まずはどうでもいいことから。
前の記事でなんとなく「北朝鮮の怪しいロケット」という言葉を選んだのだけれど、今思うとなかなか適切な言い方だった。「ミサイル」と呼ぶと左のほうから「勝手に決め付けるな、あれは人工衛星だ!」と怒られ、さりとて「(自称)人工衛星」と言えば右から「ミサイルと呼ぶのを避ける輩は北朝鮮におもねっている!」と叱られる。難儀なことだ。
北が何のつもりでロケットを打ち上げたのか知らないが、特に呼び方にこだわって議論する必要はないと思う。「人工衛星打ち上げ」だろうと「ミサイル発射」だろうと、どちらにしても「北朝鮮の大型ロケット実験」には変わりない。大型ロケット技術はほとんどミサイル技術と重なるから、北朝鮮のように軍事的恫喝を繰り返す独裁国家のロケット実験は安全保障上の脅威にほかならない。その意味で、「怪しいロケット」という呼び方は本質を捉えていて最も適切である。…というような気がするのですがいかがでしょうか(急に弱気)。
さて、前回の続き。
「北」の怪しいロケット問題で「『騒ぎすぎ』と騒ぐ人が騒がしい」と書いたのだけれど、考えてみると彼らが何に対してどういうつもりで「騒ぎすぎ」と言っているのかよくわからないのだった。直接聞いてみれば早いのだろうけれど、いろいろ面倒なことになりそうなので勝手に想像することにした。
「騒ぎすぎ」と批判されているのはたぶん以下の三つのうちのどれか一つ、あるいは二つ、たぶん全部であろうと思われる。
1 マスコミが騒ぎすぎ
確かにマスコミは騒いでいた、らしい。
らしい、というのは私が最近あまり(ほとんど)テレビのニュース・ワイドショーや新聞を見ていないので、実際どうだったのかよく知らないのだ。「北」のロケット騒動のずっと前から(覚えている限りでは年金未納騒ぎの頃から)、マスコミと「世間」がつまらない問題で空騒ぎするのにあきれて真面目に見るのを避けるようになった。今積極的に見ているのはBSニュース「きょうの世界」だけである。落ち着いた雰囲気が好ましく、なによりもキャスターの丁野奈都子さんが素敵すぎてたまらない。
…それはともかく、「北のロケット問題でマスコミは騒ぎすぎだ」と言われたら「まあそうなんでしょうね」と答えるけれど、「でも、日本のマスコミはずっとそんな調子でしょう」と付け加えずにはいられない。記憶に新しいところでは、「麻生総理が定額給付金を受け取るかどうか」などという国民生活にまったく関係ないゴシップがあたかも大問題であるかのように騒いでいた。まったく理解の外である。
それと比べたら「北」の怪しいロケット問題は大いに騒ぐに値する。短期的には(万一の自乗くらいの確率だけど)日本人の生命財産が損なわれる可能性があり、長期的には安全保障上の頭痛の種だ。いたずらに不安をあおる必要はないが(残念ながらそのような報道は多かったらしい)、「北」の怪しいロケット問題をある程度の重要問題として伝えるのはむしろあたりまえである。
2 国民が騒ぎすぎ
何も調べたわけじゃないけれど、自信を持って断言する。ロケット騒動で「騒いだ」日本国民は1%もいない。
たしかにニュース番組が取材に行けばカメラの前で眉をひそめて「怖いですね」とは言うだろう。あるいは世間話で「嫌ですね」「まさか本当に落ちてこないよな」と言い合いもするだろう。だが本心からそう思っているかどうかは疑わしい。怪しいロケットによる被害を本気で心配する人が多ければ、東北地方で疎開騒ぎとか迎撃ミサイル(PAC3)の誘致合戦とか起こりそうなものだ。そんな話はまったく聞かない。
怪しいロケットを利用して何らかの目的で騒ぎ立てる手合いもいただろう(主に「右」のほうで)。だがそれはロケット問題の騒ぎというより「煽り屋問題」と呼ぶほうが適切だ。右の煽り屋が騒いだとして、それに踊らされた国民は私の見る限りほとんどいない。拉致問題のように実際に嘆き悲しむ被害者がいれば扇動も効果的だが、(今のところは)「杞憂」のようなロケット問題で空騒ぎするほど日本人は暇ではない。
ここまで国民のあいだで「騒ぎ」は起きていないと書いたが、それは「ロケット問題は何の影響も残さない」ということを意味しない。
特に大騒ぎもせず、半ば社交辞令として「テポドン怖いですね」と言い合う人たちが今回の事件に何を見たか。国際社会の制止を無視し、日本が危ないからやめてくれと言っているのに嫌がらせのように怪しいロケットを飛ばし、東北地方の人々に多少の不安と迷惑を与え、誰にも観測できない「人工衛星」を大成功だと言い張る北朝鮮という国の浅ましい姿だ。軍事独裁国家への静かな不安と怒りは確実に高まった。
ロケット問題で「国民は騒ぎすぎだ」とありがたくも説教する(主に左のほうの)先生方は、伏流水のような不安と怒りの存在を正しく認識しているのだろうか。どうもそうは思えない。不安と怒りから目をそらし、中身のない「騒ぎ」だけがあったのだと信じ(それこそが幻である)、「騒ぎ」を批判し否定すれば不安と怒りも消えうせると思っているのではないか。
表層的な「騒ぎ」を叩いて満足する(そして本質から目をそらす)のはもちろん「左の先生方」だけではない。去年暮れから今年はじめ「派遣村」を叩いた「右の先生方」にも同じような心理が見える。派遣村を「敵」の扇動による騒ぎ、一回限りの事件とみなして「騒ぎすぎだ」「騒ぐな」と批判する。派遣村の本当の問題は目に見えるテント村よりも「なぜ彼らはそこに集まったのか、集まらざるを得なかったのか」ということなのに、「騒ぎ」を叩いて終わらせることで満足してしまう。「炎が消えたら火事は消えた」と思い込むようで、まことに危うい。一度炎が消えても瓦礫の下に火種と燃える材料があれば、いつでも激しく火の手がよみがえる。
3 日本政府と政治家が騒ぎすぎ
たぶんこれが一番の主眼なのだろう。世の中に一家言ある先生方にとって政府批判・政治家批判ほどの好物はないのだから。だけど私には無理やりな「ためにする批判」としか思えない。
私の知る限り今回の事件で責任ある立場の政治家が過激で攻撃的な問題発言をしたということはない。そんなことがあれば朝日新聞をはじめとしたマスコミが好んで取り上げそれこそ「大騒ぎ」して、2ちゃんねるで「またマスコミのバカ騒ぎか」と叩かれ、私も気付いていたはずである。逆に茶化すような発言(「ミサイルが見えたら『ファー』って言う」)ならあったけれど、これは「騒ぎすぎ」論者にとっては好ましいたぐいの問題発言と思われる。実際意外なほど批判されなかった。
過激な言動とかではなく「弾道ミサイル破壊措置命令」を発令したこと自体がけしからん、ということなのだろうか。「平和を愛する」方々が軍事的な事柄をケガレとして嫌うのはわかるけれど、これも無理な言いがかりだろう。
世界のどこかの国(イギリスでもタイでもアルゼンチンでもいい)を仮に日本列島の位置に移動させたとする。そこに今回の北朝鮮ロケット事件が起きる。賭けてもいいが、よほどの北朝鮮友好国(そんなものあるのか?)でもないかぎり、政府は「危険だからやめてくれ」と要求し、国民は不安を感じ、北朝鮮に対する怒りと反発が強まることは間違いない。もみ手して「衛星打ち上げですか、結構なことですな。わが国の上空を飛ばしたいとおっしゃる。ああどうぞどうぞ、大歓迎です」などと言うはずがない。なにしろ軍事独裁国家北朝鮮の、技術的に不安だらけの、正体不明の自称「人工衛星打ち上げ」である。そんなものを信用できるお人よしの国民がどこにいるだろう。
北朝鮮の怪しいロケットが自国の領空を勝手に通過するとなれば、その国の政府は国民に万一の場合に備えて関係各機関(軍隊も含む)に対応を命じ、国民に情報を提供し注意を呼びかけるのは間違いない。つまり今回の日本政府の対応と同じだ。日本にはさいわいミサイル防衛システムがあり、落下物を撃破する能力がある。「弾道ミサイル破壊措置命令」でミサイル防衛の盾をかざすのは当たり前で、やらなかったら間抜けである。
「アメリカも韓国も騒いでいないのに日本だけが騒いでいる」という類の批判はまさに笑止だ。怪しいロケットが飛ぶのは日本の上空であって韓国やアメリカ(やその他の国)ではないのだから、日本がいちばん重大視するのは当然ではないか。
「日本は騒ぎすぎ」という意見が何を意味しているのか考えてみたけれど、マスコミ批判以外は無理やりなこじ付けとしか思えなかった。難癖をつけるには「騒ぎすぎ」とか「毅然とした態度を示せ」とかいった空疎な言葉はまことに便利である。なんだか立派なことを言ったようでいい気分だし、具体性がないから反論されるおそれも少ない。一般国民を批判するのは鬼門だが(そうでもないのかな?)、政治家の悪口はほとんど全国民共通の娯楽だ。かくして「日本は(政府は・政治家は)騒ぎすぎだ」というありがたいお説教があちこちで聞かれることになる。
「騒ぎすぎ」批判が一定の説得力あるものとして受け入れられる日本は、やはり静かで平和な国だ(今のところは)。
前の記事でなんとなく「北朝鮮の怪しいロケット」という言葉を選んだのだけれど、今思うとなかなか適切な言い方だった。「ミサイル」と呼ぶと左のほうから「勝手に決め付けるな、あれは人工衛星だ!」と怒られ、さりとて「(自称)人工衛星」と言えば右から「ミサイルと呼ぶのを避ける輩は北朝鮮におもねっている!」と叱られる。難儀なことだ。
北が何のつもりでロケットを打ち上げたのか知らないが、特に呼び方にこだわって議論する必要はないと思う。「人工衛星打ち上げ」だろうと「ミサイル発射」だろうと、どちらにしても「北朝鮮の大型ロケット実験」には変わりない。大型ロケット技術はほとんどミサイル技術と重なるから、北朝鮮のように軍事的恫喝を繰り返す独裁国家のロケット実験は安全保障上の脅威にほかならない。その意味で、「怪しいロケット」という呼び方は本質を捉えていて最も適切である。…というような気がするのですがいかがでしょうか(急に弱気)。
さて、前回の続き。
「北」の怪しいロケット問題で「『騒ぎすぎ』と騒ぐ人が騒がしい」と書いたのだけれど、考えてみると彼らが何に対してどういうつもりで「騒ぎすぎ」と言っているのかよくわからないのだった。直接聞いてみれば早いのだろうけれど、いろいろ面倒なことになりそうなので勝手に想像することにした。
「騒ぎすぎ」と批判されているのはたぶん以下の三つのうちのどれか一つ、あるいは二つ、たぶん全部であろうと思われる。
1 マスコミが騒ぎすぎ
確かにマスコミは騒いでいた、らしい。
らしい、というのは私が最近あまり(ほとんど)テレビのニュース・ワイドショーや新聞を見ていないので、実際どうだったのかよく知らないのだ。「北」のロケット騒動のずっと前から(覚えている限りでは年金未納騒ぎの頃から)、マスコミと「世間」がつまらない問題で空騒ぎするのにあきれて真面目に見るのを避けるようになった。今積極的に見ているのはBSニュース「きょうの世界」だけである。落ち着いた雰囲気が好ましく、なによりもキャスターの丁野奈都子さんが素敵すぎてたまらない。
…それはともかく、「北のロケット問題でマスコミは騒ぎすぎだ」と言われたら「まあそうなんでしょうね」と答えるけれど、「でも、日本のマスコミはずっとそんな調子でしょう」と付け加えずにはいられない。記憶に新しいところでは、「麻生総理が定額給付金を受け取るかどうか」などという国民生活にまったく関係ないゴシップがあたかも大問題であるかのように騒いでいた。まったく理解の外である。
それと比べたら「北」の怪しいロケット問題は大いに騒ぐに値する。短期的には(万一の自乗くらいの確率だけど)日本人の生命財産が損なわれる可能性があり、長期的には安全保障上の頭痛の種だ。いたずらに不安をあおる必要はないが(残念ながらそのような報道は多かったらしい)、「北」の怪しいロケット問題をある程度の重要問題として伝えるのはむしろあたりまえである。
2 国民が騒ぎすぎ
何も調べたわけじゃないけれど、自信を持って断言する。ロケット騒動で「騒いだ」日本国民は1%もいない。
たしかにニュース番組が取材に行けばカメラの前で眉をひそめて「怖いですね」とは言うだろう。あるいは世間話で「嫌ですね」「まさか本当に落ちてこないよな」と言い合いもするだろう。だが本心からそう思っているかどうかは疑わしい。怪しいロケットによる被害を本気で心配する人が多ければ、東北地方で疎開騒ぎとか迎撃ミサイル(PAC3)の誘致合戦とか起こりそうなものだ。そんな話はまったく聞かない。
怪しいロケットを利用して何らかの目的で騒ぎ立てる手合いもいただろう(主に「右」のほうで)。だがそれはロケット問題の騒ぎというより「煽り屋問題」と呼ぶほうが適切だ。右の煽り屋が騒いだとして、それに踊らされた国民は私の見る限りほとんどいない。拉致問題のように実際に嘆き悲しむ被害者がいれば扇動も効果的だが、(今のところは)「杞憂」のようなロケット問題で空騒ぎするほど日本人は暇ではない。
ここまで国民のあいだで「騒ぎ」は起きていないと書いたが、それは「ロケット問題は何の影響も残さない」ということを意味しない。
特に大騒ぎもせず、半ば社交辞令として「テポドン怖いですね」と言い合う人たちが今回の事件に何を見たか。国際社会の制止を無視し、日本が危ないからやめてくれと言っているのに嫌がらせのように怪しいロケットを飛ばし、東北地方の人々に多少の不安と迷惑を与え、誰にも観測できない「人工衛星」を大成功だと言い張る北朝鮮という国の浅ましい姿だ。軍事独裁国家への静かな不安と怒りは確実に高まった。
ロケット問題で「国民は騒ぎすぎだ」とありがたくも説教する(主に左のほうの)先生方は、伏流水のような不安と怒りの存在を正しく認識しているのだろうか。どうもそうは思えない。不安と怒りから目をそらし、中身のない「騒ぎ」だけがあったのだと信じ(それこそが幻である)、「騒ぎ」を批判し否定すれば不安と怒りも消えうせると思っているのではないか。
表層的な「騒ぎ」を叩いて満足する(そして本質から目をそらす)のはもちろん「左の先生方」だけではない。去年暮れから今年はじめ「派遣村」を叩いた「右の先生方」にも同じような心理が見える。派遣村を「敵」の扇動による騒ぎ、一回限りの事件とみなして「騒ぎすぎだ」「騒ぐな」と批判する。派遣村の本当の問題は目に見えるテント村よりも「なぜ彼らはそこに集まったのか、集まらざるを得なかったのか」ということなのに、「騒ぎ」を叩いて終わらせることで満足してしまう。「炎が消えたら火事は消えた」と思い込むようで、まことに危うい。一度炎が消えても瓦礫の下に火種と燃える材料があれば、いつでも激しく火の手がよみがえる。
3 日本政府と政治家が騒ぎすぎ
たぶんこれが一番の主眼なのだろう。世の中に一家言ある先生方にとって政府批判・政治家批判ほどの好物はないのだから。だけど私には無理やりな「ためにする批判」としか思えない。
私の知る限り今回の事件で責任ある立場の政治家が過激で攻撃的な問題発言をしたということはない。そんなことがあれば朝日新聞をはじめとしたマスコミが好んで取り上げそれこそ「大騒ぎ」して、2ちゃんねるで「またマスコミのバカ騒ぎか」と叩かれ、私も気付いていたはずである。逆に茶化すような発言(「ミサイルが見えたら『ファー』って言う」)ならあったけれど、これは「騒ぎすぎ」論者にとっては好ましいたぐいの問題発言と思われる。実際意外なほど批判されなかった。
過激な言動とかではなく「弾道ミサイル破壊措置命令」を発令したこと自体がけしからん、ということなのだろうか。「平和を愛する」方々が軍事的な事柄をケガレとして嫌うのはわかるけれど、これも無理な言いがかりだろう。
世界のどこかの国(イギリスでもタイでもアルゼンチンでもいい)を仮に日本列島の位置に移動させたとする。そこに今回の北朝鮮ロケット事件が起きる。賭けてもいいが、よほどの北朝鮮友好国(そんなものあるのか?)でもないかぎり、政府は「危険だからやめてくれ」と要求し、国民は不安を感じ、北朝鮮に対する怒りと反発が強まることは間違いない。もみ手して「衛星打ち上げですか、結構なことですな。わが国の上空を飛ばしたいとおっしゃる。ああどうぞどうぞ、大歓迎です」などと言うはずがない。なにしろ軍事独裁国家北朝鮮の、技術的に不安だらけの、正体不明の自称「人工衛星打ち上げ」である。そんなものを信用できるお人よしの国民がどこにいるだろう。
北朝鮮の怪しいロケットが自国の領空を勝手に通過するとなれば、その国の政府は国民に万一の場合に備えて関係各機関(軍隊も含む)に対応を命じ、国民に情報を提供し注意を呼びかけるのは間違いない。つまり今回の日本政府の対応と同じだ。日本にはさいわいミサイル防衛システムがあり、落下物を撃破する能力がある。「弾道ミサイル破壊措置命令」でミサイル防衛の盾をかざすのは当たり前で、やらなかったら間抜けである。
「アメリカも韓国も騒いでいないのに日本だけが騒いでいる」という類の批判はまさに笑止だ。怪しいロケットが飛ぶのは日本の上空であって韓国やアメリカ(やその他の国)ではないのだから、日本がいちばん重大視するのは当然ではないか。
「日本は騒ぎすぎ」という意見が何を意味しているのか考えてみたけれど、マスコミ批判以外は無理やりなこじ付けとしか思えなかった。難癖をつけるには「騒ぎすぎ」とか「毅然とした態度を示せ」とかいった空疎な言葉はまことに便利である。なんだか立派なことを言ったようでいい気分だし、具体性がないから反論されるおそれも少ない。一般国民を批判するのは鬼門だが(そうでもないのかな?)、政治家の悪口はほとんど全国民共通の娯楽だ。かくして「日本は(政府は・政治家は)騒ぎすぎだ」というありがたいお説教があちこちで聞かれることになる。
「騒ぎすぎ」批判が一定の説得力あるものとして受け入れられる日本は、やはり静かで平和な国だ(今のところは)。