玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

常識と「世間の空気」

2007年09月27日 | 光市母子殺害事件
光氏母子殺害事件の弁護団に「人として許せない」と憤っている「普通の」人たちに読んでほしい。

元検弁護士のつぶやき: 「世間」、「常識」、「社会一般」等について コメント欄

No.95 名無しさん さんのコメント | 2007年09月27日 00:13 | CID 82280  (Top)

自分なりに考えてこと、感じたことをまとめてみました。

Q:刑事弁護士の職責とは
A:被告人の利益を主張すること

Q:検察の職責とは
A:被告人の罪を追求すること

Q:裁判官の職責とは
A:刑事弁護士と検察の主張を検討したうえで、適切な刑を下すこと

Q:刑事裁判における正義の実現とは
A:事実を明らかにすること、その事実に基づいて適切な刑が下されること

Q:事実を明らかにする(事実に近づく)ために必要なことは
A:弁護士、検察、裁判官がそれぞれの職責を果たすこと

Q:犯罪者を弁護するのは正義に反するのではないか
A:弁護士が被告人の利益を主張しなければ事実は明らかにならないし、正義も実現されない

Q:何があろうと人を殺した以上は死刑が適当ではないか
A:現在の司法制度は殺意の有無や犯行の計画性などの事情を考慮している

Q:なぜ事情を考慮するのか
A:考慮しなければ、正当防衛で人を殺しても死刑になる

Q:世間の感覚では死刑にするのが当然だ
A:世間には、死刑にするべきと考える人もいれば、そうでない人もいる

Q:現行の法律は民意から乖離しているのではないか
A:法律は民意に基づいて選ばれた議員によって作られている
  本当に民意から乖離しているのであれば、いずれ改正される


付け加えるなら

Q:被告は真実を語る義務があるはずだ
A:黙秘権は憲法38条1項で定められている

Q:目には目を、歯には歯を。凶悪犯にはそれにふさわしい刑を与えよ
A:残虐刑の禁止は憲法36条で定められている

本来これらは義務教育で身につける常識でなければならないのに、実際は学校でも社会(マスコミ)でも十分に教えられていない。
逆に憲法と刑事訴訟法について知識を持たず、あるいは知っていてもそれを否定して感情論を叫ぶ人たちのほうが多数派のようだ。「普通」の「一般人」が作る「世間の空気」はこうだ。

  「悪党はこいつだ! 悪党を吊るせ! 悪党の味方には石を投げろ!!」(典型例 

私はキリスト教徒ではないけれど、「罪なき者まず石を投げよ」と言ったキリストも、自らを省みて恥じた民衆も実に立派だと思わずにいられない。


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33 コメント

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Unknown (てんてけ)
2007-09-27 20:54:21
私がわからないのは、「弁護」という行為は
職業なのか、正義の味方なのか、どちらなんでしょう?

あとこれは無茶です。

A:法律は民意に基づいて選ばれた議員によって作られている
  本当に民意から乖離しているのであれば、いずれ改正される

民意が起点となって法律を変えるとき構築しなければならない手間やかかる費用、時間、そして議論のあり方を考えたとき、
「いずれ」がまだなのは「本当」の民意ではないからだとなり、法改正の困難さを覆い隠し、改正したい人達へ責任を転嫁しています。
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Unknown (Unknown)
2007-09-28 00:05:59
「人として許せない」という憤りこそが率直な民意であり、
鳩山法相の死刑制度への発言は、実際に民意が反映された結果なのではないでしょうか。
たとえば弁護士団に直接危害を加えることなどあってはならないことですが、
なぜ現在の司法制度、弁護活動への憤りを、一般国民が抱いてはいけないのか、不思議に思います。
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Unknown (yama)
2007-09-28 00:17:22
危険運転致死罪のように、遺族の叫びと世論の高まりがあってこそ、見直される量刑もあります。

私は弁護団を許せないとは思いませんが(快くも思いません)、「慣例」に従った判決が多く下されている現状では、あなたのおっしゃる「普通」「一般人」が声を上げることが悪いとは到底思えません。
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Unknown (koma)
2007-09-28 00:51:08
マスコミは権力を監視するために必要だから、どんな報道をしてもよい。
これを妨害するのはもちろん、批判するのも感情論だ。

こんな意見も通用しますね。
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コメントありがとうございます (玄倉川)
2007-09-28 01:17:54
みなさんコメントありがとうございます。

>てんてけさん
もし弁護士を正義の味方だと思っている人がいるとしたら(てんてけさんがそうなのかは存じません)、弁護士の仕事をかなり誤解していると思います。
弁護士の代わりに警官を例に挙げれば、小学生なら「おまわりさんは正義の味方」と信じていてもほほえましいものですが、大人になったら「警官の仕事は法と秩序を守ることにあり『正義』と常に一致するわけではない」と知る必要があります。
法改正の困難の問題ですが、法秩序の安定のためには移る変わる「民意」に追従することはできません。なにも「決して変えるな」と言っているわけではなく、変えるなら議論を重ね覚悟を決めた後で、ということです。

>Unknownさん
司法と民意が直結すると人民裁判になります。
民意が確かなものであるなら(私は疑ってます)、まず政治を動かし法律を変えるのが筋です。

>yamaさん
「一般人」が声を上げるのは結構ですが、その前に現在の法律と司法制度を理解していただきたいと願います。残念ながら2ちゃんねるやあちこちのブログ(参考 www.yabelab.net/blog / www.ytv.co.jp/takajin/bbs/bbs_res.php?bbs=BBS3&thread=1934)を見る限り、基礎知識のないまま怒りに身をゆだねる人が少なくないようです。
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ご自分でどうぞ (玄倉川)
2007-09-28 01:25:41
>komaさん
私はそのような意見が通用するとは思いませんが、komaさんが本気で「通用する」とお考えならご自分でブログを作って主張なさることをお勧めします。
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Unknown (koma)
2007-09-28 01:47:03
>komaさんが本気で「通用する」とお考えなら
まったく思いません。これはアイロニーです。

弁護士の崇高な使命、マスコミの崇高な使命というで判断するのではなく、
そのやってる内容によって判断するべきだと思いました。
他記事でのマスコミ批判に比べるとダブルスタンダードのように思えます。
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無知の怖さ (Taka)
2007-09-28 03:31:56
今回の騒動は多くの人が自分の無知に気づかない、もしくは自分の知識が万能であるかのように誤解していることが原因ではないかと。たとえるなら、野球で送りバントを行った打者に対して、ルールや戦術を知らない観客が「なぜ打たないんだ!」と喚いている、そんな感じでしょうか。

近代裁判がどのようにして生まれ、何を目的としているかも知らない。憲法もまともに読んだこともなければ、民法と刑法、刑事訴訟法の違いもわからない。言うなれば裁判制度に対して「無知」であるにも関わらず、自分の感情と世間の空気のみで物事の是非を判断する。このような人たちが掲げる「民意」「正義」にどれほどの価値があるのか疑問です。

加えてこういった人たちは論理的な思考がまったくと言っていいほどできません。刑事裁判で被告が罪に問われるのは法律の存在故であるのに、自分たちの都合で「死刑にしろ!」「弁護なんてするな!」と簡単に法律を無視する。それがどれほど身勝手で矛盾に満ちているかに気づくこともなく、ただ己の感情のみを拠り所に「意見」とやらを吐き出すだけ。

このような人たちとは議論はもちろん、意見することすら無駄でしょう。なぜなら彼らは求めているのは合理的な結論ではなく、自分の感情を肯定してくれる耳障りの良いお世辞ですから。
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Unknown (opt)
2007-09-28 03:44:19
> Q:現行の法律は民意から乖離しているのではないか
 A:法律は民意に基づいて選ばれた議員によって作られている
  本当に民意から乖離しているのであれば、いずれ改正される

 う~ん…やはりこれは答えになっていませんよ。
 ご存知のように、刑法学上、処罰の根拠も刑罰の意義も、民意とは関係がない形而上の根拠付けがなされていますよね。これは民意が仮に不合理な厳罰化を望んでも、一定の歯止めをかける意味もあるでしょう。もっとも、実質的な解釈上、“国民の規範意識”を持ち込む学者もいないわけではありませんが。
 それに、今回の問題は刑事裁判の本質云々が問題なのではなく、最高裁の差戻審において初めて(最高裁の意図をも無視して)、死刑制度廃止の政治的意図からあのような弁護活動をすることの是否、それに対する一般人の素朴な嫌悪感というのが根本だと思われますが、これは当然ではないですか。
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Unknown (Unknown)
2007-09-28 06:40:17
 引用された名無しさんのコメントは、刑事裁判における正義の実現とは、事実を明らかにすること、その事実に基づいて適切な刑が下されることであり、事実を明らかにする(事実に近づく)ためには刑事弁護士は被告人の利益を主張することとしていますが、現実には、刑事弁護士の職責が被告人の利益を主張することにあるなら、事実を明らかにする(事実に近づく)目的に反する主張をすることもあるわけです。

 ドストエフスキーが、弁護士(の行為)を金で買われた正義と言ったのはこのことでしょう。今回の裁判は、弁護士の行為が金の代りにイデオロギーであるように見えるので、政治活動だという批判があるわけです。

 玄倉川さんの主張の本筋は、「罪なき者まず石を投げよ」ということだとは思いますが、報道されている内容からは、弁護団の行為はいかがなものかと思います。

ついでにいっておきますが、さすがに、
Q:犯罪者を弁護するのは正義に反するのではないか
と主張する大人がいるとは思えないので、こういう無茶な批判は無用ではないでしょうか。

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