこの事情に当たります。
自らの意思で犯罪を行ったといえない場合には、処罰することはできないのです。
このような考えのもと、刑法39条が定められています。
「心神喪失者」とは、精神障害のため、善悪が分からなくなっていたり、自分の行動をコントロールできない状態にある人をいいます。これは重い精神障害に完全に支配された状態です。このような人は、精神障害を経験したことのない者から見れば、自己の意思によって行動しているように見えるかもしれませんが、実際には、自分の行いが良いことであるか悪いことであるか分からなかったり、自分の行動を自分の意思ではコントロールできないという状態です。つまり、自分自身で悪いことだと分かりながら行動しているわけではない、ということです。したがって、責任主義の大原則から、その人を処罰するだけの理由はないということになるのです。
同じような考えで、中等度くらいの精神障害のため、善悪を理解したり、行動をコントロールすることが著しくできない状態であった場合、その人は「心神耗弱者」として刑を軽くするべき、とされているのです(刑法39条2項)。

もちろん「処罰されない」ことと「やってよい」ことは同じではない。
田舎に行くと道の傍らにときどき野菜の無人店舗があるが、誰も見ていない=捕まる心配のない情況であっても商品の持ち逃げが許されるわけではない。もし誰かがそういうことをやって「誰も見ていないから持って行っていいと思った」などと言えばそれこそ人格障害を疑われる。

「心神喪失状態」であってもそれが本人の意図によるものであれば通常より重い処罰が下される場合がある。酒酔い運転で事故を起こして心身喪失を主張しても通りはしない。むしろ悪質性が認められて罪が重くなるだろう。
だが大阪の事件では被告にアルコールや薬物への依存の事実はなかったようだ。弁護側の主張するように統合失調症であったのなら、悪化すれば現実認識を失い善悪も道理もわからなくなる恐ろしい精神病である。極端な言い方をすれば事件の本当の原因(犯人)は「統合失調症」であり、被告もまた病気の被害者の一人なのだ。
本人にはどうしようもない病気によって起きてしまった不幸は、犯罪ではなく事故と見なすほうが適切だ。
健康な人が自動車を運転中に急に脳溢血を起こして意識を失い、横断歩道に突っ込んで人をはねてしまったとする。この場合「殺人」「傷害」の罪を問うことはできない。「危険運転」の適用も無理だろう。肉体はそこにあっても精神は機能していなかったし、そうなってしまったのは本人の責任ではないのだから。

ここまでの文章では大阪地裁の精神鑑定結果をもとに「被告は心神喪失状態だったので責任能力を問えない」ことを前提としたけれど、地検が行った鑑定では責任能力が認められたという。そのあたりの真実がどこにあるのか私には分からない。
おそらく検察は控訴するだろうし、棄却されなければ高裁で被告人の責任能力についてもう一度争われるはずだ。


最新の画像もっと見る

23 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
精神病の理解はまだ進んでいない (安部奈亮)
2007-03-01 20:23:15
法律の一見不便に見える所が、回り回って自分たちの権利を守っているという観点が報道には抜けていると思いました。被害者がああいうのは当然だろうけれど、それを正義であるかのように報道するのはちょっと違うと思う。

私は躁鬱病です。私の家族や職場はそういう物にかなり理解がある方ですが、それでも「わかってないな・・・」と思うことが時たまあります。

躁鬱病への理解は北杜夫先生や斎藤茂太先生のおかげでだいぶ進みましたが、統合失調症への理解はまだまだです。数十年前みたいに強制収容はしてはいけなくなった以上精神病者と一緒に暮らしていくことが必要なのですから、マスコミにはもっと精神病の理解を広める工夫をしてもらいたいです。特に統合失調症。

表層だけなぞってサスペンスなんかの題材にしてしまうのはあまりやってほしくないです。ドラマのせいで性格障害の人達は(本人も含め)余計苦しみが増していると思います。
返信する
感じている恐怖 (伊藤)
2007-03-02 11:01:56
彼が無罪になったとして,再び「悪魔に命令された」場合,
善悪の判断がつかない人間ならば,再び同じ罪を犯すでしょう。
そして裁判,無罪へ。そして三度犯罪へ。

皆この恐怖を感じているのではないでしょうか?

 

返信する
どうすれば再犯を防げるか (steeve)
2007-03-02 12:39:50
心身喪失状態により本人の責任能力が問えないのなら、親族、病院等の監督責任は問えないのでしょうか?今回の事件で被告人の精神状態が初めて発覚したわけではないでしょうに。責任の所在を明確にし、罰を設けなければ、こうした、”事故”は防げないと思います。
返信する
伊藤氏やsteeve氏は (通りすがり)
2007-03-02 16:07:52
自分が「悪魔に命令された」場合のことを
お考えになったことがおありでしょうか。
自分は「健全」だから、
そんなことはありえない、
そうお考えなのでしょうね。

被害者が感情に流されてしまうのは理解できます。
ただ、マスコミ報道を見ているだけの第三者までもが、
同じように流されてしまうのには危機感を覚えます。
この程度の民度で司法制度改革なんて進めた日にゃあ、
日本は滅茶苦茶になってしまうでしょうね。
返信する
通りすがり氏は (名無し)
2007-03-02 16:33:38
自分が「悪魔に命令された」人間のそばにいることに場合のことを
お考えになったことがおありでしょうか。
自分は「そんなことにはならない」とお考えなのでしょうね。

何をするかわからない人間が車を運転して死傷者を発生させているのは事実です。
これに対して再犯を防ぐ手立ても無く、犯罪を犯しても裁く法律も無いのが現状です。
責任の所在をはっきりさせてしかるべき措置を講じるのは、民度云々に関わらず必要なのでは?
日本に危機感をもつのは結構ですが、それならば代替案の一つも提示するべきではないですか?
返信する
第三の道? (ドク)
2007-03-02 18:41:21
代替案としては、
以下のように考えられるのではないでしょうか?

①現状の制度:刑法39条
 責任能力の無い者は、刑事手続によって、
 処罰することはできない。
 (この点は、私個人としても、片倉川さん・通りすがりさんと同じく、仕方のない面があると考えます。)
②「社会」の要請
 (または刑法39条への「社会」からの反論)
 犯罪の構成要件に該当することを行った者を
 責任能力の欠如を理由に「野放し」にするのでは、
 「事故」の再発の可能性がある。
 (

この2つを前提とするならば、
犯罪の構成要件に該当することを行い
かつ責任能力を欠いている者については、
「刑事司法手続による処罰以外の方法で処遇する」
というのが、「第三の道」として考えられませんか?

片倉川さんの記事のリンク
(刑法39条について説明した弁護士会のページ)
にある「心神喪失者医療観察法」による対応も、
このようなものの1つの例として挙げられます
(弁護士会のページでは法案とされていますが、
平成17年に施行されています)。
ただし、この法律による対応だけで、
同じようなことが繰り返されることを防ぐのは、
困難かもしれませんが、このような刑事手続以外の方法・手続を、
根気強く、構築していくしかないのではないでしょうか?
(直接の被害にあわれた方にとっては、
 このような悠長な考え方は受入れがたい
 かもしれないのですが…)
 )
返信する
Unknown (安部奈亮)
2007-03-02 22:43:33
非精神病患者全員に占める犯罪者の割合と精神病患者全員に占める犯罪者の割合のどっちが高いかで危険性を判断するべき何でしょう。

有為な差はなかったと思います。
返信する
Unknown (さち)
2007-03-03 00:15:43
性犯罪者がとなりにいるとき、平和にすごせますか?
私は無理です。いつなにをされるかわからないまま不安におびえて過ごすのいやです。

この事件が加害者がとなりにいるとに、平和にすごせますか?
いつ「悪魔」が彼にささやくかわからないのです。

被害者になる側の心理は、隣にいるのが性犯罪者だろうが、病人であろうが同じです。
心神喪失、心神耗弱で減刑になるのは、病気なので理解できなくもありません。
しかし、すくなくとも刑期の期間中は、となりにいないので安心でしょう。
しかし無罪には納得できません。

もし罪にならないのであれば、
やはり、何らかの犯罪を犯さないようにする仕組みや制度が必要なのではないでしょうか?
でなければ、被害者の家族は安心できないでしょう。
治療ができるのであればよいのですが、実際に治療はかのうなのでしょうか?



私の意見は、統合失調症の人に対して発言してるのでなく、この事件の加害者に対してのみの発言ですので、誤解なきようお願いします。

>安部奈亮様
その割合ですと、精神病患者が犯罪者にいる可能性を判断するように思えてしまいます。
危険性を判断するのならば、精神病患者の中で犯罪を犯した人間の再犯率と、非精神病患者の中で犯罪を犯した人間の再犯率ではどうでしょう?
(答えとなる数値はもっていませんが…)

返信する
責任能力なしの証明方法 (思いついた)
2007-03-03 00:19:46
悪魔に命令されて死ぬかどうかを試してみればいいのでは。命令されるままに死んだら病気の証明になるし、命令を拒否する理性があったら責任能力ありで死刑。
返信する
そういう考え方もありますね (安部奈亮)
2007-03-03 00:36:01
再犯率の比較というのも必要ですね。


真性の精神病である場合、自分がやったと認識できないわけですので、反省しないかもしれないわけです。

ただ刑事罰だけを与えて、問題の症状は何ら治ることなく、刑期を終えたら社会に出てくるというのもそれはそれで大いに問題があります。

治療して反社会性を何とか取り除くか、社会復帰不可能として一生収容する(あるいは殺処分してしまう)しかなくなってしまいます。となると現代社会では治療するという選択肢しかない。

聞く範囲では、教育刑というやり方は基本的にはうまく行っているという話です。まあどうあっても反省しない少数のどうしようもない人間がいることは確からしいですが。
返信する