左翼も右翼も大好きな「アメリカ従属論」。
私はあまり興味ないのだが、どうしても語りたい人は「政治的・経済的現実としてアメリカに従属している」ことと「強い従属意識を持っている」ことを分けて考えたほうがいいと思う。
BigBang: ギブ・コイズミ・チョコレート
私は「コンバット!」と「奥様は魔女」を再放送(再々放送?再々々放送?)で見た世代である。たぶんBigBang氏は私より5~10歳年上なのだろう。「ローハイド」は見た覚えがない。脱脂粉乳も飲んだことがない。「クイズ番組のハワイ旅行はまるで月世界旅行のような扱いであった」というのもいまひとつ実感がない。「えーっ、信じられない!」と叫びはしないけれど。
私は小泉総理がグレースランドではしゃいでいる姿を見て「みっともない」とも「見てはいけないものを見てしまった」とも思わなかった。単に「中学生のころから憧れていたスターの家を訪問できてよかったね」「あれだけ大喜びすればブッシュ大統領やアメリカ国民ももてなし甲斐があるだろう」と微笑ましく感じただけである。ちなみに、2ちゃんねるの「小泉エルビス邸を訪問」スレッド(dat落ち)での反応も「小泉よくやった」が7割、「みっともない」3割程度であった。
あの無邪気な喜びようから「日本社会全体が未だに捨てることのできない、強烈な米国への従属意識」を感じてしまうほうがむしろ格好悪いと思う。自分のコンプレックスを他人に投影しているだけのように見える。
私が「嫌だな、みっともないな」と思ったのは先日亡くなった橋本元総理のパフォーマンスだった。
橋本元首相死去:真の愛国者だった カンター元米通商代表(元記事リンク切れのためキャッシュ)
橋本氏がどういうつもりだったのか知らないが、私には竹刀を喉に当てておどけてみせるしぐさは強いアメリカへの媚びに見えた。子犬が強い犬に脅かされると恭順の意を示そうと仰向けに横たわるが、橋本氏のやったことはそれに似ている。どうせパフォーマンスをするのなら、振り下ろされた竹刀を奪う「真剣白刃取り」をやればよかった。
小泉総理がグレースランドで見せたのは、橋本元総理のような「強いアメリカに媚びる」姿ではない。単に憧れのスターの真似をしただけのことだ。もし彼がビートルズファンならリバプールで大はしゃぎしていただろう。小泉純一郎という人間の素直さ、あるいは子供っぽさを笑うのはけっこうだが、アメリカ従属がどうとかいうのは変である。
仮の話で例えるなら「相撲愛好家として知られるシラク大統領が相撲部屋を訪れて四股を踏んでみせた」ようなものだ。単なる個人のファン心理であって、そこに国民全体のコンプレックスまで読み取ってしまうのは無理がある。
小泉総理のエアギターや金縁サングラスに「強烈な米国への従属意識」を感じる人の中にこそ強い劣等感が存在するのだろう。
私は「見てはいけないものを見てしまったような、何ともいえない思いと共に目をそむけ」たくなる。
関連記事 「従属意識」のありか その2
私はあまり興味ないのだが、どうしても語りたい人は「政治的・経済的現実としてアメリカに従属している」ことと「強い従属意識を持っている」ことを分けて考えたほうがいいと思う。
BigBang: ギブ・コイズミ・チョコレート
僕の幼い頃のアメリカは「ララミー牧場」であり、「ローハイド」であり、「コンバット」であり「奥様は魔女」であった。米国への圧倒的な憧れとまではいかない世代だが、それでもやはり、ホームドラマに映る米国一般家庭の食卓や台所のまぶしさは、今でも忘れない。
給食には臭い脱脂粉乳(GHQがかつて日本の栄養不良児童を救ったあの脱脂粉乳である)が並び、優勝するとJALパックの憧れのバッグが手渡されされる、クイズ番組のハワイ旅行はまるで月世界旅行のような扱いであった。
まして小泉首相である。 とは思う。
幼い頃、貧しい日本の社会から見上げた圧倒的豊かな米国の姿は、この人の脳裏を生涯去らないのであり、正直な人物であるだけにそれを隠そうともしない。決定的な貧しさと卑屈さ。それはある面では彼だけではなく、日本社会全体が未だに捨てることのできない、強烈な米国への従属意識であり、若者には単に「みっともない」「かっこ悪い」小泉首相のパフォーマンスも、年配になるほど見てはいけないものを見てしまったような、何ともいえない思いと共に目をそむけるのである。
私は「コンバット!」と「奥様は魔女」を再放送(再々放送?再々々放送?)で見た世代である。たぶんBigBang氏は私より5~10歳年上なのだろう。「ローハイド」は見た覚えがない。脱脂粉乳も飲んだことがない。「クイズ番組のハワイ旅行はまるで月世界旅行のような扱いであった」というのもいまひとつ実感がない。「えーっ、信じられない!」と叫びはしないけれど。
私は小泉総理がグレースランドではしゃいでいる姿を見て「みっともない」とも「見てはいけないものを見てしまった」とも思わなかった。単に「中学生のころから憧れていたスターの家を訪問できてよかったね」「あれだけ大喜びすればブッシュ大統領やアメリカ国民ももてなし甲斐があるだろう」と微笑ましく感じただけである。ちなみに、2ちゃんねるの「小泉エルビス邸を訪問」スレッド(dat落ち)での反応も「小泉よくやった」が7割、「みっともない」3割程度であった。
あの無邪気な喜びようから「日本社会全体が未だに捨てることのできない、強烈な米国への従属意識」を感じてしまうほうがむしろ格好悪いと思う。自分のコンプレックスを他人に投影しているだけのように見える。
私が「嫌だな、みっともないな」と思ったのは先日亡くなった橋本元総理のパフォーマンスだった。
橋本元首相死去:真の愛国者だった カンター元米通商代表(元記事リンク切れのためキャッシュ)
自動車交渉が大詰めを迎えた95年6月、カンター氏が橋本氏を「タフ・ネゴシエーター(手ごわい交渉相手)」と評し、剣道有段者の橋本氏に竹刀を贈ったことは、日米摩擦を象徴する一幕に。竹刀の握り方を教えてくれと言うカンター氏の手を取りながら、橋本氏が竹刀の先を自分ののど元に当てて一本取られるしぐさをする場面もあった。
橋本氏がどういうつもりだったのか知らないが、私には竹刀を喉に当てておどけてみせるしぐさは強いアメリカへの媚びに見えた。子犬が強い犬に脅かされると恭順の意を示そうと仰向けに横たわるが、橋本氏のやったことはそれに似ている。どうせパフォーマンスをするのなら、振り下ろされた竹刀を奪う「真剣白刃取り」をやればよかった。
小泉総理がグレースランドで見せたのは、橋本元総理のような「強いアメリカに媚びる」姿ではない。単に憧れのスターの真似をしただけのことだ。もし彼がビートルズファンならリバプールで大はしゃぎしていただろう。小泉純一郎という人間の素直さ、あるいは子供っぽさを笑うのはけっこうだが、アメリカ従属がどうとかいうのは変である。
仮の話で例えるなら「相撲愛好家として知られるシラク大統領が相撲部屋を訪れて四股を踏んでみせた」ようなものだ。単なる個人のファン心理であって、そこに国民全体のコンプレックスまで読み取ってしまうのは無理がある。
小泉総理のエアギターや金縁サングラスに「強烈な米国への従属意識」を感じる人の中にこそ強い劣等感が存在するのだろう。
私は「見てはいけないものを見てしまったような、何ともいえない思いと共に目をそむけ」たくなる。
関連記事 「従属意識」のありか その2
村上龍氏が青春出版社「誰にでもできる恋愛」という本の104ページで、
「屈辱を絵に描いたような、あれほどすごいパフォーマンスをやってしまうひとだとは思っていなかった」
と指摘したエピソードがあるようです。
「恋愛をあきらめたいための選択肢」という章です。
あの剣道のエピソードとは別のパフォーマンスです。
読んでみてください。
地位と権力にまみれてなお、「好きなものは好き」と言えて、かつ、それが他人に伝わる。
外交、内政の客観的な評価は別に有りますが(私個人は高い点数をつけます)、この転だけをとっても本当に希有な資質を持った人だと思います。
情報ありがとうございます。機会があれば読んでみます。
>小6さん
こちらこそはじめまして。
もし小泉総理の歌がうまくても、批判する人は批判しただろうと思います。
>zzztkfさん
日本人はマジメですから、最高権力者の「遊び心」が批判されるのは仕方ないのかもしれません。
私は小泉さんの個性が好きですけれど。
アメリカ人は、歌のうまいヘタが極端で、ヘタな人は考えられないくらい音痴です。でも本人はあまり気にしてないことが多い。要するに楽しけりゃいいという感覚です。なので、歌がヘタだから笑われるなんてことは、まずありませんよ。
日本人はカラオケのせいか、歌のレベルが大変高いので、そう思うのかもしれません。
米国から見た日本の印象はすごく薄いのです。けれどもそんな中で、小泉首相はタイムという雑誌で「世界で最も影響力のある100人」の一人に選ばれるほど評価は高い。その首相がエルビスのファンだということは、一般のアメリカ人にとっても印象づけになると思います。日本の存在感を増す意味でも、役立ったと思います。